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投稿日:2021年02月23日




†第二章†——邂逅せし者達
第三話『隘路あいろ


 空が、わずかに明るみを帯び始めた。

 間宿の正門には、多くの商人達が集まり、出発の準備を始めている。
早朝の大気は冷たく、足踏みを繰り返しながら、時折ぶるると鼻を鳴らす馬たちの息も、白く濁っていた。

 ユーリッドとファフリ、トワリスの三人は、この大きな隊商に紛れて、間宿を出ようと考えていた。
頭巾を深くかぶり、商人達の波に埋もれていれば、誰もこちらを怪しむ者はいないだろう。

 かんかん、と耳をつんざくような、正門脇の鐘が響く。
出発の合図である。

 鐘が鳴ったのと同時に、ざわりと動き出した隊商に続いて、ユーリッド達もゆっくりと歩き出した。

 街道は整備されていたが、荷を多く積んでいるため、隊商は緩やかな速度で進んでいた。
しばらくは、二、三列になってひしめくように移動していたが、最終的には一列になり、荷馬車と荷馬車の間隔も広くなった。

 昼を過ぎる辺りまで、三人は隊商に着いていたが、やがて、前方の道脇に切り通しが見え始めると、ユーリッドがトワリスに耳打ちした。

「山道に入るなら、あそこからだ。そろそろ隊商から抜けよう」

 トワリスは頷いて、歩く速度を更に緩めた。
ユーリッドも、ファフリの隣に並んで速度を落とす。
すると、商人や荷馬車は次々と三人を抜かしていった。

 こうして三人は、密かに列から遅れ、深い森へと続く細い山道へと反れていったが、止まることなく進んでいく隊商の獣人達が、それに気づいた様子はなかった。

「大体の道は分かると思うから、俺が前を歩く。二人は後に続いてくれ」

 ユーリッドの言葉に、トワリスは分かったと返事をすると、次にファフリを行かせた。
歩き続けて疲れ始めたのか、若干ふらついている彼女を、最後にするわけにはいかないからだ。

 山道は、木々に日光が遮られている分、寒く感じられた。
今は動いているためちょうど良い気温に思えるが、野宿をすることになったら防寒が必要だろう。

 鳥達のさえずりさえ聞こえない、不気味な静けさの中を、三人は無言で移動していった。



 上り坂を越えた辺りから、水の流れる音が聞こえ始めた。
渓流があるのだろう。

 ユーリッドが振り返って、大きな声で言った。

「この先に、多分吊り橋があるんだ。そこを抜けたら平坦な道が続くから、楽になるぞ」

 おそらく後半はファフリに向けたと思われる言葉だったが、ファフリは返事をしなかった。
坂道が続いたせいで、疲労が溜まっているようだ。

 トワリスは、ユーリッドに対して軽い返答をしながら、周囲を見回した。

 先程から、この森の雰囲気に妙な違和感を感じる。
その正体を探ろうとしていると、ユーリッドが独り言のように呟いた。

「……少し、変だな」

 トワリスが、目を細めてユーリッドを見た。

「私もそう思う。この森、ちょっと静かすぎやしないか?」

「ああ……生き物の気配がまるでしない」

 それを聞いて、トワリスは胸騒ぎを覚えた。

 彼の言うように、違和感の原因は、おそらく動物たちの気配が全くしないことだ。
しかし、この森は見る限り、鬱蒼とした豊かな森のようだから、生き物が生息していないなどということはないだろう。
だとすれば、考えられる理由は一つ。

(……何かを警戒して、身を潜めてるんだ)

 トワリスは、ぐっと眉を寄せた。

「……気を付けよう。何かあるかもしれない」

 ユーリッドは、緊張した面持ちで頷いた。

 少し進むと崖が現れ、そこにはユーリッドの言う通り、短い吊り橋が架かっていた。
眼下では、ごうごうと唸りをあげて、渓流が流れている。

 吊り橋をつっている縄を確認すると、ユーリッドはほっとしたように言った。

「良かった、思ったより劣化してない。渡れそうだ」

 そう彼が言い終えたのと同時に、突き刺さるような殺気を背後から感じて、トワリスは反射的に双剣を抜いた。
ユーリッドもそれに気付いたようで、抜刀して構える。

 その瞬間、木の高い位置から無数の矢が襲いかかってきた。
トワリスは、矢を薙ぎ払いつつ振り返ると、ファフリの背を押すようにしてユーリッドに近づいた。

「数が多い! 走れ!」

 最後の一雨を剣で叩き落とすと、ユーリッドはファフリの手を引いて、トワリスと共に吊り橋の方に走った。

 矢数からして、敵はかなりの人数だろう。
しかも、これまで上手く気配を隠していたところから、戦い慣れしているとみえる。
それをたった三人で相手にするのは得策でないと考えたのだ。

 しかし、吊り橋を渡った先の木々の間からも、大勢の武装した獣人達がざっと立ち上がったのが見えた。
挟み撃ちが向こうの狙いだったようだ。

「なんなのさ、いきなり!」

 焦ったようにトワリスが言うと、ユーリッドは信じられないといった表情で言った。

「あの甲冑、ミストリア兵団だ……!」

「兵団!?」

 ユーリッドは、心の中で舌打ちをした。
胸の中が、有り得ないという思いで一杯になる。

 アドラを殺したあの刺客たちは、手腕からして選び抜かれた精鋭だったはずだ。
つまり、ファフリを殺すための最初で最後の切り札のつもりで、放たれたのだろう。
だから、それを打ち破った時点で、国王リークスは次の一手を迅速に打つことはできないと思っていた。

 そもそも、あの夜からまだ五日しか経っていないのだ。
いくらこちらが手負いとはいえ、ユーリッドたちの逃亡経路を予測し、かつ待ち伏せするなんてことが、この短期間にできるわけがない。

(そう、有り得ないんだ……。だとしたら……)

 もしかしたら、あの刺客達が、ユーリッド達を襲う前に、城にファフリ一行が南に向かっていることを知らせたのかもしれない。
そして、それを受けた国王が、万が一を考えて南側——関所への通り道全てに兵団を配置したのだ。
この筋書きなら、今の状況も説明できる。

 焦燥と怒りがどっと込み上げてきて、ユーリッドの心を支配した。
どうしてこうなることを予測できなかったのだろう。
やはり、あの刺客たちは切り札だったのだ。

 じわじわと距離を縮めてくる兵士達を睨みながら、トワリスはユーリッドを一瞥した。

「兵団に狙われる心当たりは?」

「……ある」

 弱々しいユーリッドの返答を聞いて、トワリスは舌打ちした。
やはり、関わるべきではなかった。

 もし兵団に、トワリスが魔術を使えること——サーフェリアから来たことが知られれば、この事実は国王である召喚師にすぐに伝わるだろう。
そうして、サーフェリアに帰る前に追われる身にでもなったら、一貫の終わりである。

(といっても、魔術なしでどこまで戦えるか……)

 獣人相手に、自分の腕力が通じるはずもない。
魔術の行使を見られるのは非常にまずいが、こんなところで死ぬわけにもいかない。

 ぱちん、と嫌な音がして、吊り橋をつっていた縄が一本、跳ね上がった。
兵士の一人が、縄を斬ったのだ。

(俺たちを吊り橋ごと落とす気か……!)

 渓流に落とすなどという不確かな方法は、兵士達もできるだけ避けたいだろうが、決して安全には見えない吊り橋の上で乱闘を起こすのは、流石に彼らも躊躇っているようだった。


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