『七海、灰原のお墓参り行こう』
「ええ…。そうですね」


あの夏は、忙しかった。
決して歩みを止めてくれない時間の中で、友人の死と向き合いながら日々呪いと対峙しなければならないのは、正直正気の沙汰ではなかった。世間から取り残されたような自身の感情に苛まれ、その間に広がった黒くて深い溝のようなものに、何度も足を取られては沈みそうになった。

「純、大丈夫ですか?」
『え、なにが?』
「目、腫れてますよ。あと隈も」
『……あはは…。やっぱ隠せてないか』


過ごした時間は短いけれど、純にとっても灰原の存在は大きかったのだと、この時初めて理解した。今在るものよりも失ったものに強い意識を向けてしまうのは、人間の本能というやつなのか、それでもあの頃完全に自分自身というものを失わなかったのは、純の存在が大きかったのだと今でも思う。

『灰原ね、入学初日にすぐ話しかけてくれて』
「ええ」
『その日の放課後にファミレス行ったの。覚えてる?』
「もちろん。持ち時間10分の強制自己紹介タイムは地獄でしたが、それ以上に年齢制限のあるお子様ランチを灰原が真面目に注文した時は、正直かなり引いたのを覚えています」
『あはははっ。あれは笑ったなあ』


灰原が死んでしまったという悲しい事実を、腫れ物を触るように扱うのではなく、あえて積極的に関わろうとする純のその前向きな価値観に幾度となく救われた。寮生活だった彼女の部屋に飾られた三人の写真の前には、灰原が好んで飲んでいたコーラと、好物だったお米で握られたおにぎりが置かれていた。
そして高専を卒業し一人暮らしを始めたマンションの一室。日当たりのいい窓際に置かれた棚の上には、笑顔で映る写真と乾くことのない真新しいおにぎりが常に置かれている。

『灰原のこと、今でも大好き』


彼のお墓参りは、今でも欠かさず二人で行く。
月日を重ね、当時の思い出を語ると同時に話すのは、今灰原が生きていたらという空想。
唯一、この気持ちを分かち合うことができる相手。
純にはずっと、ずっとずっと想いを寄せている。
多分、今も…。消しきれない想いが小さな火種となって心の奥底で灯り続けている。

「ふぅ…」

任務の報告を終えて今日は定時であがれそうだと夕日に染まった空を見上げる。今頃純は、アメリカに渡った五条と再会している頃だろうと小さなため息を吐いた。変わることのない身勝手な自由さにまた振り回されていなければいいのだが…と、同期の身を案じたその瞬間。

「七海」

気怠さを感じさせる聞き慣れた声に呼び止められ振り向くと、少し離れた距離でも分かる、目の下に隈を浮かべた家入硝子がタバコを片手に歩み寄ってくるところだった。

「家入さん。お疲れ様です」
「お疲れ。純の穴埋めに駆り出されてるって?」
「…まあ、そんなところです」

ため息を吐くような声で相槌を打つ七海。

「煙草、やめたんじゃなかったんですか?」
「可愛い後半が心配になってね」
「…伊地知君も胃に穴が開きそうだとか」
「どいつもこいつも純がいないだけでこのザマさ」

"私も含めてね。"と、呆れたように吐き出された白い煙が七海とは別の方向に流れていく。たった一人の存在が一時的とはいえ欠けたことで、こんなにも大きな波紋が生まれるとは呪術界のいく末に些か不安を覚える。

「七海さ、初めから知ってたんでしょ?」
「なんのことですか?」
「純の居場所」
「………」

前置きのない家入の問いかけに、表情を変えず七海が曖昧な反応を示す。

「やっぱり。五条キレてたよ」
「知ってます。直接嫌味を言われましたから」

七海建人は五条とは違い、自身の立ち振る舞いがどんな結果になるのかを、予測しないで行動するほど軽率な男では決してない。今回もきっと、純に協力すれば五条の反感を買うことになると分かったうえでの行動だったのだろうと、白衣のポケットから携帯灰皿を取り出し短くなった吸い殻をしまう家入。
自分も七海と同じ立場なら、きっと同じことをしただろう。
しかし…。

「今回さ…」
「?」
「どうせ五条に非があるんだろうけど…二人で秘密を持つのは駄目だ。特に純と七海はね」

浅いため息を吐いて、昔の記憶を見つめるかのように虚空に視線を向ける。過去を知る家入の言わんとしていることが少しばかり、本当にわずかにだが七海を苛立たせた。乱れた感情を気取られまいと、平静さを装う。

「…ただの同期の誼みです」
「だとしても、あいつはガキだからそう思えないんだよ」
「…………」
「純のことばっか見てきたから、余計にね」

自他共に認めるあの性格の悪さ故なのか、自業自得だろうと思う場面は幾度も見てきた。あの五条悟が一人の女に誠実になる姿なんて、とてもじゃないが想像できない。きっとどこかで純が泣き目を見る日が来る。そう思いながら、二人の関係を見守ってきた。五条の中にある純への想いが、誰にも理解できないほど特別なものになっているとは知らずに。

「掘り返すつもりはないけどさ…」
「………」
「あいつ、七海の想いも背負って純といるんだよ」
「………」
「そこは汲んでやって。不愉快かもしれないけど」

七海を好きだった純。
純への気持ちに背を向けた七海。
灰原が死んで、大切な純まで失いたくなくて、

「七海には守れないでしょ。純のこと」

絶対的な存在に全てを委ねて、身を引いた。
五条であれば守れる命も、自分の手からはすり抜け消えてしまうから。万人を救えないならせめて、純には生きていてほしい。その確率を1%でも上げられるのであれば、芽生えてしまった想いに蓋をするのは簡単だった。

「一つだけ、訂正しますが…」
「?」
「五条さんが私の想いを背負っているというのは違います」
「え?」

新しい煙草に火を付けようとした家入の動きがピタリと止まる。

「むしろ邪魔だと、そう思っていますよ」
「そうゆう感情が死後呪いになって、純の足枷になるから?」
「ええ…」
「…ま、あの二人はどちらかというと見届ける側だしね」

ライターの火が煙草の先端を炙ると、白く細い線の煙がゆっくりと揺らぐ。

「でもさ…」
「はい?」
「七海の想いくらい、あの子の枷になってもいいんじゃない?」
「……は?」
「少なくとも純は、そう思ってると思うよ」

感情を消したような瞳を伏せた家入の艶っぽい声色が、二人の間に流れる空間にしっとりと馴染んでいく。

「…全く…。呪術師というのは…」

何故だか不思議と、死んだ灰原が家入の意見に笑顔で賛同しているような気がして、七海は覇気のない笑みを薄らと浮かべた。



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