#02
「芹、あなた彼氏ができたの?」
「……できてない」
お母さんの意味不明な問いかけに夢現なまま言葉を返してはみたものの、人並みに朝が弱い私の脳は言葉を噛み砕くのに時間がかかる。
お母さんは一体何を言っているのだろう。自分で言うのも残念だが私は生来彼氏ができた事が無い。
そんな事、よく知っているはずなのに。
「あらそう、じゃあお友達かしら。何にしてもお迎えに来てくれてるから、早く起きなさいね」
「んー……」
お友達? 生憎、淡々と流れるままに日々を過ごしてきた私には友達と呼べる友達はいない。E組に友達がいないのは最近話題に上がった気がするけど、E組どころか小学校の友達ですらも疎遠になってしまっている。
そんな私を迎えに来る男の子の友達? もしかして、あさ「おはよ、若葉さん」
「ん、え、あ、…………え?」
私の思考を遮ったもの。それは。
「どうして、赤羽君が、私の部屋に、」
慌てて私の上から落ちかかっていた布団を頭の上まで引き上げる。
普段遅刻ばかりのいかにも朝が弱そうな赤羽君が、どうしてこんな朝早くからすっきりした顔を私に向けているのかわからない。……いやいや、そうじゃなくて、どうして赤羽君が私の部屋に。
「あれ、言ったじゃん。今日からスタートだって」
もしかして昨日言ってたわたしを笑わせる話? 確かに今日かららしいけど、私を笑わせる事と朝早くから私の家に来る事に脈絡は無いでしょう。
「そんな事よりさ、どうしてそんな布団深く被ってるの?」
頭まですっぽり布団を覆いきった私を見て、赤羽君が不思議そうに言う。
「……今すぐ部屋から出て」
「え〜折角迎えに来てあげたのにひどいなぁ」
「お願い、っすぐ用意するから」
何と言っても今の私は寝起きそのもの。パジャマ姿でボサボサの髪、それに代謝がとても悪いから顔もよく浮腫んでいる。どう考えても赤羽君の視界に映せたものじゃない。
「わかったよ。あーあ、折角可愛い若葉さんの寝起きが見れると思ったのに」
そう言葉を残して赤羽君は私の部屋から出て行った。赤羽君は本当に私を笑わせたいのだろうか。私を照れさせたいのではなくて?
流石に目も覚めて、制服に着替えて髪を整える。今更だけど、部屋が散らかっていなくて本当に良かったと思う。
部屋からリビングに向かう道中の洗面所で、顔を冷水で冷やして浮腫を抑える。大丈夫、漫画みたいに昨日より可愛いわけじゃないけど、昨日より不細工なわけでもない。
リビングの扉を開けて視線を回すと、ダイニングテーブルでお母さんと談笑する赤羽君の姿があった。
「あれ、今日は三つ編みなんだ」
たまたまなのか手馴れているのか、赤羽君の早い指摘が入る。
「折角早く起きたし。……変、かな」
普段下ろしっぱなしの私が髪の毛を結んだ理由なんて、赤羽君の視界に映る私を少しでも印象に残したいから。別に毎日隣の席だけど、いつもと違う日をさらにいつもと違う日にしたい。まぁ寝癖を直す余裕がなかったっていうのもあるんだけど。
「いや? 全然。めっちゃ可愛いよ」
さらっと裏表の無いような調子で褒めてくれるのはもう私を殺しにかかってるんじゃないか。
長年のポーカーフェイスで顔は赤くならなかったけど、冷静な風を装ってるけど、心臓は早鐘を叩いて叩いて胸をぶち破ろうとしている。
「芹、時間あるし朝ご飯いる?」
私は別に特段朝が弱すぎるわけではないけれど、本校舎に通っていた頃の習慣がなかなか抜けず、あまり余裕の無い状態で家を出ている日が多い。だから、3年生になってからは朝食を欠かす事も少なくはない。
「でも、赤羽君が……」
待たせては申し訳ないという気持ちが募り、そこでふと、『朝早くから私の家に来てリビングで寛ぐ赤羽君』の存在を受け入れてしまっている自分に驚く。
「そんなの気にしないでいいって。俺が早く来すぎただけだし、一緒に朝ご飯食べようよ」
お母さんがキッチンへ行き、意識からフェードアウトされる。私の目の前には赤羽君。
「赤羽君……今日も食べてないの?」
「今日も?」
「ほら、あの……停学明けの日。先生にたこ焼きプレゼントされてた日」
あれは今思い出しても美味しそうだった。記憶の中で、隣の席から薫る香ばしい焼きたての匂いと温度が未だに私の鼻を擽る。
コンコンと、お母さんの包丁が心地いいリズムを刻む音が聞こえる。
「ああ、よく覚えてるね。若葉さん、話しかけても素っ気ないし、俺の事なんか気にしてないかと思ってた」
「……流石に隣の席だし、先生のあれは衝撃的だよ」
そりゃそうか、と赤羽君が少し目を細めて笑う。
嘘、本当は違う。それはただの言い訳。
確かに先生が触手ドリルとミサイルの火力で作ったたこ焼きの件は、クラスみんなが覚えているだろう。
だけど、私はE組に落ちてからずっとあの日を待っていたのだから。
今だって赤羽君の反則的な笑った顔に胸をばくばく言わせているのに。
「お待たせ、カルマ君。少なかったら言ってね」
そうやって運ばれてきたフレンチトーストを赤羽君と向かい合って黙々と食べた。いつの間に名前で呼ぶほど親しくなったのか。私が部屋で慌てていた時だろうか。
お母さんは専業主婦のくせして家庭的とは程遠い。掃除洗濯洗い物は全てお父さんと私で分担して行っている。
そんな中で料理は、あちらこちらで抜けているお母さんの唯一の取り柄だ。朝ご飯はたまに抜くけれど、晩ご飯を食べに我が家に帰りたい、と新婚の旦那さん張りの思考をするほどにお母さんの料理は絶品だ。
なのに。私は今日のお母さんの特製フレンチトーストに、ただただ砂糖の味しか感じなかった。
赤羽君は、とても美味しい、と驚いたような顔で絶賛しているから、今日もお母さんの料理の腕は確かなのだろう。
口の中で、甘く喉を焦がす砂糖と無添加の卵の甘みが調和をなさずに混ざり合う。厚みのある何かを噛み切って上下の歯が剃り合う感覚がする。原型を失った塊が、喉を通り胸を通りお腹の辺りを巡っていく。
停学明けの、あの日。
──隣の席、若葉さんか。よろしくね。
──……どうも。
赤羽君が知る事は無いけど、素っ気なく見えたかもしれないけど。私はやっと赤羽君に会えて脳内お花畑だったんだから。
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