運命を糸に託せば
紅い痕
「あのさ、あかりちゃん」
縢くんが珍しく困ったように笑った。素直に疑問に思い、首をかしげて「どうしたの?」と問う。
「ここ、首のとこ。見えてるよ」
自身の首の、ある一箇所を指さして何かを訴えようとしてくる。言われたところを指でなぞるが特に何もなさそうなので、鏡を取り出して見てみる――すると、赤い痣のようなものが目に留まった。
「それ、ギノさんにやられたわけ? もうちょっと見えないとこに付けてもらった方がいいんじゃなーい?」
呆れ返った様子で縢くんは言う。
心当たりなら、ある。こんなところに残すなんて、普段の彼なら考えられないから、きっと昨夜のアレだろう……。
「……伸元、昨日怒ってたからなあ」
「え、なになに、あかりちゃん何かやらかしちゃった感じ?」
「うーん、なんかね、ヤキモチ妬いたみたい」
興味津々と言わんばかりに身を乗り出して訊いてくる縢くんに、そう返事をする。実際、彼は嫉妬したのだ。それも、狡噛さんに。
「ちょっと狡噛さんとふたりきりで話をしてたら、これだよ。そんなこと言ったら、私だって逆にそういう場面いっぱい見てきたし、仕事だし、どうしようもないと思うんだけどなあ」
「はははっ、それはその相手がコウちゃんだからだよ」
「……やっぱり?」
うんうん、と頷く彼は楽しそうに話を聞いている。
「ギノさんとコウちゃんは付き合い長いし、なんだかんだ仲良いし、だからこそだと思うんだよね。だってこうやって俺と話してても何も無いんでしょ?」
「……たしかに、ないかも」
「で、俺、興味あるんだけどさあ。ギノさんが一体どんなふうに、そういうことするのか」
「へっ」
***
事の発端は、捜査の件で狡噛さんと話した延長線上に、ギノとはどんなふうに暮らしてるんだ? と訊かれたことだった。
私もつい、真剣に答えて、伸元のことを浮かべているうちに笑顔になって、たしかに傍から見たら仲睦まじく話しているように見えたかもしれない。それをたまたま入ってきた伸元が見て、わかりやすく嫉妬した……という訳だ。
その場ではまだよかった。ちょっと怒らせちゃったかな、というくらいだった。――のだが、帰宅して間もなく「そういえば」と思い出したかのように切り出し始めて、説教をくらうかと思えば、何故かそういう雰囲気になっていたのだ。
「……それ、まだ怒ってたんだ?」
「当たり前だ」
そのひとことが更に彼に火をつけてしまったらしく、座っていたはずのソファにそのまま押し倒された挙句、キスをすると同時に舌を捩じ込まれる。彼らしくもない冷静さをかいたその行動に、伸元の頬を両手で包んで「待った」をすると、更に眉間に皺が刻まれた。
「本当になにもないって。狡噛さんにはあなたとのことを訊かれただけ。……私が好きなのは伸元だけなのに」
「信じてくれてないんだ?」と拗ねたようにわざとらしく言ってみせると、それはそれで「そんなわけがあるか」と怒ってしまった。
「……おまえがいけないんだ」
そう言ってまたくちびるを押し付けたあと、次いで耳に舌を這わす。初めての感覚にぞくりと震えて、無意識にからだに力が入る。くすぐったくてぎゅっと目を瞑って耐えているうち、ソファについていたはずの彼の手がゆっくりと動き出して、私のシャツのボタンを丁寧に外していく。やがて舌が耳から首筋に移動したそのとき、吸いつかれ――ちくりと痛みが走って、それは付けられたのだ。
「……伸元、」
すっと気配が遠のいたので目を開けると、劣情に耐えるような顔の伸元が私を見下ろしていて、胸の奥がぎゅっと苦しくなった。そんな表情をされたら、嫌だって言えなくなってしまう。
――そもそも、彼をこんなにも突き動かす感情は嫉妬≠セけなのだろうか。
しばらく見つめ合って、そんな彼を受け容れる意味で、私は腕を伸ばして伸元の首に回した。
「……するなら、ちゃんとしてよ。でも、やさしくしてよね」
「……馬鹿か。当たり前だ」
伸元は一度身を起こし、寝室から避妊具を持ってくるなり、乱暴にテーブルに置く。
再び私の上に覆いかぶさり、甘く深く重なるくちびると、今度こそちゃんと頬や髪を撫でる手のひら。それに応えるように私も目を瞑って、このキスに酔いしれる。無我夢中になって、みるみるうちにからだが熱くなって、無意識に脚を擦り合わせていたらしい。一旦キスをやめた彼が、スカートをめくって丁寧にストッキングを脱がしはじめる。そしてスカートはそのまま、ストッキングだけ床に放り投げると、太腿を伝って彼の指はそこへ侵入した。
「もう、濡れているのか?」
「……うるさい。……伸元相手だから、しょうがないでしょ」
「……おれも大概だな」
彼は苦笑をこぼすなり、ショーツの上からわざと一点を弄った。脚を閉じようとすれば彼の長い腕と脚に阻まれて、キスの合間に無意識に漏れる声が我慢できない。
やがてそれだけで一度達してしまうと、さんざん濡れそぼったショーツがゆっくりと脱がされる。
「……伸元のばか」
「うるさい」
お互い様だ。
先ほどはだけさせられたシャツの隙間から彼は手を差し込み、背中へ回すとブラジャーのホックを外した。脱がされるのかと思いきや、そのまま下着だけをずらして、露わになった胸をやさしく手のひらで包み込むように揉み始める。時折舌で、敏感になった先端のそれを転がしながら、もう片方の手は覆うものが何も無い、愛液が溢れ始めたそこを刺激し始める。上と下と、両方から絶え間なく与えられる甘い刺激にからだをよじる。背筋を撫でるあまりの快感に腰を浮かせ、彼にしがみついてしまえば、「我慢はするなよ」耳元でそう囁く低い声がした。
「はぁ、……あ、んっ、やだっ、ずるいっ、」
指で中を掻き回されておかしくなってしまいそうだった。ただでさえ長い彼の指は、かなりの奥まで刺激を伝えにくる。そこは、たまらなく、きもちいい。
ときどき眼鏡のフレームが当たって痛かったので、眼鏡を外してとお願いした。素直に謝りながら外してくれた伸元にありがとうと言ってから、隙を見てその胸元に垂れ下がる黒いネクタイを緩めて、するりと解いた。
「……伸元も脱いでよ」
至近距離で伝えると、彼の頬はまた赤く染まる。
少し躊躇っていたように見えたので、強制的にシャツのボタンに手をかけ、その白い胸板を露わにしてやった。これでお互い様だ。
「ふふ、好き」
「……なんだ、急に」
「ね、好きって言ってほしいな」
「はあ?」
「なら、好きじゃないのにこんなことするの?」
「……っ」
密着して、ゼロ距離で交わす言葉。彼の心臓の音が伝わって、伝染して私の鼓動もはやくなる。胸の奥がふわふわとして、ふと幸せだなあと思う。
なかなか口を開かない彼の、紅潮したままの頬にキスを落とす。そして仕返しをするかのように、かぷりと首筋に噛み付いた。そのままくちびるを這わせ、舌を出して鎖骨をなぞり、うっすらと汗をかく肌を撫でるように往復する。
小さく喘ぐ彼を見るのがたまらなく好きだ。可愛くて仕方がなかった。こちらがベルトに手をかけたところでやっとスラックスを脱いでくれたので、「ね、嫉妬したんでしょ?」とわざと言ってみた。
「……ああ、そうだ。悪いか」
「ううん、ちっとも悪くなんかない」
「おれは、」
「ん?」
彼は言葉を紡ぐより先に、避妊具を開封して装着し、はち切れそうな自身のそれをゆっくりと私の中へ押し入れる。十分濡れそぼったそこはもうなにも抵抗することは無く、すんなりと奥まで彼を受け入れてしまった。密着して熱くて、擦れたところがきもちいい。
「ん、ふぅ、」
再び抱きしめ合って、確かめる。ああ、しあわせだ、と。
横目で彼を盗み見ると、目を瞑って、頬を染めて、苦悶の表情を浮かべていた。そして吐息とともに吐き出す。
「好きだ、」
「ん」
「……ずっと、離れるな。あかりだけは絶対に」
「……離れるわけない。私だって、んっ、」
言葉を伝え終わる前にくちびるを塞がれ、とうとう彼が腰を動かし始める。艶かしい音が耳朶を揺さぶる。このまま感覚が狂って、バラバラになってしまうのではないか――それくらい熱くて、どうしようもなくきもちいい。
彼にしがみつく。言い表しようのない快感に、涙がこぼれる。声を抑えることもきかない。これ以上は、もう――。
***
「……すまなかった」
へとへとになってソファから動けなくなった私に、彼はぽつり言った。その手は、汗で張りついた前髪を指で梳かしつつ、頬を撫でてくれる。
「平気。伸元がこんなに求めてくれるなんて、逆に嬉しいくらい」
「なっ、何を言って……」
「だってさ、いつも、理性が勝ってるでしょ? ここまで貪欲に私を求めてくれたこと、なかったような気がして」
「……それは」
気まずそうに目元を手で隠して、最後に彼は苦笑した。
「大切だから、できるだけ傷つけたくなかったんだ」
***
なるべく直接的な表現を用いないよう注意しながら、聞きたいと強請る縢くんに、出来る限り間接的にこの出来事を話した。
聞きながらニヤニヤが止まらない様子の縢くんに、「もういいでしょー?」と言ってみせる。
「へーえ、すっげえ面白かった! ギノさんもちゃんと男なんだなあ〜」
「でもこんな見えるところに付けなくても……」
「マーキングでしょ、マーキング! 俺のモノー! ってシルシ。あかりちゃんもギノさんに付けたりしないわけ?」
おどけて言う縢くんの言葉に、私はそれをふと思い出す。
「……そういえば、付けた」
「ほぉらやっぱり」
無我夢中だったとはいえ、気にしていなかった。
鏡を見たら、本人は気がつくであろう。そして無論、周りの人も。
「……怒られるかも」
顔から笑みが消えた私を見て、縢くんも真顔になる。そして、「今日、ギノさんって……」の次に続くであろう言葉は、私の発したひとこと、「第二当直だよ……」である。
ふたりして血の気が引いたそのとき、オフィスの自動ドアが開いた。入ってきたのは――宜野座伸元である。
思わず縢くんと顔を見合わせた。「ギノさんおつかれさまーっす」と縢くんが何も知らないというような素振りで言う。
「交代だ、あかり」
いつもどおり表情を変えずに彼は自分のデスクに着く。そのとき私は気づいてしまった、彼の、髪の隙間から覗く赤い痣に。
ああ、昨日のやつだ……と途方に暮れる。縢くんもそれを見つけたらしく、「やばいんじゃねえの?」と耳打ちする。しかし私は思ったのだ。同じ痣は私の首筋にもあるのだから、お互い様なのだということに。
だから私は、潔く諦めて、伸元の方に向き直り、そして思い切って口を開いた。
「ねえ、これ、」
自身のそれを指でなぞると、彼の視線はそこへ注がれた。一瞬で眉間に皺が寄り、顔を赤くして、「ちょっと待て」と目を逸らす。そして更に追い討ちをかけるように、私の右手は彼のそれもなぞってみせる。
「……お互いさまだから、怒るのはナシにしてね」
そう言うと、深い深い溜息を吐いて、宜野座さんは項垂れてしまった。
「……まさか」
「昨日の、じゃない?」
私のそのひとことに、彼は一度顔を上げると、まだ赤いままの顔を見せて、それから「縢!」と声を張り上げた。
「……おまえ、何も見なかったことにしろ」
苦し紛れのその言葉に、私と縢くんは再び顔を見合わせる。
「今度報告書を免除してくれたら考えまーす」
そしてそう、縢くんは悪戯に笑った。