運命を糸に託せば
10
「監視官を退職しろ、だと?」
「うん、もしくは、あなたと離婚するように……って……」
「なぜだ? どういうことなんだ……君が何をしたと言うんだ?」
帰宅し、夕食を済ませ、テーブルに向かい合ってコーヒーを飲みながら昼間のことを話すと、伸元は酷く悲しい顔をした。
当然の反応だ。言われた本人だって意味がわからないのだ、彼にもわかるはずがない。
「……私ね、免罪体質っていう体質なんだって。だから、シビュラの運営に役立つ方がいいそうなの。だからって、どうして監視官を辞めるだとか、伸元と離婚しなければならないのかわからないんだけど。けど、私、あなたと離れるのは嫌。だから、その二択ならば、私は監視官をやめる」
「あかり……」
個人的な見解では、この件に何らかの私情が働いているように思う。局長はシビュラの総括だ、と一蹴したが、それは違うと私は思う。だって、私はシビュラに従ってこのふたつの選択をしたのだ。それを今になって否定するなんて、ありえない。
そう一息で話す私の顔を真剣な面持ちで見つめ、やがて彼はゆっくりと口を開く。
「その、免罪体質というのは?」
「約200万人に1人、いるみたい。例えば犯罪を犯したとして、普通ならサイコ=パスが規定値を超えるはずなのに、いたって普通の数値が出たりする体質っていうのかな……。普通ならば濁ることをしても濁らない人……って言った方がわかりやすいかな?」
「なるほど。要するに、スキャナにも引っかからないし、定期検診でも普通の数値が出る……というわけか」
「そんな感じ。逆に言えば、普段から正常値が出ないみたい。だからシビュラシステムの研究に役に立つらしくて。でも、私だってひとりの人間よ? 一個人としての幸せを選択して、何がいけないって言うの……」
伸元はじっと私を見つめて、眉間に皺を作り、しばらく難しい顔を決め込んだ。
私は未だ涙の感覚が残る頬を意味もなく指でなぞって、小さく溜息を吐く。
「まあ正直、これに関してはおれがどうこう言えることじゃないしな……、君がしたいようにするのが一番だとおれは思う。もしあかりがおれと別れることを選ぶのであれば、おれにはもう何も言えない」
そう、さみしそうに彼は呟く。
「おれと一緒にいてくれ≠チて言わないところが、あなたらしい。でも、ちょっとくらい強引にそばにいてくれ≠チて言ってくれたっていいと思うんだけど?」
「……そんなふうに言えるほど、強い立場ではないからな」
苦笑交じりに言った彼を見つめ、私は小さく笑った。ほんとうはさみしいくせに、強がろうとする。いつだって彼はそうだ。そうやっていままでの人生、さみしくないように、ひとりで全部抱えて生きてきたんだろう。だからさみしいなら、さみしいと言ってくれればいいのに、と思う。
「でも、さっきも言ったけど、私は伸元と人生を歩んでいきたいって思ってるよ。だったら監視官なんかやめてやる。ほかにも適性職業はあるんだし、あなたと離れてまでこの仕事を続けていたいと思うほど、この仕事に執着はない。伸元さえちゃんと監視官として任期を勤め上げてくれたら、私は嬉しいから。だから、潜在犯堕ちはすんなよ」
びしっと人差し指を伸ばして、彼の鼻をつついた。不意を突かれた彼は驚いて目を見開く。
そして、肩を震わせて笑った。
「当然だ。潜在犯になどなってたまるか」
「うん」
すると今度は彼の手が伸びてきて、私の頬をそっと撫でた。
「……もう泣くんじゃない」
8月。夏の日差しが照りつけるこの日、私は公安局を退職した。たった四ヶ月だった。
後悔はしていない。だってここで素敵な旦那さんを見つけられたし、潜在犯だが素敵な人たちと一緒に仕事をすることができた。危険な任務もたくさんあったが、充実した日々だった。
「会えなくなるの、さみしいわね……」
涙を流しながらさみしがってくれたのは志恩さんだった。六合塚さんも別れを惜しむように抱きしめてくれて、縢くんも笑ってはいたがとてもさみしそうな顔をしていた。征陸さんは「伸元のことよろしく頼む」とお酒を一本くれた。狡噛さんは表情こそあまり変えなかったものの、「ギノと仲良くな」と肩をたたいて励ましてくれた。
「本当にお世話になりました。ありがとうございました」
みんなには
死んだわけでもなく、生きているのにこうして別れるという機会が、この仕事ではほとんどないのではないかと思う。監視官になるということは将来の厚生省のポストを狙って、という場合も多いし、色相が濁りやすいとはいえ、仮にそうなったとしても緊急セラピーを受けて復帰するのが普通だろう。
志恩さんに抱き着かれ、髪を撫でられたりすりすりされたりしながら、私は思う。
――シビュラシステム、及び公安局局長の奴隷になどなってたまるか、と。