トップページへ
目次選択へ
投稿日:2025年12月31日







  *   *   *


「次、ギール・レドクイーン!」

「……はい」

 少年らしい、高めの声で名前を呼ばれて、ギールは一歩前に踏み出した。
目線を上げ、窓明かりの差す紅絨毯の上を進めば、その先の壇上に、豪奢な玉座が見えてくる。
そこにおわすのは、国王バジレット・カーライル──ではなく、その孫であるシャルシスであった。

 ギールと入れ代わりで、後方に並ぶ騎士たちの列に戻ってきた男は、部隊長の証を授けられたにも拘わらず、不服げな表情をしていた。
顔つきが曇っているのは、彼だけではない。

 年に一度、騎士団や魔導師団内で昇格し、爵位を授けられた者たちが集められ、国王の御前で忠誠を誓う叙任式じょにんしき
そんな晴れ舞台の真っ只中だというのに、ギールを始めとする被授与者たちは、そろって浮かない顔をしていた。
本来出席するべきバジレットが無断で欠場し、代わりに現れたシャルシスが、何の弁明もなく叙任式を進行し始めたので、皆、この事態に疑問を抱いているのだ。

 招かれた百名近い騎士や魔導師たちは、誰か疑義を唱える者はいないのかと、各々密かに広間を見回していた。
しかし、仮にも王族を前に、国王は何故来ないのかなどと、指摘できる者はいない。
列の先頭に立っている各団の団長たちも、壁沿いに座っている官庁の幹部たちも、訝しんでいる様子はあるが、沈黙を貫いている。
唯一、この場で王子に対して発言権がありそうな巨頭──大司祭モルティス・リラードと、召喚師ルーフェン・シェイルハートも、今のところ、口を開く気配はない。
二人は、国王欠席の理由を知っているのか、それとも別のところに意識があるのか。
何やら思案するような顔で、左右の下座に分かれて座り、黙々と式の流れを見守っていた。

 歩み出たギールが、玉座の前でひざまずくと、シャルシスは、装飾杖を掲げて尋ねた。

「汝は、その命尽きる時まで、義と礼節を持って我が国に尽くし、守り抜くことを誓うか」

「はい。誓います」

 揺るぎないギールの答えに、シャルシスが頷く。
次いで、装飾杖でギールの肩に打つと、シャルシスは告げた。

「──ギール・レドクイーン。本日を以て、正式に、そなたを宮廷魔導師に任命する」

 装飾杖が退いたのと同時に、形式通りの流れで、ギールは首を垂れる。
そして、横合いから侍従が差し出してきた、宮廷魔導師の正式な証である腕章を受け取ると、再び礼をして、魔導師たちの列に戻った。

 列に加わる際、先頭に立っているジークハルトと、一瞬だけ目が合った。
彼もまた、現状に口を出すつもりはなさそうであったが、やはり、シャルシスが国王の代理を務めていることには、違和感を抱いているのだろう。
ただですら険しい顔つきだというのに、その眉間の皺が、一層深くなっている。
かく言うギールも、腹を立てているわけではなかったのだが、不思議には思っていた。
というのも、シャルシスが、異様なほど緊張しているように見えたからだ。

 もしシャルシスが、次期国王として代理を務めるよう、事前にバジレットに言われて出席しているのなら、ここに来るまでに、ある程度の心構えはできていたはずである。
そうでなくても、叙任式における国王の立ち回りは、決まった問答を交わすだけの、単純で簡単なものだ。
仮に、国王の欠席が予期せぬもので、急遽シャルシスが代理を押し付けられたのだとしても、百近い人数を相手に似たような問答を繰り返していれば、緊張など解けてきそうなものである。
にも拘わらず、式が始まってから現在まで、シャルシスは、終始血の気のない顔色をしていた。
おそらくシャルシスは、叙任式そのものに対してと言うより、何か別の原因があって、こうも強張った顔つきをしているのだろう。
そしてその原因は、王宮内に出入りしている者であれば、誰もが近々そうなるのではないかと、予測できていたことであった。

 今年、唯一の宮廷魔導師昇格者であり、最後の被授与者であるギールが列の中に落ち着くと、広間はしん、と静まり返った。
通例であれば、この後に国王が締めの言葉を述べ、叙任式は終了となる。
しかし、玉座についたシャルシスは、随分と長い間、一言も発さなかった。

 時間が経つにつれ、どんどん青ざめていくシャルシスに、人々が眉をひそめ始めた頃。
ふと顔を上げたシャルシスが、ようやく口を開いた。

「……皆、聞いてくれ。此度の叙任式では、新たに摂政役を立てたいと思う」

 広間の空気が、ざわっと揺れた。
やはり、という思いが、人々の間に駆け巡る。
その瞬間、モルティスの頬の肉が釣り上がったのを、ルーフェンは見逃さなかった。

 シャルシスが思い詰めていた原因は、改めて聞かずとも、この場にいた全員が勘づいていた。
国王バジレットが、ついに倒れたのである。
このことが城下に広まれば、騒ぎにはなるだろうが、叙任式に出席するような面々からすれば、驚きよりも、ついにこの時が来たか、という思いが強かった。
高齢で体調を崩しがちだったバジレットが、ここ数日姿を見せなかった理由など、誰もが予想できていたことだったのだ。

 シャルシスは、こちらを見上げる臣下たちを、ゆっくりと見回した。
三日前に倒れた祖母は、孫の祈りも虚しく、未だ目覚めないままである。
宮廷医師には、常にバジレットの側にいるようにと命じているが、彼らもあえて口に出さないだけで、今後、祖母が目覚めるかどうかは分からなかった。

 シャルシスは、すっと息を吸った。

「……先日、国王陛下がお倒れになった。現在も治療は続けさせておるが、予断は許さぬ状況だ。元々陛下は、心の臓を患っておられる身。お目覚めになった後も、養生に専念できるよう、今後の公務は余が引き継ぐことにした。だが、余は成年しておらぬ故、新たに摂政役を置き、その者に助力を乞おうと思う」

 再び、シャルシスが乾いた唇を閉じ、沈黙する。
この先の台詞は、既に決めてあったが、いざ口に出そうとすると、腹の底が震えてうまく声にならなかった。

 躊躇いがちに彷徨っていた人々の視線が、やがて、大司祭モルティスの方へと集まっていく。
つられて、シャルシスも彼の方を向くと、モルティスもまた、こちらを見ていた。
何かを期待するような、笑みを押し殺したような表情で、モルティスは、シャルシスの次の言葉を待っている。

 込み上がってきた胃液を飲み下すと、シャルシスは、弱々しい声で言った。

「──モルティス・リラード。……ま、前へ……」

 席から立ったモルティスが、恭しい仕草で歩み出て、シャルシスを前に跪く。
その薄緑色の帽子もうすを見下ろして、シャルシスは、引き攣る喉を懸命に開こうとしていた。

(お祖母様、これで、良いのですよね……?)

 嫌な汗がじっとりと額に滲み、無意識に王座の肘置きを握る。
長時間、稽古を続けた後のように胸が苦しくなって、もはや視線も定まらなくなっていた。

 これで良い、お前は間違っていないと、誰かに肯定してほしかった。
客観的に見ても、摂政役を指名するならば、モルティスの他にはいないと分かっていたが、それでも、不安は拭えなかった。
なぜならこれは、シャルシスが自ら考え、初めて王族としての権限を以って下した決定だからだ。

 モルティスを摂政役にすれば、彼は今以上に絶大な権力を握り、良くも悪くもサーフェリアの在り方を変えようとするだろう。
そして、それによってもたらされる結果は、彼に地位を与えたシャルシスの責任となる。
己は果たして、その全てを背負えるのだろうか。
そう思うと、目眩がするほどの息苦しさが襲ってきた。

 は、は、と短く呼吸を繰り返していると、シャルシスの異変に気づいた者たちが、心配そうな顔つきで玉座を見上げてきた。
自分では分からないが、よほどひどい顔色をしているのだろう。
不快な耳鳴りがして、視界が歪み、今立ち上がったら、そのまま倒れてしまいそうであった。

(モルティス……貴殿を、摂政に……)

 言うべき台詞を脳内で反芻しながら、ぐっと膝に力を込める。
シャルシスは、なんとか立ち上がると、眼下のモルティスを見据えた。
言え、言わねば、と自らに言い聞かせながら、はくはくと唇を動かす。
その時、目の前に紅絨毯が迫ってきたが、朦朧もうろうとしていたシャルシスは、自身の身体が傾いていることを認識できていなかった。

「──殿下!」

 臣下たちの動揺の声で、はっと意識を取り戻す。
一瞬、気絶しかけていたシャルシスは、咄嗟に腕で頭を守ろうとしたが、その腕が地面に打ち付けられることはなかった。
横合いから伸びてきた手が、すんでのところで、シャルシスの身体を受け止めたからだ。

 ぐいっと腹を抱えられて、思わずその腕にしがみつく。
壇上から転げ落ちなかったことに安堵して、おずおずと顔を上げると、シャルシスを支えていたのは、召喚師ルーフェンであった。

「……大丈夫ですか? お加減が優れないようなら、もうこの場はお開きにしたほうが良いかと」

「ルーフェン……」

 名前を呼ぶと、ルーフェンは小さく頷いて、シャルシスを座るように誘導した。
導かれるまま、王座に腰を下ろせば、ふっと呼吸が楽になる。
軽い貧血でも起こしていたのだろう。
目の前にちらちらと光が散って、シャルシスは、少しの間、目頭を押さえて俯いていた。

 モルティスが、眉を下げて近づいてきた。

「なんと……お顔が真っ青ではありませんか。配慮が足りず、申し訳ございません。陛下がお倒れになったこともあり、心身共にお疲れだったのでございますね。召喚師殿の仰る通り、式を早く終わらせてしまいましょう。さあ殿下、おかけになったままで結構ですから……」

 穏やかな声で、労るような素振りを見せながら、モルティスは先を促してくる。
彼は、自分が摂政になれるところを中断されて、内心惜しい気持ちだったのだろう。
とはいえ、いかにも具合が悪そうな王子を相手に、露骨に話を進めろと申し出るわけにもいかず、叙任式の省略を提案するしかないようであった。

 シャルシスは、座ったまま、再度跪いたモルティスを見下ろした。
あと一言──ほんの一言、「任じる」と命じるだけで、この叙任式からは解放される。
そして、モルティスが摂政に就任し、シャルシスに代わって国を動かしていく。
この数日、ずっとそのことばかり考えてきた。
本当に、それで良いのだろうかと。
本当に、それで──。

 臣下たちの視線から逃げるように俯いて、シャルシスは、ちらりと横目にルーフェンを見た。
平然とした面持ちのルーフェンは、席に戻らず、玉座の傍らに立っている。
まるで他人事のように、事態を傍観している召喚師を、シャルシスは、複雑な思いで見つめていた。

(……ルーフェンは、どう考えているのだろう)

 ふと、そんな疑問が浮かんだ。
ルーフェンとモルティスには、事前にバジレットの病臥びょうがを知らせていたが、それを好機とつけ込まれるのが嫌で、必要以上の相談はしなかった。
というより、あの時はシャルシス自身も焦っていたので、二人の考えを聞いたり、探ったりする余裕がなかったのだ。

 しかし思えば、遠回しに自薦してきたモルティスに対し、ルーフェンは、当たり障りのない見舞いの言葉を言ってきただけであった。
彼は、なぜモルティスの就任を阻止しようとしないのだろう。
普通に考えれば、反召喚師派のモルティスが摂政役となるのは、ルーフェンにとっては好ましくない状況のはずなのである。
だが、彼は何も言ってこなかったし、今もこれといって行動を起こす気配はない。
ルーフェンが現状をどう思っているのか、全く分からなかった。

 ぐるぐると思い悩んでいる内に、無意識に、思考がだだ漏れた。

「ルーフェン……そなたは、何を考えておるのだ?」

 言ってしまってから、はっと口をつぐむ。
モルティスを召し出したまま、突然ルーフェンに質問を投げたので、妙に思われたのだろう。
モルティスとルーフェンを含んだ全員が、面食らった様子で、シャルシスを見ていた。

 恥ずかしくなって、どう誤魔化そうか考えていると、ルーフェンが、あっけらかんと答えた。

「……早く終わらないかなぁって、考えてますよ」

「え」

 場違いなほど淡々とした調子で言われて、思わず顔を上げる。
見つめ返したルーフェンの顔には、予想通りの、軽薄な微笑が浮かんでいた。

「だって、時間の無駄じゃないですか? 今は殿下が王座に座っているのですから、考えるまでもなく、好きになさったらいいでしょう。側に置きたい人間がいるなら、摂政役に指名すればいいし、特にいないのであれば、通例にこだわらず現状維持でよろしいかと。あるいは、具合が悪くなるほど悩んでいるのなら、今は一旦保留にするのも有りなんじゃないですか。陛下のことで焦るお気持ちはお察ししますが、王族に代わって公務を引き受けたい人間なんて掃いて捨てるほどいますし、そう急がずとも、野心深い我々はピンピンしていますので」

「…………」

 モルティスが、忌々しげにルーフェンを睨む。
他の臣下たちも、このふざけた進言には、怪訝そうな顔をした。
はっきり言って、なんの助言にもなっていない。
それどころか、王族を支えるべき立場の人間として、最低の発言と言えるだろう。
要はルーフェンは、シャルシスの代わりなんていくらでもいるので、焦る必要はない、と言ってきたのだ。

 不敬だという怒りを通り越して、シャルシスは絶句した。
こんなもの、ルーフェンでなければ、罰せられておかしくない失言である。
もしシャルシスが傍若無人な王子で、本当に考えなしに摂政役を指名したり、責務を放棄して誰かに押し付けたりしたら、一体どうするつもりだったのだろうか。

 呆れからか、張り詰めていた緊張の糸が切れて、シャルシスは、ふうっと肩の力を抜いた。
四面を塞いでいた壁の一角に、思いがけず逃げ道を見つけてしまったような、そんな気分だった。

 もちろんシャルシスは、ルーフェンが言うような、無責任な王になろうとは思っていない。
だが実際、自分より優秀な人間は、この王宮に沢山いる。
カーライル王家の跡継ぎは自分一人だが、王族に代わって仕事ができる人間なんて、他にも大勢いるのだ。
そう思うと、悔しくもあったが、途端に呼吸が楽になった気がした。

 広間を見回し、モルティスに向き直ると、シャルシスは口を開いた。

「すまぬ……モルティス。……やはり摂政役は、今の段階では、立てずに置こうと思う」

「…………」

 シャルシスの撤回に、人々が眉をひそめる。
モルティスは、跪いたまま、不満を押し殺したような眼差しを向けてきた。

「殿下にとって、私の力は……ご不要でしたかな?」

「違う、そうではない!」

 シャルシスは、慌てて首を振った。

「摂政役を立てるならば、そなたが適任だと考えておる。そなたの力が不要などと、思い上がっているわけではない。実際、余は未熟であるし、真に王座につく時が来たら、そなたの……いや、皆の助力が必要だと思っておる。だが、今はまだ……陛下が、明日にでもお目覚めになるやもしれぬし……。それに、特定の一人を摂政として置いて、その者の意見ばかり聞くことになるのは、なんというか……違う気がしたのだ」

「…………」

 鋭い沈黙が、チクチクと全身を刺してくる。
こうして静寂の中に身を置いていると、自分は咄嗟に、とんでもない発言をしてしまったのではないか、という不安感に襲われる。
しかし、今言ったことは、シャルシスの紛れもない本心であった。

 モルティスは、長い間口を閉じていたが、ややあって息を吐くと、冷めた視線をシャルシスに向けた。

「つまり殿下は……現体制のまま、私と召喚師殿を並べて置きたい、ということでしょうか?」

「う、うむ……そういうことに、なる、な……」

 内心、はらわたが煮え繰り返っているであろうモルティスに、びくびくしながら返事をする。
彼の怒りは、尤もであった。
最初から摂政役はいらないと撥ね付けるならともかく、モルティスを呼びつけておいて、今更撤回するなんて、我ながら申し訳ないことをした自覚はあった。

 だが、任命してからでは、それこそ取り返しがつかないのだ。
モルティスは支持を集めている人間だが、狡猾な側面を持っていることも事実だし、信頼して側に置きたいかと問われると、答えは否だ。
かといって、他に任せられると思う相手もいないし、ルーフェンの言うように、今は一旦保留にしたかった。
無責任だと罵られるかもしれないが、これは、国を揺るがす大事なのである。
だからこそ、判断するならば、自分一人で決めるのではなく、様々な意見を見聞きしてからが良いと思ったのだ。


- 9 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数102)