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投稿日:2026年01月06日
第三章──挽歌を紡ぐ者
第四話『開闢』
淡々と弔いの儀をこなす日々が続き、瞬く間に、二十年の歳月が流れた。
エイリーンとセルーシャによって取り込まれた精霊族の遺骸は、魔力となってその樹体に蓄えられ、やがて古代樹へと返還された。
悠久の古代樹は、以前にも増して生命力に満ち、茂った枝葉からは淡い緑光を放っている。
精霊王グレアフォールの庇護下にある聖なる木々は、月日の経過を感じさせない不変の鮮やかさを保って、森で生ける全てのものたちを優しく抱え込んでいるのであった。
黒い鬣を持つ猫人族の長フェレドと、長い白髭を震わせる小柄な鼠人族の長リウシェンが現れると、木々たちの囁きがぴたりと止んだ。
二人が歩み出た先には、見上げても頂が見えぬほど巨大な古木、古代樹が聳えている。
その樹根で形成された王座に腰掛けるのは、この森の主、精霊王グレアフォールである。
そして周囲には、弔いの儀の際に集まるのと同じ面々──古代樹の一族の精霊たちや、エイリーンとセルーシャも整然と並んでいた。
おずおずと頭を下げた鼠人族リウシェンが、「……どうも、ご機嫌よう」と弱々しく挨拶をすると、猫人族フェレドも無言で膝を折った。
獣人族と精霊族の間には、今まで仲介役のリーヴィアスが立っていたので、二人がグレアフォールと会い見えるのは初めてだ。
フェレドもリウシェンも、外界とはあまりにも違う荘厳な古代樹の森の雰囲気に呑まれて、どこか落ち着かない様子であった。
「……二人とも、遥々よく来てくれました。ガロウとキプトルは、まだかかりそうですか?」
長二人にそう声をかけたのは、古代樹の根元に控えていた人間の魔導師、リーヴィアスだ。
特徴的な長い銀髪は、二十年の時を経て、所々色味を失っている。
隣で木に繋がれているのは、老衰死したゴーティに代わる、リーヴィアスの新しい相棒だ。
銀眼の目元に寄る皺と、代替わりした愛馬の存在が、この場で唯一、時の流れを感じさせる変化であった。
獅子の頭を上げたフェレドが、太い声で答えた。
「……さて、あの二人は東方から来るのだったか。我々とは道が交わらんので、彼らの到着がいつになるかは与り知らぬ」
「お、同じくです。我らは南方から参りましたゆえ……」
鼠頭を上げ、ひくひくと鼻を動かしたリウシェンも、同じように首を振る。
どうしたものか、と嘆息して、リーヴィアスは広間の入り口を見やった。
他にも召集をかけていた人狼族の長ガロウと、鳥人族の長キプトルが、まだ来ていない。
これでは、獣人族の新王選出と、新大陸へ渡る種の選別が始められなかった。
広間へ続く山道の方から、引きずるような羽音が聞こえてきたのは、それからしばらく経った頃であった。
やっと現れた三人目の候補者に、一同の注目が集まる。
粛々とした静寂な森の空気は、その三人目の登場によって、ざわりと一変した。
「……遅れて申し訳ない。大変お待たせいたしました」
平坦な声と共に入口の木陰から出てきたのは、鷲頭と巨大な両翼を持つ鳥人族の長、キプトルであった。
しかし、その姿は、落ち着いた態度とは対照的に、あまりにも強烈で異様だった。
胸部から脚先にかけての羽毛は、地の色が分からぬほど赤黒く染まり、その鋭い鉤爪には、まだ渇き切っていない鮮血が滴っている。
全身血塗れの状態で、木漏れ日の下へと歩いてきたキプトルは、腕に抱えていたものをゴロリと地面に落とすと、恭しい態度で申し出た。
「精霊王グレアフォール、リーヴィアス殿……どうかお許し頂きたい。野暮用を済ませてから拝謁しようと思っておりましたら、予想外に手間取ってしまいまして……」
血の轍を描きながら、コロコロと草地を転がっていったものを見て、フェレドとリウシェンは息を呑んだ。
広間の隅で様子を眺めていたエイリーンも、思わず眉をしかめてしまった。
キプトルが放ったのは、人狼族の長、ガロウの頭部だったのである。
「……きっ、貴様、何のつもりだ⁉︎ ガロウを闇討ちでもしたか⁉︎ 私闘は禁じられていたはずだろう!」
「私闘? 私闘ではありません。これはそう……厳正なる決闘というやつです」
牙を剥いて吠えたフェレドに対し、キプトルは冷静に返した。
「確かに我々は、種族間の不戦協定には合意しました。……が、同種族内での争いは禁じられておりませんし、これはむしろ、未来の争いを無くすために必要な争いです。すなわち、話し合いでは到底解決できないであろう物事を、我々王候補の争いのみで取り決めようという、犠牲を最小限に抑えた平和的な方法なのです」
フェレドは、今までの平静さを脱ぎ捨てて、唸るように怒鳴った。
「ごちゃごちゃとこじつけを抜かしおって……! 俺はなぁ! 争いを禁じると言われたから、大人しくお前らみてぇな弱っちい連中とも肩を並べて、交渉ごとにも応じてやっていたんだぞ⁉︎」
屈強な腕がキプトルに伸び、その胸元の羽毛を掴みあげる。
大きな嘴を打ち鳴らしながら、キプトルはいきり立つ獅子頭を睨んだ。
「……っ、お前みたいな奴がいるから、こういう方法を取らざるを得なかったんだ……! 交渉ごとにも応じてやっていた? ならフェレド、お前は話し合いで、直情的で粗暴な奴は新王にふさわしくないから退け、と言われたら、納得して引くのか?」
「んなわけねえだろ‼︎ ふさわしくないのはてめぇの方だ屁理屈野郎……!」
振り上がったフェレドの五指から、鋭く光る爪が露出する。
フェレドの一族は、骨をも砕く牙と肉を裂く鋭利な爪を持った、猫人族の中でも大柄で獰猛な種だ。
その剛腕で顔面を殴られ、大爪で引き裂かれれば、キプトルは、ガロウ以上に悲惨な末路を辿ることになるだろう。
振り下ろされた爪は、しかし、キプトルの頭部を引き裂く直前に勢いを失った。
失速した腕が、だらんと垂れ下がる。
同時に、フェレドの口から、ごぷりと血反吐が吐き出された。
フェレドの背中から、銀光が突き出している。
本来は爪や嘴を武器とするはずの鳥人族キプトルが、フェレドの腹を、剣で刺し貫いたのだ。
彼の腰には、背中の両翼で上手く隠れているが、確かに剣帯が巻かれている。
「……ぐ、ぅ……お、のれ……っ」
フェレドの喉から、血混じりの泡立った呻きが漏れる。
キプトルが刃を引き抜くと、その巨軀は崩れ落ち、膝を折って地に倒れた。
瑞々しい新緑の芝が、赤く染まっていく。
愕然と開き切ったフェレドの瞳孔が、ゆらゆらと揺れている。
とどめに一撃に、容赦なくキプトルが剣を振るうと、フェレドの首がごとりと落ち、コロコロと転がってガロウの首と並んだ。
「……ひっ、ひぃいい!」
か細い悲鳴をあげたリウシェンが、ガタガタと震えながら、その場で腰を抜かす。
次の瞬間、広間を囲むように並んでいた古代樹の精霊たちが、一斉に掌を上げた。
その合図に応えて、周辺の木々が尖った枝先持ち上げ、槍のように構える。
複数の枝先は、全てキプトルに向けられていた。
「……なんのつもりだ、鳥人族の長。お前は、この古代樹の御座を血で汚しにきたのか?」
精霊の一人が、淡々と糾弾する。
キプトルは納刀すると、森全体に訴えるように、よく通る声で言った。
「私はただ、不戦協定が公然と破られる前に、候補四人の間で決着をつけてしまおうと考えたまでです。……グレアフォール王、未来が視えるという貴方なら、この御座が汚れぬ結末など有り得ぬことはお分かりだったでしょう。獣人族による新王選出が、話し合いだけで穏便に終わることなど、あろうはずがないのです」
「…………」
グレアフォールは、古代樹の根に腰掛けたまま、彫像の如く沈黙していた。
微風に靡くのは、その豊かな黄金の髪のみ。
表情は一切動かず、紫紺の瞳はキプトルを捉えながらも、どこか遠くを見据えている。
キプトルは、古代樹の前に跪いた。
「偉大なる大樹の主よ、どうかこのキプトルを獣人族の新王に。私は、貴殿の見据える未来の到来を願っております。もし私に権限を与えていただけるのであれば、その理想に共感する者を同族として認め、人狼族であっても、猫人族や鼠人族であっても、新大陸へと連れて行く所存です。逆に、共感しない者には容赦せず、徹底して排除する構えです。これは、不戦の誓いを破ったことになるのでしょうか? ──否、これは不戦の未来を実現するためのやむを得ない淘汰です。違いますか、グレアフォール王」
「…………」
木々の穂先をキプトルに向けたまま、グレアフォールの側に控えていた精霊の一人が、口を開いた。
「グレアフォール王は、鳥人族は王族には相応しくないとお考えである。なぜなら、そなたらには翼があるからだ。ともすれば大海を越えられるその両翼は、三種族の隔絶、永劫の不干渉を理とする上で不要なもの。よって、そなたを獣人族の新王に選出することはできない」
キプトルは、まるでそう言われることを予期していたかのような態度で、「そうですか、分かりました」と短く答えた。
そして、一度は納めた剣を、再び抜いて掲げた。
ふっと目を細めた精霊たちが、いつでもキプトルを仕留められるよう、魔力を高める。
──が、グレアフォールに向けられるかと思われた剣は、あろうことか、キプトル自身の両翼を断ち切った。
右翼、続いて左翼が地に落ち、褐色の羽がはらはらと宙を舞う。
愁眉を開いた精霊たちが、ややあって掌を下げると、キプトルの身に忍び寄っていた木々の穂先も下がる。
キプトルの輪郭は、両翼を失い小さくなった。
だが彼は、一切揺るがない、覚悟の決まった口調で堂々と言った。
「──では、これでいかがか。貴殿らが獣人族の王に不自由さを望むのであれば、私は父母の翼も削ぎ、今後生まれる子供らの翼も削ぎ、一族全員の翼を削ぎましょう。そうすれば、大陸分断後に海を渡れる鳥人族はいなくなります」
「…………」
キプトルの発言は、グレアフォールとリーヴィアスが求めている、新王の在り方そのものであった。
新大陸での王に選ばれるためならば、一族の誇りさえ捨てることも辞さない、という意思表明。
翼も爪牙も捨て、人の言語を話し、人の武器を手に取ることも躊躇わない、という確固たる決意の表れだ。
不意に手を上げ、騒いでいた木々たちを黙らせると、ついにグレアフォールが唇を開いた。
「……預言が、変わった」
広間の木々が静かに揺れる。
枝が、葉が、耳打ちを交わすかのようにざわめいている。
グレアフォールは、キプトルの足元で震えているリウシェンを指差すと、その紫紺の瞳を光らせた。
「王族となった鳥人族が、他の獣人たちを率いて東方へ渡る。集結した夜に、従属していたはずの鼠人族が、そなたを弑殺する」
「────⁉︎」
ハッと身構えたキプトルが、後ずさってリウシェンの方を見やる。
しかし、慌てたリウシェンが否定する前に、風切り音を伴って、その首が高く飛んだ。
グレアフォールの無言の命令に応じて、古代樹の枝が、鞭のように撓る。
目にも止まらぬ速さで振り切られたそれが、まるで鋭利な刃の如く振る舞って、リウシェンの首を掻き切ったのだ。
リウシェンの頸部から噴き出した血が、赤く染まった草地を一層汚す。
あまりにも一瞬の出来事で、動揺する間すらなかった。
ボトッと転がり落ちた頭部は、驚きに目を見張ったまま、愕然とした表情でグレアフォールを見上げている。
次いでリウシェンの胴体が倒れ、古代樹の枝が鎮まると、再びグレアフォールは唇を開いた。
「これで、鳥人族は王の一族として存続していくことになる。新大陸へと渡る種を選別し、その者たちを引き連れ、東へ向かえ。移動が済み次第、大地を割り、移動陣で大陸ごと遠くへ飛ばす。……お前もこれで良いな、リーヴィアス」
「──はい。異論はありません」
古代樹の根元に佇んでいたリーヴィアスが、にこりと微笑んで頷く。
その会話を聞いて、我に返ったらしいキプトルは、リウシェンの死体から目を逸らして、その場で再度頭を垂れた。
リーヴィアスは、キプトルの元に歩み寄ると、持っていた長杖の先を傾けた。
「キプトル、おめでとうございます。今後獣人族を統率することになった貴方に、約束通り、魔力と"召喚術"を授けます。
──貴方に渡すのは、フェニクス、ハルファス、カイムの三体です。名は南都からの魔導書に登場する"悪魔"と呼ばれる魔物から取っただけで、特別な意味は持たせていません。どのように使うかも、貴方に任せます」
言いながら、懐に手を入れて小刀を取り出すと、リーヴィアスは、長杖を持っている腕を自ら深く切りつけた。
溢れ出した血が、長杖を伝い、傾けられた先からポタポタと滴る。
おずおずと羽毛に覆われた手を差し出すと、キプトルは、滴る血を掌上で受け止めた。
そして、吸い寄せられるように、その血に嘴をつけ、飲んだ。
瞬間、キプトルは息を詰まらせて、大きくのけ反った。
嘴の端から血のあぶくを溢し、勢いよく倒れ込む。
全身を激しく痙攣させ、地面の上をじたばたとのたうつ様は、まるで炎に炙られて苦しむ贄のようだった。
「……っ、あ、が、ぁあ……っ!」
声にならない苦悶が、喉奥から漏れる。
リーヴィアスは屈み込んで、悶えるキプトルの背中の羽毛をかき分けた。
その隙間に現れた、黒紫色の鱗のような皮膚のただれを認めると、リーヴィアスは眉をひそめた。
「……キプトル、声が聞こえるでしょう。それは貴方の身に入り込んだ、"悪魔"の囁き声です。耳を貸さず、意識を強く保って、この身体は己のものであると主張して下さい。貴方は元来、魔力を持たない獣人族ですから、我々以上に拒絶反応が強く出るのかもしれません。ですが、うまく順応できれば、召喚術の才を手に入れられるはずです」
リーヴィアスの声が聞こえているのか、いないのか。
キプトルは、短くなった両翼をばたつかせながら、苦しげに喘鳴している。
リーヴィアスは、立ち上がって一歩離れると、それ以上は何も言わずにキプトルを傍観していた。
また、グレアフォールら精霊たちも、キプトルの暴れる四肢が地面を引っ掻く様を、ただ黙って眺めていた。
しばらく経って、キプトルの全身に浮かんでいた鱗がスゥッと引くと、その身の震えも収まり出した。
まだ荒い呼吸音が、森の中に響いている。
けれども、キプトルの全身を這い回っていた強烈な痛みや熱は、ようやく引き始めていた。
やがて、キプトルが緩慢に身を起こすと、グレアフォールは目を閉じた。
「……これで、獣人族の新王選出は済んだ。時期を見計らい、次は人間たち。最後に我々精霊族の選別を執り行う」
その厳かな声の余韻が消えるのと同時に、グレアフォールは、煙のように大気に溶けていった。
他の古代樹の精霊たちも、音もなく姿を消す。
リーヴィアスとキプトル、エイリーンたちを残して全ての精霊たちが退席すると、やがて広間は、再び静寂に包まれた。
立ち上がったキプトルは、まじまじと自分の全身を眺めてから、リーヴィアスの方に視線を移した。
「わ、私は……召喚術の才とやらを得られたのか? あまり実感はないが……」
リーヴィアスは近寄って、背の高いキプトルの額に手を翳した。
「貴方の血から魔力を感じます。実際に行使するには慣れが必要になると思いますが、術の才は確実に得られたはずです。その魔力は、貴方の子々孫々にも継承されていきます。……これで鳥人族が、まごうことなき獣人族の王の血族になるんですよ、新王陛下」
「……私が、新王……」
口に出して、初めて実感が湧いてきたのだろう。
キプトルは、グッと拳を握りこむと、長らく緊張していた目元をわずかに緩ませた。
「ありがとう、リーヴィアス殿……全て貴方のおかげだ。貴方が人狼族の根城を教えてくれなければ、私はガロウを討つことはできなかっただろうし、預言には共感せよという助言を聞いておらねば、グレアフォール王の意向を変えることもできなかっただろう」
リーヴィアスは、にこやかに首を振った。
「いいえ。私はただ、こちらが王に望む資質を伝えただけですから。実際に選んで実行したのは、キプトル、貴方ですよ」
それからリーヴィアスは、ふと心配そうにキプトルの肩辺りを見た。
「それよりも、羽、大丈夫ですか? 出血は大したことないようですが、手当した方が良いのでは……」
「羽? ああ、いや、大丈夫だ。選出されたいなら鳥人族は飛べなくなる必要がある、と貴方に言われて、翼は落とすことになるかもしれぬと覚悟していたから、止血は既に済ましている。……痛みはするがな」
苦々しく嘴を鳴らして、キプトルがリーヴィアスに背を見せる。
自ら斬り落とした翼の付け根は、よく見ると、確かに細い蔓できつく縛られていた。
斬り落とした際に大量出血しないよう、あらかじめ血の流れを止めていたのだろう。
リーヴィアスに向き直ると、キプトルは手を差し出した。
「種族間の永劫の不干渉が条件ゆえ、もう我々が関わり合うことはないかもしれんが、私は、この恩を一生忘れない。リーヴィアス殿、どうかご達者で」
キプトルの手を握り、リーヴィアスは微笑みを浮かべた。
「身を賭す者、天秤の片は大願に変わる……今回の選出は、貴方の尽力と覚悟が実を結んだ結果だと思います。東方への長旅、お気をつけて。私も、海を隔てた先で、獣人族の繁栄を祈ってますよ」
キプトルは頷き、膝を折って一礼した。
そして、「移動陣を行使する際には、またよろしく頼む」とだけ言い残すと、踵を返して、広間から出て行った。
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