「サンキュー硝子。純に伝えとく」

秋田観光を満喫し(五条だけが)、日が落ちた頃にホテルに戻ると家入から五条の携帯に連絡が入った。電話をしている間目の前で自分の悪口を念仏のように唱えている純の右手には缶ビールが握られていて、完全に未成年の飲酒を黙認しながらも五条はどこか楽しそうに「じゃね〜」と言って通話を終わらせた。
ちなみに彼女の飲酒癖は今に始まったことではない。
家入の喫煙と似たようなものだ。

『硝子先輩なんて?』
「上のジジイ共が騒いでるってさ。勝手に滞在延ばしたから」
『秋田観光のせいですね』
「へへへっ。俺ら同罪よ?」
『開き直りますよ。どうせ私も目付けられてるし』
「俺はお前のそうゆうとこも気に入ってんだよね〜」

つまらなさそうな表情を浮かべながら3本目のビールのフタを開けると、飲み過ぎじゃない?と珍しくまともな発言が五条の口から飛び出した。酔っているところは見たことがないが、今日はどこかペースが早く、純の頬もほんのりと赤くなっているのが分かる。誘ってんのか?と内心呟きながら「あとね…」と家入からの伝言を伝えるべく口を開くと、純の表情がわずかに歪んだ。

「純の一級昇級の件、取り消しになった」
『………は?』

予想していなかった五条の言葉に、純の目が大きく見開かれた。

「多分、いや、つーか確実に嫌がらせだよ」
『な、なんで…?理由はっ…』
「今回の"一級呪霊討伐失敗"」
『…特級だったんですけど…』
「特級だったね〜。しかも事前に等級引き上げの連絡も無かったし」
『特級相当を一級だって、上は言い張ってるんですか?』
「そ」
『なんでそんな…』
「遠回しな俺への嫌がらせ。圧力かけて黙らせたいんだろ」
『それって私……とばっちり受けてません?』
「ん〜〜まあ、お前の上への態度にも問題あんじゃね?」
『…(9割五条先輩と上のバチバチに巻き込まれてる気がする)』

家入からこの内容を聞いた瞬間に思ったのは、紛れもない上層部への不信感と殺意だ。摩擦のある自分に対する直接的な仕打ちなら兎も角として、今回の昇級取り消しはこちら側(五条悟側)につけばこうなるのだという、純を見せしめにした抑圧と周りの術師たちへの警告。最悪純が死んでいたとしても、上は責任など取らないだろう。ここに来る前忠告はしたのに、あの老いぼれ共解ってねぇな…と内心呟くと、五条はパッと表情を切り替えて笑みを浮かべた。

「お前は一級呪霊なら難なく祓えるし、昨日は無意識下で反転術式を会得して見せた。おまけに最近領域にまで達しかけてる。術師としてのポテンシャルは十二分。確実に二級止まりのレベルじゃない」
『………』
「だから、今回の昇級取り消しは流石に反対意見も上がるだろ」
『…だといいんですけど…。でも負けたのは確かだしなぁ』

はぁ…と複雑な心情が入り混じったような溜息をついてビールを一口流し込む。ベッドから降りた純は前髪をかき上げながら窓に近づき秋田の静かな街を見下ろす。東京にはない本物の静寂というやつがそこにはあって、都会育ちの純にとっては少しばかり寂しく見えた。

『五条先輩』
「あ?」
『…私こう見えても、かなり負けず嫌いなんですよ』
「知ってる」

窓ガラスに映る表情を歪めた自分自身を見つめながら、純は何て情けないのだろうと下唇を噛み締める。お酒のせいなのか、いつもなら平然と受け止められる自分の弱さがどうにも受け入れることができない。…悔しくて悔しくて仕方がなくて、溢れそうになる涙を必死に堪えるもその反動で声が震えた。

『だから今、…めちゃくちゃ悔しいですっ』
「術師やってればそうゆうこともあんだろ」
『わかってます!わかってるけど弱い自分に腹が立つし、上のやり方はムカつくし、五条先輩うざいしっ…日々の嫌がらせ耐えて頑張ってるのに悔しいんですよ!』
「えー、俺お前には優しいじゃん」
『どこがっ!?』
「つーかなに、酔ってんの?」
『酔ってない…!たまには後輩の憂いを聞いて下さいよ』
「…いや、酔ってんだろ。めんどくせぇな」
『だって昇級取り消されたんですよぉおっ…!?』

冷静に語り出したかと思えば次の瞬間には感情的に思いの丈を吐き出す純。『五条先輩には弱い者の気持ちなんて分からないですよ!アホ!変態!馬鹿サングラス!』と次から次へと罵りながら振り返った彼女の瞳からはすでに涙が溢れていて、高専での生活に相当鬱憤が溜まっているようだ。五条はあーだこーだと騒ぎ散らす純の言葉を受け流しながらやれやれと呆れた表情で立ち上がり、窓際に歩み寄ると純の手から缶ビールを取り上げた。

「お前のことは掛け合ってやるから、もう泣くな」
『ぐす…っ…。…え、昇級の件ですか?』
「そ。あんな嫌がらせ間に受けんなよ」
『……』
「心配しなくても何とかするから、純は今まで通り頑張れ」
『………五条先輩っ…』

取り上げた缶ビールを机の上にそっと置き、純を宥めるような声色でそう言った五条が初めてまともな先輩に見えた。

「だから、自暴自棄んなって自主退学とかつまんねぇこと考えるなよ?」
『…ズズッ……はい…』

服の袖で何度も涙を拭っている純が五条の問いかけに大きく頷く。決して良い人とは言えない彼のことだから、本音はきっと都合の良い後輩パシリを手放したくないとか自分勝手な理由があるに違いないが、今はそれでも「頑張れ」という言葉が純にとっては何よりの励ましになっていた。

「純」
『……??』
「俺のそばにいるのはいろいろしんどいと思うけどさ」
『………』
「気張ってよ」
『………』
「お前はちゃんと、手の届くとこにいて」

ほんの僅かに下唇を噛み、純に背を向けてそう言った五条。後ろ髪を掻き、「酔った女ってめんどくせ〜」といつも通りの彼らしい発言をしながらベッドに戻ろうとしたその時だった。

「………?」

軽い衝撃と共にやってきた温もりが、五条の背中に優しく寄り添い筋肉質だが細身な体を背後からギュッと抱き締めたのは。

「純?…どうした?」
『…五条先輩っ…』
「ん?」
『…私、頑張りますっ…』
「………」
『頑張って、先輩のそばに居られるように強くなりますっ』
「………」
『だからっ、私、今回は期待に応えられなかったけど…置いてかないで下さいっ…ぐすっ…』
「………」
『…ホントは五条先輩と、ずっと一緒にいたいです…』

そう言って再び泣き始めた純が五条の背中に顔を埋める。普段の彼女からは想像もつかないような衝撃的な言葉にフリーズしてしまったが、はっと我に返った時には心臓がとくんとくんと高鳴っていた。

「…あのさ、それはマジで反則…」


*pointed in black-憂鬱
(理性なんてクソ喰らえだ)



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