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投稿日:2026年01月06日






 狩猟小屋での生活は、静かに、穏やかに過ぎていった。
薬湯は苦くて飲めたものではなかったし、トワリスの小言もうるさかったが、身体が回復してくると、食事を味わったり、会話を楽しんだりする余裕が出てきた。
シャルシスが、ナジムやゼナマリアを仲間に引き入れた時の話や、皆でハクジカを狩った話をすると、ルーフェンとトワリスは、よくそのように局面を乗り切ったものだと、話を聞きながら褒めてくれた。

 その一方で、二人の方から、囚われている間のことを尋ねてくることはなかった。
あえて辛かったことを思い出させる必要はないと、気を遣ってくれていたのかもしれないし、暗に忘れろと言われていたのかもしれない。
トワリスは、時折近くの村に買い出しに行って、最近のウェーリンの情勢について情報収集をしているようだったが、その結果を報告する相手は、決まってルーフェンだけであった。
シャルシスには、今ネール山脈の周辺では何が起こっているのか、イヨルドが捕まったのか否かも、一切教えてくれなかった。
ルーフェンとトワリスは、シャルシスが眠りについた真夜中に、よく小屋の外に出ていって、こそこそと何かを話していた。
シャルシスは、その微かな声を聞きながら、自分は聞くべきではないのだろうと、毛布に潜り込むことしかできないのであった。

 ルーフェンたちとの時間を、居心地が良いものだと再認識するたびに、シャルシス自身も、ナジムやイヨルドたちのことを気にするのはもうやめようと、己に言い聞かせるようになっていた。
これ以上、自分にできることは何もない。
二人との旅を続けたいのなら、王族として表舞台に立つような真似は、絶対にできないのだから。

 しかし、忘れようと思っても、夜になると、シャルシスは決まって同じ悪夢を見た。
雪深い山奥の古城で、寒さと飢えに震えているナジムたちを、イヨルドが無惨に斬り捨てていく夢だ。
目が覚めれば消えると分かっていても、熱を失った子供らの死体が、累々と積み重なっていく様は、背筋が冷える光景であった。
その寒気は、暖かな狩猟小屋で炉に当たっていても、ルーフェンやトワリスと出来立ての食事を囲んでも、決して治まることはなかった。

 密やかな避難生活に終わりが見え始めたのは、シャルシスが古城から脱して五日ほど経った、満月の夜のことであった。
不意に、どこからか人の叫び声が聞こえてきて、シャルシスは、くるまっていた毛布から顔を出した。

 いつもはルーフェンが絶やさないようにしている炉の火が、今晩は消えている。
寝ぼけ眼をこすると、真っ暗闇の中、ルーフェンとトワリスが、小窓のわずかな隙間から、外の様子を窺っているのが見えた。
そっと起き上がり、二人の間に入って外を見やり、シャルシスは眉をひそめた。
積雪の薄い、人気のない夜の林道で、二人の人影が揉み合っていたのだ。

(あれは……ウェーリンの徴集兵か……?)

 月明かりに照らされて、二人のうち一人は、見覚えのある、安っぽい革鎧を着けていることが分かった。
それは、山麓で塹壕ざんごうを掘っていた兵士たちと、同じ装備であるようだった。
もう一人の男が、何やら怒鳴りながら、その兵士を追いかけている。
その男が、シュベルテの腕章をつけていることに気づき、シャルシスは息を呑んだ。
シュベルテの魔導師が、ウェーリンの兵士を捕えようとしているのだ。

 思わず立ち上がろうとしたシャルシスの肩に手を置き、ルーフェンが、しーっと人差し指を唇に当てる。
シャルシスは首を振って、ルーフェンに囁いた。

「あの革鎧、おそらくイヨルドが強制的に民間から集めた雑兵だ。脅されて武装しているだけで、シュベルテに対する敵意などない」

 言うや、再び立ち上がろうとするが、またしてもルーフェンに止められる。
ルーフェンは、音を立てないように、わずかに開いていた鎧戸と小窓を占めると、微かな魔術の光だけを宙に灯して、何事もなかったかのように、壁にもたれて座った。

 ルーフェンに詰め寄って、シャルシスはもう一度言った。

「さっきの兵、助けてやろう! きっと、俺たちと同じように、拷問のような兵役生活に耐えかねて逃げてきたのだ。無理矢理に剣を持たされた平民が、逃げ出した罰で殺されるなど、あってはならない!」

 しかし、ルーフェンは淡々と否定した。

「ウェーリンの兵同士で揉めているなら、ただの脱走騒ぎだろうけど、シュベルテの魔導師が追っているということは、多分、マイゼン卿が徴集した雑兵団が、シュベルテの手に落ちたんだ」

「同じことだ! イヨルドの宣戦布告を阻止できても、こっちが逃げ出した捕虜を殺せば、開戦する理由ができてしまう」

 息巻くシャルシスの唇に、もう一度人差し指を押し当て、ルーフェンは静かに諌めた。

「……そう。だから捕まえるだけで、殺しはしないだろう。あの兵士が下手に抵抗したり、シュベルテの方が開戦を決断しない限りは」

「…………」

 黙り込んだシャルシスを見て、トワリスが言った。

「あの林道は、シュミレット領の村にしか繋がっていません。おそらく魔導師団は、マイゼン伯が頑なに応じないので、付近の村々を先に囲んだのだと思います。周辺の諸侯と自領の村人たちを捕虜同然に扱われれば、マイゼン伯も流石にウェーリンを解放して、事態の説明に応じるでしょう。……まあ、彼に領主としての心が残っていれば、ですが」

「シュベルテの最終警告だ、そこは応じざるを得ないだろうさ。マイゼン伯は、民を重んずる方だしね。異母弟のほうは知らないけど」

 トワリスの説明に、ルーフェンが付け加える。
聞きながら、シャルシスは、ぎゅっと拳を握りしめた。
二人の言っていることは、理解できる。
だが、シュベルテの魔導師たちが、一度武器を手にしたウェーリンの雑兵たちを、捕虜だからといって、丁重にもてなすとは思えなかった。

 勿論、シャルシスはシュベルテ側であるから、ウェーリン側が開戦を目論んでいる証拠を早く掴まねばと、焦る魔導師たちの気持ちは分かっている。
平民出の寄せ集め兵を害する気はなくとも、相手が刃を向けてくるならば殺さねばならない、という武官としての覚悟も、上辺だけの綺麗事で否定するつもりはない。
ただ同時に、ウェーリン側の少年兵として、地獄のような日々を過ごした経験もあるから、イヨルドの手に落ちた兵士たちの境遇も、想像に難くないのだ。
軍を持たないウェーリンの兵士たちは、盗賊や傭兵たちを除き、逆らえずに徴兵されただけの罪なき平民たちだ。
きっと人殺しの道具など持ちたくなかっただろうに、逆らえば殺すと脅されながら、開戦準備に加担させられた被害者たちだ。
シャルシスだって、ルーフェンたちに助けられていなければ、古城に攻め込んできたシュベルテの魔導師たちに、敵戦力として殺されたり、捕虜にされていたかもしれない。

 そう思うと、ただ黙って見過ごすなんて、やはりできなかった。
敵は、諸悪の根源たるイヨルド・マイゼンであって、ウェーリンの民たちではない。
もし自分がシュベルテの中枢にいたなら、その真実を語って広め、イヨルドの断罪と、ガシェンタへの協議の取付に全力を注げるのに。
そして、他でもない自分の手でウェーリンとの和解に動き、人伝などではなく、自分の目で、ナジムやゼナマリアたち全員の安否を確認できるのに──。

 その考えに至った時、シャルシスは、ずっと頭にちらついていた結論を、ついに認めざるを得なくなった。
ようやく定まった一本道が、遠くへ、まっすぐ続いている。
ずっと、他の小道を眺めながら、その一本道しか行けぬ己の運命をいとわしく感じていたが、今はもう、その道しか見えなかった。

 薄闇の中で、シャルシスはルーフェンを見た。
シャルシスが口にできずにいた言葉を、見透かしたような目で、ルーフェンもこちらを見ていた。

 小さく吐息をついて、ルーフェンが呟いた。

「……潮時だな。明日になったら、ここを発とう。直に、他の脱走兵を探す魔導師たちが、この辺りの狩猟小屋も荒らしに来るかもしれない」

 背負い袋の中身を確かめながら、トワリスも言った。

「……そうですね。どの道、長く滞在できるような場所ではありませんし。……もう歩けますか?」

 トワリスに尋ねられて、シャルシスは、矢傷の残った左腿の辺りを、下履き越しにさすった。
少し傷跡が突っ張る感じはあったが、痛みはない。

「……うん、平気だ」

 シャルシスは、深く頷いた。
もう、支えなしでも、一人で歩かなければならなかった。


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