夜。
夕食を済ませ、軽い運動をしてから見張りをするため壁上へ上がった。寝静まった夜の街に背を向けて、月明かりに照らされた大地を眺めるクロエ。変わり映えのない景色を視界に映しながらも、思い起こされるのはやはりオリヴィアたちの最後の瞬間。時間にして一瞬だった出来事が、まるでスローモーションのように鮮明に再生されていく。
悲鳴、表情、音、臭い、救いをもとめる最期の言葉。
体から噴き出す血のしぶきまで…。
まだ自分がそこにいるかのような、そんな感覚に苛まれる。
『…オリヴィアさん、ヘイズさん、ドニーさん…』
静寂にすら吸い込まれてしまいそうなほど小さく囁いてみた三人の名前に、目の奥が熱くなり抱えていた膝に顔を埋めた。
「自分の力を信じても、信頼にたる仲間の選択を信じても…。結果は誰にも分からない」
不意に、リヴァイの言葉を思い出す。
人類最強と呼ばれるほどの絶対的な力を有していても、守れない命はいくらでもある。力があるからこそ守りたいと願うのに、いとも簡単に多くの命がその手からすり抜けていってしまうのは…自分が感じている悲しみの何十倍…いや、何千倍辛く、悲しいことかもしれない。そんな簡単なことにさえ気づかずリヴァイに当たり散らしてしまった自分を情けなく思いながら、クロエが"兵長に謝らなきゃ…。"とゆっくりと顔を上げた、その時だった…。
「なら土下座でもしてもらおうか、クロエよ」
低く、妙に威圧感のある声が背後から聞こえたのは。
『リ、リヴァイ兵長…!?!?』
その声に慌てて立ち上がり、勢いよく振り返る。
クロエの見開かれた瞳には映るリヴァイは心底不機嫌な表情を浮かべていて、緊張と驚きから心臓が痛いほど脈打ち始めた。表情を引きつらせ不自然な動きで敬礼する部下を前に、リヴァイはなにも言わずに壁際へ移動し座り込んだ。
『あ、あのっ、兵長っ…ひ、昼間は本当にっ…』
「クロエ」
『はいっ!!!』
名前を呼ばれ返事をすると、見事に声が裏返る。
「座れ」
『は、はいっ!!!』
隣に座ったクロエを横目に"かけてろ。"と、持参したブランケットを投げつける。防寒具が必要な季節ではまだないが、夜風は少し冷たくて、リヴァイの意外すぎる気遣いに目の奥が再び熱くなった。
『ありがとうございます!兵長は寒くなっ…』
「お前、今日は見張り番じゃねぇだろ」
クロエの言葉を叩き落とすように遮って、立てた片膝に腕を乗せながら問いかける。
『…えっと…その…』
「なんだ。はっきり言え」
『こ、ここ最近あまり寝つけなくて…それで…』
「………」
『それであの…星空を観ると気分が少し晴れるので』
「オレを殴ったくらいじゃ憂さ晴らしにもならねぇと?」
その一言とむけられた鋭い視線に、クロエの顔から血の気が引いていく。まるで肉食動物を前にした小動物のようにガタガタと身を震わせて、全力で額を地につけ謝罪(土下座)をした。
『本当にすみませんでした兵長ーーっ!!!!』
「でけぇ声を出すんじゃねぇよ。巨人が起きちまうだろうが」
『…すみません…』
囁くような声で謝る部下を前に、呆れるように鼻先で笑ったリヴァイ。クロエから視線を移し夜空を見上げると、無数の星々が失った仲間の数だけ輝いているように思えた。
「昼よりは、見れる面になったな」
クロエを案じていた緊張感のようなものが、リヴァイの中で緩やかに解けていく。
「明日から訓練を再開するが、足の具合はどうだ」
『…もう大丈夫です。動けます』
「そうか。…それで、覚悟のほうはできたのか?」
『………』
「オレがここへ来たのは、その答えを聞くためだ」
問われた覚悟とは、仲間の命を背負い、それを糧とし前進し続けることができるのか…というものだ。クロエの答え次第では、次の壁外調査までに除隊、もしくは生存率の上がる後方部隊への異動申請をエルヴィンに打診するつもりでいるリヴァイ。それとは真逆の結果を求めている本心を胸の奥にしまい込み、兵士長として一人の新兵と向き合う。
『私は…』
真意を見抜かんとしているリヴァイの切れ長の瞳を真っ直ぐ見つめ、クロエは意を決したように口を開く。
『私は、仲間の死を嘆くだけの兵士になるつもりはありません』
エルヴィンと話したあとで、今一度自分に問いただした。
自分とは何者で、一体何ができるのか。
犠牲になった仲間の死を、どう未来へ繋げていけばいいのか。
何のために、戦いたいのかを。
そして出た答えが…、
『私はこれからも、リヴァイ班の一員として戦い続けます』
まだ出ぬ答えを得るために、戦い続けるという答えだった。
『だから兵長っ…』
「それで、悔いはねぇんだな?」
『…はい!自分のした決断に、もう後悔はしません』
その答えに、リヴァイの口元が弧を描く。
「悪くねぇ返事だ。いいだろう」
『…!』
「ここ数週間の怠惰は仕事で返せ。分かったか?」
『はい!明日は朝から執務室を掃除ます!』
「ならもう寝ろ。消灯時間はとっくに過ぎているからな」
『了解しました!』
ブランケットを丁寧にたたみリヴァイに差し出すと、洗って返せと予想どおりの返事が返ってきた。いつもと変わらないそのやり取りに、数週間満足に会話すらできていなかったんだなと痛感する。一度深々と頭を下げて立ち上がり、背を向け街側へと歩みを進めると、その足取りが意外にも軽いことに自分自身で驚いた。
『ではリヴァイ兵長。おやすみなさ…』
「クロエ」
『あ、はいっ…なんでしょうか?』
立体起動装置に伸ばしかけた手を止めて、振り向くことなく自分の名を呼んだリヴァイの小さな背中を見つめる。
「前回の壁外調査…条件は最悪だった」
視界を遮る止まない雨に、奇行種との遭遇。
誰がどう見ても巨人優勢の環境下。
イザベルとファーランを失った、あの日のことを否が応でも思い出す。
『……はい』
「オリヴィア、ドニー、ヘイズ…。命を落とした兵士はあいつらだけじゃないが、あの時のオレの決断で、新兵のお前には重荷を背負わせたな」
『…そんな…そんなことっ…』
「すまなかった、クロエ」
はっきりとした口調でそう言ったリヴァイの言葉に、ロイヤルブルーの瞳が大きく揺れる。月明かりに照らされた涙の膜が、一瞬弱々しい輝きを放つ。
「それと…」
『…っ…?』
「生きていてくれて、ありがとうな」
『…!!!』
「お前を選んだ選択は、正しかったようだ」
両頬を伝う涙と、胸の奥底から込み上げてくる表しようのない感情。いろいろな思いが複雑に混ざり合い、気づいた時にはかけ出しリヴァイの背中に抱きついていた。
「!?」
ドンッという衝撃と共に少しばかり前のめりになる体。
ここが壁上ということを忘れているのか、クロエの予想外の行動にリヴァイの表情が大きく歪んだ。
「…オイッ!何しやがる!危ねぇだろ!」
『兵長ぉぉぉ〜〜っ』
「ベタベタ触るな!」
『私っ、これからも…兵長についていきますっ!』
「人の話しを聞け!顔を擦り付けるんじゃねぇよっ」
大粒の涙を流しながら、ズーッと盛大に鼻水をすすったクロエにゾッと身を震わせるリヴァイ。腹部に回された手を解こうとするが、泣いている部下を邪険に扱うのもなんだか気が引けて、自分でもどうかしてると思いながら深いため息を吐き抵抗を止めた。
『…うわぁぁぁんっ』
「ああ……最悪だ……汚ねぇ…」
『兵長のっ……ひくっ…兵長のっ…』
「あ?」
『リヴァイ兵長を、守れるくらいっ…私、強くなりますっ』
「………」
『兵長が背負ってるみんなの命をっ…一緒に、背負っていけるくらい…、私強くなりますからっ…!』
また大きく出たものだと思いながらも、クロエの嘘偽りのない言葉にリヴァイは呆れたように、だがどこか嬉しそうに微笑し夜空に輝く星を見上げた。
「ああ。…期待しないで待っててやるよ」
命を背負って
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