『兵長、そろそろ会議終わるかな』

リヴァイ班であるクロエの一日は、まず朝一の掃除から始まる。普段から使用する執務室の床、机、椅子、ソファ、窓、棚といったあらゆる場所を、薄埃すら残さないよう徹底的に磨き上げるのだ。入隊当初はやり方がなってないと何度も何度もドヤされていたが、今ではリヴァイが信頼をおくほどの上達ぶりをみせているクロエの清掃技術。
今日もリヴァイがくる前に一仕事終え、使った道具を片付けるために備品室までの通路を歩いていると…。

「クロエ!!」
『……ん?』

一人の兵士に呼び止められた。

「よかった!お前を探してたんだっ」
『私をですか?』

慌てたようすで駆け寄ってきたその兵士は、ディータ・ネス班長の部下であるルーク・シスだった。これまで関わる機会もなく話しをしたことはなかったが、彼のことは覚えていた。乗馬訓練の時、ネスの愛馬であるシャレットに頭をかじられそうになるのを何度も見かけていたからだ。

「これっ、リヴァイ兵長に渡しておいてくれ」
『え…?兵長に?』

息を切らしたシスから手渡されたのは、分厚い茶封筒。

『これは?』
「前回の壁外調査で行方不明及び死亡した馬の報告書、及び育成申請書だ」
『な、なるほど…』
「お前が兵長と仲直りしてくれてホンットよかった!」
『…え?仲直り?』
「じゃ、頼んだぞクロエ!」
『あ、ちょっ…!シスさん!?』

"仲直り"というワードに違和感を覚え、シスを引き止めようと声をかけるも本人も雑務に追われているのか走り去って行ってしまう。まあ仕方ないかとすぐに諦め備品室への道を歩み始めるクロエ。書類整理もここ最近は手伝えていなかったなと反省し、この封筒分は自分が処理しようと思いながら角を曲がったその瞬間…。

「クロエ!」
『…え?』

再び名前を呼ばれて立ち止まる。

「よかったぁ…!あなたを探してたのっ」

今度は見知らぬ女兵士が駆け寄ってきて、安堵したかのようにまとめられた分厚い書類の束を手渡してきた。

『あ、あの…これは?』
「前回の壁外調査の備品の紛失及び発注申請書よ」
『え……』
「リヴァイ兵長に渡してほしいの!」
『わ、分かりました…。とりあえず掃除用具を片してきてからでいいですかっ?両手が塞がってて…』
「ああ!それなら私が代わりに片付けておくから!」

申し訳なさそうにしているクロエの手から掃除用具を半ば強引に奪い、かわりに書類の束を押し付けてくる女兵士。

「はぁ…。あなたと兵長が仲直りしてくれて本当によかったわ」
『えっ?』
「じゃあねクロエ!その書類、よろしくね!」
『あのっ、ちょっと…!?』

執務室に戻るまでの間、あと数十回このやり取りを繰り返すことになるのを、この時のクロエは知る由もなかった。



『おっ……重いっ…』

進む先がかろうじて見える高さまで積み上げられた大量の書類を、リヴァイよりも小柄なクロエが運んでいる。なぜこんなにも膨大な量の書類を今の今まで直接リヴァイに提出しなかったんだと絶望しながらも、執務室への道のりを一歩一歩着実に進めていく。この書類を誤って落としてしまった日には、確実に命がなくなると自分自身に言い聞かせて。

「お〜い。クロエ…」
『もう書類は無理です!リヴァイ兵長に直接…!』

手渡してください!と、この数十分のうちに起きたデジャブを断ち切るかのように叫ぼうとしたその瞬間、背後からひょこっと顔を覗かせてきたのは両手の空いたハンジだった。驚きと心配の両方が入り混じったような表情でクロエを見つめ、すかさず手を伸ばしてくれる。

『ハンジさんいいところに!助けてくださいっ』
「すごい量の書類だねっ。これ全部リヴァイに?」
『はいっ…落としたら間違いなく削がれますっ』
「それは大変だ。いいよ、半分持ってあげる」

優しいハンジに感極まりながらお礼を伝え、この大量の書類を運ぶにいたった経緯を説明するクロエ。それを聞いたハンジは朝の幹部会議では随分と機嫌の良さそうだったリヴァイを思い出し、一人納得したように笑みを深めた。

「リヴァイの奴ここ数週間いつも以上に機嫌悪かったから、みんな近づけなかったんだね」
『…そ、そんなにですか?』
「クロエはある意味彼と私たちの関係を円滑にする潤滑油みたいなもんだから。いないと困るってわけさ」
『…私が?』
「そうだよ。君の大切な役目だ」

弾むような声でそう言ったハンジに対し、自分がそんな大役を担えるのかと表情を歪めるクロエ。

『でも私…兵長に迷惑かけてばっかりで…』
「人に迷惑かけずに生きてる奴は一人もいないよ。だから気にすることはない。君がいてくれて助かってる連中のほうが多いんだからさ」
『…ハンジさん』
「けど、リヴァイのことはもう殴っちゃ駄目だよ」

抱えている不安を優しく払拭してくれるような笑顔に励まされ、本当にいい人だ!とクロエがハンジに羨望の眼差しを向ける。仲間の死を通して己と向き合い、これからも前進し続けると決意を新たにしたその瞳は以前にも増して輝いていた。

『ハンジさんと話してると元気が出ますっ』
「私でよければいつでも話し相手なるからね」
『はい!(優しいなあハンジさんっ)』
「むしろ…」
『なんですか?』
「今すぐにでも私の班に来てくれて構わないよ!そしたらみんなで巨人について深く語り合えるしね!奇行種と遭遇した君の貴重な意見も聞きたいしっ。ああっと…でもまずはエルヴィンに巨人捕獲計画の許可を貰おう!危険な任務になるがこれを成功させればっ…」
「オイ、メガネ」
『「…!!!」』

ハンジの言葉を遮るようにして聞こえてきた低い声に、二人の歩みがピタリと止まる。コツコツと落ち着いた足取りで歩み寄ってくる人物の気配をはっきりと感じながらハンジが小さく舌打ちをして振り返ると、そこにはいつもと何ら変わりない仏頂面を浮かべたリヴァイがいた。

「人の部下を勧誘するな。何処ぞの宗教家かテメェは」
『あ、兵長!』
「残念ながら、私は壁を崇拝する気は微塵もないよ」
「黙れ。モブリットが必死こいて探してたぞ」

執務室とは真逆の方向を指差してそう言ったリヴァイに、ハンジがニヤリと口角を上げる。

「じゃあはい。これ代わりに運んで」
「オイ…なんだこれは」
「リヴァイ宛の確認書類。ね、クロエ」
『は、はいっ。前回の壁外調査で行方不明及び死亡した馬の報告書、及び育成申請書と備品の紛失及び発注申請書、あとは…』
「解ったもういい」
「かわいい部下が元気になってよかったね、リヴァイ」

どこか含みのある口調でそう言ったハンジを睨みつけ、書類の束を受け取ったリヴァイ。余計なことは言うなと念を押したつもりだったが、反論してこないことに気をよくしたのかハンジのメガネがキラリと光った。

「クロエがいなくて寂しがってたもんね」
『えっ?』
「おい、命が惜しけりゃ三秒以内にオレの視界から消えろ」
「またまた〜、事実だろ?部下想いな兵士長さん♪」
「黙れ。あと一秒で削ぐぞ」
「ププーッ。見てよクロエ!本気で照れてるっ」
「…時間切れだクソメガネ」

頬を赤くして含み笑いを浮かべたハンジからは、無邪気な悪意が滲んでいる。そんなハンジに対し両手に持つ書類の束を放り投げ、今にも掴みかかっていきそうなリヴァイを苦笑いで見つめるクロエ。

「クロエ以外が淹れた紅茶は飲まなかったくせにっ」
「当然のことだ。どこの誰がどんな風に用意したかも分からねぇ得体の知れない紅茶が飲めるか。普通に考えて汚ねぇだろうが」
「私は飲むよ?」
「お前と一緒にすんじゃねぇ」
「大体君さっ、クロエがいない間ずーっと…」
『兵長っ』
「あ?なんだ」

ハンジの言葉を遮って、ズンッと一歩近づいてきたクロエ。口をへの字に曲げて泣くのを我慢しているような表情を視界に収めると、リヴァイは実に迷惑そうに眉をひそめた。

『私も兵長に要らないって言われて寂しかったです…』
「え、なんかいいなっ。私も言われたい!」
「黙れ変態メガネ。早く失せろ」
『でも兵長も寂しいって思ってくれてたならっ…』
「思ってねぇよ。自惚れるな」
『(ガーーンッ)』

勢いよく叩き落とされたコバエのように意気消沈するクロエ。しゅん…と分かりやすく肩を落とし、下唇を噛み締める。

「本来二人で捌くべき仕事を全てオレ一人で片付けていたんだぞ。傍迷惑な話しだろうが」
『……はい。おっしゃる通りで…』
「分かったなら行くぞ。今日中にこの書類を片す」
『今日中!?徹夜になりますよ!?』
「あぁ?だからなんだ。問題でもあるのか?」
『いえ!ないです!全力でやります!』
「そうしろ」

背筋を伸ばしてリヴァイの威圧感の前に敗北したクロエ。ハンジに笑顔を向け頭を下げると、歩き出したリヴァイの後についていく。見たかった光景がようやく目の前に戻ってきてくれたと、ハンジは瞳を細めて穏やかに微笑んだ。

「よかったね、リヴァイ」


そして明日へ。
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