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投稿日:2021年02月24日





 砦を出ると、辺りの夕闇は既に夜のものに変わりつつあった。
乾いた大気は、肌寒いとすら感じるほどに冷たく、日中の灼熱が嘘のようだ。

 オーラントとルーフェンは、ひとまず砦から離れるため、最低限の荷物を持つと、更に南の方に歩き始めた。
そうして、完全に夜が更けた頃に、天幕を広げて野宿をしたのだった。

 翌朝、まだ薄暗い内から出発した二人は、暑さが頂点に達する昼間を除いて、再び夕刻になるまでひたすら南へ進んだ。
人や建物が見当たらないことはもちろん、永遠と変わらない岩だらけの景色を見ていると、ずっと同じところを歩いているのではないかという錯覚に陥る。
暑さも手伝ってか、その錯覚はどんどんと悪化しているようで、頭がおかしくなりそうだった。

 しかし、地面から突き出した小高い岩場を登ったとき、初めて景色が変わった。
眼下の地に、見る限り地平線まで続く、巨大な亀裂が見え始めたのだ。

 亀裂は、底が見えぬほど深く、ルーフェンは思わず息を飲んで、その光景を見つめた。

「あの亀裂が、ノーラデュースへの本当の入り口。リオット族の棲む奈落の谷底ですよ」

 オーラントが、同じようにその亀裂を眺めて口を開く。

 まるで、空を走る稲妻のように。
大地を真っ二つに切り裂く、地面の割れ目。
深さは分からないが、底を覗こうとすれば、遠目でも、本当にその深い闇へと吸い込まれてしまいそうだった。

 ルーフェンが、もっと亀裂の近くに寄るために、岩場から降りようとすると、オーラントがそれを制止して、地面に伏せた。
それに従い、ルーフェンも地面に伏せると、それと同時に、どこからか爆発音のようなものが聞こえてきた。

 音のした方に振り向くと、亀裂の近くで、三人の男がもつれるようにして戦っている。
その内二人は、オーラントと似た魔導師団用のローブを纏っており、もう一人は、まるで人とは思えない動きで飛び上がる、猿のような大男だった。

 魔導師の男が、持っていた長杖を振り回すと、立て続けに大男の回りで爆発が起き、火の手が上がった。
しかし、その攻撃は通用していないようで、すぐさま収束した炎を掻き分けると、大男は勢いよく魔導師に殴りかかる。

 こうした魔導師二人と大男の攻防は、しばらく続くように思われた。
しかし、ふと大男は顔をあげると、魔導師たちから距離を取り、亀裂とは反対方向に走り出した。

 その隙に、魔導師の一人が、素早く魔力を練り上げる。
そうして放たれた鋭い風の刃は、大男の上半身と下半身を切り離し、最後に岩壁を切りつけて、大気に溶けていった。

 二人の魔導師は、何やら話し合った後、上下に別れて血まみれになった大男の死体をずるずると引きずっていき、亀裂の中に落とした。
死体は、吸い飲まれるように奈落の底へと落ちていくと、時間を置いて、ぐちゃりと地面に叩きつけられたようだった。

 ルーフェンは、それら一連の出来事を黙ってみていたが、魔導師たちがその場から去ったのを確認すると、静かに立ち上がった。

「……今のは……」

「今の、でっかい猿みたいなのが、リオット族ですよ。あいつらはあの亀裂から這い上がってきて、旅人や商人、あるいは魔導師を襲ったりして、略奪を繰り返しているんです。だから俺たちは、亀裂の周囲を重点的に見張って、ああしてリオット族を討伐してるんですよ」

 ルーフェンからの疑問を予測して、オーラントが先に答える。
ルーフェンは、リオット族が落とされた奈落への入り口を見ながら、呟くように言った。

「……あのリオット族は、最後、どこに行こうとしたんでしょう」

「どこって? 単に逃げようとしただけじゃないですか?」

 先程、戦いの途中で突如走り出したリオット族の姿を思い出しながら、オーラントが首をかしげる。
ルーフェンは、眉を潜めて首を振った。

「逃げて仲間の元に戻りたかったなら、亀裂の方に走っていくはずですよね。でもあのリオット族は、反対方向に走っていった」

「……まあ、そうですけど……」

 オーラントは、言葉を濁らせた。
ルーフェンは、今立っている高い岩場を降りると、魔導師とリオット族が争っていた辺りまで走っていった。

 そして、リオット族の血痕が残ったその先を見て、はっとした。
ちょうど岩場の陰になっている場所──先程リオット族が行こうとしていたところに、なにか巨大な肉塊のようなものが落ちていたからだ。

「……これ、なんですか?」

 近づいて見てみると、その肉塊は巨大なミミズのようで、干からびた部分から飛び出した肋骨とおぼしき骨は、ルーフェンの身長よりもはるかに高かった。

 オーラントは、ルーフェンに追い付くと、同じく肉塊を見上げて答えた。

「こりゃ、土蛇の死骸だな。この辺に棲む、まあ文字通りでっかい蛇みたいな生物で、普段は地中にいるんですが、餌を探しにくるときだけ、こうやって地上に出てくるんです」

「餌? 餌なんて、この荒地のどこにあるんです?」

 ルーフェンが怪訝そうに言うと、オーラントが肩をすくめた。

「こいつらの餌は、人間ですよ。元々この付近の村人を食い荒らしてたみたいですけど、最近ノーラデュースにも魔導師がうろつくようになりましたからね。俺たちを狙うようになった土蛇もいるみたいです。……つっても、俺たちだって戦えますし、基本土蛇は自分の巣から遠い場所にまでは来ないので、大した被害はありませんが」

「…………」

 オーラントの説明を聞きながら、ルーフェンは土蛇の体表を触って、その感触を確かめた。
死後硬直している影響もあるのか、分厚く固いその皮膚は、そこいらの刃物では切り裂けそうもない。

 ルーフェンは、オーラントの方に振り返った。

「オーラントさん、なにか刃物持ってませんか?」

 オーラントは、明らかに食料と水、そして日除けの天幕しか持っていない風だったが、小さく笑うと頷いた。

「ああ、ありますよ。ちょっと待ってくださいね」

 そう言って、オーラントが右手を出すと、そこに魔力が集結したのと同時に、どこからともなく一本の青光りする短槍が現れる。
その光景に、ルーフェンが思わず瞠目すると、オーラントは得意気に鼻を鳴らした。

「俺の愛槍『ルマニール』です。大事に使って下さいね」

 右手でルマニールを一回転させ、ひょいとルーフェンに渡す。
ルマニールは、ルーフェンでは片手で持てないくらいずっしりと重く、その刃先は、見ていると背筋が冷たくなるほど鋭利であった。

「へえ……『ルマニール』。“一陣の風”ですか。重金属の合成魔術を使えるなんて、オーラントさん、本当に宮廷魔導師だったんですね」

 ルマニールをまじまじと見つめながら、感心したようにルーフェンが言う。

 重金属の合成魔術とは、すなわち、大気中の素粒子の集合、そして鉄元素への置換を同時に行い、それらを合成させることで実際に金属を具現化するという高等魔術だ。
基本、魔術というのは、その時々の自然環境が大きく影響してくるものであるから、水場や湿度の高い場所では水魔法が使いやすくなるし、ノーラデュースのような鉄鉱の採掘など行える岩地では、鉄や地の魔術が通常より使いやすくなる。
しかし、その条件を抜きにしたとしても、合成魔術は熟練の魔導師ですらそう易々と使えるものではない。
その魔術を使用できること自体に、価値があるのだ。

 素直に感嘆すると、オーラントは更に得意気な顔になった。

「そうでしょう、そうでしょう。俺だって国に認められた上位の魔導師なんですから、なめてもらっちゃ困ります。飆風(ひょうふう)のオーラントと言えば、ちったぁ名も通って──」

「とりあえずこれ借りますね」

「最後まで聞けよ!」

 後ろで騒ぐオーラントを無視し、ルーフェンは、ガスが溜まって膨れた土蛇の腹にルマニールを突き立て、そのまま横に掻き斬った。
すると、切り裂かれた体表の隙間から、土蛇の体液が凄まじい腐敗臭と共に流れ出す。

 ルーフェンは、その内容物をルマニールで漁ると、その中に錆びた籠手(こて)のようなものを発見し、オーラントにそれを見せた。

「これ、魔導師団のものですか?」

「……ええ、多分」

 微かに読み取れる籠手の紋様を見ながら、オーラントが嫌そうな表情をする。
ルーフェンは、ルマニールに付着した土蛇の体液を振り払うと、オーラントにそれを返して、考え込むように俯いた。

「……生物資源の少ないノーラデュースでは、土蛇の主食は人間。けれど、この土蛇の胃の内容物からは、籠手しか出てこなかった。ということは、鉄の消化はやはり難しいでしょうから、土蛇が食べているのは武装していない人間が大半、ってことですね……」

 頭の中を整理するように、ルーフェンが呟く。

 シュベルテなど他の地の魔導師ならば、身軽さを重視して鎧などは着けない魔導師もいる。
しかし、騎士団がいないため、前衛と後衛双方をこなすノーラデュースの魔導師は、見る限りでは、多少なりとも武装をしているようだ。
すなわち、実際に被害は少ないと言うオーラントの証言も合わせて考えると、土蛇が食べているのは、その多くが魔導師以外の人間である可能性が高い。

 そして、ノーラデュースに存在する魔導師以外の人間と言えば──。

(──リオット族)

 ルーフェンは、一度ノーラデュースへの割れ目に視線をやると、続いてオーラントを見た。

「……亀裂に飛び込んで谷底に行くのは、まあ最終手段として」

「いや、それは最終手段ではなく、ただの飛び込み自殺です」

「──とすると、土蛇の巣とやらを探すのが、リオット族に接触する一番の近道になりそうですね。土蛇が地中でリオット族を食べているなら、土蛇の巣の近くに、必ずリオット族の生活圏があるはずです」

 ルーフェンがそう告げると、オーラントは苦笑して、諦めたように息をはいた。

「仰る通りですね。ここら辺の土蛇の巣穴の位置は、こっちで把握してます。案内しますよ」

「…………」

 ルーフェンは、そんなオーラントの態度に、わざとらしく眉をあげた。

「……オーラントさん、土蛇の巣穴が地底に繋がってること、分かってたでしょう」

「さあ?」

 珍しく優位に立てたことが嬉しかったのか、オーラントがにやりと笑う。

「なに、気づかなかったら気づかなかったで、土蛇の巣穴なんて行かなくて良くなるわけですから、めでたいと思ってたんですけどね。まあ、リオット病を解き明かしちゃった次期召喚師様ですから、これくらいは朝飯前かと思いまして。どうです、冒険らしくなってきたでしょう?」

 ほくそ笑んだオーラントに、ルーフェンも挑発的な笑みを返した。

「……へえ。底意地の悪いおっさんは、嫌われちゃいますよ」

「あんたには言われたくないですね」

 肩をすくめて、ルマニールを再び翻す。
ルマニールは、オーラントの手中で光の粒子となって霧散し、大気中に戻った。

 オーラントは、一度荷物を背負い直すと、ルーフェンを見つめて言った。

「ノーラデュースで確認されている土蛇の巣穴は、全部で三ヶ所。ここから一番の近いところは、本当にすぐそこです。行きましょうか」


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