運命を糸に託せば
ここでふたりがいきてゆく意味に
結婚式を挙げられるということが決まったのは、私が退職してすぐのことだった。
それまではお互いに監視官という多忙の身だったせいで、悠長にそんなことをやっていられなかったというのが現状だったが、私が退職したというのもあって、少なくとも私には時間ができたからだ。彼は相変わらず忙しいが、その合間を縫ってふたりで式場の下見に行ったりもして、やっと日程を決めるところまでこぎつけたのだった。
お互いに交友関係も広くないため、ごく少数の人数で式を執り行うことにした。身内と、――特別な許可をもらって、公安局でともに修羅場を潜り抜けてきた彼らの参列が許されたのだ。もちろん、監視役の監視官も同行して、だ。その役は二係の青柳監視官が快く引き受けてくれた。「ふたりの晴れ姿も見たいし」と言って。
――緊張する。
メイク、着付け。何もかもが特別で、改めて花嫁≠ニなることを実感した。真っ白なドレスがどうも慣れなくて、自分がこんなものを身にまとう資格があるのかと不安にもなった。しかし、その不安を拭ってくれたのはやはり彼で、昨晩眠れなくなってしまった私をそっと抱きしめて「大丈夫だ」と励ましてくれたりもした。
そんな彼のタキシード姿はとても格好良くて、白い肌によく似合っていた。サイドの髪は片方だけ耳に掛けるようにされていて、いつもと印象が違って見える。相変わらず眼鏡を取ろうとはしなくて、遠くからだと表情がよくわからないのが悔しい。だが、いつもよりはっきりと見える耳がほんのり赤いように思う。それを見て頬が緩んだ。
「さ、式が始まりますよ」
プランナーさんの声を聞いて、私は立ち上がる。履きなれない高いヒールを鳴らして、そっと会場へと歩みを進めていく――。
「みんなが嬉しそうで、私が嬉しかった」
昼間の、式場での写真のデータを見ながらふと呟いた。隣に座って同じものを眺める伸元も頷いたので、珍しく素直だねと笑った。
「狡噛さんも一緒に写真撮ってくれたし、縢くんがお手製のケーキを持ってきてくれたのも嬉しかったなあ」
「狡噛の奴、禁煙だと言ったのに煙草を吸いやがったが……」
「まあまあ。ヘビースモーカーだし仕方ないね」
「せめて喫煙所で吸えと言ったんだが聞かなかった」
撮った写真のほとんどで彼は煙草を手にしている。志恩さんは禁煙を守っていたが、禁煙を無視してまで吸っていた狡噛さんを見て不満そうな顔をしたりしていた。六合塚さんのパーティドレス姿はあまりにも美しくて、花嫁は負けていたと思う。征陸さんなんて、終始うれし泣きをしていた。
「楽しいことは、あっという間……」
「そういえば公安局から、結婚祝いの休暇が出た」
「えっ! やっぱりそういうのあるんだ」
「というか、周りに無理矢理取らされた、に近いな。あかりのために取れ、と」
ふっ、と穏やかに笑った伸元を見て、なにそれ、と頬をつねる。
「新婚旅行くらい行ったっていいでしょ? みんなの気遣いに感謝しなきゃ」
「……そういうものなのか?」
天然でそう答える彼に半ば呆れながら、拗ねたふりをして寄りかかる。変わらない彼の温もりにに安心しながら、「タキシードかっこよかったなあ」とおもむろに呟いてみる。
「……なんだ急に」
「別にー。似合ってたなって。伸元は、私のドレス姿に何も言ってくれなかったけど」
「どうだったのか、教えてほしいなー?」なんておどけてみせると、案の定彼は顔を赤くして目をそらした。照れてる、可愛い。
「……だから、その、よく似合っていて、だな」
「うん。で?」
「なに?」
「似合ってて、どうだった?」
言うのが恥ずかしいらしく、くちびるをぐっと締める彼をじっと見つめたままで、次の言葉を待つ。可愛いって言わせるぞ、と。
「かっ……」
ちら、と視線をよこして、またそれは宙を仰いだ。やがて戻ってくると、視線はそらしたまま彼はようやく重い口を開く。
「……綺麗だった」
予想していたものと違うものが彼の口から出たせいで、一瞬時が止まったように私はフリーズしてしまった。可愛いではなく、綺麗? 綺麗って言った? そう心の中で反芻しながら、しがみついたままの彼の腕をぐっと引っ張る。
「綺麗?」
「あ、ああ……なんだ、その顔。文句でもあるのか」
「ううん! そんなことない! ありがと」
腕を掴んでいた手を放して、彼の首に回す。勢いよく抱きついたせいでそのままソファに倒れこむ。伸元の眼鏡が外れる。落ち着け、という彼の声もむなしく、それは触れ合ったくちびるに吸い込まれていった。
くちびるを離すと照れたように顔を赤くした彼が、少し焦った顔で私を見つめる。乱れた彼の黒髪から覗く表情が色気を放っていて、なぜか私のからだは熱くなる。
「お前……なにをしてるんだ」
密着したからだから、互いの熱が溶け合う感覚がした。堪らなく好きで微かに溜息を吐くと、珍しく彼の方からぐっと私を引き寄せてキスをする。くちびるが離れる度漏れる吐息が扇情的で、ちょっと待って、と慌てて彼のくちびるを左手で覆った。
「……そっちが仕掛けてきたんだろう」
「……でも、こんなのずるい」
「……嫌なら、やめる」
気まずそうに視線をそらし、起き上がろうとする彼を慌てて止める。
「嫌じゃない」
「……なら、どうしたらいいんだ」
「……いっぱい愛してほしいな、なんて」
冗談! と笑いかけようとして、またくちびるに柔らかい感触がしたときには、既に遅かった。口を塞いでおいた手を離すんじゃなかった!
後悔しても時すでに遅し。気が付けば形勢逆転――ソファに押し倒されていたし、目の前に彼の綺麗な顔があった。深い深い緑色の瞳は真剣だ。
「ばか……」
何とでも言え、と不機嫌そうな顔をした後、彼のくちびるはまた私に触れていった。
――今夜はとてもとても甘い夜になりそうだ。