※帝国にはスーツがないという設定(石黒版寄り?)
「初めて着るから、なんだか緊張してしまうな」
そう呟きながらミュラーは、グレーのスーツに袖を通した。中のシャツは普段着ているものと変わらないのですんなりと着れたはいいが、問題はネクタイだった。
銀河帝国においては、ネクタイなど付ける習慣がない。自由惑星同盟の人民はスーツは日常的に着るものなので皆着方も知っているし、ネクタイを結ぶのも常識の範疇だった。しかし此処、帝国では何しろスーツというものを着る文化がないので、資料を見ながらか、もしくは同盟の人に訊きながら着るしかなかった。
「ネクタイの結び方……あったあった!」
端末で調べると、いくつも結び方が出てくる。こんなに種類があるということ自体、帝国の人は知らない。
「一般的にはこの、"ブレーンノット"という結び方が多いみたい」
「なら、無難そうだしそれにしよう」
ミュラーに端末を持っていてもらいながら、私は彼のネクタイを結ぶ。首の後ろにネクタイを回して、手前で回して、ぐるっと通して……慣れないそれに手こずる私に、彼はやさしく笑う。
「ゆっくりでいいよ」
「うん、ありがとう。がんばる」
背の高いミュラーの首の後ろに手を伸ばす行為が、なんだか抱きしめるように思えて、ドキドキしてしまう。
胸の前でネクタイと格闘している私を見つめる彼と不意に目が合って、思わず笑い合う。
「……スーツ、似合います」
「……ありがとう。なまえに言われると、とても嬉しい」
頬をほんのり赤く染めてミュラーは恥ずかしそうに呟く。きゅっと一文字に結ばれたくちびるが愛おしくなったが、我慢、と視線を目の前のネクタイに戻す。
そして何度かの格闘の末、端末に映る写真と同じようなものが出来た。
「出来たよ、ナイトハルト!」
「ありがとう!完璧だ!」
よし、と真剣な顔になるミュラーを見つめ、やっぱりキスしておけばよかった、と後悔する。じきに彼は地上車に乗って出掛けてしまう。とあるパーティに招かれているそうで、それで、珍しく軍服ではなくスーツを着ることになったのだから。
「気をつけてね」
「ああ。アンネをひとりにしておくのも心配だから、タイミングを見て帰ってくるよ」
「うん、待ってる」
そう言うと、ミュラーの動きが止まって、私の瞳を捉えて離さない。腕が伸びてきて髪を撫でて、頬をなぞってぐっと顔を寄せる。
目を閉じる瞬間、その彼の目の色が美しくて、好きで、無意識に彼に腕を伸ばしていた。
「……どうした?」
一度キスをしたあと、ミュラーは小さく言った。
「ううん、好きだなあって、さ。いってらっしゃい」
「……私も好きだ。とても。……では、行ってくるよ」
腕を離してもう一度くちびるを重ねたあと、彼はそのまま髪にもキスを落として、そしてまた頭をぽん、ぽんとしてから扉を開けた。
「お気をつけて」
彼は微笑みながら頷いて、そしてゆっくりと扉を閉めた。