※未来捏造if
俺の幼馴染はすごい。冴と凛が同じチームでプレーするようになって、余計にそう思うことが増えた。強豪レ・アールで主力選手として活躍していて、年俸もとんでもない。チーム内だけでもたくさんのスター選手がいるのにその中でも注目度は高くて、日本国内の関心だけじゃなく今や世界的に見ても超人気選手だ。
昔から料理が好きだったからという理由で栄養士の資格を取ったものの特にやりたいことも無かった俺を、住み込みの仕事だと言って海外へ引っ張ったのは冴だった。
本当に幼少期からそばにいたから、この糸師兄弟とやたら一緒にいた自覚はある。一人っ子だったので『さえといっちょ』『さえだいしゅき』と言いながら冴に引っ付いていたらしい俺は相当冴に懐いていたらしいし、冴からしたら鬱陶しかったかもと思うものの俺も凛を同じように可愛がっていたので、まあ冴もそれなりに可愛がってくれていたのかもしれない。
そんな冴に誘われて海外へと飛んだのは20歳の時。昔に比べて少し陰がある冴が心配だったこともあって、文字通り住み込みで料理を作ったり掃除をしたりした。衣食住すべてを冴が賄ってくれているのに更に給料だと称してお金を渡してくるし、服や香水など色々買い与えられているので少し甘やかされすぎている気もする。
そして1年後、凛がPXGからレ・アールに移籍してきてからは3人で住むようになった。冴と凛の関係性を知る人間からするととんでもない事態だと驚くと思う。あまり詳しくは知らないけど過去に随分と大喧嘩したらしく、そこからはずっとまともに顔を合わせてすらいなかった。お互いがプロになったら少し丸くなったようで、まだぎくしゃくしている場面もあるけど、一緒に住むという発想になるあたり兄弟仲はそこそこ修復されたんだろう。
──そろそろ、お役御免なんじゃないかとずっと思っていた。たとえば冴は試合後の取材や雑誌なんかのインタビューでときどき「専属の栄養士が食事を作ってくれるようになってからコンディションが安定している」というようなことを話してくれていて、なんだか自分が大層な人間になったように思えてしまう時もあったけれど、SNSで二人の活躍が話題になる度に住む世界が違うと思わせられる。
専属の栄養士なんて立派なものじゃない。じゃあ、俺ってなんだろう。そんな風に考え事をしながら歩いていると道行く人にぶつかってしまって、つい「すみません」と言って振り返るとその女性にも同じ言葉で謝罪されて驚いた。
スペインで冴と凛以外に日本語で話せるなんて珍しくて、そしてそれは相手も同じだったようだ。そのままの流れでカフェで少しお茶することになって、もちろん冴や凛のことを言うわけにいかないので「地元のサッカーチームの手伝い」という体で話をした。
自分に恋人ができるところを想像したことはあまりなかった。まあ出会いもないし別にモテるわけでもないからそれはいいとして、そういえば冴や凛の浮いた話は聞いたことがないなと思った。あの顔であの実力と知名度で、モテない訳がない。あいつらサッカー一筋だからなあと他人事のように考えながら、その女性とはなんとなく連絡先を交換して別れた。
そうして家に帰ってなんとなくテレビをつけると、凛がパパラッチに撮られていた。テレビに疎い俺はあまり知らなかったが相手の人は有名な女優らしい。確かに画質の良くない写真でも分かるほどにその女性の目鼻立ちは整っているし、顔が小さくて背が高くてスタイル抜群。凛とはとてもお似合いに見えた。
これが本当かどうかと言われるとまあ、多分ガセネタだろうなとは思う。だけど真偽よりも凛や冴にもいずれそんな相手が現れるという現実を想像して、なんか俺このままじゃダメだなあ、なんてぼんやりと思っていた。
「冴ってさ、彼女いたことある?」
「……なんだ、そのくだらねえ質問は」
凛はスポンサー絡みで帰りが遅くなるとのことで、冴と晩ご飯を食べている時。オフシーズンなので今日はワインを開けていて、普段は冴と凛に合わせて飲まないようにしているので、久々のアルコールにふわふわと酔いが回る。その雰囲気のままにふと気になったので聞いてみたら表情を変えずにそう一蹴された。冴みたいに何かを成し遂げてる人にとってはくだらないんだろうなあ。けど俺には何もないから、恋愛とか結婚とかだって気にはなるわけで。
「俺さあ、好きな人できたかも」
そう言うと一瞬、本当に一瞬。ただの沈黙とは違う空気が流れたような気がしたけれど、冴は普段から無口ではあるし振った話題がだめだったかな、とは思いながらもそのまま続ける。
「今日、買い物行った時に日本人に会ってさあ。冴と凛以外の日本人と話すの久しぶりだしちょっとお茶してたんだけど」
「……へえ」
「その人めちゃくちゃ綺麗でさ。だから好きっていうよりいいなーって思っただけなんだけど、一応メッセージ交換したし、俺から連絡してみてもいいもんかなぁ」
「……あぁ。そうだな」
勧められるままにワインを飲みながら、恋人がほしいとか日本に帰ろうかなとかつらつらと話す俺に、冴の相槌だけが時々返ってくる。その後も、冴におすすめされる酒はどれも飲みやすくて美味しくて、いつの間にかテレビが消えていてそれでも、静かな空間が心地よくて。酔いが回ってきたせいか瞼が重くて、ああこれは凛におかえりって言えそうにないななんて思いながら、意識を手放した。
「………そんな女、二度と会わせねぇよ」
そんな冴の言葉は鼓膜を微かに揺らすのみで、俺の脳には届かなかった。
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意識が浮上した時にふいに感じたのは、寝苦しさとはまた違う、随分と昔に感じた金縛りと同じような違和感だった。
「……ッ?」
意識はあるのに動かない体。夢かと思ったけど妙な現実感があって、不穏な感覚の先にある腕を辿ってみれば自分の頭の上で固定された腕があった。手錠のようなものが嵌められていて、それがベッドに固定されているらしい。混乱して腕を動かそうとするとカシャン、と金属が擦れる音が部屋に響いて、困惑と恐怖で背中に汗をかいた。
「なんだ、もう起きたのか」
「ぁ、……さえ……っ?」
聞き馴染みのあるその声に一瞬安堵して、だけど何処か様子がおかしい。冴は跨るようにして俺の腰の横に両膝をついて、怖いくらい静かに俺を見下ろしている。たすけて、と反射的に放った言葉に冴が返事をすることはなくて、薄暗い寝室の沈黙に呑まれて消えた。
ドアが開く音がして、そして廊下の明るさが目に飛び込んできた。俺を見下ろす冴の顔を見るのが怖くてすぐにドアの方を見ると、シャワーを浴びたらしい凛が俺を見ていた。いつの間に帰ってきたのだろうか、分からないけれど慌てて凛の名前を呼んだ。
「凛っ、助けて……! 冴が変で……!」
「………」
「っ、りん……?」
凛も何も言わずこちらへ近付いて来て、そろりと俺の足の付け根あたりを撫でた。何とも言えない恐怖に体が震えた。
「もっと早くこうすりゃ良かっただろ」
凛がようやく発した声は俺ではなく、冴に向けられたものだった。こうすればよかった、というのが今の俺の状態だと言うのを理解してしまって、だけど信じたくなくて言葉が浮かばなくて結局、口を挟むこともできない。
「お前が女と撮られた所為でもあるだろ」
「……うるせえ」
「だがまあ、……そうだな。俺が甘かった」
冴が俺の唇をなぞる。俺の知っている冴じゃない。冴はいつも優しかった。いや、今だって何か乱暴なことをされたわけじゃない。ないけれど、足先から這い上がってくる恐怖感が俺の心臓を急かすようだった。
浅い呼吸をすることしかできない俺に、冴は微笑んだ。そしてそれも、俺の知っている顔ではなかった。もともと表情の変化が乏しい人間ではあるけれど、こんなにも仄暗い笑顔を見せる奴ではなかったのに。
「お前が悪い」
「え……?」
凛の言葉に思わず、声が漏れた。間違いなく俺に向けられた言葉だろう。俺は何か二人の気に触ることをしただろうか? したとしたらいつ? いつも通りの日常だったのに。
「ずっと一緒だって言ってたのにな」
端的な会話を好む冴にしてはどこか曖昧で抽象的な、核心を避けたような言葉。ただでさえ混乱している俺には理解できなくて、嘲笑にも見える冴の顔を見上げることしかできない。
凛はいつの間にかベッドに腰掛けていて、今度は首に指を這わせた。
「アレ、まだ付けてねえのかよ」
「首輪か? ヤる時は邪魔になるだけだろ」
「……俺は早く付けてえ」
「俺の番が終わったら好きにしろ。今は却下だ
「……チッ」
内容を除けばまるで普段の兄弟のなんでもないやり取りのように平然としたテンポと声色で話していて、もう俺の耳がおかしくなったのか、もしかしたら夢なのではないかと思うほどだった。冴が変で、そして凛も同じようにおかしくて、凛は冴の味方。それだけはなんとか分かるのに、じゃあ二人が俺のことを嫌っているのかと考えればそれはきっと違うんだということも分かってしまう。
周り回ってどうして俺はこんな風に自由を奪われているのか意味がわからなくて、ようやく口を開いた。
「なぁ、俺、何かした……?」
「………」
「ッなんでこんなこと、すんの……?」
何度も深呼吸して言葉にしたのに声が震えてしまった。そのことが二人にどう影響したのかは分からないけれど、二人の視線が俺に集まってこくりと唾を飲み込んだ。
「閉じ込めるために決まってんだろ」
「え……」
「ナマエが歩けなくなったら外に出さなくて済むと思ったけど、それだとお前に嫌われるって、クソ兄貴が言うから」
凛はそれがさも当たり前かのように答えた。閉じ込める、外に出さない。人を相手にはあまり聞いたことがない内容でどこかフィクションのように聞こえてしまって、どう答えたら良いか分からなかった。
「コイツは何年も前から言ってたんだがな。俺はお前が外で呑気にはしゃいでんのも悪くねえと思って、今まで自由にさせてた」
「っだからそれが、なんで、」
「愛してるから」
──呼吸が止まった。嫌われているわけではないと思っていたし、こんな状況になっても加害されないのではないかと思っていた。その理由が、その言葉に詰まっている気がした。
冴のその一言は、これまで聞いたことがないような低くて甘い声だった。冴の手は俺の服の裾へと侵入して肋骨のあたりをなぞるように撫でていて、凛はベッドに身を乗り出して俺の目尻をべろりと舐めた。恐怖で涙が滲んでいたことにはその時に気付いた。
冴はさっきからあまり表情が変わらないけれど、凛はどこか恍惚とした顔をしていて、どうしてか獰猛な獣が獲物を前に我慢しているようにも見える。
俺を愛していると言った冴は至極真面目だった。昔から冗談を言うタイプではなかったからきっと本当なんだろう。だとしてもこれは間違っている。それなのに愛おしむように俺に触れるので、否定するとそれこそ逆鱗に触れてしまうのでは無いかという確かな恐怖と、こんなことをされてもまだ、この幼馴染たちを傷つけたくないという気持ちで何も言えなかった。
「……愛してる。誰にもやらねえ」
冴はもう一度そう言って、ゆっくりと俺の唇を塞いだ。体は強張ったが跳ね除けられなかった。俺たちはどこで間違えたんだろうかと、初めて感じる柔らかな感触を受け止めながら思う。いや、二人にとってはこれは間違いなんかじゃ無いのかもしれないけれど。
俺たちは幼馴染で、こんな状況はおかしい。されるがままなんて抵抗しないといけない。だけどきっと、抵抗なんかしたって意味がない。真逆の自問自答に揺れ動く俺は結局、ぬるりと口内を侵す冴の舌を噛むこともできないままそっと目を閉じた。
夜の失くし方
欲しいと思った時にはもう、普通にしていたって手に入らないものなんだと気付いた。
異性を好きになることが至極当たり前で、俺と凛がナマエを好きになったのがきっと世間で言うところの異端だった。それでも欲しかったから自分なりにナマエを特別扱いしてみたものの俺はサッカー以外はてんで何もできなくて、だがナマエもそこまで他人と自ら関わる性格ではないので女の影もない。
しかし残酷にもナマエから「好きな人ができたかも」なんて言葉が出て。ただ一度出会っただけの女に思いを馳せているその横顔はきっと、俺たちがずっと見たかったものだった。
「……ん、ぅ、っは、……んん……ッ」
いつかのために前々から用意していた薬を盛って眠らせて、手錠で繋いでその上に跨って、ナマエの気持ちも考えずにキスを繰り返す。駄目だと思うのに止められない。
誰かのものになることが許せない。その相手が凛でも、他の女でも。手に入らないならせめて誰のものにもならないでくれと思う。だけど外に出してしまえば出会ってしまうのだから、それならもう閉じ込めるしかない。
それでも例えば、今日はもうキスだけでやめて、この先は気持ちが伴ってからにした方がいい。頭ではそう考えている。だがそれと同時に、ナマエの気持ちが俺たちに向くことなんて無いことが分かってしまう。
「っはぁ、さ、え……」
「………」
「ッん、ぅ……」
ごめんの一つも言えないまま、またキスをする。ナマエはきっと抵抗を諦めている。こんな形で初めてのキスをしたかったわけじゃなかった。だけど我慢もできなかった。
指がナマエの肌を這って腹や肋骨へとその形を確かめるようにして触る。これ以上は本当に戯れでは済まないと分かっているのに、Tシャツをたくし上げるのもスウェットの下を下ろすのも止められない。欲しいものがすぐ目の前にあるのに、手を伸ばさずにいられる男がどれだけいるのだろうか。
「ゃ、さえ……っ」
これまで抵抗していなかったナマエはようやく、ほんの少し拒否の意を含んだ声を出した。当たり前の行動であるし、そして俺がそんなことで止まれるわけも無かったけれど。
ナマエは目を潤ませて俺を見上げている。泣き顔なんて久しぶりに見た。ナマエに付き合う形で見た映画やドラマで俳優が泣こうが何とも思わなかったが、好きな奴の泣き顔はまた違うらしい。優越感と背徳感と、誰も見たことがないナマエの表情を間近で見下ろしているという興奮が確かにあった。
「……ごめんな」
FWを諦めた時も凛と仲違いした時も、そしてプロになってからも。ナマエは俺を支え続けてくれていたのに、俺はナマエを泣かせるだけで何も返せていない。
俺の人生はあの頃からずっと、間違えてばかりだ。
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