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投稿日:2021年02月24日




(召喚師様の馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿! 変態! 人でなし! でも、私が一番の、馬鹿……!)

 ずんずんと長廊下を進みながら、トワリスは、髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
滅茶苦茶だ、もう何もかも。
発言も、思考も、全てが感情的で支離滅裂。
思い返すと、自分の非ばかりが思い起こされて、頭が痛くなった。

 ルーフェンは、ただ運河に飛び込んだトワリスを、親切心で助けてくれただけだ。
如何なる理由があろうと、いきなり高い閘門橋から飛び込むなんて危険だと、そう言った彼の言葉は、まさしく正論だった。
正論すぎて、つい感情的な返しをしてしまったのだ。

 ロゼッタの宝物だと思っていたから、耳飾りが運河に落ちたとき、考えもなしに追って飛び込んだ。
結果的に、多少怪我を負ったとしても、護衛としてまだ役に立てていない自分が、ロゼッタの想いを守れるなら、それでいいと思っていた。
だからこそ、ルーフェンに耳飾りの価値を否定されたとき、自分の行動と気持ちまで、一緒に否定されたように感じたのだ。

 ルーフェンは、何も知らない。
ロゼッタがどんな想いで着飾っていたのかも、トワリスがどんな思いで、一人前の魔導師を目指してきたのかも、何も知らない。
知る必要もないだろう。
国を護る召喚師が、一個人の思いにいちいち耳を傾ける道理はないし、興味を持つも理由ない。
ただ、興味がないならないで、そう振る舞えば良いのに、彼は甘い言葉を吐いて、上辺だけの笑みを浮かべるのだ。
まるで、適当にあしらっておけば良い、お前など眼中にない、とでも言うかのように。
そんなの、冷たくされるよりも、一層質が悪い。

 「もっと器用に生きなよ」と、へらへらと軽い調子で言われたときも、怒りが沸いた。
自分が不器用なことなんて、言われなくても分かっているし、意識するだけで要領良くなれるなら、とっくにそうしている。
不器用だから、不器用なりに頑張っているのに、簡単な一言で片付けられて、頭に血が昇った。
どれもこれも、ルーフェンの言うことは間違っていなかったが、あまりにも合理的すぎて、腹が立つ。
けれど、何よりも腹立たしかったのは、いちいち憤慨して、感情的になった自分が、次々にみっともない姿を晒してしまったことであった。

(……私、これからどうなるんだろう)

 ふと、怒り狂うクラークの顔が浮かんで、トワリスは立ち止まった。

 あの様子では、解雇されるのは確実だろう。
良くて解雇、もしくは地下牢行き、最悪、斬首を命じられる可能性もある。
流石に運河に飛び込んだことが、極刑の理由にはならないだろうが、トワリスは以前、ロゼッタが毒を口にしてしまったとき、クラークから「斬首にも値する失態だ」と釘を刺されている。
役に立たない上に、人騒がせで、おまけに召喚師に対して暴言と暴力を働いてしまったわけだから、重い処分を科されてもおかしくはない。
ルーフェンに怒っている様子はなかったが、彼に傾倒しているクラークが許してくれるかどうかは、また別問題である。
ロゼッタだって、結果的に逢瀬の邪魔をしてしまったわけだから、怒っているかもしれない。
ルーフェンの言う通り、あの耳飾りが、本当にロゼッタにとって大したものでなかったのなら、尚更である。
 
 ひらりと舞った枯れ葉が、トワリスの足元に落ちた。
気づけばトワリスは、本館と別館を繋ぐ、吹き抜けの長廊下にぽつんと立っていた。

 ルーフェンと再会した中庭。
ロゼッタに使いっ走りされて、何度も往復した長廊下。
初めて見たときは、屋敷の中にこんなに広い庭があるなんて、と感動したものだが、今ではもう、すっかり見慣れてしまった風景だ。

 あるかないかの微風でも、薄っぺらの枯れ葉は、大袈裟なくらいに翻弄される。
意識しなければ、誰にも気づかれないような地面の上で。
のたうち踊り、いずれは踏まれ、散り散りになって、いつの間にか消えてしまうのだ。

 一歩中庭に出ると、廊下を走る葉擦れの音より、噴水の流れる音の方が強くなった。
留まることなく揺れる水面には、青い空が、ぼんやりと映り込んでいる。
そこに投影された、トワリスの顔もまた、重なる波紋に打ち消されて、朧気に震えていた。

 不意に、誰かに名前を呼ばれたような気がして、トワリスは顔をあげた。
周囲を見回してみても、近くに人の気配はない。
けれど、ぼそぼそと籠ったような囁き声は、確かに聞こえてきていた。

 耳を立て、声の元を辿って、長廊下に戻る。
やがて、それが自室のすぐ近くにある、ロゼッタの部屋から聞こえてくる声なのだと気づくと、トワリスは、思わず扉の前で足を止めた。
声の主は、クラークとロゼッタであった。

「──ろう、……じゃないか。トワリスは、まだ年若い魔導師だ。やはり、荷が重すぎたのだよ。わかっておくれ、これはロゼッタのためなんだ」

 耳を澄ませれば、扉越しでも、はっきりと会話が聞こえてくる。
一言、二言聞いただけで、すぐに分かった。
クラークが、トワリスを専属護衛から外すために、ロゼッタを説得しているのだ。

 トワリスは、ごくりと息を飲んだ。
いけないことだと思いつつも、このやり取りに己の命運がかかっているのだと思うと、その場から動けなくなった。

 次いで、躊躇いがちなロゼッタの声が聞こえてくる。

「でも……私、新しく別の魔導師が専属になるなんて嫌ですわ。若くたっていいじゃない。年の近い女の子の魔導師が良いって提案したのは、お父様だったでしょう?」

 ロゼッタは、逢引の邪魔をされたことなど気にしていないのか、トワリスを変わらず引き留めようとしてくれている。
魔導師としてのトワリスを、認めているからじゃない。
単に、自分の本性を知る人間を増やしたくないから、トワリスを残そうとしているだけだ。
もう、それでいい。それでも良いから、機会がほしかった。
諦めかけていたけれど、ロゼッタがトワリスを嫌っていないなら、まだ望みはある。
あともう一度。クラークたちの期待に応えられる、最後のチャンスだ。
クラークが、ロゼッタのお願いに、いつものように頷いてさえくれれば──自分はまだ、頑張れる。

 一枚隔てた先で、クラークが、再び口を開いた。

「それはそうだが、まさかロゼッタよりも年下の新人が来るとは思わなかったものだから……。加えて、偽の侍女にも気づかぬ、能無しときた。夕食に毒など入っておらんというのに、それすらも簡単に信じ込む始末」

 その言葉を聞いた瞬間、トワリスの目の前が、真っ白になった。

 今、クラークが口にしたのは、ロゼッタの夕食に毒が盛られた、あの夜のことを指すのだろうか。
夕食に毒が入っていなかっただなんて、そんな、まるでクラークが、最初から仕組んでいたかのような言い方である。

 クラークは、付け加えるように続けた。

「とはいえ、ロゼッタがそんなにもトワリスのことを気に入っていると言うなら、屋敷から追い出そうとまでは言わんよ。獣人混じりだなんていう、特殊な出自の娘だ。他に行く宛もないだろうしな。元々、期待はしていなかったが、マルカン家には置いておくつもりで雇ったのだ。ほら……今の陛下や召喚師様は、そういうのがお好きだろう? 哀れな子供を引き取って、保護するような……そう、慈善活動、とでもいうのかね」

 そこから先の台詞は、もう耳に入ってこなかった。
周囲の音が遠のいて、代わりに、風に翻弄される葉擦れの音が、耳鳴りのように聞こえてきた。

 悲しいとか、悔しいとか、そんな感情は、特に沸いてこなかった。
ただ、濃い霧の中にいるようで、全てに現実感がない。
トワリスは、薄く濁った目の前を見つめたまま、ぼんやりと立ち尽くしていた。

(……なんで私、こんなに馬鹿なんだろう)

 ふと、ルーフェンの先程の言葉が、脳裏に蘇る。
まさしく、彼の言う通り。世の中、ねじまがった人間だらけだ。
ルーフェンも、クラークもロゼッタも、皆、皆、嘘ばっかり。
でもそれが、悪い訳じゃない。
トワリスだって、嘘の一つや二つ、ついたことはあるし、周りが嘘つきばっかりなのだから、自分だって、嘘をついて自衛していかなきゃ、上手く生きていくことなんてできないのだろう。
無闇矢鱈に信じて、舞い上がっているほうが馬鹿なのだ。

 大きく息を吸い、扉に背を向けたとき。
白濁していた視界が、ぼやけて歪んだ。

 そもそも自分は、期待しているだなんていうクラークの言葉を、どうして鵜呑みにしていたのだろう。
つい最近、魔導師になったばかりの小娘なんて、期待されなくて当然なのに。
おおらかに笑ってクラークが言った台詞は、言わば、やる気を出させるための、空世辞といったところだろう。
それを信じて、無駄に意気込んでいたのは、トワリスの勝手だ。
クラークの仕組んだ罠に気づけず、毒入り事件を見抜けなかったのも、結局は自分が未熟なせい。
最終的に、真実を盗み聞きして、落ち込んでいるのもまた、トワリスの自業自得である。
そうだ、全部全部、単純で空回りばかりする、自分が悪いのだ。

(……こんなことで、不貞腐れるな。……良かったじゃないか、処罰は免れそうで……)

 そう自分に言い聞かせながら、トワリスは、は、と短く呼吸を繰り返した。

 期待されていなかったからといって、何だと言うのか。
実際、経験も実績もない新人なのだから、今回、たまたま専属護衛に選ばれたことが、奇跡みたいなものだったのだ。
そんなことより、先程の会話内容からして、斬首を命じられるようなことはなさそうだから、それで良しとしよう。
むしろ、あれだけ失態を重ねても、まだ屋敷に置いてもらえるというのだから、運が良かったととるべきだ。
どんな理由だったとしても、魔導師として誰かを守る機会を与えてもらえるなら、いつか必ず、挽回できるチャンスが訪れる。
そう、どんな理由、だったとしても──。

「……っ、は……」

 全身に、ぶわっと冷たい汗が噴き出した。
喉の奥から突き上げてこようとするものを抑え、なんとか一歩、一歩と足を動かす。
やがて、自室の扉の前までたどり着いたとき、不意に、ぐらりと目の前が回って、気づけば、トワリスは床に手をついて、うずくまっていた。

「……はっ、は、っ……」

 そうか、と思った。
そうか、自分は、可哀想だからハーフェルンに引き取られたのだ。

 ロゼッタに合いそうな珍しい女魔導師だからとか、期待はできないにしても実力は見込めそうだからとか、そんな話ではない。
もはや、魔導師としてすら認識されていなかった。
居場所のない、哀れな獣人混じりを保護したら、きっとアーベリトのサミルやルーフェンが注目してくるだろうと思ったから、クラークは、トワリスを雇ったのだ。
だからきっと、ロゼッタを守れなくても、急に運河に飛び込んでルーフェンに迷惑をかけても、なんだかんだで、「まあいいか」と見逃されたに違いない。
だって自分は、可哀想だから──。

「は、はっ、っ、はっ……」

 狭まってくる呼吸をどうにか整えようとしながら、トワリスは、胸を抑えた。

 大丈夫、だから何だ。
獣人混じり扱いされることには慣れているし、何度も言い聞かせている通り、魔導師として認められないなら、認められるように自分が頑張ればいいのだ。
平気だ、まだ頑張れる。体力には自信がある。
走って、走って、ここまで上り詰めたのだから、これからだって、もっと、もっと──。

(……頑張れる? 本当に……?)

 ふと耳元で、もう一人の自分が、そう囁いた。

 息が、苦しい。
全力疾走した後だって、こんなに呼吸を乱したことはないのに、吸っても吸っても、息苦しさが加速する。
身体が痺れて、鉛のように重い。
走りすぎて、脚が痛くて、もう立ち上がることすら出来ないように思えた。

 肺が震えて、空気の代わりに水でも吸い込んだかのように、ごぼごぼと咳き込む。
いよいよ息が吸えなくなって、激しく喘鳴すると、トワリスはその場に倒れ込んだのだった。


To be continued....


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