ーミシガン州の首都、デトロイト

「悪かったね邪魔しちゃって」
「別に」
「純とはどう?仲良くやってる?」
「万事順調問題ない」
「フフッ。いいね、羨ましくなるよ」

高二の夏、死に際に聞こえた"一人にしないで。"という純の一言に、呪われた。
純より弱い人間は、純を残して先に死ぬ。その度に泣いて悔やんで自分をすり減らして病んでいく純の姿をあの世から見守るなんてことは死んでも御免だ。子供みたいに大泣きしながら僕の死を受け入れようとしない純の姿が酷く哀れで、ああ…他の誰でもない、僕が隣にいてやらないと駄目だと、心底そう思った。
救いようのない両親をはじめ…いろんな奴らが純の想いに応えたフリして死んでいく。自分は死なないと戯言を吐いて、勝手な自我を託して死んでいく奴らは理解してない。よかれと思って吐いた言葉が、純を縛る呪いになっていることを。

「この街に住んでた頃の純って、どんなでした?」

シカゴから、二時間弱のフライトを終えてたどり着いたデトロイト。体の自由を奪うような重々しい呪力を全身で感じながら、廃ビルの屋上に立つ五条の瞳が社会的秩序の崩壊した街を映す。瓦礫の山を漁る痩せ細った老人に、薬物に溺れ虚空を見つめる青年たち。売春、強姦、盗みに殺人。まるでフィクションのようなあらゆる醜悪が、ここには存在していた。

「ちゃんと壊れてたよ」

五条の問いかけに、九十九が冷静に返事を返す。

「人を憎んで、恨んで呪って傷つけて、自分を守ってた」
「殺されかけたんでしょ?」
「ははっ。そういえばそうだったね」

まるで楽しい思い出に触れた時のような笑顔を浮かべた九十九が、当時のことを穏やかに語る。廃ビルが並ぶ街の片隅…呪いの知識も真っ当な生き方を歩む術も皆無だが、呪術師としての才能には恵まれていた、この世の全てを憎んだ目をした幼い少女。それが橘華純だった。

「純との出会いは運命でもなんでもない、ただの偶然。たまたま立ち寄った街の飲み屋で聞いた妙な噂話しの真相が、純だったというだけのことでね。特別だとは今でも思ってないよ」
「…………」
「…でも君はそうは思わなかった。…だろ?」

クイズの回答を明確に答えるような口調でそう言った九十九に対し、五条はある一点を見つめたままわずかに口角を上げた。

「まあ、僕にしか見えないモノがあったからね」
「へぇ。それって何か教えてもらえるの?」
「ナイショ♪」

楽し気に笑い、長い人差し指を口元に添える。

「ははっ。妬けちゃうね」
「でもここへ来て、改めさせられた」
「ん?」

いつ特級呪霊が出現してもおかしくはない人間の醜悪さを、風情のない月明かりが照らし出す。生ぬるい風が五条と九十九の間を通り抜け、二人の髪を緩やかに揺らした。

「僕が知ってる橘華純は、あんたが救ったあとだったんだなって」

どこか面白くなさそうにそう言った五条がため息混じりに立ち上がり、意識を眼前の廃屋にいる純へと向ける。

「あの子にとっては、君の影響のほうが大きいよ。五条君」
「そりゃあ純の一番の理解者だからね」
「言うね」
「強い奴の気持ちは、強い奴にしか解らないって話し」

特級呪術師である九十九さえも超越する強さを持つ五条の言葉には、反論の余地などない。まるでたどり着けない高みから見下ろされているような感覚に、不快さはなく逆に新鮮さすら感じた。

「異国で生まれたしがない呪術師が、今や五条悟の婚約者だもんね。…あ、元婚約者と言うべきかな?」
「………」
「指輪、壊しちゃったんでしょ?」
「……女ってなんでそうゆうことすぐバラすわけ?」

シリアスな雰囲気を壊す九十九の一言に、五条の表情が一気に歪む。

「婚約破棄の理由って君の性格の悪さが原因?」
「………」
「やっぱ御三家よりナイスガイな同期がよかったかな…」
「あ"?」
「私が恋愛指導してあげようか?君より年上だし」
「いや要らねーよ」

左から右足に重心を移し替え、興ざめしたと言わんばかりにビルの際まで歩みを進める五条。その子供っぽい一面にくすりと笑って、九十九が片手を腰に添えた。

「純が言ってたよ」
「?」
「他人の愛し方と愛され方は、五条君が教えてくれたって」

空中に片足を踏み出した五条が、九十九の言葉に笑みを浮かべる。色濃く鮮明に残り続けている純との日々が、その存在が、どこか乾いた心を揺り動かし、強者の孤独を埋めてくれた。愛ほど歪んだ呪いはないと生徒に説いておきながら、この先純を手放すつもりは毛頭ない。

「知ってるよ。僕も純に教えてもらったから」

強大な呪いになり得るほどの深い愛を抱えた最強の呪術師が、振り向くことなくそう言い残し次の瞬間には姿を消した。

「…私もお役御免かな」

まるで成長した我が子を離れた場所から見守る母親にでもなったかのように、九十九が嬉しそうに、でもどこか寂しそうに、そう小さく呟いた。



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