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投稿日:2025年12月31日
ルーフェンは、ふっと視線を落とした。
「……言えない。少なくとも、複数人の前では」
「…………」
ジークハルトが、眉根を寄せる。
ルーフェンは、声も表情も穏やかであったが、その奥に秘められた暗いものを感じ取ると、ジークハルトは、魔導師たちに目を移した。
「悪いが、一度外してくれ」
ジークハルトが一言、そう告げると、魔導師たちは、少し戸惑ったような表情になったが、ややあって、互いに顔を見合わせると、大人しく席を立った。
特に抗議をすることもなく、ルーフェンとジークハルトに礼をして、そそくさと部屋を出ていく。
ルーフェンは、聞き分けの良い彼らの行動を、少し驚いたように見つめていた。
「彼ら、君の言うことは、随分と素直に聞くんだね」
思わず呟くと、ジークハルトは、妙な顔になった。
「……別に。まあ、解体後に散り散りになった魔導師たちを集めて、取りまとめたのは俺だからな」
「へえ、だから慕われてるんだ」
「茶化すな。単に、生き残った宮廷魔導師が、俺だけだったというだけだ」
「……そっか」
どこか望洋とした目で、ルーフェンは、魔導師たちが出ていった扉を見つめる。
ジークハルトも、しばらく扉の方を眺めていたが、やがて、腕を組むと、ルーフェンに向き直った。
「……それで、カーライル公と話さなきゃいけないことってのは、一体なんなんだ。アーベリトで、何かあったのか?」
「…………」
ルーフェンの視線が、ゆっくりとジークハルトに移る。
束の間、ルーフェンは何も言わなかったが、ふと目を伏せると、ぽつりと言った。
「……サミルさんが、亡くなったんだ」
「……は?」
思わぬことだったのか、ジークハルトが、今までにない動揺の色を見せる。
わずかに身を乗り出すと、ジークハルトは、声を潜めて問うた。
「まさか……殺されたのか」
ルーフェンは、首を横に振った。
「いいや、病だよ。……ただのね」
「…………」
そうか、と答えようとして、ジークハルトは口を閉じた。
一言で済ませるべきではないのだろうと思ったが、何か補足しようにも、言葉が出てこない。
結局無言でいると、ルーフェンは、何かを察したように、目に苦笑を浮かべた。
「……つまりさ、教会との諍いがなくたって、この国の体制は変えなくちゃいけないんだ。……王が死んだ。今が、その時なんだろう……」
不意に、瞳に冷たい光を宿すと、ルーフェンは続けた。
「正直、教会がここまで進出してきたのは予想外だったけど、シュベルテの人々がそれを支持してるって言うなら、俺は、それでも構わないと思う。リラード卿のやり方を正しいとは思わないけど、彼らの言い分を、間違いだと否定する気にもなれなかった。……ここからは、カーライル公と話して決めることになるけど、おそらく公は、まだ幼いシャルシス様を、王座につかせようとはしないはずだ。であれば、シャルシス様が成人するまでの残り数年間は、三街分権に戻した方が良い。シュベルテ、ハーフェルン、アーベリトを独立させて、それぞれに統治権を分散させるんだ。そのほうが、再び王位継承権を争って、無理に王を立てようとするよりも、ずっと丸く収まるだろう」
ジークハルトは、顔つきを険しくした。
「……俺は反対だ。お前が言っているのは、つまり、今後のシュベルテの統治権は教会の奴らに渡す、ということだろう。そんなことが、あってたまるか。あんな妄信的な連中に、王都を託すわけにはいかない」
ルーフェンは、ジークハルトをまっすぐに見た。
「だから、そのための魔導師団だろう。さっきも言った通り、教会の侵攻を食い止めるだけなら、まだ間に合う。彼らが新興騎士団として剣を捧げるなら、君達は魔導師団として、国全体を支えれば良い。世が教会の思想に傾かないよう、騎士団と魔導師団の二大勢力で、互いに抑制し合いながら、サーフェリアの基盤を守るんだ」
「……本気で言っているのか?」
底冷えするような低い声で、ジークハルトが尋ねる。
言葉を止めたルーフェンに、ジークハルトは、ぎりっと歯を食い縛った。
先程、反論しようとしてきた魔導師たちよりも、ずっと激しい怒りを孕んだ、憎しみの表情であった。
ジークハルトは、ルーフェンを睨んだ。
「……大体、お前はどうするつもりなんだ。教会を上に据えるなら、お前はもう、シュベルテには戻ってこられないだろう」
ルーフェンは、頷いた。
「ああ。……それで良いと思ってる」
迷いなく答えたルーフェンに、ジークハルトが目を見張る。
もはや、言葉を失った様子のジークハルトに、ルーフェンは、淡々と告げた。
「言っただろう、どこかで折り合いをつけて、教会の考えも受け入れていくしかないって。反召喚師派である教会の考えを受け入れるって言うのは、つまり、そういうことだ。魔導師団の建て直しが叶ったら、俺はもう、シュベルテには戻らない方が良い。君だって、神だの召喚師一族だのに傾倒して生きていくのは、馬鹿馬鹿しいと思うだろう? そもそも、召喚術なんていう人間離れした力は、世の中にあっちゃいけないんだ。少なくとも俺は、子供の頃から、ずっとそう思ってた。……世間もそういう考えになったっていうんなら、その流れに、わざわざ抗う理由はない」
寂しげに、けれど、どこか吹っ切れたような顔で、ルーフェンは呟いた。
そんな彼の表情を見ながら、ジークハルトは、不意に言った。
「……お前、死ぬ気か」
「…………」
ルーフェンは、返事をしなかった。
遠い先の景色を見据えるような、その銀の瞳には、ジークハルトも、誰も映っていなかった。
ややあって、ルーフェンは、独り言のように答えた。
「……サーフェリアの召喚師は、俺の代で、最後にする」
ジークハルトが、ぐっと手を握る。
突然、卓を拳で勢い良く叩くと、ジークハルトは叫んだ。
「ふざけるな! それでいいわけないだろう……! お前一人が犠牲になって、それで何になる! 今回の襲撃で、シュベルテでは、何万人も死んだんだぞ。今まで国のために戦ってきた奴らや、何の罪もない奴らが、訳も分からないまま、得体の知れない化物に襲われて、呆気なく死んだ! イシュカル教徒共は、そんな襲撃に乗じて俺達を踏みつけ、私欲を優先して、ほくそ笑んでやがるんだ! そんな連中に座を譲って、お前は、本当にそれで良いと思っているのか……!」
「…………」
日が傾いてきたのだろう。
薄暗かった室内に、蜜色の西日が射し込んでくる。
卓に打ち付けられたジークハルトの右腕は、ひどい火傷を負ったのか、皮膚が赤らみ、歪に引き攣っていた。
ルーフェンは、一息置くと、ぽつりと呟いた。
「……君も、変わったな」
ジークハルトの顔が、激情を噛み殺すように歪む。
ルーフェンは、平坦な口調で続けた。
「それは、一体誰のために言っている言葉なの。自分のため? それとも、国のため? ……少なくとも、七年前の君だったら、教会の台頭を許していただろう」
「……七年前だと?」
ジークハルトの目に、凶暴な光が浮かぶ。
それでも、気後れすることなく、ルーフェンは返した。
「……七年前、王位継承について揉めていた時、君は、世間がそう望んでいるからという理由で、シルヴィアが次期国王になるべきだと言った。俺は反対した。あんな人殺し……しかも、君の父親の片腕を奪ったような女が、王座について良いわけがない。本当にそれでいいのかって。その時に、君がなんて返してきたのか、覚えてない?」
「…………」
「俺は、国に仕える魔導師だから、私情を優先したりしない。国のために動くって、そう言ったんだよ──」
言い終わる前に、椅子を蹴り上げたジークハルトが、ルーフェンの胸倉に掴みかかった。
古びた椅子が、床に転がって、激しく音を立てる。
表情を変えないルーフェンを、間近で睨み付けると、ジークハルトは低い声で言った。
「だからなんだ。今の俺が、ガキの頃より感情的で、惨めだって言いたいのか!」
「そうじゃない」
ルーフェンは、すぐに否定をした。
「俺も、教会が国を上に立つことが、正しいとは思わない。でもそれ以上に、召喚師一族に依存する歴史が、続くべきではないと思ってる」
「…………」
「君の考えが変わったように、時が経てば、人の想いは変わる。それに合わせて、国も変わっていく。人は等しく悪で、等しく正義だ。何が本当に正しいかなんて、誰にも分からない。その変化に沿って、流れを掴み取ったものが、その時代の正義になってしまうんだよ」
ルーフェンは、胸倉を掴むジークハルトの腕を、ぐっと握り返した。
「教会のやり方を、許せない気持ちも分かる。だけど、何かと引き換えに犠牲を払ってきたのは、俺達も同じだ。一度冷静になって、この国の在るべき姿を考えてくれ。今起きているこの変化は、決して悪いものじゃない。教会が召喚師一族を潰し、君たち魔導師団が、道を違わずに国を守れ。それでいい……それがきっと、今の在るべき流れだ」
「……っ」
ジークハルトは、唸った。
ルーフェンの胸倉を、力任せに締め上げ、しかし、すんでのところで突き放すと、足元の椅子に、行き場のない怒りをぶつけた。
蹴り飛ばされた椅子が、軋むような音を立てて折れ、取れた足の一本が、床を滑るようにして転がっていく。
ジークハルトは、長い間、荒く息をしながらその残骸を見つめていたが、やがて、力なく首を振ると、悔しげに呟いた。
「……俺じゃ、駄目なんだよ」
ルーフェンの目が、微かに見開かれる。
卓に手をつき、もう一度首を振ると、ジークハルトは、複雑な面持ちでルーフェンを見た。
「魔導師団を建て直して、教会に対抗することはできるかもしれない。だが、それだけだ。人心を動かすほどの強さと影響力が、俺にはない」
声を震わせて、ジークハルトは俯いた。
「……いくら特別な力を持っているからと言って、召喚師一族にばかりすがるなんて、馬鹿げた風潮だと思う。……思うが、やはりお前は必要なんだ、ルーフェン。力を持たない人間は、何か頼れるものがないと、いとも簡単に不安に押し潰される。お前がシュベルテから去って、人々は腹いせにお前を批難しながら、次の依存先として、この世界を分断した女神様とやらを選んだ。その教会と敵対し、何の後ろ楯もなくなった魔導師団が戦い続けるには、その女神に匹敵するほどの、依存先が必要になるだろう。……俺は、それにはなれない」
ジークハルトが口を閉じると、室内は、重々しい静寂に包まれた。
手に入らないものを前に、俺では駄目だと言って、結局目をそらす。
そうして、後ずさった朧気な少年の姿が、目の奥にちらついているような気がした。
ルーフェンは、何かを思い出すように睫毛を伏せていたが、ややあって、顔をあげると、ジークハルトに尋ねた。
「……君は、もしも手に入るなら、召喚師一族の力がほしい……?」
ジークハルトの瞳が、微かに揺れる。
一拍置いてから、ジークハルトは、はっと乾いた笑みをこぼした。
「……それは、新手の嫌味か何かか」
冗談めかしたジークハルトを、ルーフェンは、透かすような目で見つめる。
すっと息を吸うと、ルーフェンは、ため息混じりに返した。
「君が思ってるほど、召喚術は、特別なものじゃない」
言われている意味が分からず、ジークハルトが、眉を寄せる。
ルーフェンは、ふいと目をそらすと、束の間沈黙していたが、ややあって、再びジークハルトのほうに視線を戻すと、小さく微笑んだ。
「……ここで話していても、結論は出ないな。お互い、頭を冷やした方が良い。俺が今後どうしていくかよりも、目下の問題は、教会の目的と、彼らをどう制御していくかだ」
「──待て、話はまだ終わっていないだろう。召喚術が特別ではないって、どういう意味だ? 今回の襲撃時に現れた化物と、何か関係があるのか。お前は一体、何を知っている?」
半ば強引に話題をすり替えたルーフェンに、ジークハルトは、納得がいかないといった様子で食い下がった。
しかし、ルーフェンは答えようとしない。
ジークハルトは、苛立たしげに捲し立てた。
「お前の母親が──シルヴィアが、化物を見て、あれは“悪魔のなり損ない”だと言った。その意味、お前なら分かるか。セントランスが使ったのは、本当に召喚術だったとでも言うのか」
口を挟む隙を与えず、ジークハルトは、ルーフェンを問い詰める。
「いいか、これはお前だけの問題じゃないんだ。セントランスの襲撃に教会が関わっていたのだとしたら、あの化物についての手がかりも、教会の次の動きを予測する鍵になるだろう。カーライル公もシルヴィアも、リラード卿の手中に落ちている今、魔導師団側には、もうお前しかいないんだ。知っていることがあるなら、隠し立てせずに言え」
逃がさないとでも言わんばかりに、ジークハルトが肩を掴む。
するとルーフェンが、何かに反応して、弾かれたように顔を上げた。
「シルヴィアも、リラード卿の手中……? あの女は今、アーベリトにいるはずだ」
信じられぬものを見るような目で、ルーフェンが、ジークハルトを凝視する。
ジークハルトは、訝しげに返した。
「アーベリトに……?」
まるで、何も知らなかったとでもいうような、ジークハルトの口ぶり。
ルーフェンは、嫌な汗がこめかみを伝うのを感じた。
「君たち魔導師団が、送りつけてきたんだろう。今のシュベルテでは、教会が目を光らせているから、前召喚師は、アーベリトに避難した方がいいだろうって」
ジークハルトの顔色が、さっと変わる。
厳しい表情になると、ジークハルトは首を振った。
「俺は聞いてない。直接シルヴィアの所在を調べたわけではないが、てっきり襲撃後に、王宮に匿われているものだと思っていた。少なくとも、俺が知る範囲では、シルヴィアに魔導師をつけて、アーベリトに送ったりなんぞしていない」
「…………」
冷たい氷の刃を、首筋に、突き付けられたような気がした。
シルヴィアと共にアーベリトに来た魔導師たちは、確かに、正規の魔導師団の腕章をつけていた。
一人は、名をゲルナー・ハイデスと言ったか。
しかし、名は偽名を使われていたら当てにならないし、腕章だって、魔導師団から寝返った教会関係者だったら、正規の物を入手できていてもおかしくない。
まさか、あの時点で、彼はサイ・ロザリエスと繋がりを持っていたりしたのだろうか。
そんなことを今更考えても、もう真実は確かめようがない──。
唐突に押し寄せてきた嫌な予感に、指先が細かく震え出すのを、ルーフェンは、他人事のように見つめていた。
(何か……何か、見落としている……? 城を占拠して、教会は、次に何をするつもりだ……。俺は、どうして城に引き入れられた……?)
どくり、どくりと、鼓動が速まっていく。
そうして、セントランスや教会とのやりとりに思考を巡らせていた時。
不意に、ルーフェンの脳裏に、モルティスの声が蘇った。
『召喚師一族の在り方に、誰よりも辟易しているのは、召喚師様ご自身なのではありませんか?』
『……少なくとも、シルヴィア様には、我々教会の総意をご理解頂けましたよ──……』
ルーフェンは、ひゅっと息を飲んだ。
次いで、ジークハルトの手を振り払うと、突然部屋を飛び出した。
「──あっ、おい……!」
驚いたジークハルトが、咄嗟に追いかける。
だが、脇目も振らずに走っていったルーフェンは、あっという間に、市場通りの雑踏に紛れてしまった。
どこに行くつもりなのかは分からないが、アーベリトに戻るにしても、それ以外の場所に向かうにしても、ルーフェンなら、一度どこぞの移動陣を経由するはずだ。
それならば、ある程度の道筋は予想できるが、身を隠している状況で、混み合った夕暮れの市場通りを掻き分けていくのは、どうにも躊躇われた。
追うか追うまいか迷って、建物を出たところで足を止めると、何事かと寄ってきた魔導師が、ジークハルトに声をかけてきた。
「えっ、あの……何かあったんですか?」
「分からん。あいつ、急に話の途中で飛び出していきやがった」
口早に答えて、思わず舌打ちをする。
そもそも、一体何を焦って出ていったのだろうと考えていると、別の魔導師が、小走りでやってきて、ジークハルトに封書を差し出してきた。
「バーンズ卿、お取り込み中のところ、失礼いたします。こちら……少し早いですが、いつもの報告書かと」
「……ああ」
頷いて受け取り、些か乱暴な手付きで、差出人不明の封書を開ける。
それは、王宮に潜入しているアレクシアからの、定期連絡であった。
ルーフェンが駆けていった方向を気にしながらも、中に入っていた手紙を開くと、ジークハルトは、その内容に素早く目を通す。
そして、瞠目し、思わず絶句した。
いつもより荒い、走り書きされたその手紙には、新興騎士団が、アーベリトに向けて進軍しているという旨が記されていたのだ。
「こ、これって……!」
横から覗き込んでいた魔導師たちの顔が、さっと青ざめる。
ジークハルトは、封書を懐に押し込むと、市場通りに駆け出したのであった。
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