#03
聞き慣れない軽い調子の敬語で朝早く押しかけた謝罪と朝食へのお礼を告げた赤羽君に、お母さんが言った。
「家に一人でいる事多いんでしょう? 連絡とか気にしなくていいから、またいつでも食べに来てね」
「だって? 明日も迎えに来るね」
赤羽君が私に意地悪な笑顔を向けている。……かっこいいけど、かっこいいけど!
いってきます、と、お邪魔しました。それぞれに声を上げていつもより少し早く家を出た。
いつもの私の通学路と、イレギュラーな赤い髪。
「別に、わざわざ家まで来る必要無いんじゃ……」
「若葉さんのポーカーフェイスが鉄壁だから不意を突きたかったんだけど」
「私、表情筋が硬いだけで、すぐ態度に出るほうだよ」
「そうみたいだね」
今日すごい驚いてたっぽいし。そう言って笑う赤羽君こそ、いつも同じ顔だと思うけど。
「でもさすがに二日も続けば驚かない」
「もう迎えに来るなって?」
「そういう事だね」
「わかった、俺の気が向いた時だけにするよ」
「……やっぱり言っても無駄かぁ。私が寝てる時に部屋に入るのはもうやめてよね」
ええ〜、と不満を訴える声が聞こえるけど、基本が優しい赤羽君は、本気で嫌そうな私の主張は受け入れてくれるのだろう。彼の気が向く頻度は心配だけど。
他愛ない話をしながら山道を登って見慣れた木造校舎に着くと、教室の扉の前で赤羽君は私から離れていって仲のいい潮田君と楽しげに雑談を始めた。
その後彼が話しかけてくる事は無かったので、私もいつもと同じように一人で黙々と過ごした。
……赤羽君を変に意識してしまって、彼の横顔を盗み見る事すらできなかった事だけが、私のいつも通りじゃなかったところ。
昼休み、ずっと座りっぱなしだった重い腰を上げる。クラスの空気が暗い。今日は月に一度の全校集会だから、本校舎まで赴かないといけないのだ。
待ち受ける、本校舎の生徒からの見下すような視線。かつての級友や仲の良かった友人の豹変した態度。教師達からの差別的なE組いじり。椚ヶ丘のシステムが、私達を影へと追いやる。
急いでお母さんが用意しておいてくれたお弁当を食べ終えて辺りを見渡すと、クラスメイトが友達と連れ添って愚痴を駄弁りながら教室を出て行くのが目に入った。私も遅れないように後に続いて山を降りなければならない。
ふと、4時間目が終わると同時に空席になった隣の席に目をやった。赤羽君、彼と長く話したのは今日が初めてだった。一方的に眺めていた期間は長いけれど、彼が私を認識しているだなんて思いもしなかった。彼が復学した日に私の名前を呼んだのには驚いたものだ。
「若葉さん。行かないの?」
私の背後から、脳内でプレイバックされていたのと寸分違わない声がした。
「……赤羽君」
「ねぇ、一緒に集会サボろうよ」
あっけらかんとかけられたその言葉に、私は一瞬思考を停止させる。
「だめ、だよ。サボるなんて」
どぎまぎしながら当たり障りの無い台詞を吐いて、赤羽君の射抜くような目から視線を外した。
「……ふーん、じゃあ行ってらっしゃい」
「えっ」
「何、思ったより構ってもらえてなくて寂しい?」
「……意外と聞き分けがいいんだなって思っただけだよ」
私の本心にはしっかり気づいているだろう赤羽君は、少し口角を上げながら私の下げた視線としっかり目を合わせた後、また教室から出て行った。サボると言っていたからには校舎裏か裏山あたりにでも行くのだろう。
私の視界から消えていった赤色を追いかけたくなった。そんな勇気は無いけれど。
三学期の途中から今日までの二ヶ月ほど私と疎遠になっていた本校舎は、少し雰囲気が違って見えた。去年は何も思わなかったのに、校舎全体が少しの拒絶を孕んでいるように感じる。
中庭を抜けて体育館へ向かう途中、知った顔が目に入った。E組になる以前から他人に興味が無い私でも、よく覚えている整った顔。
向こうもこちらに気がついたようで、私の方に向きを変えて近づいて来る。
「久しぶりだね」
「……久しぶり、浅野君」
「どうだ、本校舎にいた頃との扱いの違いにA組が恋しくなったんじゃないか?」
「残念ながら、全く」
「君がまさか自分からE組に落ちるような真似をするとはね」
「わざとなんて、ひどい言いがかりだね」
「期末テストさえ受けていれば君は今年もA組だっただろう」
「受けていてもE組落ちだよ、きっと」
だってそれなら私は白紙で出しただろうから。あえてトンチンカンな答えで埋めたかもしれないし。
「……クラスメイトだった頃からずっと、君が何を考えているのかわからない」
私だって、賢いあなたの考えている事なんて一つもわからないよ。
「あっ、若葉さん! そろそろ列に並ばないと、」
「! 倉橋さん……」
体育館にまだ揃っていない私を迎えに来てくれたみたいだ。
倉橋さんは言葉の途中で私と話していたのが浅野君だと気がついたみたいで、私の方に走ってきていた足を少し離れたところで止めてしまった。私と浅野君を交互に見ている。
浅野君から顔を背けて倉橋さんに近づく。でも何か言い足りない気がして、もう一度、彼の方へ顔を向けた。
「……浅野君、かっこいいよね」
「は?」
「勉強も運動もなんでもできて、人望だってあってすごいと思う」
「当たり前だろう。いきなり何を言い出すんだ」
「でも私、もっとかっこいい人を知ってるの」
まだ話を続けたそうな浅野君に気がつかないふりをして、はっと目を覚ました倉橋さんと体育館を目指した。浅野君の突き刺すような視線を背中にひしひしと感じたけど無視を貫いた。
「……生徒会長と仲いいの?」
本校舎からの帰り道、一人で歩いていた私に寄ってきた倉橋さんが、少し躊躇ったようにそう聞いた。
「悪くはない、かな」
「『かっこいいよね』、ってやつは? ストレートでびっくりしちゃった」
「……浅野君の顔、整ってると思って」
「顔の話!? 完全に内面の流れだったよ……?」
「内面もすごいと思うけど、顔がかっこいいと思う」
「うーん、確かにかっこいいけど……」
倉橋さんがなんとも言えない表情で私を見てくる。私は何かおかしな事を言ったのだろうか。
「若葉さん、意外と面食いなのか〜」
「そうかな」
「烏間先生とかどう思う?」
「あの目がかっこいいよね。体育の授業が楽しくなっちゃう」
「だよね!!!」
倉橋さんは人懐っこくて、とても話しやすい。思いの外話が弾んで、気がつけばもう旧校舎の目前だった。
「ねぇ最後に言ってた“もっとかっこいい人”って……」
「あれ、若葉さん。倉橋さんと喋ってんじゃん」
倉橋さんの声を遮ったのは一時間ぶりの赤羽君だった。彼が意外そうに私を見ている。
「話しかけてもらって……」
「へぇ〜、集会どうだった?」
「殺せんせーが来てたよ」
「国家機密が全校生徒の前に出ていいのかなぁ」
「さぁ……」
赤羽君が倉橋さんの方を見てにやりと笑った。
「若葉さん、友達がほしいみたいだから仲良くしてあげてよ」
「えっ、ちょっと、」
「クールな人かと思ってたけど、若葉さん面白いよね〜! これからも話しかけちゃお!」
倉橋さんが可愛く笑った。少し嬉しくなっている私がいて、慣れない気持ちにもやもやする。
「で、なんの話してたの?」
「生徒会長がかっこいいね〜って話!」
「……その話、若葉さんと弾むの?」
「最初に若葉さんが言い出したんだよ」
赤羽君が、じとーっとした目で私を見る。
「な、なに……」
「やっぱり俺も付いていけばよかったかなーって」
それだけ言って赤羽君は校舎の中に入っていってしまった。
浅野君もよくわからないけど、彼もよくわからない。倉橋さんの方を見ると、彼女がニヤニヤとした笑みを浮かべて私を見ていた。
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