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投稿日:2021年02月24日
ルーフェンは、レックに礼を告げると、オーラントと共に研究室を出た。
そして、一階にある図書室の前まで戻ってくると、ふと、オーラントが立ち止まり、言った。
「あー、結局、なんも分からず終いでしたね。いい線いったと思ったんだけどなあ……」
そう呟いて、ため息をこぼす。
「まあ、あとは明日にして、今日はひとまず休みましょうや。久々に頭使って疲れたし……あんたは、明日も図書室にいるんでしょう?」
「ええ、そうですね……」
問うてきたオーラントに、ぼんやりとした様子で返事をすると、ルーフェンは、窓の外にある、うっすらと夕闇に浮かぶ月を見た。
なぜ、リオット病の発症者は増加したのか。
条件の違う、ココルネとノーラデュースという土地で。
何が原因で、どうして。
遺伝病の要因になるものといえば、例えば母体に、何かが紛れ込んで、その胎児の遺伝子に影響をもたらしたとき。
それがクツララ草の毒草だと思ったのに、それは違うという。
では、他にどんな原因が考えられるだろう。
そもそもこの考え自体が、根本的に間違っているのだろうか。
より強く、生き抜くための進化を──。
死を招く不利な遺伝子を、淘汰しようという自然選択を押さえつけてまで、何がリオット病の遺伝子を生き残らせているのか。
何が、何が──。
「おーい、聞いてます?」
オーラントの声に、はっと我に返って、ルーフェンは顔をあげた。
「えっと……はい。何でしたっけ?」
オーラントは、呆れたように肩をすくめると、がしがしと頭を掻いた。
「だから、あんたは明日も、図書室にいるんですか? って」
「ああ、います。もちろん。リオット病のことを解明できるまで、ずっと、図書室にいます」
ルーフェンは、上の空といった様子でそれだけ告げると、口元に拳を当てたまま、図書室に入っていった。
手元にある一本の蝋燭以外、図書室の壁に設置されている燭台の火を全て消すと、ルーフェンは、本棚に寄りかかってしゃがみこんだ。
何か他の手がかりを探そうにも、これ以上、何を調べれば良いのか分からない。
ずっと、何百年もの間、どうしてリオット族は、リオット病に苦しめられているのか。
クツララ草以外にも、何か遺伝子に影響を及ぼすような要因があるだろうか。
例えば病、寄生虫、薬物の副作用、その他の毒草。
(……いや、違う。どれも違う……)
膝の間に顔を埋めて、強く拳を握る。
病はそれらしいものなんてなかったし、寄生虫や毒草は、結局水分のあるところでないと生きられないから、ノーラデュースにはないはずである。
仮にあっても、リオット族のいる谷底にはないだろうし、クツララ草のような例外も当然あるが、ノーラデュースにあるような植物は、今度はココルネの森には生息していない。
薬物の副作用だって、そもそも自然の中で生きるリオット族が、薬なんてものを持っているわけがない。
ノーラデュースとココルネの森、双方の土地で、リオット病の発症者は増えたのだ。
だとしたら、ノーラデュースにもあって、ココルネにもある何かが、原因となっているはずだ。
自然淘汰をも超越してしまうような、強力な何かが。
ルーフェンは、脱力したようにその場に倒れこむと、ふうっと息を吐いた。
何も分からないし、思い付かない。
リオット族を奈落の底から引き上げて、遺伝病の治療法の需要を再び高め、サミルの助けになろうと思ったのに。
サンレードの行き場を失った子供たちに、新しく居場所を用意しなければならないのに。
このまま自分は、何もできないのだろうか。
仮にも、国の守護者として生まれたくせに、出来たことといえば人殺しだけだ。
ああ、なんて無力なのだろう。
そう思うと、胸の中に深い悲しみが広がった。
そうして、ルーフェンは長い間、じっと横になって目を閉じていた。
辺りはしん、と静まり返っており、聞こえるのは、時折溶けて落ちる蝋の音だけである。
しばらくは眠れなかったが、やっと意識がうとうとし始めた頃。
ふと、耳の横を不快な羽音がかすった。
なんとも力の抜けるような、か細い音である。
ぞわっとして、ルーフェンが顔をあげると、枕にしていた腕の部分に、一匹の蚊が止まっていた。
蚊は、片方の手で追い払っても、ルーフェンの周りを飛び続けているようで、姿は見えないのに、ふとした瞬間に何度も耳元を通りすぎていく。
それが煩わしくて、ルーフェンは少しの間、蚊がこちらに来ないように手を振っていたが、だんだん、それも面倒になってやめた。
耳障りな羽音を聞きながら、ルーフェンは、一体どこから入ってきたのだろうか、と思った。
図書室は基本閉めきっているし、外に繋がっているような隙間もない。
考えられるとすれば、出入りするときに扉から一緒に入ってきたのだろうが、扉だって、そんな長時間開けていたわけではない。
こんなところにはいないだろう、入れないだろうと思っている場所でも、蚊というのは、案外どこにでも出てくるのである。
(この感じ、なんか覚えあるな……)
急に幼少の頃の記憶が甦ってきて、ルーフェンは、静かに目を閉じた。
暑いときは特に、少しでも水場があれば虫というのは涌くもので、貧しいヘンリ村では、当然薬も袖の長い服も手に入ることなんて滅多になかったから、とにかく刺されまいと躍起になっていたものだ。
運が悪いと、蚊や蝿なんかは人間の身体にも卵を産み付けてくるし、そうなると、痒いとか痛いでは済まない。
寝ているときに刺されては敵わないと思って、全身に布や藁を巻き付けて寝たとしても、結局翌朝には、どこかしら刺されていたりする。
本当に、油断も隙もないのだ。
だから、どうしても我慢ならないときは、皮膚に泥を塗ったりして、対策をとっていた。
泥だって綺麗なものではないから、そうすると皮膚病になったりすることもあったけれど、泥は、乾くと固くなって、まるで鎧のように皮膚を守ってくれるのである。
(固くなって……?)
不意に、何かが、頭の隅で引っ掛かったような気がした。
(皮膚の表面を、固く……防御するように……)
その瞬間、はっと目を開けると、ルーフェンは積んであった本から、リオット病について書かれた本を素早く選び出した。
そして、その症状を説明した頁を開くと、蝋燭に近づけ、ゆっくりとそれを読み上げる。
「……症状としては、皮膚の硬化と、蛋白質異常による、全身の筋肉の異常発達、及び変形……。それに伴う、心肺機能の停止、そして死に至る……」
皮膚の硬化──。
その言葉が、何度も頭で再生される。
次いで、ルーフェンは別の本の山から医学書を引っ張り出すと、ガドリアに関する頁を開いた。
──ガドリアとは、ガドリア原虫をもつ刺し蝿に刺されることで感染する、感染症のことである。発症すると、短時間で全身に黄疸が生じ、数日後には多臓器不全に陥り早晩死する。ただし、黄疸が生じた際、早期に治療を施せば──……
読みながら、ルーフェンの頭に、これまでの会話が思い起こされた。
──ココルネの森でガドリアが一時期流行ったのは知ってますけど、ノーラデュースは砂漠みたいなものでしょう。
──蝿っていうのは、どこにでも出てくるもんですからね。
──一度抗原を射っとけば、二度とかかりませんし、万が一かかっても飲み薬で治ります。露出を少なくすれば、刺し蝿にも刺されませんしね。
──リオット族は、自分達の縄張りを荒らされることを、ひどく嫌います。そんな接触なんて、できるはずがありません……。
ルーフェンは、息を詰めたまま、目を見開いて、しばらく蝋燭の炎を凝視していた。
(……ココルネにあって、ノーラデュースにもあって、リオット族に接触しうる、何か……)
もし、皮膚の硬化を起こすことで、リオット族たちが刺し蝿から身を守っていたのだとしたら。
リオット病よりも、ガドリアのほうが危険であると、遺伝子が判断していたのだとしたら。
リオット病は、なにか負の要因によって増加していたのではない。
むしろ、進化したからこそ、増えていたのかもしれない。
ルーフェンは、椅子にかけてあった上着を引ったくって起き上がると、すごい勢いで図書室を飛び出した。
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