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投稿日:2025年12月31日






 ふと、風が吹いたかと思うと、薄桃色の小さな花びらが視界に入った。
ひらり、ひらりと宙で踊っていたそれは、突然力尽きたように沈下して、胸元に舞い込んでくる。
宮廷魔導師団の駐屯地を離れ、王宮へと続く大通りを歩いていたルーフェンは、咄嗟にその花びらを手に取ると、不意に立ち止まった。

 一体、どこからやってきたのか。
露店が隙間なく並び、視界のほとんどが人の頭で埋め尽くされているシュベルテの大通りには、見渡す限り、草木など一本も生えていない。
郊外から風に乗って、随分な長旅をしてきたのだろう。
そう思うと、人混みの中に捨て置くのも躊躇われて、ルーフェンは、しばらくそのまま、手の中の花びらを見つめていた。

 急に立ち止まったせいか。
忙しなく動いていた人々が、怪訝そうにルーフェンを睨んでは、追い越して先を歩いていく。
シュベルテの町民たちも、まさかこんなところに召喚師がいるなどと思ってはいないのだろう。
白昼堂々、往来の中に立っていても、頭巾で銀髪さえ隠していれば、案外気づかれないものだ。
こうして、流れていく人混みの中で佇んでいると、自分だけが別の時間軸に取り残されているような、奇妙な心地になった。

 花びらを陽に透かして、視線を上げると、大通りの先に、堅強な王城が聳え立っていた。
まだ十代前半の時は、よく晩餐を抜け出して、あの城壁から張り出すバルコニーから、眼下の街並みを見下ろしていたものである。
あの頃は、城から出ることさえ出来れば、自分も雑踏の一部になって、どこか遠くへ行けると思っていた。
といっても、他に行く宛などなかったのだが、当時は、賑やかで自由に見える人々の姿に、漠然とした憧れのようなものを抱いていたのだ。

 けれども、いざ城下に降りてみて感じたのは、自分は決して人の中に紛れることはできないのだという、途方もない疎外感であった。
召喚師に対して友好的な相手でも、敵対的な相手でも、その眼差しを見ていると、なんとなく腹の底が読めてしまう。
というより、社交会で過ごしている内に、その場の空気感や、人の真意を探る癖がついてしまったのかもしれない。

 実際、常に疑ってかかる姿勢は、特に召喚師などという立場をやっていると、必要なものではあった。
だが、そういう一歩引いた見方をしていると、だんだん余計なものまで見え始め、最終的には、目の前の光景が"蠢く絵"のように感じられる。
それに気づいた時、自分は絵の一部なのではなく、額の外に立つ傍観者だと自覚するのだ。

 バルコニーからは、楽しげに見えた人々でも、その実、多くの不安を抱えて生きている。
そんな当たり前で、不必要な事実に気づいてしまったのは、一体いつのことだったか。
懸命に生きている人々の姿を、ミストリアの召喚師となったファフリは"素敵"だと言っていたが、ルーフェンは、そう感じたことはなかった。

 必死に生にすがり、時に犠牲を払ってでも保身に走ることは、罪ではないのかもしれない。
しかし、追い詰められた人間の目というものが、ルーフェンは、昔から苦手だった。
抗えない運命に怯え、諦め、そして、他者に救いを求めて、祈るようにこちらを見る目。
願いが通じなかった時の、糾弾するような目。
救いの裏側で犠牲となり、怒りと絶望を滲ませた呪いの目。
いつだって沢山の目が、己を睨んでいる。

 そんな暗澹あんたんとした渦中に、ルーフェンが二十年以上も身を置き続けてきたことに、意味があるというのなら──。
それはきっと、長い歴史の中で世を翻弄し、そして翻弄されてきたであろう召喚師の系譜に、終止符を打つためだ。
約六年前、亡き母シルヴィアの遺品を焼いた際に、ルーフェンは、そう自分に言い聞かせたのであった。

 突然、陽気な笛の音が響いてきて、ルーフェンは我に返った。
通りの端に集まった数人の男たちが、各々の楽器を手に、演奏を始める。
名もない楽団か、流れの旅芸人といったところだろう。
客寄せの男が、よく通る声で名乗りながら、興味を示した人々を次々と呼び込んでいる。

 一瞬でも足を止めた者に、片っ端から声をかけている内に、ルーフェンにも目が止まったのだろう。
男は、パンパンと手を叩きながら、芝居がかった口調で叫んだ。

「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! ほら、そこのお兄さんも、一曲聞いていかないかい? 今なら、要望に合わせて即興演奏もしちゃうよ。上手くいったらお慰み!」

 ルーフェンが小さく振り向いたのを、脈ありと見たのか、男は満面の笑みで近づいてくる。
肩を組める位置までやって来て、ようやく、その異質な銀色に気づいたのか。
男が、はっと息を飲んで硬直した。

 ルーフェンは、ふっと目を細めると、口元に笑みを浮かべた。

「……じゃあ、"ケリュイオスの蛇"から一曲。遠くから聴いてるよ」

 それだけ言って、男に硬貨を手渡すと、ルーフェンはその場から立ち去った。

 愕然とする男を尻目に、歩きながら顔を伏せて、頭巾を深く被り直す。
次いで、外套を襟元に引き寄せてから、ルーフェンは目を瞬かせた。
そういえば、この外套はトワリスのものだ。
任務で使っていたのか、いかにも使い古された感のある安っぽい外套は、ルーフェンの体格にちょうど合っているくらいだから、彼女には大きすぎたのではないだろうか。
先程、駐屯地でやりとりした際に、素性くらい隠せと無理矢理被せられ、着たまま出てきてしまったのだ。

(次会った時に、返さないとな……)

 そこまで考えて、ふと、自嘲気味な笑みが溢れる。
最後に見たトワリスの顔が、やはりと言うべきか、憤慨していたのは、なんとも残念なような、彼女らしくて安心したような気分であった。

(次、なんてないか……)

 喧騒に紛れて、後ろの方から、物悲しい笛の音が流れてくる。
聴き慣れたその曲に耳を傾けながら、ルーフェンは、花びらをそっと手放したのであった。


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