「ええい!この間抜け!ドジ!この私を!なんだと!心得るのだ!!」

 ぎゃうぎゃうと子猫……犬?四足歩行の獣に翼を付けたような生き物が鳴く。耳には獣の鳴き声が聞こえてくるのに、私には彼の言葉が理解できていた。
 まだ成長途中だとでも言いたげなその体躯は小さいが、猫科の大型動物のような足は太い。尾は触らなくてももふもふとしていることがわかる。
 青い色の毛並みは雄々しく、その顔も狼に近かった。けれどその背中から生えているのは、私と同じ、真っ白い蝋のような艶めきのある、けれど確かにふんわりとした翼。感情豊かなその姿は何とも言えぬ愛らしさがある。
 よしよしと翼の間を掻くように背中を撫でてやれば、鼻の上の皺を溶かして満足そうに眼を細めた。

「ふふん、そこそこ……ってちがぁう!!なまえ!お前ぇ……!」
「そう怒らないでアン。今日の宿が無くなっちゃっただけじゃない」
「だけ?だけだと? 私は今日の風呂を楽しみにしていたのだぞ!この!私が!!」
「ごめんなさい、でも……」
「でーもーじゃーなーいー! なぜ金をあんな人間にやってしまったのだ!」
「あげたんじゃないわ。その……落としてしまったの」
「この間抜けー!!そんな!ことで!私が!誤魔化されるとでも!?」

 腕の中で暴れる彼を宥めようとするがどうにも止まらない。確かに最近、樹の上もしくは海の上での生活が長かったからなぁ。多少毛がパサついてしまっている。彼の小言を聞き流しつつ毛並みを撫でてやれば少しは落ち着くだろうか。

 街が一望出来る丘の上の更に大きな樹の上に私たちは座っていた。活気あふれる表通りから、人相の悪い男たちが歩く裏通りまでザッと見渡せるこの場所は、すでに夕闇によって暗くなり始めている。
 被っていたフードを下ろし軽く頭を振る。頭の後ろで結んでいた紐を解いてやれば、今まで顔を隠していた面がするりと落ちた。それをアンに当たる前にキャッチして、一つ息を吐く。

「ふぅ……」
「むぐぐぐ、ため息をつきたいのは私のほうだぞ」

 未だ今日の戦果の使い道に納得していないだろうアンは、器用にもその場で宙を舞い鼻先を私に向けた。私より小さいが、この羽の使い方は同じ。羽を使って飛んでいるというよりは、羽があるからその場に浮けると言ったほうが正しい。

 その羽を使って、私とアンはいわゆる”運び屋”業を終えたところだった。
 ちょっと怪しい人から荷物を受け取り、とっても怪しい人に渡して、金銭を貰う。こういった謝礼金の使い道は何故かアンが管理している――気になっている――ので、今日私が教会へ寄付してきたことに怒り心頭なのだろう。

 街の喧騒から離れた丘の上でアンを抱きしめる。鼻を埋めると、土埃と潮風の匂いがした。

「うん。いつも迷惑かけてごめんね、アン。愛してるわ」
「むぎゅっ……あ、愛しているだと? この私を? ふ、ふふん、良い心がけじゃあないか。いいか、次は無いからな!」
「気を付けるね」

 そうしろ!と言って、アンは私の膝で丸くなり、あくびを一つ。太い枝に腰掛ける私の上で器用に身体を丸めると鼻先を人のお腹にくっつけた。彼が落ちない様に手で支え、私も幹にもたれ掛かって海を見る。
 日が、落ちる。
 海岸線から伸びる夕陽は赤く、海に溶ける瞬間、仄かに白く輝いた。

 それをじっと見つめ、いつの間にか詰めていた呼吸を吐き出す。

「……帰りたい」

 細く細く、息を吐いて、そしてゆっくり目を閉じた。
 私は今日、十五歳になる。

*


 白い双翼に黒の修道服。髪の毛をベールで隠して、青い毛並みの翼ある獣を引き連れている。天使の姿はとてもよく目立った。何より目立つのはその瞳だ。双翼を差し置いて主張するその目は、暗闇を詰め込んでなお暗く、けれどこの夜闇に浮かび上がるような威圧感がある。

 手にバスケットを持って軽やかな足取りで街を歩く女を追うのは賊が数名。
 のどかな街の表通りを歩いていればいいものの、女はわざわざ裏路地を使っているのだ。あんなに目立つ双翼をそのままに歩く修道女を、人攫いどもが放って置くはずもない。
 そしてそれは、彼女自身も理解していた。
 
「……グゥ ぎゃうぎゃう」
「ありがとうアン」

 獣の声に返事をして、なまえはその場で足を止める。行き止まりだ。路地は袋小路になっていて、わざとらしくキョロリと当たりを見回せば後ろから声。

「そこなシスター……もしや道に迷われたのでは?」
「よろしければ俺達が案内してやるぜェ」
「ハハハ、話通り上玉じゃねェか?いい値で……おっと、げへへへ」

 振り返る。四人の男が道を塞いでいた。彼らはニコニコと笑顔を振りまいているが、その手にあるのは使い古されているのであろう刃物だ。最初から誘拐する気であったのだろう彼らがなまえに声をかけたのは単なるお遊びのようだった。間抜けな修道女の怯える顔を見てやろう。それだけ。
 だが、そんなお遊びが後悔に変わると知れば。男たちは決してなまえに声をかけよう等とは思わなかっただろう。

「あ……」

 振り返った修道女の顔には面が一つ。柄もなく、表情も無い真っ白な面が彼女の顔を覆っていた。視界用に開かれた二つの穴の奥には、闇よりも暗い黒が二つ、光も無いのにきらりと光る。

「教会の、お金を盗ったのは貴方達ですか」

 面の横に浮いている獣が鋭く吠えた。修道女はドサリとバスケットをその場に落とすと、その両手をそっと組む。その姿に男たちは詰めていた息を吐く。なんだ、やはり修道女。その面はどうにも不気味であるが、女が何かを出来るとは到底思えない。
 少しでも女に怯えを感じたことを恥じるように、そしてそれを無かったことにしようと一人の男が近づく。片手にはナイフを持ち、自分を鼓舞するように怒鳴りつけようとした。

 けれど、なまえが口を開くほうが早い。

「神よ。我が怒りを捧げます」

 気が付けば、天地がひっくり返っている。違う。自分が倒れたのだ。急な出来事に声を出そうにも、男の喉はかすかに空気を揺らしただけで音にならない。
 次にやってきたのは熱だ。徐々に増える熱の痛みは末端から中心へと向かっている。身体の先端から、火に焙られているのだ。目には見えない炎が確かに自分たちを焼いている!悲鳴を上げているのにヒューヒューと掠れた息しか漏れない。

 痛い、熱い、身体を内側から焼く熱が、中心にーー心臓に達したらどうなってしまうのか。
 意識はこんなにもハッキリしているのに、身体はどうやっても動かない。熱と共に恐怖が湧き上がりズボンが濡れた。

 女物の編み上げブーツが視界に入る。コツン、コツンと足音を立てて近づくそれが妙に恐ろしい。ひらりと白い羽が落ちて、男の身体に触れるだけで激痛が走った。闇に浮かぶ白い面。

 ぎゃうぎゃう!!ぐるるる!!

 獣の鳴き声が路地に響く。そこから男たちの記憶はない。ただ茫然と牢屋の中で目を覚まし、"見逃された"と安堵するよりなかった。



 四人の男はお尋ね者だった。仮面越しに手配書を確認し、海軍基地で金を貰ってからなまえはジロリと相棒を睨む。面は既に外した。アンはその視線を真っ向から返し、ふん、と鼻を鳴らす。

「……騙された」
「間抜けめ。だから安易に信じるなと言っただろう」
「まさか神父様が人を騙すなんて……思わなかったの」

 なまえがわざとらしく路地裏を歩いていたのは、先日寄付を行った教会の神父に声をかけられたからだった。
 なんでも路地裏を縄張りにした海賊に金を盗まれてしまった、申し訳ない。けれどあのお金が無ければ教会の子供を売らなければ次の雪は越せないだろう……とかなんとか。義憤にかられたなまえはそれを信じ、神父に教えられた裏路地へ足を向けたのだ。

 実際は神父と海賊がグルで、稀有な羽を持つなまえを売って金は山分け、そもそもあの教会は子供を売るためにあって、と散々な結果だった。悪徳神父め、神の裁きよあれ。不機嫌を隠さずなまえは顔をしかめた。
 けれどそれも一瞬のこと。ずっしりと重い、金の入った袋を両手で抱え直しまた表情無く街を行く。

「……これも思し召しってことで」
「いい加減船を買うのはどうだ?目的の島まであとどれぐらいあるのか分からんのだ。飛ぶのも疲れるし、船を乗り継ぐと要らん厄介がわくぞ」
「船は勝手についてこないもの。うっかり飛んだらまた探さないといけなくなるよ」
「ぬぅ。 そもそもだなぁ、なまえが島の名前なり国の名前なりを憶えていれば良かった話なのだぞ!そこのところしっかり反省しろぉ!!」
「もう、いつもより沸点低いなぁ。五歳児に無理言わないで。教会から出る事の方が珍しかったんだもの」

 朝焼けに燃える表通りには人っ子一人いない。煙突からパンを焼くいい匂いがして、二人して鼻をひくりと動かした。街が目を覚まし始めたのだろう、家々から少しずつ物音が聞こえてくる。
 街道は平和そのもので、裏通りに住むごろつきや孤児達等存在しないかのようだ。

 路地裏に続く横道へ視線をやる。光の入らない細い路地は朝の遠さを物語っているようで、暗い。
 なまえはマントの裾を払い、フードを深く被りなおすと、いまだに文句の収まらない獣を連れ朝日に向かって空へと駆けた。

前へ | 次へ