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投稿日:2021年02月24日
第二章──新王都の創立
第一話『奈落』
ずっと後になって、ルーフェンは何度も思ったのだ。
リオット族と関係を持ち、アーベリトを救おうとしたことは、果たして正しいことだったのだろうか、と。
まだ十四だったあの頃は、己の成すことなど全てが些細で、この選択肢の少ない人生における足掻きだとしか、思っていなかった。
だが、当時の自分は、自らの置かれている立場とその責任というものを、まるで分かっていなかったのだ。
そう、どこまでも無知だったのである。
しかし、ルーフェンは思う。
己の立場と責任、そしてのし掛かる重圧や後悔を知った今でも、きっと、自分が十四の時、どうすれば良かったのかなんて分からなかっただろう。
自身の行動で救えた命と、失われた命。
それらを天秤にかけることなど、出来はしない。
だからこそ、未だに分からない。
自分は本当に、正しい道を歩んできたのだろうか。
それとも、悲惨な結果を招く道を開いて進んでしまったのか。
自分を怨恨の目で見つめる人々と、温かく手を差し伸べてくれる人。
その双方に囲まれながらも、ルーフェンは、未だに己の行くべき道が、見えずにいる。
それでも、ただ一つ、確かなのは、リオット病の謎を解き明かしてしまったあの時こそが、ルーフェンにとっての、始まりだったということである。
* * *
ルーフェンが図書室にこもっていた間に、世間はすっかり初夏らしくなっていた。
盛夏に比べれば、まだまだ涼しい時期ではあるのだろうが、それでも、少し外に出ているだけで、全身がじっとりと汗ばんでくる。
その嫌らしい暑さに、森の方から聞こえてくる喧しい蝉の鳴き声が、更に拍車をかけていた。
未だ実証してはいないものの、リオット病とガドリアに関係があることを明かしたルーフェンは、ようやく人間らしい生活を取り戻しつつあった。
決まった時間に寝食し、日中はアレイドと共に稽古や講義に出る。
サンレードの騒擾が収まってからは、召喚師としての業務を国王から申し付けられることもなかったし、ルーフェン自身、戸惑ってしまうほど穏やかな日々が続いていた。
庭草の上に座り直し、胡座をかいた状態でぼんやりと池の水面を眺めていると、すぐ横から、ひょっこりとアレイドが顔を出した。
「ねえ、兄さんってば、聞いてる?」
「……聞いてなかった」
「もう、やっぱり……」
ルーフェンが素直に上の空であったことを告げると、アレイドは、困ったように苦笑した。
近頃、アレイドとは、こうして一緒にいることが多くなっていた。
といっても、基本的にはアレイドが一方的に話しかけてくるばかりで、ルーフェンから近寄ることは滅多にない。
だが不思議なことに、以前まで感じていたアレイドに対する煩わしさを、教本の貸し借りをするようになってから、ルーフェンはあまり感じなくなっていたのだった。
また、一方のアレイドも、最近ルーフェンの雰囲気が多少柔らかくなっていることに、気がついていた。
一体何がルーフェンをそうしたのかはわからなかったが、アレイドにとって、これはかなり嬉しい変化である。
「だからさ、先生に、明後日までに杯いっぱいの水を氷に変えられるようにならなきゃ、課題増やすって言われたんだ。でもほら、物質の生成魔術って魔力使うし……僕、杯に水を満たすところまでしか出来なくて……」
片手に魔術の教本、もう片方の手に硝子の杯を持って、アレイドが言う。
ルーフェンは、手近にあった小石を池に投げると、興味がなさそうに返事をした。
「いいんじゃない、課題頑張って」
「もう……そんなこと言わないで、教えてよ」
再び石を投げ込もうとしたルーフェンの腕を掴んで、アレイドがぶんぶんと振り回す。
ルーフェンは、面倒くさそうにため息をつくと、仕方なくアレイドの方を向いた。
「……杯に水を生成するところまでは、できるんだね?」
アレイドは、こくりと頷いて、ルーフェンの目の前に硝子の杯を出した。
すると、ふるっと一瞬、杯が震えて、底の方から水が湧く。
水は、あっという間に杯を満たし、少量溢れてアレイドの手を伝ったところで、止まった。
「杯を水で満たすか、水を氷に変えるか、そのどっちかなら出来るんだよ。でも、両方ってなると出来ないんだ」
ルーフェンは、一度杯を見つめると、再び池の方に視線をやった。
「……じゃあ、先に熱魔法で水を温めて、それから一気に冷やして氷に変えた方がいいよ」
「え? お湯にするの?」
アレイドが、不思議そうにぱちぱちと瞬きをする。
しかし、ルーフェンが真顔で首肯してきたので、アレイドは意味が理解できないまま、杯の水を熱した。
元々そこに存在する水の温度を変化させるということ自体は、そう大変な魔術ではない。
ただ、水の生成という魔術を使った直後に、温度操作を行うというのは、それなりの重労働なのだ。
氷にしなければならない水を一度湯にするなんて、余計に温度操作が大変になるじゃないかと疑問に思ったが、ひとまず、ルーフェンの指示に従って、今度は、湯になった杯の液体を冷やしていく。
すると、そう魔力を使わない内に、杯の湯の表面が凍結した。
「えっ、なんで? できた……」
驚きの声をあげて、目を丸くする。
そうしてアレイドが杯から目線をあげると、ルーフェンが、少し呆れたように言った。
「水は、高温の方が凍りやすいんだよ。水を氷にするのは、初級魔法といっても凝固反応を起こさないといけない。でも、水を湯に変えるのは、初級中の初級だし、簡単な魔法ならいくつ複合させても魔力の消費量なんてそう変わらないから、結果的に、一度熱魔法を添加して湯を氷に変える方が、水を氷にするより魔力の消費が少なくて済むんだ。つまり、本来足りないはずの、君の残りの魔力でも出来るってこと」
「へえ……!」
アレイドは、感動した様子で、ルーフェンと凍結した杯の水を交互に見やった。
「すごいよ、こんな方法があるなんて、全然思い付かなかった……! これ、練習すれば完全に氷にすることもできるよね?」
「もちろん。ただ、そもそもが複合魔術なんて使うほどのことじゃないんだ。水を氷に変えるくらい、普通に出来るようになりなよ」
「わ、わかってるよ……」
アレイドは、痛いところを突かれて項垂れた。
──その時。
突然、目の前の池の水が跳ね上がったかと思うと、そのまま蛇のようにうねって、ルーフェンに降りかかった。
驚いて目を閉じたアレイドが、再び目を開けたときには、ルーフェンは、頭の先から爪先まで、全身ずぶ濡れになっていた。
「お前たち、こんなところで水遊びとは、随分と暇だな」
したり顔で、二人の背後から近づいてきたのは、シェイルハート家の次男、リュートであった。
リュートは、掌に魔力を収束させると、座っていたルーフェンとアレイドの前に立った。
「あ、兄上……」
アレイドが呟いて、萎縮したように縮こまる。
ルーフェンは、ぽたぽたと水が滴る前髪をかきあげて、無表情のままリュートを見上げた。
リュートは、ルーフェンを見下ろして、小さく鼻で笑った。
「なんだ、その顔は。ルーフェン、お前が暑そうだったから、水をかけてやっただけだろう。感謝してもらいたいくらいだな」
「……それはそれは、どうもありがとうございます、兄上」
明らかな棒読みで礼を述べたルーフェンに、リュートがわずかに顔をひきつらせる。
そんな二人の緊迫した雰囲気に、アレイドはどうして良いか分からず、ひたすら視線を泳がせていた。
元々、ルーフェンのことをあからさまに嫌っていたリュートだが、最近は特に、ルーフェンに突っかかってくることが多くなった。
おそらく、前にシルヴィアが体調を崩した際、離宮で言い争いになったことが原因なのだろうが、それにしても、幼稚で露骨な嫌がらせばかりしてくる。
ルーフェンはルーフェンで、演技でもいいから多少下手に出ておけば良いものを、絶対に譲ろうとしないため、毎度こういった諍いに発展してしまうのである。
「……ふん、まあいい。私は忙しいのだ。今日も午後から、南方の砦の視察が入っている。サンレードのイシュカル教徒を相手に、尻込みするようなお前とは違う」
リュートは、ルーフェンが一度、勅命を拒絶したことを知っていたようで、勝ち誇ったようにそう言った。
リュートは、シルヴィアとエルディオの子であり、王位継承権を持つ王族である。
エルディオ本人から聞いたのかは分からないが、何かしらの王族間のやり取りで、ルーフェンがイシュカル教徒の討伐を拒んだという情報を仕入れたのだろう。
ルーフェンは、微かに眉をしかめたが、すぐに冷ややかな表情になると、皮肉を述べた。
「そうですか、頼もしいことで何よりです。私も、真っ昼間から弟いびりをして優越感に浸るような兄上が持てて、大変面白いですよ」
「なっ……」
ばちばちと音をたてて、リュートとルーフェンの間に、激しく火花が散る。
リュートは、怒りを顕すまいと息を吸って、口許を強張らせながら言った。
「言ってろ、この腑抜けが。弱い犬ほど、よく吠えるというものだ」
「……その言葉、そっくりそのまま返します」
ルーフェンは、それだけ言うと、相手をするのが馬鹿馬鹿しくなったのか、さっさと本殿の廊下のほうに歩いていく。
アレイドは、慌ててその後を追おうとしたが、その場でリュートに襟首を掴まれ、仕方なく足を止めた。
「……おい、アレイド。お前、最近あいつとよく一緒にいるようだな。どういうつもりだ」
「……そ、それは……」
リュートからきつい視線を浴びて、アレイドは、口ごもることしかできなかった。
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