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投稿日:2021年02月24日





 全身びしょ濡れのまま、自室に向かって廊下を歩いていると、ちょうど曲がり角のところで、ルーフェンはアンナと出くわした。
アンナは、ルーフェンの姿を見るや否や、大慌てでタオルを持って駆け戻ってくると、それをルーフェンに被せた。

「なにがあったんです、次期召喚師様! こんな、全身濡れて……」

「……別に。なんでもないよ」

「ど、どこがですの!?」

 珍しく声を荒げて、ルーフェンの銀髪の水気を拭き取る。
そんなアンナの必死な様子がおかしくて、ルーフェンは微かに笑った。

「大袈裟だよ、濡れたくらいで」

 アンナは、ふるふると首を振った。

「そんな、何を仰ってるんですか! もし次期召喚師様が体調でも崩されたら、十分大事ですわ」

 怒っている、というよりは、本当に心配しているといった表情で、アンナは再び、ルーフェンの髪を拭き始める。
ルーフェンは、そんな彼女の様子をしばらく見つめていたが、今は大人しくしている方が得策だろうと悟ると、黙ったまま、濡れた袖を絞ることにした。

 ルーフェンより二つ歳上のアンナは、今年で十六歳である。
出会った頃は、彼女の方が背が高かったのだが、今、こうして並んでみると、ルーフェンの方が少し高いくらいの身長差になっていた。

 アンナだけではない。
ルーフェンは、特別背が高いわけではないが、それでも、昔は見上げてばかりいたガラドやエルディオ、そしてシルヴィアとも、今なら簡単に目線を合わせることができる。
今更、そんなことに気がついて、どこか不思議な気分になりながら、ルーフェンは、そっと背を屈めた。

 やがて、髪を拭き終わったアンナは、今度はルーフェンの服に視線をやった。

「次期召喚師様、新しい御召し物を持って参りますから、着替えてしまいましょう。暑くなってきたとはいえ、今は風邪も流行っていますし、濡れたままではいけませんわ」

 ルーフェンは、屈んでいた姿勢を元に戻すと、数回瞬いた。

「風邪なんて、流行ってたっけ?」

「ええ、召喚師様もまだ臥せっておりますし……最近は、陛下も体調が優れないとお聞きしています」

「へえ……」

 そうして、話している最中に、廊下の向かいから、見覚えのある男が歩いてきた。
ルーフェンが、それに気がついたのと同時に、男もはっと顔をあげると、軽く手を上げる。

「おお、こんなところにいた。お久しぶりですね、じっきー」

「オーラントさん。お久しぶりです」

「いや、じっきー呼びに関して突っ込んでくれないと、俺すごく残念な人なんですが……」

 複雑な面持ちで、オーラントがぼやく。
ルーフェンは、そんな彼を無視し、一歩下がって畏まったアンナに視線をやると、口を開いた。

「悪いけど、はずしてくれる?」

「あ、はい。で、ですが……」

 アンナが、ちらりとルーフェンを一瞥する。
彼女の意図を理解したルーフェンは、柔らかく笑うと、小さく頷いた。

「大丈夫、ちゃんとあとで着替えるよ。ありがとう」

 アンナは、ルーフェンの顔を見ると、一瞬嬉しそうに顔を上げた。
そして、タオルを抱えたまま深く一礼すると、そのまま足早に去っていった。

 彼女の後ろ姿を見ながら、にやっと笑って、オーラントが言う。
ルーフェンは、冷やかす気満々といった彼の顔を見ると、小さく肩をすくめた。

「まさか。そんなんじゃありませんよ。髪を拭いてもらってただけです」

「へーえ……」

 冷静に返したルーフェンに対し、オーラントは、未だにだらしない笑みを浮かべている。
ルーフェンは、呆れたように半目になると、オーラントを見た。

「……なに生き生きしてるんですか。気持ち悪いですよ」

「いやぁ、ねえ……若いっていいなぁと思いまして」

 ルーフェンの悪態すら耳に入らない様子で、オーラントは、よく分からない頷きを繰り返す。

「可愛らしい侍女に想われて、身分差の恋。なかなかロマンがあるじゃないですか。貴族の令嬢とか、気が強くてお高い感じの綺麗どころも捨てがたいですが、やっぱり献身的で愛らしさのある女の子ってのは、いいですよねえ……」

「…………」

「若い内は、男女の駆け引きなんて楽しんでなんぼです。次期召喚師ともなれば、引く手数多でしょうに。誰かいないんですか? 気に入ってる女の子とか。そういえば、フィオーナ姫やマルカン候の娘と、あんた噂になってたような……って、おい!」

「…………」

 冷たい視線を向けながら、無言で距離をとり始めたルーフェンを、慌てて呼び止める。
オーラントは、ルーフェンの肩をがしっと掴むと、そのまま強引に引き戻した。

「ちょっと、逃げないでくださいよ。折角次期召喚師様のために、お年頃っぽい会話を選んで差し上げたっていうのに」

「オーラントさんが、勝手に感傷に浸っていただけでしょう。はぁ、これだからおっさんは……」

「なに? おっさん馬鹿にしちゃいけませんよ。おっさんは経験豊富なんですからね! 王宮暮らしの長い世間知らずなあんたに、わざわざこうして男女の機微ってもんを──」

「余計なお世話です。そんな心配されなくても、言われた通り、引く手数多なので」

「それ普通、自分で言うかぁ?」

 ルーフェンとオーラントは、しばらく言い争いながら、互いに睨み合っていた。
しかし、やがて同時にぷっと吹き出すと、くすくすと笑った。

「……なに、元気そうで何よりですよ。また何かろくでもないこと思い付いて、図書室に棲息してたらどうしようかと思ってました」

「棲息って、俺は人間なんですけど……」

 からかい半分に、オーラントが言う。

 それに対し、苦笑して返すと、ルーフェンは軽く溜め息をついた。

「それで? 王宮までどうしたんですか? わざわざ俺の様子を見に来たってわけじゃないでしょう」

 オーラントは、ああ、と声を溢すと、ぱさついた頭をぽりぽりと掻いた。

「いえ、あながち間違えでもないんですけどね。一応、挨拶してから行こうかと思ったもんで」

「挨拶?」

「ええ。俺、明日からノーラデュースに戻るんですよ」

 その瞬間、ルーフェンが目に驚愕の色を滲ませた。

「……は? 明日?」

「ええ、そうです」

 ルーフェンが絶句した理由がわからず、オーラントは首を傾げる。
すると、ルーフェンは、途端に不機嫌そうな顔になった。

「どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか。流石に半日じゃ、外出準備なんてできませんよ。こっちはガラドさんの説得もしなきゃなんないってのに……」

「え? 外出準備?」

 自分が任務地に戻るだけなのに、どうしてルーフェンまで外出準備をする必要があるのだろう。
そこまで考え、ある結論に達すると、今度はオーラントが驚愕の色を浮かべた。

「……って、ええ!? あんたまさか、ついてくる気ですか!?」

「当たり前でしょう! 今までなに聞いてたんですか、全くもう……散々、リオット族を王都に連れ戻す話、してたじゃないですか」

「いや、俺はてっきり、その話を御前会議で通してから魔導師団を動かすもんかと……ていうか、普通そうしますよ」

 次期召喚師自ら、荒れたノーラデュースに赴くなんて誰も許すはずがないだろう。
そういった意味も込めて言い返すと、ルーフェンは呆れたように嘆息した。

「オーラントさん、馬鹿ですか……。こんな突拍子もない計画、御前会議で認められるわけないでしょう。やるなら、ガラドさんを騙して、外出のことだけを伝えたらあとは王宮から抜け出すんです。どうせ真っ向勝負したって無理なんですから、やったもん勝ちです」

「そ、そうか……って、ちがーうっ!」

 びしっ、と華麗に突っ込みを入れて、オーラントは叫んだ。

「馬鹿はそっちでしょうが! ノーラデュースに行って、あんたにもしものことがあったらどうするんです!? 国中大騒ぎですよ? 同行した俺の首だって飛んじゃいます、下手したら物理的に飛ぶんですよ!」

「うるさい、声がでかいです」

 人差し指を口許にやられて、オーラントは押し黙る。
今いるのが廊下で、誰でも通り得るのだということをすっかり忘れていた。

 ルーフェンは腕を組むと、少し声を潜めて言った。

「別に、同行しろなんて言ってません。リオット族の牽制を任務とする貴方が、俺の計画に荷担するのはまずいですからね。だから、道を教えてくれるだけでいいです。ノーラデュースについたら、完全に別行動でいいですから──」

「そういう問題じゃないんですって!」

 ルーフェンの言葉を遮って、オーラントは顔をぐっと近づけた。

「いいですか? あんたはサーフェリアの次期召喚師なんです。あんたの命は、あんただけのものじゃないんですよ! そういう勝手なことをされたら、周りに迷惑がかかるんです。アシュリー卿の前に、まず俺が認めませんよ!」

 説教のつもりでそう言い放つと、ルーフェンは、みるみる冷めた表情になった。
そして、顔を歪めると、ぽつりと言った。

「……協力するって言ったくせに」

「ぐっ……」

 思わず言葉を失って、黙りこむ。

「少なくとも邪魔はしないとか、言ってたくせに」

「……そ、それは、あくまで計画を立てるまでだと思ってましたから……」

「今更掌(てのひら)返しですか、国の誇る宮廷魔導師ともあろう貴方が?」

「こーのクソガキ、よくも抜けしゃあしゃあと……」

「…………」

 本音が突いて出て、オーラントは慌てて口を閉じた。
しかし、ルーフェンはそれを気にした様子もなく、黙ったままオーラントのことを見つめている。
そして、しばらくすると、ルーフェンは口を開いた。

「……じゃあ、もういいです」

 はあっと息を吐いて、続ける。

「それなら、ちゃんと許可をとれば、文句ないんですね?」

「きょ、許可って……そう易々といくわけが……」

「それは、やってみないと分かりません」

 ルーフェンは、何か思案するような表情を浮かべてから、突然踵を返して、元来た廊下を走り始めた。
オーラントが、慌てて追いかけようとする様子が見えたが、王宮の構造に詳しいのは、ルーフェンのほうである。
すぐに本殿の廊下を外れて、中庭の死角に入った。

 そうして、少し時間を空けてから、先ほどアレイドと話していた池に戻り、リュートたちが既にいないことを確認すると、ルーフェンは、今度は離宮の方に足を向けた。
すると、本殿を抜け、離宮に続く庭園の砂利道に来たあたりで、前を歩くアレイドとリュートの後ろ姿を見つける。

ルーフェンは、大気の湿度を読むと、周囲の空気を冷やすことで水を発現させ、それをそのままリュート目掛けて放った。

「──うわぁっ!」

 頭上から水が降ってくるという思いがけない出来事に、リュートが悲鳴をあげる。
アレイドは、これでもかというほど瞠目して、恐る恐る、背後にいるルーフェンを見た。

「……な、なんで……」

 先程の仕返しにしても、流石にこれはまずいだろう、といった表情で、アレイドが視線を向けてくる。
しかしルーフェンは、怒りのあまり引きつった顔でゆっくりと振り返ったリュートを見遣ると、不敵に笑った。

「──兄上、勝負しましょう」


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