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投稿日:2021年02月24日






 空が、夕暮れ特有の薄い橙に染まり始めた頃。
二人は、土蛇の巣穴の前にたどり着いた。

 巣穴といっても、あの巨体が出入りするわけだから、ルーフェンやオーラントにとっては洞窟と言った方が近いだろう。
切り立った岩壁にぽっかりと空いたその穴には、外の光が射し込むこともなく、奥には深い闇が続いていた。

 オーラントは、巣穴を一度覗きこむと、ルーフェンに言った。

「ここに入ったら、松明はもちろん、魔術で灯りをつけたり、大きな音をたてたり……とにかく土蛇を刺激するようなことは絶対しちゃいけません。道も正直分かりませんが、リオット族がいるのは奈落の奥底です。会話も最小限に、ひたすら下りの道を行きましょう」

 ルーフェンはそれに頷いてから、怪訝そうに尋ねた。

「でも、これだけ真っ暗だと、道も何も分かりませんよね。灯りが使えないなら、どうするんですか?」

 その問いに対し、オーラントは、ごそごそと懐から銀白色の石を取り出すと、それをルーフェンに渡した。

「灯りには、このシシムの磨石を使います。こいつは暗闇に持ち出すと、微かに光る性質を持ってるんです。本当にぼんやりとしか光らないので、灯りと言うには役不足ですが、まあ、ないよりはましでしょう。ノーラデュースの岩中にはシシムの磨石が山程埋まってますし、こいつの光なら、土蛇にも気づかれにくいはずです」

「分かりました」

 ルーフェンは、磨石をオーラントと同じように紐でくくると、腰に下げた。

「さて、それじゃあ心して行きますかね。はい」

 続いて、そう言って手を差し出してきたオーラントに、ルーフェンは顔をしかめた。

「…………はい?」

「いや、はい? じゃないです。手、握ってください。はぐれるとまずいですから」

 当然だとでも言いたげに、オーラントが言う。
その瞬間、ルーフェンは、みるみる微妙な表情になった。

「いや……おっさんとお手々つないで歩くのは、ちょっと……」

 オーラントのこめかみに、ぴきっと青筋が出る。

「ほーお……じゃあそのご自慢の銀髪でも、掴んで引っ張っていって差し上げましょうか?」

 ひきつった笑みを浮かべて、頭をわしっと掴んできたオーラントに、ルーフェンはくすくすと笑った。

「冗談です、冗談です。でもお手々繋ぐのは嫌なので、肩にします」

「へいへい、綺麗なお姉さんじゃなくて悪かったですね」

 ルーフェンがオーラントの肩に手を置いたのを確認すると、二人は、巣穴の闇の中に、足を踏み入れていった。



 シシムの磨石は、オーラントの言う通り、本当にわずかな光しか放たず、二人は行く道を探り探りしながら歩くしかなかった。
だが、目前と足場を確かに照らしてくれるその光は、目が暗闇に慣れてくる頃には、思いの外心強いものになっていた。

 何度か枝道も通過しながら、先導するオーラントについて進む。
会話も控えた方が良いと言われていたため、しばらくは黙々と歩いていたルーフェンだったが、一向に地底に到着する気配がないので、耐えきれず小声で言った。

「……これ、道あってるんですか?」

 オーラントが身動いで、答える。

「さあ? 下りっぽい方を選んで、進んでるんですがねえ……」

「下りっぽいって……」

「しょうがないじゃないですか。俺だって、リオット族に会いにこんなところに来るなんて、はじめてなんですから」

 時折ぽろぽろと崩れてくる土くれを手で払いながら、オーラントが言う。

 彼も、完全に勘で進んでいるのだろう。
しかし、同じく道のわからない自分が先導したところで、同様の結果になることは目に見えているので、ルーフェンは再び黙りこんだ。

 更に歩いていくと、やがて、遠くに二つの光が見えてきた。
もしかしたら、外に繋がる道に出てしまったのかもしれない。
そう思い、ルーフェンが進路を変更するべきだと伝えようとしたとき。
オーラントが、急に立ち止まった。

「……どうしたんです?」

 囁くように、オーラントに問いかける。
だが、オーラントは黙ったまま、前を見て硬直していた。

「…………?」

 不思議に思って、オーラントの視線の先を見つめる。
すると、その瞬間、ルーフェンも目を見開いて、身を凍らせた。
オーラントの持つ磨石の光に照らされて、巨大な鱗が、微かな呼吸音と共に目の前で上下していたからだ。

 遠くにあると思っていた二つの光が、土蛇の二つの目であったことに気づくのに、時間は要さなかった。

 じりじりと、慎重に後退りを始めたルーフェンとオーラントであったが、しかし、ふぅっと生ぬるい土蛇の鼻息が頬を撫で、不気味に光る目がぎょろりと二人を映したとき。
オーラントがルーフェンに向かって、叫んだ。

「走れ──!」

 瞬間、耳をつんざくような咆哮があがって、土蛇の鋭い牙が迫ってきた。
二人は、死物狂いで走り出すと、咄嗟に脇道にすべりこむ。
そして、勢い余って直進していった土蛇を見送って、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返した。

「はっ、ま、まさか、あんなド真ん前にいるなんて、気配もくそもなかったぞ!」

 焦ったように言って、オーラントが舌打ちをする。
しかし、ルーフェンがそれに返事をする間もなく、直進していったはずの土蛇が、今度は二人の背後から現れた。

「く──っ!」

 迷いなく突っ込んでくる土蛇に、ルーフェンは反射的に魔力を集結させ、手のひらを地面に押し当てた。
すると、土壁から次々と尖った岩が、土蛇の行く手を塞がんと突き出す。

 だが、土蛇はその岩の刃を、鋭い歯が並んだ巨大な口で受け止めると、ばりばりと噛み砕いて飲み込んでしまった。

「そんなの効くわけあるか!」

 オーラントが切迫した声をあげて、ルーフェンの腕を引く。
そうして、素早く別の脇道に飛び出した二人であったが、臭いでルーフェンたちの居場所は筒抜けらしく、土蛇はすぐさま身をくねらせて、こちらに向かってきた。

 相手が、嗅覚にも頼っているなら、隠れようとするだけ無駄だろう。
ならば、今更見つかるとか見つからないとか、そんなことはどうでもいい。
そう判断すると、オーラントは、空を切るように手を動かした。

 刹那、オーラントの手の動きに合わせて、頭上に光の筋が走る。
一気に視界が明るくなったところで、ルーフェンとオーラントは、再び走り出した。

「あいつ、半端な魔術じゃくたばりませんよ!」

 全力疾走しながら、オーラントが言った。

「そんなこといっても、こんなところでぶっ放したら、落盤して俺たちも生き埋め──に、ぅわ!?」

 言い終える前に、ルーフェン目掛けて、土蛇が牙を剥く。
それを、瞬時に跳躍して避けたルーフェンだったが、この狭い穴の中では、距離をとることなどできない。

 狙いを外し、代わりに地面に食らいついた土蛇は、そのまま地面を抉りとりながら、再びルーフェンを飲み込もうと迫ってくる。

「──ルーフェン!」

 オーラントの、叫ぶ声が聞こえる。
それと同時に、ぼこぼこっと水が泡立ったような音がして、ルーフェンは一瞬動きを止めた。

(水……?)

 つかの間、その水音に意識が向かいかける。
しかし、土蛇の巨大な口が目前に迫ったところで、はっと我に返ると、ルーフェンは慌てて掌に魔力を込め、放った。

「──爆!」

 大気の流れが変わり、土蛇の口内で、爆発が起きる。
土蛇は悲痛な断末魔をあげると、口から黒い煙をあげ、周囲の岩や土壁を破壊しながら、激しくのたうった。

「大丈夫ですか、怪我は!?」

 オーラントは、崩れ落ちてくる岩を避けながら、爆風に吹っ飛ばされたルーフェンの元に駆け寄った。
そして、苦しげに暴れながらも、未だに二人を飲み込もうと突進してくる土蛇の牙を、起き上がったルーフェンと共に避けると、何かを決心したように言った。

「──くそ、こうなったら仕方ない。なんとか生き延びて下さいね!」

「は!?」

 オーラントの発言の意図を図りかねた様子で、ルーフェンが声をあげる。
オーラントは、それを無視してルマニールを発現させると、土蛇目掛けて飛び上がり、早口に叫んだ。

「──其は激情、絶対なる滅砕の爪牙! 全てを散らし、奮い、切り裂け──!」

 ルマニールが、大きく弧を描いて、振り下ろされた瞬間。
凄まじい魔力が、オーラントの周りで膨れ上がったのと同時に、ルマニールの残光が、そのまま巨大な風の刃となって、周辺の岩や土壁ごと、土蛇を真っ二つに切り裂いた。

「────っ!」

 生じたあまりの強風に、ルーフェンは、目を開けていることができなかった。
しかし、途端にあちらこちらから、がらがらと岩が崩れる音がしてきて、すぐさま落盤が起きていることに気がついた。

 落下してくる岩から頭を守りながら、受け身の体勢に入る。
そうして、冷静に次の行動を考える傍ら、自分は今まさに絶体絶命の危機にあるのだと、頭で認識していた。

 ルーフェンは、とにかく意識を失わないように、自分の身体を包むように結界を張ると、踏ん張ることを諦めて、襲いくる飆風ひょうふうに身を任せた。

(生き延びろって、こういうことか……!)

 身体が吹っ飛ばされている感覚を味わいながらも、うっすらと目を開けると、視界の先には、力なく倒れる土蛇と、こちらを見るオーラントの姿があった。
だが、それらの光景も、滝のように崩れ落ちてきた土砂で、あっという間に見えなくなってしまう。
 
 ルーフェンは、風と土砂の濁流に飲まれて、深い深い奈落の底に吸い込まれていった。


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