「いらっしゃい。訓練で疲れてるとこなのにごめんね」
「……別に疲れてねェわ」

前に聞いていたボスの寝室の扉をノックして、返事を確認してから入ると、着物を着たナマエが笑顔で出迎えた。背はそれなりに高くすらっとして見えるが、スーツのときに着痩せしていた体格はよりはっきり分かる。
こいつもやっぱ相当鍛えてんだな、とか、どんな個性持ってんだ、とか。普段ゆっくり話す時間はないから、聞いてみたいことは色々思いつくけど、ここへ来た目的はそれじゃないから、とりあえず黙って部屋に入る。

「ていうか着物なんだ?別に、普段通りの部屋着とか、リラックスできる格好で良かったのに」
「ボスは夜伽ん時は和装が好きらしいっつってたからな」
「……あー、ちなみに、誰が?」
「デク」
「でく……? ああ、出久か。……出久……」

目元を抑えて顔を逸らしたその反応は、今まで見たことがないものだった。ほんの少しだけデクに感謝してやらんこともない。1ミリくらいだけどな。

「まあ和装、好きだけどな。よく似合ってる」
「……そーかよ」

捻くれた言葉しか出てこない俺を、いつもの笑顔で受け止める。俺みたいなのに対してだってこうなんだから、他の奴らにはこれよりもっともっと優しく接するんだろうなと思ったら、なんか胸がザワザワした。

「ソファ座ってて。勝己って紅茶飲めたっけ?」
「……甘くねーやつなら、飲める」
「ん、じゃあストレートな」

カチャカチャと食器が軽くぶつかる音と、湯を沸かす音が聞こえる。少し話そう、と言われて呼ばれたから、この展開は嘘ではないけど。じゃあ健気に後ろを弄ってから来てやった自分がひどく滑稽に思えてくるから、こんな茶番はやめろなんて思う。反面、心地の良い声をもっと聴いてたいとも思う。

紅茶をトレイに乗せて、ナマエが戻ってきた。この部屋にあるすべてがやたら品の良い高そうな物ばかりで、そっちの意味でも落ち着かないが、ナマエは「作法とか気にせず適当に飲んでね、俺もよく分からないし」と言って笑ったので、肩の力は抜けた。

「教育係の相澤、容赦ないだろ。あの人、俺の教育係でもあるんだけど、誰に対してもあのしごき方なんだよ。特にボスになる前の、身体作りのための筋トレ週間は本当にしんどくてさあ」
「はっ、情けねーな。次期ボスだったんだろーがよ」
「まあそうなんだけど。でも、だから自主トレまでしてる勝己はすごいよ」

ふわふわ、ゆらゆら。こいつの雰囲気を音にすると、たぶんこんな感じだと思う。気付いたら包まれてて、ついでにさらっと褒められてて、温められてる。
認めてくれる。こいつといると常にそう感じるから、意識的か無意識なのかは分からないけど、俺の中のW居場所Wが作られていく感じがする。

「そういえば、勝己の誕生日っていつ?」
「さあな。知らねェ」
「じゃあ、4月20日にしよう」
「はあ? なんでそんな───……、っ」
「あ、バレた?」

4月20日。見覚えがある数字だ。契約を交わすための書類をいくつか書くときに、何枚も何枚もその日付を書いた。

お前が俺を拾った日。

「勝己が家族になった日だよ」

お前が俺を見つけただけの日だって、言ってやりたいのに言葉が出ない。俺はまだアンタに何もできてないのに、アンタはまた俺にくれるのかよ。

ナマエが紅茶をテーブルに置いて、そして、俺のカップも抜き取って、同じように置いて。カチャリ、カップとソーサーが擦れる音がして、そしてそっと伸びてきた手。戦闘訓練で拳や蹴りが飛んでくるようなあのスピードに比べたら、とんでもなくゆっくりなのに、動けない。

「家族になってくれてありがとう」

気付いたら抱きしめられていて、それが温かくて心地よくて、そこで漸く、自分の目から涙がこぼれていたことを知った。腹が減っても辛くても痛くても、泣いたことなんてなかったのに。アンタのせいだ。

呼吸を整えたくて深く息をすれば、よく分からないがシャンプーだか香水だかの良い香りがした。それを数回吸い込んでようやく落ち着いてきたころ、額に柔らかい感触、が、……やわらかい? 今、何された?

慌てて腕を突っ張って離れた。熱い。熱い。風呂に入ってからは、もう数時間と経つのに。

ナマエはきょとん、とした表情をしてから、「びっくりさせてごめん」と頭を撫でた。顔が熱い。いや、顔だけじゃないから余計に混乱してるんだ。この心臓の鼓動も熱さも、ビックリしたからってだけじゃないとか、そんなこと、言えるわけがない。




「……そろそろ、寝ようか」
「…………は?」

カップをトレイにまとめてから、おいで、と俺の手を引いて、でかいベッドに誘導される。先にナマエが横になって、空いたスペースの布団を少し持ち上げて───……。

「っ誰が寝るか!!」
「うわ、ッ、………勝己?」

こんな時間にこんな場所に呼び出しておいて、家族になってくれてありがとうとか意味不明な礼なんか言って、抱きしめて、額にだがキスしておいて、ベッドではただ寝るだけ?ふざけんな。

こっちは、そういう意図をもって触れられてねえのに身体が熱くて、心臓も痛くて、疼くみたいにざわざわすんのが止まらなくて。
男相手に、いや誰にだってこんなこと思ったことないのに、そりゃ抱くかどうか決めんのはナマエだけど、そんでも、てめェが俺を今日ここに、こんな時間に、呼んだくせに。

「どうし、」
「抱けよ、……他の奴らのことは、抱いてんだろーが」
「……勝己。落ち着いて」

ナマエの上に跨って、頭の中がぐっちゃぐちゃのまま声になる。なのに当の本人はは涼しい顔で、いつも通りで、なんで、なんなんだよ。俺じゃ抱く意味ねェってことかよ。可愛げもなんもねえ俺じゃ、勃たねェってのかよ。

「抱けねェなら最初から呼ぶなっ、変な期待させんじゃねえ……ッ」

ナマエの上に跨ったまま、その手触りの良い着物をぐっと掴む。皺になるとか伸びるとか、そもそもファミリーのしきたりに従って俺を呼んだだけなんだからナマエは悪くないのにとか、頭の端ではそう思うのに、止められない。

今の今まで自分でも気付かなかった。俺は、期待、してたのか。こいつが身体だけでも俺をほしがってくれることを。何も返せるものがない俺を、求めてくれることを。

シン、と水を打ったように静かになって、一瞬。
グン、と身体が引き倒されて、気付いたらナマエに組み敷かれていた。

その表情は笑ってはいるけど悲しいような、そういう複雑なカオで、何を考えてるかは読み取れない。何か言ってやりたいのに、俺の頬に触れる手は優しくて、声が出せなくなる。
そんなカオをさせたのは間違いなく俺なのに、さっきの知ったような言葉も自分勝手な言い分も本当は謝らないといけないのに、俺を見るその眼を見つめることしかできない。

「……ハァ……」
「っ、ん」
「勝己はさ、今日、抱かれても良いと思って来てくれたってことだよな?」
「っ、そう言ってんだろが……ッ」
「ん……そっか」

俺の首元に顔をうずめて、耳元で吐息交じりに喋るナマエに、心臓がバクバク煩い。これだけ身体が密着してるから、たぶんバレてるだろうが、鼓動なんて身体機能の中でも特に、自分じゃどうすることもできない。

「ごめんな。初めてだし、あんまり二人でいる時間も今までなかったから、今日はゆっくり話して、それで良いかなと思ってた」

体を少し起こしたナマエが、俺の着物の合わせ目を、Wそういう意図Wでなぞる。緩慢な動きで、けど確かな目的を持って、俺よりデカい手と長い指が、素肌を滑る。

「でも、こんな熱烈に可愛くお誘いされちゃ、お言葉に甘えないとな」
「……っ、ン……」

「…………勝己」

クソ優しくて、クソ甘くて、けど有無を言わさない声で名前を呼ばれたから、伏せていた目を開いて、自分の上にいる男を見上げた。そこにいるのは、ただ柔らかい雰囲気を纏ったWファミリーのボスWじゃなくて、綺麗なまま獣になったみたいなWミョウジ ナマエWだった。触られたところからゾワゾワもどかしい感覚があって、身体がまた熱い。

「優しくするし、できる限り痛くないようにゆっくりするけど、でも……これから勝己が泣いても、嫌だって言っても、やめてってお願いされても、途中で止められないよ。

……それでも、抱いていい?」

俺は食われる側で、捕まって暴かれて貪られる側だって、言葉だけじゃなく視線からも感じて、何故か腰のあたりを這い回る疼きが強くなった。
確かに頷いた俺に、ふっと微笑んだナマエは、ゆっくりと顔を近づけて、俺の唇を塞いだ。

それが、長い夜の始まりの合図だった。