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投稿日:2021年02月24日





「クツララ草に関する文献でございますか?」

 研究室に在室していたレック・バーナルドは、突然のルーフェンとオーラントの訪問に、驚きを隠せない様子で問い返した。

 ルーフェンは、それに対して頷くと、先程図書室で見ていた図鑑を、レックに渡した。

「図書室で調べてたんですが、古い文献しか見つからなくて。もし、何か他に知っていることがあったら、教えてください」

 レックは、薬草を擂り潰していた擂り粉木すりこぎを擂り鉢の隣に置くと、老眼鏡をかけて、ルーフェンから受け取った図鑑に目を通した。
そして、ふむ、と頷くと、図鑑を閉じて、ルーフェンに返す。

「なるほど……。確かに、これは百年以上前の文献ですから、クツララ草の記述は少ないですね……」

 ルーフェンは頷いて、レックに返された図鑑を片手に持った。

「そうなんです。何故多足症を引き起こすのかとか、他にどこに群生しているのかとか、そういう記述が一切なくて。レックさん、他に何か知りませんか?」

 再びルーフェンがそう尋ねると、レックは、曖昧な頷きを返した。

「ええ、その……クツララ草は、珍しい毒草でして、研究者も少ないですから、本としては出版されていないのです。しかし、多足症に関しては我々医師の中でも、必要な知識として学んでおりますから、その図鑑以上のことは、お話しできるかと。ただ、恐れながら、なぜそのようなことを?」

「…………」

 レックは、訝しげな顔をして、ルーフェンを見つめた。
彼は、ルーフェンが図書室に引きこもっていることを、当然知っている。
ついでに、なぜルーフェンがそんなことをしているのか、聞き出そうと考えているのだろう。

 ルーフェンは、横にいるオーラントを一瞥すると、レックに視線を戻した。

「この人、オーラント・バーンズさんと言って、ノーラデュース常駐の宮廷魔導師なんですが、砦の近くの湖沼で、五本足の鼠を見つけたそうなんです。俺は、多分その原因は、湖沼近くに生えていたクツララ草の根、あるいは根の毒素が溶け出した水を、鼠が含んだからだと思ったんですが、何分知識が不十分なもので。その湖沼が、砦の水源に使えるのかどうか、レックさんに聞きに来たんです」

 そう言うと、レックはオーラントの方を向いて、深々と礼をした。
オーラントもそれにならってお辞儀をし返すと、レックは、ルーフェンに向き直った。

「お話は、分かりました。では次期召喚師様はここ最近、図書室でずっと、それをお調べになっていたのですか?」

 ルーフェンは、微かに頷いた。

「……まあ。と、いうよりは、オーラントさんから南方の話を聞いていたら、色々と興味が湧きまして。俺は、王宮からほとんど出たことがありませんから」

 レックは、ルーフェンの顔を見つめながら、少し複雑な表情を浮かべていた。
しかし、すぐに真顔に戻ると、顔にかけていた老眼鏡を机に置いて、立ち上がった。

「……なるほど。では、私の持ちうる知識で良ろしければ、喜んでご協力申し上げます」

 それを聞いて、ルーフェンとオーラントは一瞬、視線を合わせると、ひとまずレックの説得に成功したことを喜んだ。
これで、クツララ草が、ココルネにも群生している事実や、人体にどのような影響を及ぼすか、といったことなども分かれば、リオット病の解明はほぼ出来たと言っても良い。

 そうして、期待に胸を膨らませていたルーフェンであったが、レックから告げられた言葉は、思わぬものであった。

「結論から申し上げますと、クツララ草の毒素は、人体には影響がないとされていますので、その湖沼を水源に使っても問題はないと思われます」

 ルーフェンとオーラントは、瞬きをして、硬直した。
人体には影響がない、ということは、リオット族にも当然影響は出ないだろう。
だとしたら、クツララ草とリオット病は関係ない、ということになる。

「……え、影響、ないんですか……?」

「はい、ありません」

 レックは、きっぱりと言った。

「確かに、その五本足の鼠というのは、次期召喚師様の仰る通り、湖沼近くに生えていたクツララ草が原因でしょう。しかし、それは動植物に乏しいノーラデュースだからこそ、起きた事態かと思われます」

 頭の中で構築していたものが、がらがらと崩れ去っていく音を、ルーフェンは聞いた。
そんな彼の心情など知らないレックは、むしろ水源として使えることが喜ばしい、とでも言いたげに、微笑みながら続ける。

「クツララ草の根の毒素は、非常に微弱なものです。かつて行われた生体実験でも、小動物に根だけを何年も与え続けて、やっと、奇形が生じたのです。ですから、その鼠も、ノーラデュースの砂漠地帯で他に食べ物がなく、仕方なくクツララ草の根を含み続けて、運悪く多足症を発症してしまったのでしょう。小動物ですら、その程度です。人間には何の影響もないでしょうし、もし気になるのであれば、湖沼周りのクツララ草を根ごと引き抜いておしまいなさい。そうすれば、全く問題はありません」

「そう、ですか……。良かったですね、オーラントさん」

「あ、あはは…… 全くです」

 覇気のない声を掛け合いながら、二人は内心、ひどく落胆した。
だが、それを顔に出さないようにしながら、ルーフェンは、レックを見つめた。

「クツララ草は、耐暑性に優れているようですが、暑いところなら、どこにでも生えているものなんですか? ノーラデュースだけではなくて、例えば、ココルネの森とか……」

 レックは、首を左右に振った。

「ココルネの森のような熱帯の地域には、背の高い木々が多く繁っています。クツララ草などの背の低い植物は、それらの陰に入ってしまって、日光を浴びられませんから、生えたとしても、すぐ枯れてしまうでしょう。そうすると、暑くて他に植物のない地域が良いということになりますから、クツララ草が群生しているのは、必然的に乾燥地帯ということになりますね」

「…………」

 言葉を失って、ルーフェンは、ただレックを見つめることしかできなかった。
その横で、今度はオーラントが口を開く。

「クツララ草の毒草っつーのは、なにか遺伝病に影響を与えるもんなんですかね?」

 それに対しても、レックはあっさりと首を振った。

「いいえ、違います。クツララ草の毒素は、単に肉体を構成する細胞を破壊したり、異様に増殖させたりするだけです。根本的な遺伝子に異常を起こして、それを次世代に伝えてしまう遺伝病とは、全く違うものです」

「あー、なるほど……」

 オーラントは、前髪を邪魔そうに掻き上げて、苦々しく返事をした。

 ルーフェンは、微かに口を開けたまま、ぼんやりと手に持った図鑑を見た。
かなり確信に近いものを持って、クツララ草の話をレックにしたというのに、まさか、リオット病とは何の関係もなかったとは。

 まだどこか、気づくべきことがあるかもしれないと考えたが、人体に影響がなく、遺伝子にも関係なく、ココルネにも群生していないとなれば、クツララ草は完全に白だ。

 折角、核心を突けたと思ったのに。
まるで振り出しに戻ってしまったかのような絶望感が、ルーフェンの胸を覆った。

 ルーフェンは、呆然としたまま、尋ねた。

「あと、もう一つ聞きたいんですが……レックさんは、リオット族に関する書物を、持っていませんか?」

 どうせ、図書室にある文献はほぼ読み尽くしてしまったのだ。
戻っても、このお手上げ状態から脱せるとは思えない。
それならせめて、レックから新たな情報源を得ようと考えて、ルーフェンはそう言った。

 すると、レックが瞠目した。

「……そんなもの、どうするんです?」

 先程までの穏やかな声音とは一変、少し警戒の色を混ぜた声で、レックが聞き返す。
ルーフェンは、それを聞いた途端、しまった、と思った。

 ついクツララ草のことに気をとられてしまっていたが、レックには、南方に興味が湧いた、としか言っていないのだ。
かつて、サミルとリオット族に関わっていたであろうレックからすれば、ルーフェンの今の発言は、聞き捨てならない言葉だったに違いない。

 急いで言い訳を考えていると、ふと、オーラントが口を開いた。

「俺がリオット族について、次期召喚師様にお話ししたのですよ。そうしたら、遺伝病の治療なんてすごいって仰るもんで、もっと詳しく教えて差し上げたかったんですが、ほら、俺ぁ、ただの魔導師ですからね。医療魔術の知識なんてちんぷんかんぷんなものですから、それなら、ついでにレック先生にお聞きすればいいでしょう、ってことになりまして」

 オーラントが、ほとんど真実に近いようなことを言い始めたので、一瞬肝を冷やしたが、物は言い様である。
単純に、遺伝病の治療に感動したルーフェンが、もっと知りたいとせがんでいるだけだ、他に裏などない、としか感じられない口ぶりで、オーラントは言ってのけた。

 すると、レックはつかの間、疑わしげにルーフェンを見ていたが、やがて、警戒を解いたようで、少し待つように二人に言い残すと、一冊の本を隣の部屋から持って帰ってきた。
そして、それをルーフェンに手渡すと、言った。

「……今はリオット族について調べる者などおりませんし、ノーラデュースに関しては、何も分かりません。しかし、実は私は、まだ研究員だった頃。ココルネの森で、南方で発生する病について、調べていたのです。それは、その時のことを書いたものです」

 片手では持てないくらい、重量感のあるその本には、レックの言う通り、ココルネの森に棲む原住民の様子や、そこで発生した病の記録などが、事細かに記されていた。
そこにはもちろん、リオット族も含まれている。

 図書室の医学書とは比べ物にならないくらいの内容に、ルーフェンは、言葉もなく頁を捲った。
だが、ふと手を止めると、その頁をじっと見つめた。

「これは……」

 ごくり、と息をのんで、目を見開く。
そこに描かれていたのは、ココルネの森における、リオット病の分布図であった。

 すぐそばで、レックが口を開く。

「他の原住民にも、リオット病が発症しないか、観察していたものです。……結局リオット病は、リオット族にしか発症していませんでしたが……」
 
 ココルネの地図の、より森が深い位置を中心に数ヶ所、赤く塗り潰されているところがある。
ここが、リオット族の生息地であり、リオット病が観測される唯一の場所だったのだろう。

 オーラントが、驚いたように声をあげた。

「発症するかどうか観察って……まさか、リオット族に接触して確認したんですか?」

「いいえ、まさか!」

 レックは、手を顔の前で振って、否定の意を表した。

「そんな危険なこと、しません。リオット族以外の原住民は皆、温厚な者たちばかりで、話せば集落にも引き入れてくれましたし、治療だって施せました。しかし、リオット族は、自分達の縄張りを荒らされることを、ひどく嫌います。そんな接触なんて、できるはずがありません……」

「じゃあ、どうやって発症したかどうか、確かめたんですか?」

 ルーフェンが聞くと、レックは目元を緩めた。

「いえ、そんなに難しいものではありません。単純に、見て確かめたのですよ。リオット病は、発症すれば著しい皮膚の変形が見られます。それが現れているかどうか見て、リオット族にどれくらいの発症者がいるのか、記録したんです。……その分布図を書いた頃には、もうリオット病にかかっていないリオット族など、いないように感じましたが……」

 ルーフェンは、納得したように頷いて、もう一度だけ、脳に焼き付けるようにその分布図を見ると、本を閉じて、レックに返した。

 本当は借りられたら良かったのだが、レックにとって、リオット族を研究したという過去は、あまり知られたくないものだろう。
あの野蛮なリオット族を救うために、遺伝病の治療法の確立に尽力したと言えば、やはり、世間的には良い顔をされない。

 別に、ルーフェンがこの本のことを周囲に言いふらすとは思っていないだろうが、あまり公にしたくない過去の産物を他人に貸すというのは、不安で仕方ないはずだ。

 現に、レックは、ココルネの森で研究をしたとは言ったが、リオット病の研究をしたとは言っていないし、遺伝病の治療法に関わったことも、隠そうとしているように見える。
そういったレックの心情を考えると、本を貸してほしいと頼むのは、躊躇われた。

 それにルーフェンは、一度見た内容はおおよそ暗記していられる自信があったし、分布図を持ち帰ったところで、事態が進展するとも思っていなかった。
どちらにせよ現状は、手詰まりなのである。


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