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投稿日:2026年01月06日
第三章──挽歌を紡ぐ者
第一話『葬樹』
ピチピチと、小鳥の囀りが聞こえる。
小屋の窓から差し込む、眩い光を浴びて、シャルシスは、ぼんやりと目を覚ました。
すぐ近くで、バチッと薪の爆ぜる音がする。
シャルシスは、しばらくの間、梁の巡らされた見慣れない天井を、ぼうっと眺めていた。
ふと、気だるい身体で身動ぐと、左脚に鈍い痛みが走った。
その痛みを感じた瞬間、シャルシスの頭に、古城での出来事がいくつか蘇ってきた。
(……確か、雪の中を逃げて……それから、どうなったのだ……?)
まず、ここはどこだろうかと、ゆっくり頭を巡らす。
すると、雪除けの外套を目深にかぶった男が、近くの壁に寄りかかって、俯いて座り込んでいるのが見えた。
シャルシスは、毛布を跳ね除けると、重たい身体を無理矢理に起こして、思わず叫んだ。
「──ルーフェン……‼︎」
眠っていたわけではなかったのか、すぐに反応したルーフェンが、視線を上げてこちらを見る。
ルーフェンは、銀色の目を細めて微笑むと、腰を上げて、シャルシスに近づいてきた。
「……ああ、おはよ。ようやくお目覚めだね。……気分はどう?」
「…………」
一瞬、助けられたことが現実なのか分からなくなって、シャルシスは、ポカンと口を半開きにして硬直していた。
苦笑したルーフェンが、手を伸ばして、シャルシスの額に触れる。
「熱は……下がったみたいだね。でも、まだしばらく寝ていた方がいい。君、昨日から丸一日以上、ずっと高熱にうなされてたんだから」
言いながら、ルーフェンは、シャルシスに半端にかかっていた毛布をめくって、その左脚の具合や、手足の指先を確かめた。
改めて見ると、シャルシスの身体は、ルーフェンのものと思しき、分厚い毛織の上着に包まれていた。
裾が長い大きな上着だったので、それ一枚で、全身を覆える寝袋のようになっている。
左腿に巻かれた包帯からは、消炎薬特有の、スーッと鼻に通る匂いが漂っていた。
盗賊に射られた矢傷は、肉の中に残っていた矢尻も除かれて、手当をされていたようであった。
シャルシスに毛布をかけ直して、ルーフェンは、元の位置に座り直した。
「傷の腫れは引いてきてるし、凍傷にもかかってない。この分なら、特に後遺症もなく治りそうだね。……あ、食欲あるなら、お粥食べる?」
「…………」
炉にかかった鍋を示し、ルーフェンが、指先をふいと動かした。
すると、薪が赤みを増して、炎の勢いが強まる。
シャルシスは、鍋の方を見てから、もう一度、ルーフェンに視線を戻した。
ルーフェンの態度があまりにも平然としているので、今度は、攫われて船に乗ったり、雪山で狩りをしたりしていた方が長い悪夢だったのではないか、と思えてきたが、傷だらけの自分の身体が、あれは現実だったのだと訴えている。
ルーフェンは、いまいち慣れない手つきで火から鍋を下ろすと、側に置いていた椀に粥をよそって、シャルシスに手渡した。
それは、鶏肉の入った麦粥であった。
一緒に渡された水を飲んでから、匙を取り、促されるままに麦粥を食べてみる。
鶏の旨味と温かさが、じんわりと身体に染み渡った。
トワリスはこの場にはいなかったが、おそらく、これを作ったのは彼女だろう。
トワリスの料理は、薄味で素朴な、優しい味わいがあるのだ。
一口、二口と食べてから、シャルシスは、不意に椀と匙を床に置いた。
首を傾げて、ルーフェンが顔を覗き込んでくる。
「……大丈夫? もうお腹いっぱい?」
視線を上げると、ルーフェンと目が合った。
いきなり熱いものが込み上がってきて、シャルシスは、ズッと鼻をすすった。
それから、わなわなと唇を震わせ、掠れた声を絞り出した。
「……大丈夫じゃ、ない。全然、大丈夫じゃなかった……っ!」
ずっと抑えていたものが決壊して、涙声になる。
シャルシスは、枕代わりに置いていた自分の上着を掴むと、それをルーフェンに投げつけ、唐突に叫んだ。
「いっ、今まで、どこで何をやっていたのだっ! 攫われて、余が、一体どんな目に遭ったと思う⁉︎ 何度も、ほ、ほんとに、何度も、何度も死にかけたんだぞ……っ!」
わぁあっと大声を上げて、シャルシスは、生まれたての赤子のように泣きじゃくり始めた。
上着を顔面で受け止めたルーフェンが、呆気に取られた様子で、目を丸くする。
上着を畳み直してから立ち上がると、ルーフェンは、シャルシスの側に屈み込んで、震えているその背を撫でた。
「……ごめんね。カルガンで君を見失ってから、急いでトワと探したんだけど、北領が関わっている子供の拉致事件に巻き込まれていると突き止めるまでに、かなり時間がかかったんだ。北上した後も、マイゼン領の領界が封鎖状態だったものだから、俺たちみたいな素性の怪しい旅人は、ウェーリンに侵入できる状態じゃなくてね。……とにかく、生きてて良かったよ」
シャルシスは、激しくしゃくり上げながら、ルーフェンの胸を拳で叩いた。
「だとしても遅い! 遅すぎる! 召喚師と、宮廷魔導師が、揃いも揃って、なんという体たらくだ! もう……っ、助けに来てくれないと思った……!」
一層声を張り上げて号泣し、シャルシスは、ルーフェンの袖にぐしゃぐしゃの顔を押し付けた。
ルーフェンは、少し困ったように眉を下げたが、特に何かを言うことはなく、されるがままになっていた。
なかなか涙が収まらず、ルーフェンにしがみついていると、木戸が軋む音がして、誰かが小屋に入ってきた。
「……少し声を抑えて下さい、外まで響いてます」
顔を上げると、そこには、薄らと雪を被ったトワリスが立っていた。
その肩には、膨らんだ背負い袋がかかっている。
トワリスは、荷物を下ろしてルーフェンたちの前に座ると、涙と鼻水だらけになっているシャルシスを見て、ほっとしたように表情を緩めた。
「……意識が戻ったんですね、安心しました。……誘拐されたと分かった時は、もう、本当に心臓が止まるかと思いましたが……」
「……トワリス……」
鼻声で呟き、唇を引き結ぶ。
再び泣き声が漏れそうになったが、ぐっと堪えて、シャルシスは、ようやくルーフェンから離れた。
小屋の外まで響くような大声で泣き叫んでいたことが、だんだん恥ずかしく思えてきたからだ。
敷かれている毛布の上に座り直し、ルーフェンとトワリスに向き合う。
ぐすぐすと鼻をすすりながら、シャルシスは、改めて小屋の中を見回した。
「……今更だが、ここはどこなんだ? 山中の避難小屋か何かか?」
「似たようなものですが、山を下りた先の村近くにある、吹雪避けも兼ねた狩猟小屋です。今は誰も使っていないようだったので、貴方を見つけた後に駆け込みました」
背負い袋の中から、村で買ってきたのだろう薬類や保存食などを取り出しながら、トワリスが答える。
その品揃えを見て、シャルシスは、以前クロッカが聞かせてくれた、北方の山岳民の話を思い出した。
普段は山麓に棲んで狩猟をして暮らしている彼らも、雪深くなる北部山地では、越冬が難しいので、秋頃になると、出稼ぎついでに山地から下りてくるらしい。
そういう時、彼らはこういった狩猟小屋を拠点にして、村や街に出ていたのかもしれない。
クロッカは、それでカルガンの付近にやって来た際に、『蛇の毒牙』に誘拐されてしまったのだ。
ぎゅっと膝上で拳を握り、シャルシスは、恐々と尋ねた。
「……あ、あの、ナジムたちは……? 俺と一緒に誘拐された他の子供たちは、どうなった? お前たちが来てくれたということは、助かったのだろう?」
トワリスと目を合わせてから、ルーフェンが、静かな口調で答えた。
「俺たちは、君を取り返した後、すぐに山を下りたから、確かなことは分からない。……けど、あの古城にいた子供らの大半は、北部支部に保護されていると思うよ」
「え、北部支部……? ちょっと待て、魔導師たちもあの場に来ていたのか?」
目を剥いたシャルシスに頷きを返し、ルーフェンは、小窓の外に見える、雪を被った山々を示した。
「半月くらい前かな。その時点で既に、魔導師団は、北領での徴兵の動きに気づいていたみたいだよ。それで、君らがいた山と、ウェーリンの周辺に張り込んでいた。ただ、麓には徴集兵が布陣していたし、反乱の首謀を疑われたマイゼン伯は黙秘を貫いていて、ウェーリンへの街道を封鎖状態にしていた。そして何より、この雪だからね。君たちが山のどこに囚われているのかも分からなかったし、魔導師団側も、思うように身動きが取れず、突入する機を見計らっていたんだろう」
「……そう、だったのか……」
答えてから、シャルシスは、ほっと息を吐いた。
魔導師たちが向かったのなら、ルーフェンの言葉通り、大半は救われたはずだ。
しかし、その大半から漏れた子供たちもいるのだろうと思うと、心から安堵することはできなかった。
ナジムやホレス、エトやラシアンは、無事だろうか。
シャルシスを逃すために飛びかかり、斬りつけられた子らの命は、助かっただろうか──。
同時に、イヨルドのことが頭に浮かび、シャルシスも、小窓から見える雪山に視線をやった。
王都となって数百年、シュベルテが魔導師たちを各地に配置しているのは、軍事権を剥奪された属領を守るためだけではない。
守護するのと同時に、監視もすることで、諸侯の反乱の動きにいち早く気づくためだ。
そのような警戒体制を常に敷きながら、今回シュベルテ側が後手に回ったのは、王宮で魔導師団と教会が内乱を起こしかけていることもあったのだろうが、やはり、イヨルドの"目にはつくが取り締まりには動けない"徴兵のやり方が巧みだったからだ。
今回、北部の魔導師たちが動いたきっかけが、ウェーリンによる徴兵の報告を聞いた王宮からの命令なのか、古城の場所を知らせるゼナマリアの便りだったのか、あるいは、その両方だったのかは分からない。
だが、何にせよ、マイゼン家の名の使い方から、ちょうど雪深くなる時期の選び方まで、疎放なようでいて計算づくであったイヨルドの策略に振り回されていなければ、もっと早くに、魔導師団はイヨルド派の兵や盗賊たちを捕えていただろう。
ルーフェンに目を戻して、シャルシスは尋ねた。
「イヨルドがどうなったかは、分かるか? 此度の件、首魁はガシェンタではなく、その異母弟のイヨルド・マイゼンだったんだ。狡猾かつ残忍な男で、開戦を目論むなどやめるようにと説得を試みたが、あの状況で、俺にはできなかった。攫われた子らが奴を足止めしてくれたおかげで、俺はなんとか森の中に逃げて、狼煙をあげることができたのだが……」
ルーフェンに代わり、トワリスが答えた。
「それも、確かなことは分かりません。ただ、もし首魁を討ったなら、そろそろ魔導師たちが戻ってきて良い頃ですが、さっき村に出た時は、彼らが復員した気配はありませんでした。平野周辺を行き交う数人の魔導師を見た、という噂は聞きましたが、おそらくそれは、人数的に物資の補充目的か、保護した子供を下山させる目的だと思います。……ウェーリンの封鎖が解かれていないことからしても、イヨルド・マイゼン卿は、まだ古城に立て籠っている可能性が高いです」
シャルシスは、居ても立っても居られない様子で、前のめりになった。
「城といっても、あそこは使われなくなって長い古い砦だ。『蛇の毒牙』の結束力は瓦解同然に追い込んでやったし、イヨルドを守る私兵たちは、元々数が少ない。場所が割れた今、北部の魔導師が本気で攻めれば、あっという間に落ちるだろうに……。一日経ってもまだ討たれていないということは、イヨルドは、まだ残っている子供や奴隷を人質にとっているのかもしれん」
ルーフェンが、吐息混じりに付け加えた。
「それも考えられるし、魔導師たちも、突入したは良いが無闇に攻撃できないんだろう。討つといっても、現段階では、マイゼン卿のことを生け捕りにしたいはずだからね」
「……どういうことだ?」
シャルシスの問いに、ルーフェンは目を細めた。
「さっきも言ったろう? 領主のマイゼン伯は、黙秘を貫いている。つまり、イヨルド・マイゼンが反乱の首謀者だという証拠がないし、今の時点では、ウェーリンがシュベルテに宣戦布告したという事実もない。どちらも噂止まりの話だ。君を含め、誘拐された子達は、イヨルドが首魁だと確信できる光景を目の当たりにしてきたんだろうけど、雪山に攻め込んだ魔導師団側にとっては、イヨルドは騒動に何らかの関わりがあると"疑われているだけ"の人物に過ぎない。そんな彼をここで殺せば、残るのは、シュベルテが先にウェーリンに手を出した、という事実だ。
……あとは魔導師団側が、保護した子供や奴隷たちの証言をどこまで信じて、マイゼン家を討つ決断をするか、だね」
「…………」
ルーフェンの言わんとしていることを察して、シャルシスは唇を噛んだ。
結果的に狼煙でルーフェンたちに居場所を伝えることができたのは良かったが、それ以上のことはできず、自分は安全な場所でナジムたちの無事を祈ることしかできないのが、もどかしかった。
できることなら、今すぐにでも古城に戻って、まだ解放されていない子供や奴隷たちを救出してやりたいところだが、今のシャルシスと、お尋ね者のルーフェンとトワリスでは、それができない。
魔導師団と鉢合わせるわけにはいかないし、仮に目を盗んで人質を助け出せても、彼らを保護して送り届けたり、魔術を使うところを見られたりするような、痕跡が残ることはできないからだ。
新しい小鍋を炉にかけ、持ち帰った薬草を入れながら、トワリスが言った。
「……といっても、古城が落ちるのは時間の問題だと思いますよ。北部支部は、厳しい土地での勤務になるので、基本的には気候慣れした北部出身者の魔導師か、優秀な成績、経歴のある魔導師しか入れないんです。彼らを相手に、何日も籠城し続ける精神力がある人なんて、そうそういません」
渋い薬湯の匂いが、室内を漂い始める。
シャルシスは、トワリスのことを見つめた。
金穀祭で、自分が目立ってしまうことにも構わず、喧嘩賭博に突っ込んでいったトワリスが言うのだから、今回ばかりは、本当に深入りしてはならない状況だ、ということなのだろう。
王宮との関わりを断ち、シャルシスがまだ王座と向き合うことを拒むならば、ナジムたちの救出は、魔導師たちに任せるしかないのだ。
不安げに俯いたシャルシスを見て、トワリスが言い募った。
「……とにかく貴方は、まず怪我の治療に専念して下さい。沢山寝て、食べて、体力を回復させないと。
……そんなに心配しなくても、きっと大丈夫ですよ。魔導師の前で人質を殺傷すれば、それこそ罪が確定します。マイゼン卿に理性が残っているなら、人質が安易に傷つけられることはないはずです」
「……うん……そうだな」
短く返して、シャルシスは頷いてみせた。
本当は、イヨルド・マイゼンは累犯など厭わない男だ、と食い下がりたかったが、そんなことを言っても、不安が増すだけで事態は変わらない。
それに、ルーフェンとトワリスに、これ以上何かを求める気にはなれなかった。
先程は気が昂って、ルーフェンを責めるようなことを言ってしまったが、改めて考えてみれば、金穀祭で言いつけを破ってはぐれたシャルシスが悪かったのだ。
血の繋がった関係性でもない、扱いが厄介な家出王子なんて見捨てても良かったのに、ルーフェンとトワリスは、そうしなかった。
彼らの立場なら、世間的に注目されつつある開戦騒動の渦中に飛び込むだけでも、あらゆる危険を伴っただろうに、それでも二人は、魔導師たちが取り囲む雪山に入って、迎えに来てくれた。
それだけで、シャルシスにとってはもう十分だと、そう思うべきであった。
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