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投稿日:2021年05月01日




†第四章†──理に触れる者
第三話『 結実けつじつ



 ロゼッタが倒れたというので、一時騒然となったマルカン家であったが、それから二日も経つと、祭典前の忙しさに、そんな話題はついぞ聞かなくなった。

 セントランスの支配下から脱した、歴史的な記念日を祝う、ハーフェルン最大の祭典。
毎年秋頃、七日間にも渡って開催されるこの祭りは、サーフェリア全体から見ても大規模な催しで、ただですら人口密度の高いハーフェルンの中央通りは、一層の賑わいを見せていた。
街の随所から吊るされた布飾りは、風に揺られて優雅に躍り、時折遠くから響いてくる汽笛の音は、共に潮の匂いを運んでくる。
祭りは明日からだというのに、既に盛んな呼び込みや声かけが行われ、陽気な笛吹を囲みながら、はしゃいで走る楽しげな子供たちの声が、屋敷の中にまで聞こえてきていた。

 祭典の直前ともなれば、ルーフェンばかりを特別扱いするわけにもいかず、クラークやロゼッタは、他の参加者たちの饗(もてな)しにも励むようになった。
民にとっては楽しい祭りでも、権力者たちにとっては、貴重な外交の場である。
特に、商業で発展してきたハーフェルンにとって、他街との関係性は重要なものだ。
ハーフェルンへの滞在期間中、遠く遥々やってきた各街の領主たちを少しでも満足させようと、クラークに余念はないのであった。

 目の回るような忙しさの中でも、ルーフェンと話すときは、ロゼッタは常に完璧な笑みを浮かべていた。
それは、ルーフェンもまた同じことであったが、今回に限っては、主催者側であるロゼッタのほうが、気苦労の絶えない状況が続いているだろう。
しかし、どんな状態であっても、相手の好む対応をして見せられるのは、ロゼッタの出色の特技だ。
数日ぶりに言葉交わしたその日も、ロゼッタは、一切疲れを感じさせない微笑みで、ルーフェンを見ると話しかけてきた。

「まあ、召喚師様、ごきげんよう。お互いずっと屋敷内にいたのに、なんだか凄く久々にお会いした気分ですわ」

 長廊下に伸びる絨毯の上を跳ね、見事な刺繍を施した薄手のスカートを揺らして、ロゼッタは頬を染める。
ルーフェンは、挨拶代わりに彼女の手の甲に口付けると、同じくにこりと微笑んで見せた。

「そうだね。見かけることはあっても、なかなか話す時間はとれなかったからね。今は大丈夫なの?」

「ええ。ちょうどこの前お話しした、ハザラン家の方々とのお食事が終わったところですの。お父様ったら、すっかり話し込んでしまって……」

 呆れたように眉を下げて、ロゼッタが苦笑する。
つられて笑むと、ルーフェンも、肩をすくめた。

 ロゼッタの父、クラークは、とんでもなく話好きであることで有名だ。
退屈しないという意味では良いかもしれないが、会食など開こうものなら、終始口を動かしているので、いつまで経ってもお喋りが終わらない。
ここのところ、ルーフェンとロゼッタが話す暇さえなかったのも、クラークの話が長いことが原因の一つであった。
忙しいとはいっても、同じ屋敷の中にいるわけだから、二人が顔を合わせる機会など、いくらでもあった。
だがクラークは、ことあるごとに、ロゼッタを連れて賓客相手に話し込んでいるのだ。
流石のロゼッタも、盛り上がっている父を残して、ルーフェンの元に行くわけにはいかなかったらしい。
見かける度に、惜しむような視線を投げ掛けてくるロゼッタに対し、ルーフェンも苦笑を返すしかなかったのである。

 見かける度に、と考えたところで、ルーフェンは、いつもロゼッタの隣に仏頂面で立っていた、獣人混じりの少女のことを思い出した。
そういえば、運河に行ったあの日以来、トワリスのことを見かけていない。
あの一件が原因で、ロゼッタの専属を外されていたのだとしても、屋敷で生活している以上、全く姿を見ていないというのはおかしな話である。
まさか、早々に屋敷から追い出されたか、あるいは自分から出ていったのだろうか。

 ルーフェンは、唇に笑みを刻んだまま、事もなげに尋ねた。

「そういえば、あの護衛役の子は? ほら、前は四六時中、君にべったりだったでしょう」

 一瞬、誰のことを言っているのか分からなかったのか、ロゼッタは、こてんと首をかしげた。
しかし、すぐに思い立った様子で頷くと、困ったように眉を下げた。

「ああ、えっと……トワリスのことですわよね? 獣人混じりの。実はあの子、私の専属護衛からは、外れてしまいましたの」

「…………」

 やはりか、と内心一人ごちて、ルーフェンは密かに嘆息した。
元はといえば、ロゼッタが運河に耳飾りを落としてしまったことが原因だが、あれだけの騒ぎを起こしたのだ。
クラークも相当頭に血が昇っているようであったし、何かしら処分を受けることになってもおかしくないとは思っていた。

 ロゼッタは、探るようにルーフェンを見やってから、悲しげに目を伏せた。

「私はトワリスのこと、すごく気に入っていたから、止めましたのよ。だけどお父様は、もっと経験豊富で、頼りになる魔導師が良いだろうって……。こちらから護衛になってほしいって呼んだのに、トワリスには、なんだか申し訳ないことをしてしまいましたわ」

 次いで、ルーフェンの顔を覗き込むと、ロゼッタは続けた。

「でもね、トワリスを専属護衛から外した一番の理由は、彼女のためでもありますの。あの子ったら、相当無理をしていたみたいで、この前、急に倒れてしまったんですもの」

「……え、倒れた?」

 思いがけない返事に、ルーフェンが目を瞬かせる。
ロゼッタは首肯すると、心配そうに胸の前で手を合わせた。

「急なことで、私もびっくりしましたわ。大きな音がして、廊下に出てみたら、私の部屋の近くでトワリスが倒れているんですもの。ほら、あの日ですわ。私と召喚師様で、運河まで行った日の午後。……とはいっても、もうお医者様に診て頂きましたし、その日のうちに目を覚ましたんですけれどね。トワリス自身も、何でもないから大丈夫とは言っていたのだけれど、念のため、休暇を言い渡して、今も医務室で休ませていますの。トワリスって真面目だし、ハーフェルンに来てから環境が変わって、ずっと気を張っていたんじゃないかしら。お医者様も、疲れが溜まっていたようだから、しばらく休めば大丈夫だろうって、そう仰ってましたわ」

 だから安心してほしい、とでも言いたげに、ロゼッタが見上げてくる。
そんな彼女の両耳で、ちらりと紅色の耳飾りが揺れて、ルーフェンは、微かに目を細めた。

 毎日変わるロゼッタの装飾品なんて、それほど気に止めたことはなかったが、その対の耳飾りだけは、妙に目についた。
運河に落として、片方だけになった、あの耳飾りではない。
別物だが、限りなくそれに似た、紅色の耳飾りであった。

(……ほら、やっぱり)

 今、目の前にトワリスがいたら、そんな心ない一言を、投げ掛けていたかもしれない。
そう思うくらいには、ルーフェンの胸の奥底に、呆れのような、苛立ちのようなものがぶり返していた。

 トワリスが命がけで取りに行ったあの耳飾りは、ロゼッタにとっては、やはり数ある贈り物の一つに過ぎず、いくらでも替えの利く存在だったわけだ。
そしてロゼッタは、トワリスを案ずる言葉を並べ立てながら、その一方で、何食わぬ顔で代わりの耳飾りをつけてしまうような、そういう価値観の人間なのだ。

 ロゼッタには、悪意などないのだろう。
単に、お気に入りだった耳飾りを片方落としたから、似たような代わりをつけることにしただけで、彼女にとっては、それが普通なのだ。

 権力者の“普通”は、大抵どこかぶっ飛んでいる。
まず、臣下は主に尽くすのが当然だと思っているし、今回に関して言えば、トワリスが耳飾りを追って運河に飛び込んだことなど気づかず、疲れて気でも触れたんじゃないかと思っている可能性がある。
勿論、一概にそう断言するつもりはないが、金持ちの感覚とは、大概そんなものだということを、ルーフェンは嫌になるほど分かっていた。

 ルーフェンの視線が、自分の耳飾りに向けられていることに気づくと、ロゼッタは恥ずかしげ俯いた。
そして、左耳から耳飾りを外すと、それをルーフェンに差し出した。

「前の耳飾りは、私が運河に落としてしまったから、結局お話が途中になってしまいましたわね。……これ、差し上げますわ。アノトーンではないのだけれど、同じく北方で採れた石でできてますの。もらってくださる?」

 控えめな、けれど断られるなんて考えてもみないような口調で、ロゼッタは、ルーフェンの手に耳飾りを握らせる。
されるがままに受け取ったルーフェンは、ロゼッタの片耳で光る耳飾りを、つかの間、じっと見つめていた。

(……片耳だけ、なら)

 片耳だけつけている状態なら、それこそ、前に運河に落とした耳飾りの片割れを、ロゼッタが大事に身に付けているように見えるだろうか。
同じ紅色で、似たような耳飾りだから、余程注目して見ていた者でなければ、別物だなんて分かりはしない。
トワリスだって、近くで凝視でもしない限りは、別の耳飾りだなんて判別できないだろう。
ロゼッタにとって、あの落とした耳飾りが大切なものだったのだと分かったら、例えそれが勘違いでも、トワリスの気持ちは、幾分か救われるだろうか。

 そんなことを一瞬考えて、ルーフェンは、慌てて思考を振り払った。
トワリスの行動を、無駄な親切心だと内心揶揄していたのに、今度は自分が頼まれてもいないお節介を焼こうとするなんて、とんだ笑い種である。

 ルーフェンが黙っているので、不安に思ったのだろう。
どこか戸惑った様子で見上げてきたロゼッタに、ルーフェンは、すぐに笑みを浮かべると、受け取った耳飾りを懐にしまった。

「ありがとう、大事にするよ。……願掛け、してくれてるんだもんね?」

 そう返事をすれば、ぱっと表情を明るくしたロゼッタが、深く頷く。
ルーフェンは、そんな彼女の左耳に残った耳飾りに触れると、自ら敬遠して振り払ったはずの思考とは裏腹に、口を開いて、言った。

「……じゃあロゼッタちゃんも、この耳飾り、大事にして、ずっとつけていてね」

 ぽっと染まった頬に手を当て、ロゼッタが、こくこくと頷く。
照れ臭くなったのか、目線を落としてしまったロゼッタに、ルーフェンははっと手を止めると、それ以上何も言わなかった。


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