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▼2026/04/18:クロマトグラフィー、虹色を総て混ぜれば真っ黒

職場の人員異動で新しい人がもうすぐ入ってくる。私の障害についてはまだ聞いていないらしい。ただ、別店舗で勤務していた時にも障害雇用枠の人が居たらしいので、全く理解が無い人ではないと思う。
今の職場に来てもう少しで一年。初めはまあまあ張り切り過ぎて空回りしがちだったけど、最近は割と力を抜ける場面も増えてきた。接客は変わらず得意だし好き。市内の幾つかの店舗に障害雇用枠の人が居るけど、皆さん私とは違うタイプの店員らしい。元々今の職場の求人では今私がやっているようながっつり接客やレジ業務があるっていう話ではなかった。本来は品出しや店内整備が主な仕事で、接客については一時対応が出来ればそれで良かったらしい。たまたま接客が大好きな私と仕事の内容がカチッと嵌ったから接客も任せられているという。
販売業って接客ばかりをやっていればいいって言うのでもないけど、得意分野を延ばすという会社の方針的に、私には店内に目を配りつつ接客に力を入れてもらいたいって感じみたいだ。商品の情報を覚えるのも、売り場を作るのも好きだ。与えられた指示通りにこなしていれば十分合格だし、明確な指示さえあれば動けるタイプなのも幸いして、大きく調子を崩すことなく此処まで来られた。

それでもまあまあ疲れるし、納品日や品出しの多い日は従業員で口を出た瞬間、安堵のため息が出る。遣り甲斐はあるし、楽しいけどこれが人生のすべてではないって言う感覚だ。前の職場は憧ればかりが先行した結果挫折してしまったから、今くらいの働き方が丁度良いんだろうか。
今の人生のリソースの割き方は趣味が5、家事とかの生活に必要な部分が2、仕事は3くらいの割合だと思ってる。仕事は趣味に使う為のお金を稼ぐ手段だと割り切っている。お金が無いと何もできないって言うほどではないけど、それなりの量なら有って困るものでは決してない。
実は今日4連勤の最終日で、明日は一日予定のある休みだ。予定とは言っても小説を書いて手芸をするって言う、趣味を満喫する日。もし余裕があれば近所の猫カフェに行きたいとも思ってる。最近、猫ちゃん達が寄って来てくれるようになって嬉しいし。

そう言えば話は変わるんだけど、最近物騒な事件の所為もあってか『シングルマザーの再婚』の話題を色々なところで見かける。主にSNSだけど、うちも再婚で新しい父親がやってきたタイプの家族なんだよね。皆が皆ステップファミリーを批判しているわけじゃないし、まともなステップファミリーもあればその逆もある。うちはたまたま、結構奇跡的な確率で巧く行っただけなのかな、と前からよく考えている。
このサイトを立ち上げる前の『斜陽』の頃にはもう今の義父と同居していたんだけど、この同居って私から言いだしたんだよね。初めはお金の為だった。お母さんは離婚した当初『しばらくは男友達を何人か作って遊ぶ事にするわ!』と宣言してたんだけど、男友達じゃなくて彼氏が出来てたと知ったのは割とすぐだった。
会ってみて貰えないかと打診されて『良いよ』と返して、顔を合わせたら割りと良い人っぽかったし経済的にも良さそうだったから、両親の離婚で進路を悩んでいた私から「一緒に暮らして良いよ」と言う事にしてみた。そうしたらとんとん拍子に同居できる物件も見つかって、高校一年生の夏に引っ越した。今考えると私もお母さんも少しぶっ飛び気味の親子だったと思う。多分お母さんも義父と私の関係を心配してただろうし、母方のおばあちゃんからすれば青天の霹靂どころじゃなかったと思う。
今でも同居にゴーサインを出した理由が『経済面で楽になれそうだから』って言う利己主義の極みみたいだったなんて言えてないけど、何となく気取られては居そうな気がする。
引っ越しを終えて私の家に遊びに来た同じくシングルマザー家庭の友達には『嫌じゃないの?気持ち悪くないの?』って訊かれたのを覚えてる。彼女は自分の母親が父親じゃない男の人とお付き合い自体が嫌だったらしい。私はたまたま割り切った関係だから気にしてなかったんだけど、何でだろうね。生理的に受け付けないとかも無かったし。一応思春期真っただ中だったんだけどな。
うちの場合、実父の方がよっぽど私の人生に毒だったのもあるけど。あまり大きな声では言えないタイプの人だったし、もし私が結婚して子供を産むなんてことがあったら、その子供の職業選択の幅が狭まるタイプの人だったから。多分、結婚だけでも反対してくる人は出てきそう。今のところ予定は無いけど、経歴を辿られたら言い訳が出来ない。
そう言うのもあって『あの男よりずっとマシ!』と言い切れる義父と家族になったわけだけど、畢竟これはケースバイケースであって、どの家族にも当て嵌まる正しい答えって無いんじゃないかな。
京都のあの事件の加害者はどんな人だったのか、亡くなった男の子がどういう扱いだったのかは分からない。母親含む他の家族の立ち位置とか込み入った事情とかを知る術はないから、あまりこの話題には近づかないようにしてる。ただ、殺すくらいなら手放せばよかったのにな、とは思う。私みたいになんでもはっきり言えるタイプの人ばかりじゃない。子供のサインを態と見ないフリしていたのかもしれない。でもこれら全部が憶測だ。
偶然うまくいくパターンと、そうでないパターンがあるって思うしかないんだろうね。巻き込まれる方は堪ったもんじゃないんだけどさ。
学生の頃、再婚した母親と苗字が違った時期がある。理由を説明すると皆『聞いちゃいけない事を聞いてしまった』みたいな顔をしてたけど、私にとっては当然の選択だったし、結局社会人になって苗字は揃えた。今は一見すると『普通の家族』なんだと思う。けど結局『普通』ってそう感じるその人自身の中にしかないから、本当にケースバイケースだ。
憶測だけで語る事はしたくない。でも、亡くなったあの子が報われるくらいの何かがあってほしいな、と思った。

▼2026/04/17:彼岸のパレードが咲く、香りも無いのに心には刺さった。

自分にしか分からないと思って綴った文字列の意味が、稀にきっちり通じてしまう人に出逢う事がある。人間の考えている事は本人以外に全容が知られる事は無い筈なのに、うっかり一言二言通じてしまったから総てを解かって貰えると思い込む。
恋は美しい誤解から始まるらしい。と或る人の一面だけを見て『なんて素敵な人だ!』などと想いが芽生えるから早めに摘み取らないといけない。双葉だけならば千切れるけれど、さらに伸びてしまったら最早、刈り取る刃も持てない。

なんて書き出しの小説を考えている。少し前に此処に書いた短歌からイメージを膨らませた小説ね。今のジャンルに来てから新たな取り組みを繰り返してきたけど、苦手だと思っていた短歌を詠む事も出来るようになるとは思わなかったよ。
主要な登場人物全員分の短歌は考えてあるし、次の休みには手をつけよう。三万文字超えは厳しそうだけど、少し長めに書いてみたい。最近は一万五千文字前後の短めの話が多いから、ここらで思い切り情景描写にも力を入れた長編を書いておきたい。
タイトル候補は幾つかある。実ははじめ短歌の文字数を数え間違えてそれに由来するタイトルを仮題にしちゃってた。でもそれもネタにしてみようかと思ってる。やっぱりさ、転んだらタダでは起き上がりたくないじゃない。
こういうのも言葉遊びに入るんだろうか、日本語は面白いね。ダブルミーニングとか寓話とか暗喩とか、知ってる人にしかピンとこない笑いのポイントがあったりしてさ。これも教養かな。

そもそも教養って何なのかな、と最近たまに考える。教養の無い人と話すのはつまらない、と見掛けたのがきっかけなんだけど、そもそも教養には何通りも種類があるというか、ベクトルが違う気がする。本を読まない人や演劇に興味の無い人が決まって教養がないかと訊かれるとそうは限らないじゃない。
前に『フィクションやエンターテインメントの物語が苦手だけど、歴史書や実用書は大好きだしドキュメンタリーじも興味がある』って人と接する機会があったけど、あの人は私とは別のベクトルで教養ある人と感じた。教養って一言で言ってもどの分野なのかは人それぞれだよね。
スポーツとかアイドルとかお笑いにも教養があるとより楽しめる一面があるし、教養が無いと評される人も楽しめる物にして置けばファンの間口は広くなる。楽しむ事自体には教養のあるなしは関係ないと見える物の奥が思いの外深いと、こっちも面白くなってくるしさ。
何でも楽しんだもの勝ちなのかもしれないね。とっつきにくい物とか、たまたまその時肌に合わなかったものが時間の経過とともにフッと馴染む事もある。私にとってはそれが短歌だったわけだけど。
中学くらいから物語を書き始めて、それまで親しんでいた読書のお陰で教養の素が育っていたおかげで今はいろんな話を書き散らしている。ただ、文章を書く事への自信は初めの頃からあったわけじゃない。褒められる事もそんなに無かった。『ただ書きたいから』書き続けていたらいつの間にか評価されるようになってたってだけ。教養もそんな感じじゃないかな。教養の為に情報や知識を身に着けても良いんだろうけど、楽しんでいた方が『馴染み』は良くなると思う。

最近思い出した事があって、高校生の頃に或る古文の先生が苦手だったんだけど、彼女の教え方が今になって理解しやすい物だったと気付いた。何で古文の授業で英語を使うんだろうと不思議だった。でも別の言語(でも意味は理解している言葉)で解説されるとするっと頭に入って来ていた事に気付いたんだよね。
語学の勉強をする時に複数の言語を使って記された本(対訳本だったかな)を使うと勉強が捗る事があるらしいとは知ってたんだけど、彼女がやっていたのは『異国語にも似た嘗ての日本の言葉』と英語を対訳させることに似ていたような気がする。気付くのが大分遅いね。先生、お元気だと良いな。
病気になる前から物を覚える事は得意だったと思うけど、一回脳の情報を記憶する回路が組み替えられたような気がしていて、昔と同じ覚え方は出来なくなったと感じてる。きっと、思い出せないように処理された記憶が多いからだ。
昔からサブカルチャーに近い場所に居る感じは強いんだけど、敢えて流行から逸れた道へ行こうとしていた昔と違って、意識しなくても一般とは味付けの違う物を作る傾向が強くなっちゃった気もする。流行の物も一旦味わってみて自分風に味変しちゃうというべきか。わりと『普通である事』に重きを置きがちな生き方をしてるのにね。
とことん尖って生きようと思っていた学生が、角は取れたけど甘くて柔らかい中に針や釘や毒を仕込んだ物言いをする大人になっちゃったよ。言葉の攻撃力が上がり過ぎそうな時はなるべく柔らかくしようとしてるんだけど、それでも時々急性毒性を持った爆弾を放ってる時がある。せめて火消は自分でやらないとなぁ。
誰にでも使えて幾らでも研ぎ澄ませることができる武器を結構巧く使えちゃうことが怖くもあり、楽しくもあり。どうして目には見えないものの方が大切で強いんだろうね。不思議。

こうやって形を持たせることができるのが『言葉』の面白い所かな。蝶のように舞って、蜂のように刺す。多分、私はスズメバチ程強い毒は持てないけど。

▼2026/04/16:憂鬱を刻んで炒めてみよう、案外塩気が足りないなぁ。

風邪をひいてしまったようだ。結構最近にも罹患した記憶があるけど、あの時と同じ対処をしたら幾らか楽になっている。仕事以外で運動が出来ていないのは仕方ないと思いつつ、筋トレをやらないと身体が疼く気がする。そわそわして落ち着かないから後でストレッチとスクワットだけでもしておこう。

友人が、ブログの記事内で私の事を褒めてくれていた。嬉しい。『努力の人』とは嬉しい称号の一つだ。努力するのは好きだ。自分に価値があるように思えるしね。元々無価値観はあまりないんだけど。
この前職場の面談でも言われたんだけど、私は私のことをよく理解できているらしい。何故今私はこう思ったのか、感じたのか、理由を深堀する癖があるからだと思う。ブログを書くのもノートに記入するのもそれをしたいがためだ。全部を理解するのは難し過ぎる世界の中で、せめて理解しやすい自分だけでもクリアにしておきたい。自分自身を俯瞰視する癖は此処から来ているかもしれない。

努力と言えば、今日もデュオリンゴのデイリーノルマはクリアした。最近だと英語の歌を聴くと脳内で英語のまま理解できるようにもなった。前にも書いたね。勉強した表現が出てくると嬉しくて口遊みそうになる。とは言えスピーキングとライティングはまあまあボロボロなんだけど。でもこの前外国のファンの人からのメッセージを理解して英語で返信できたんだから、それなりに出来る方だと思いたい。
次のボーナスが出たら電子辞書を購入したい。多分7月かな。安いのでいいから英和と和英があればそれで。英検の準備も進めたいし。大人になってから自分の意思で取り組む勉強は楽しい。英語って出来たら格好いい事の一つだしさ。
通っているネイルサロンのネイリストさんが英会話が得意なんだけど、彼女は最近、飛び込みで来店したオーストラリアの女性のネイルを整えて彩りながら英語で会話して接客したらしい。純粋に尊敬。札幌のおすすめ観光スポットやレストランも紹介したらとても喜ばれて『もしオーストラリアに来ることがあったら教えて! うちに泊めてあげるから!』と言われたそうだ。
私が普段英語を使う場面は基本的に地下鉄駅での乗り換えやデパートで出逢った人を道案内する時と、ロリータを着ている時に『写真を撮りたい!』といわれる事が大半を占めている。でもその何倍も日本の方に道を訊かれるんだけどね。見た目はあまり親しみやすくなさそうだと思うのに、何でか知らない人から道を訊かれたり服装を褒められる(基本ロリータの時)。

話は変わるけど、今現在職場が大分大変な事になっている。人員が本当に足りない。何でこんなに忙しいんだと思うくらい毎日忙しい。暇よりはいいんだろうけど。売り上げも予算はクリアしてるからまあまあ良いんだろうけど、小売業っていつでも人が足りない気がする。人の生き方や暮らし方、働き方は現在進行形で多様になって来てるんだろうね。でも長時間働けない人(私含め)が多いから、遅くまで働ける人が割を食らってるのはどうなんだろうか。
実は明日職場の新しい上長と面談が組まれてるんだけど、さっき私の症状やこれまでにしてきてもらった合理的配慮何かをまとめた資料を印刷してきた。前の上長の時も同じようにしたらよかったのかもしれない。私の病気って十人いたら十通りの症状があるから調べるのも大変なのに。

理解してほしいなら、理解しやすい形で伝えるのが大切なんだよな。自分の事以外でもさ。きちんと伝えないと分かるものも分からなくなるんだから。
でもこの前下の記事で書いた事が当たっていた場合、病名や薬に変化はあるんだろうか。抑うつ症状が改善されてしまったら、今の薬の抗うつ剤は強すぎたりするのかもしれない。勿論当たらない可能性もあるけど。
個人的に、薬は必要であればきっちり用法容量を守って服用したいタイプだ。不要なのであればなるべく飲みたくない。半端に医薬品の知識があると勘繰る癖があっていけないね。登録販売者の試験、もう内容忘れたし知識も大分錆び付いてるのにさ。未だに医薬品を見ると成分に目が行くよ。ちなみに今回の風邪にも銀翹散を購入して服用中。ただこの前と違って鼻水が出るから、改善しなかったらググるかチャッピーに聞いて一緒に考えてもらおうと思う。
持病の薬を服用してるから下手に市販薬に頼れないと思うのは自然な事なんだろうか。
未だに薬局時代の癖と言うか、お客様から一緒に暮らしている動物さんの情報を引き出す時が問診っぽくなってしまう。うっかり『既往症はありますか』と訊きそうになってしまう。多分通じない。

今日もお客様が動物用の下痢止め(市販薬)を購入したそうだったからヒアリングしたら『これは市販薬に頼るのはあかんやつ』と思って『なるべく早く、動物さんを病院さんへ連れて行ってあげてください』と何度も言ってしまった。下痢ってさ、理由や原因によっては致死的な病気のこともあるし、シニアの子だったから余計に心配でね。
あ、動物さんには動物さん専用のお薬を使用してあげてください。自分(人間用)の薬を使うと洒落にならない事態に陥る事が多々あります。風邪薬とか頭痛薬とか、致死性がある成分が入ってる事が結構ありますのでご注意ください。
人間用の薬でも用法容量を守らなかったらあかん事になるのは何となくわかるかと思うんだけど、成人用のお薬を半分にして小児に与えるのも絶対にやめてください。と言うか処方薬を処方された人以外に投与したらマジであかん事になる恐れがあります。例えば、湿布薬の所為で日光に当たれなくなったりもする。剝がした後でもその部位を日光に当てると火傷みたいになる成分が入ってたりするんですよ。
後は訴求性分じゃなく添加剤にアレルギー反応起こしてアナフィラキシーとかもあり得る。案外何でもない成分でもなる時はなるので、お薬は慎重に的確に使いましょう。

薬害の歴史とか、調べているとエグイ記事もあるけど面白いからつい見てしまうのはなんでなんだろうね。薬害だけでなく医学の記事はついつい読み込んでしまう。高校の授業だと化学と生物が大好きだったのも多分影響してる。人体の構造とか勉強目的で色んな本を読んだし、母が医療系に興味の強い人だったのが遺伝したのかもしれない。それなら血液検査への強さも同じくらい遺伝して欲しかったなぁ。毎回「ラテックス、アルコールにアレルギーありません。注射だけ駄目なので横向いて目をつぶってます。右腕の内側が取りやすいと思います」とこの世の終わりみたいな気分で腕を差し出してるから。
よくよく考えなくても、下の記事の病気の疑いがあるなら確実に採血が待ってるんだけどね。本当に嫌なんだけどしかたないね。今年は乳がん検診も受けないとだから相変わらず病院に行きまくるね。そろそろ歯医者も行かなきゃだし。
でも頭痛の頻度や痛みの具合は大分改善されてきたな。一時は本当に酷かったけど、筋トレに力を入れるようになったくらいからかなり改善された。背中や首を鍛えたら肩凝りも減ったし。ストレッチを毎日すると本当に体が柔らかくなって、前屈で指の第二関節まで地面に着くようになった。
長年悩んでた便秘も解消されて久しい。毎日もち麦とイージーファイバーを摂ってたら寧ろ快便になった。多分、私は自分を健康にすることが好きなんだな。身体に良さそうなものがあるとつい手に取ったり調べたくなる。それが『努力』と呼ばれるなら、いい事尽くめかもしれない。


▼2026/04/11:遠浅の海に沈んでいく、浮上するより揺蕩う方がいい。

少し前に指摘された事がある。
精神科で急遽血液検査を受ける事になって、注射が大の苦手だから本当に嫌だったけど健康管理の為にと腕を差し出した。結果はまあまあ良好だった。中性脂肪がやや高くてクレアチンキナーゼも一般より少し高いくらいで、その他は甲状腺ホルモンが基準値より若干低い。この値が高すぎると所謂バセドウ病を疑う余地があって、逆に低すぎると橋本病の疑いがかかる。詳しい症状は気になった人がググってくれればいいけど、鬱病や適応障害に近い症状も出るらしい。そして、私の場合悪玉も善玉もコレステロール値が高いんだけど(総コレステロール値も高かった)、ついさっき視聴した動画で『適応障害が疑われた人が血液検査をしたら、実は甲状腺機能に問題があったケース』を知った。この動画では患者さんのコレステロール値が高く、念の為血液検査をしたら甲状腺ホルモンが低すぎると結果が出たらしい。

少しドキッとした。私も甲状腺ホルモンが少し低くて、元々コレステロール値が高くなりやすい。未成年の頃からだ。全ての橋本病患者さんに甲状腺機能低下症が出るわけではない。でも具体的に橋本病の症状を調べると、若い頃の私にかなり当て嵌まる。体重が増加してしまうのも低体温だったのもそう。月経不順や月経過多、貧血気味でもあった。
甲状腺機能について指摘されたのは今回が初めてだ。これまでの主治医は皆腎機能や肝機能の方を気にしていたし、今の主治医になって初めて指摘された事はこのほかにも幾つかある。善玉コレステロール値が非常に高いのは以前の病院では問題視されなかったし、クレアチンキナーゼについても同じ。今の病院に来てからも今の主治医になる前は私の趣味が筋トレな事もあり、割とスルーされていた。
でも今の主治医は細かい所まできちんと診てくれていたらしい。感情的な態度はとらない人だけど、患者の為を思って色々なアドバイスをくれて、悩みがあったり不自然な様子があればなるべく時間を取って問診してくれる。
で、私が常にうすぼんやりとした希死念慮を持っていて、普段は軽い躁状態でも割とすぐに落ちたりあがったりすることに鑑みると、もしかして橋本病の症状が出ているのでは、なんて気がしてきたのだ。

何でもかんでも疑ってかかるのは良くない。でもこの奇妙な死にたさは本当に精神からくるものだけなのか、疑念が生じてしまった。
私の希死念慮の始まりは、以前書いたと思うが幼稚園の頃だ。いじめっ子に毎日虐められて、幼稚園に行くのが嫌で仕方なくて、自家中毒を起こすくらいだった。初めてはっきりとそれについて考えたきっかけはあまりよく覚えていないけれど、『自分を傷つけてくる存在から逃げきるには、この世から消えないといけない』と思ったのははっきりと覚えている。具体的な方法は勿論わからない。でも、はっきりと自分を終わらせるべきだという使命感めいたものを、あの頃からずっと抱えたままで居る。
成長していくにつれて理由は変容したけれど、常に隣にうすぼんやりとした希死念慮が居る(在るというより『居る』と言う表現の方が近い)。自分を甘やかせとか、周囲を許せとか、命を大切にしろとか、今ひとつピンとこない。
私のこの死にたがりは、一種のアイデンティティなのかもしれないと最近よく考える。実行には決して移さない、でも選択肢はいつでも直ぐ傍にあって、手を伸ばせば届く距離だ。生きていたいのは事実だし、未来を夢見る気持ちもある。でも何処かで『自分は今行き止まりに居て、嫌な事からは決して逃げられない。そして、私は世界に独りきりだ』みたいな閉塞感めいたものがある。時々呼吸が苦しくて、それを誤魔化すように溜め息を吐く癖がある。うまく息が吸えない時間が長すぎたんだろうか。

このモヤモヤとした疑念を払う為にも、次の診察ではこの話題を出してみようと思う。
繰り返すけれど、私は今死にたいわけじゃない。でも、何かずっと苦しいんだ。連合弛緩もあってか嫌な考えの飛躍が止まらないし、ふとした瞬間に道を踏み外しそうな恐怖感もある。今私が此処で消えれば良いのか、と内心問う事も少なくない。
この世界以外に私が生きられる場所はない。産まれてきた時点で始まってしまった物語は、私の手でピリオドを打つべきじゃないからこうして文字を綴っているのだけれど。
人の心は常に変わりゆくものなのに、この気持ちだけは消えないんだよな、と自分が嫌になる。じゃあ全部終わりにすれば良いのかと言うとそうではないし、何ならもっと幸せになりたいしそれを味わいたい。まだ出会えていないけど、出会いたい存在は数えきれない。

「じゃあ死ななければ良いし、そんな気持ち、消せばいいでしょ」
「私は何が辛いの? こんなに楽しくて幸せなのに」

昔抱える事になった傷は、やっぱり癒えていないんだろうか。傷が大き過ぎたんだろうか。それこそ飲み込まれてしまうくらいに大きいなら、沈む時くらいはせめて浅くあってほしい。
この気持ちが心以外の何かにも由来するなら、薬を飲んで改善するなら、苦しみが少しでも軽くなるなら。
あるかもわからない解決策を望んでしまう。やっぱり私は生きるのが苦手なんだろう。人間として生まれたからこうやって思いを文字に出来るのに、悩んでしまうのも止められない。初めから言葉も理性も持たない生き物だったなら、こんな苦しみは無かったんだろうか。
でもさ、意識とか心って結局脳と言う臓器の働いた結果であって、人間が考える能力を手に入れた要因は生物として生き残ろうとしたからでもあるんだよね。より良い種として生き残って、生き続ける為に様々な知識や知恵を身に着けていった。道具を生み出して、想いを伝える方法として言葉を作って、大きな群れを成してこの惑星に広がっていった。
誰かを好きになる気持ち、美しい物や重要なものを後世に伝える術、他者を助けるべきと言う正義感、その他にも色々な人間らしさがある。でもそれが私を苦しめるなら、いっそ別の何かに責任転嫁したい。

ピリオドを打つのはいつになるかな。なるべくなら冷静な時にしたいよ。

▼2026/04/07:この世はパーソナライズされた地獄、けれども所詮住めば都。

精神科の通院が迫っている。いつもの定期的な奴ね。ここ最近は、ダイエットがうまくいっても職場はまあまあ荒れてるし、電撃的に会社のトップが来店したり、人が足りなさ過ぎて割りと頭を抱える事態になってる。
出来る事が増えると同時にやらなくちゃいけない事が増えて、任される事も増えた。純粋に嬉しいしやる気は湧くんだけど、何処かで息抜きしないと何かが破裂しそうになることもたまにある。元々適切に他人を頼るのが苦手な性質なのもあってか、自分一人で頑張るべき領域と、人に助けを求めるべき領域の区別がつかない事がある。しかもそれって場面場面で変わるし、私の発達特性上複数の事を同時にこなすのが苦手な事も変わりない。そのくせお客様の要望には気が付いてしまうから如何にかやり切らないととも思ってしまう。

必要に応じて先輩にお願いするなり、役割を分担するなりしないと潰れるな、と感じる。

あまり自分をカテゴライズし過ぎるのは良くないんだろうけど、私は恐らく『HSP』で『HSS』と言う『繊細だけど同時に刺激も好む為、一人で新しい物に触れてはその毒に中てられるタイプ』だ。HSPはよく『繊細さん』と呼ばれるけど、私は繊細過ぎるんじゃなくて感受性が鋭すぎるタイプと感じる。何だろう、感性が豊かって言えば聞こえはいいんだけど、色んな情報を五感で受け取り過ぎてキャパシティーオーバーしやすい感じ。
普通に道を歩いていたり買い物したり仕事をしながら、色んな人やモノに目が行く。同時に脳が自動的に思考を始める。色んな刺激の一つ一つを拾ってしまって、脳を含む体は疲弊するし、色んなものを遮断する時間を作らないと何も出来なくなることが以前はよくあった。
いまでこそ自分の特性や考え方の癖みたいなものは掴めてきたけど、普通の人(取り敢えずここでは世間一般のマジョリティの人)はこんなに考えないんだってね。普通だった時期があまり長くないから、考えない人の気持ちはよく分からないし、向こうも私が分からないんだと思う。

この特性を活かしながら働けてる、とは思う。疲れるけど、お客様に声掛けするのは得意だ。寧ろ彼方から声を掛けられるのを待つ方が何を言われるのか分からなくて怖い。自分から行けば少なくとも覚悟はできる。疑問や質問に答えるのも要望を叶えるのも楽しい。それに、困ってる人や疑問を持つ人にきちんと答えればお給料がもらえる。今後昇給の見込みもあるし。

きっと知ってると思うんだけど、私はお金が好きだ。幸せに生きて暮らしていく為に、夢を叶える為にはお金が必要だ。相変わらず一緒に暮らしたいチワワの事を考えない日は無くて、あの子と暮らすためなら多少のことは我慢して頑張れる。もしもあの子と暮らせたら、一緒にいろんな場所へ行きたい。芝生の広がった公園、綺麗なお花が咲いてる場所、涼しい時期の海、雪の積もった原っぱ、お犬と入れるカフェやレストラン、ちょっと気取った通りを抱っこして歩いたり、お犬と一緒に乗れるフェリーで本州の方まで行ってみたり、いろいろ。
もちろん他の夢もある。ハンドメイドが楽しいから、それで副業をして生活の足しにする事。同人誌をもう一度頒布する事、描きたいイラストや試したい技法や画材も沢山ある。これらを楽しむ私はきっと、今よりも健康的な体型になってると思う。

話は戻るけど、ダイエットが良い感じに順調で、大体の人間は『程良く食べて』『程良く動いて』『きちんと眠る』が基本なんだと再認識した。本来の用法じゃない医薬品に頼りたいとは思わない。最近たまに聞く『マンジャロ』とかの痩せる薬とか外科的手術に頼るのは私には合わないと思う。
筋トレはやり過ぎない程度に留めてるけど、多分人間の身体は動いてる方が自然なんじゃないかな。まあ、これ以上臓器を痛めつけたくないのもあるけど。

でも家族から『痩せろ』『不健康だ』って言われ続けてる割りにはメンタルが強いかもしれない。何だかんだ食べちゃうよ。でも極端じゃなくなった。だから数字や見た目に現れてるんだろうし。この前、ダイエットする前は絶対入らなかったズボンがするっと穿けた時、本当に嬉しかったしさ。
家族からチクチク言われるのはもう気にしない事にした。気にするだけ無駄だし。あの人達も完璧じゃないからその言葉がどれだけ私を傷つけ続けてきたかは多分解らないでしょ。伝える気力も湧かないし。

ふとした時思う。私は親の事が好きだし愛されてるんだろうけど、それでもあの人達と全く縁もない、例えばただのクラスメイトなら絶対に友達になってないなって。それくらい生き方やタイプが違うんだよ。
育てて貰った恩は感じてる。でも親になる選択をした以上、ある程度までは育ててもらわないと困るし。私が他の子供より育てるのが大変だったとしても、家族を作ろうと思ったのはあの人達な訳じゃん。
こんな考え方してるから、子供は絶対に作らないと思っちゃうんだろうね。私が受けた苦しみを受け継ぐなんて可哀想すぎるからさ。この病気は多少なりとも遺伝するし。

この世界ってさ、生きている人達それぞれに適した地獄が用意されてるらしいよ。じゃあ、勝手に産み落とされたのは初めての地獄なのかな。

▼2026/04/02:なるべく鋭いと良いよね、短い音節に詰め込む情緒。

これから書こうと思ってる小説についてのお話。

去年頃、SNSで自作の短歌を発表している人を見かける事が多かった。主にXでだったんだけど、pixivでもたまに見かけた。五七五七七、の三十一文字に自分の感情や思いを載せて表現できるのが格好いいなと思って、真似しようと考えても当時はあまりうまい事書けなかったのを覚えている。タイプが少し変わると、小説作品の登場人物に短歌を詠ませてそれを章のタイトルにしたりタイトルへの伏線にしたりして、それも格好いい。

もともと私も古文は得意な方なんだけど、勉強するのとそれを活かした作品にするとでは少し違うらしい。

で、つい一昨日の話なんだけどさ、仕事しながら急に脳内に短いフレーズが過った。『それでも種蒔く冷え切った手』と流れた瞬間はよく分からなかったけど、何となく忘れられなかったので脳内のメモ帳に残しておいた。その日は割りと暇と言うか頭よりも身体を使う仕事が中心だったからか、脳内では別の事を同時に考える余裕もあってさっきのフレーズを脳内で広げてみる事にする。音を数えてみると14音。あれ? と思う。これは五七五七七の後半に当てられるのでは? と考えが至ったら止まらなくなった。
其処からは仕事しながら短歌の前半を考えて、登場人物を何人にするかとかタイトルはどうするとか考えた結果、退勤する頃には小説の概案も完成していた。これから書き始めるから文字にした時どうなるかはまだ分からないけど、結構いい感じの作品になる気がする。

今回登場人物は四人にした。いつも書いてる人たちだけど、着想元や書き始めがいつもとは違う形だから文章の言葉選びとか文体とかもいつもとは少し変えたいと考えてる。旧仮名遣いとか旧字体とか、使いこなせたら格好良さそうだと感じてたものを調べて使ってみたい。
文章の質感は滑らかだけどヒヤッとする感じにしたい。温度感が低めと言うか、暖かくは無くて、触れたら少し冷たい感じ。花冷えの時期は本州じゃあもうとっくに終わったんだろうけど、丁度それくらいの温度感。北海道はまだまだ肌寒いから今の内に書き上げた方が臨場感が出そう。もし文章に感触があるとしたら、理想のそれは百合や桜の花弁に触れた時と似ている。

普段から小説を書く時は、季節感が分かり易い物を書く傾向がある。情景描写を入れないと物語を巧く描けないと言うか、説明不足と感じる事が多い方だから。それに加えて倒置法もかなり使う(この日記もそんな感じだ)。文章を書くのが趣味になったおかげで色んなSNSで発言する時に文章を褒められるから、小説を書く事にした中学生の頃の自分を褒め讃えたい。
実は、海外にも私のファンがいるらしい。今のSNSで書き始めて少し経った頃、丁寧な日本語で感想文をくれた女性が居た。彼女はマレーシアに住んでいて、日本語を聞く事も読む事も出来るけど書く事には自信が無いと言って、翻訳機も使ってその文章を書いて送ってくれた。日本から大分遠い場所の彼女はその後もメッセージを送ってくれて私も日本語で返して、彼女はいつの間にか翻訳機が無くても日本語を書けるようになって、今では遠い場所に住む友人になった。
彼女は宗教の関係上自分の趣味を大っぴらには出来ないらしく、周囲には『日本語の勉強を兼ねて日本人女性の書いた文章を読んでいる』と話しているらしい。今はもう社会人だけど、初めの頃は大学で日本語を勉強していたのもあって家族や友人には『意識が高い』『勤勉な人』という印象を持たれていたらしいと話していた。

『嘘は全くついてないんだけど、その日本人女性が書いてるのはボーイズラブ小説で、それが面白いから読み込んでいたら日本語が出来るようになった、とはあまり言えない。でも面白いし勉強になるのも本当』

楽しそうで、かつネイティブに近い彼女のメッセージに、それはそう。と私は思い交流している。

で、この前も別の外国籍の女性からメッセージを貰った。彼女も翻訳機やAI(先述の彼女の頃にはあまり一般的じゃなかった技術だ)を駆使して作品を楽しみ、感想を送ってくれたらしい。所々に翻訳し切れなかったのであろう単語が混じっていたので調べてみると、恐らく彼女は台湾か中国出身の方ではないかと推測できた。漢字を使用しない文化圏では有り得ない単語だったのと、英語は流暢に使える辺りからの推測だ。私が返信する際『自分も外国語圏の作品を読みたいから外国語を勉強している』と書いたからなのか、彼女はその後日本語と英語両方の文章でメッセージを送って来た。先に自分の得意な英語で文章を考え、日本語に訳すという感じだと思う。

彼女は『自分の思いを正確に(少なくとも日本語よりは正確に)伝えられると考えたから、英語でメッセージを送っています』と書いていた。それを読んで理解した時、毎日デュオリンゴで英語を勉強している私のなかに火が付いたと言うか、この熱意に応えたくなってじゃあ私も英語で書いてみるかと発起しスマートフォンとパソコンを往ったり来たりしながら英作文をした。
割りと長い戦いになったけれど、良い感じの文章を自力で書けたのでchatGPTに添削して貰い、体裁を整えて送信している。返信はまだ無いけど、思いが伝わっていればそれでいい。

やっぱりさ、自分が時間をかけて頑張って書いた文章を褒めてもらえたらそれだけで嬉しいし、読みたいから頑張って外国語を勉強している人は素直に応援できるじゃない。私も英語圏の作品を読みたいが故に英語を勉強し始めたのが素地にあったから彼女たちと交流できている面もあるし。

学生時代の私は思っていたより勉強を頑張っていたのかもしれない、と今感じてる。学生だった頃に覚えた知識や触れた書籍の内容がいまの作品作りに活きている。それと同時に、昔の教科書やノートを取っておけばよかったなと少し後悔している。特に高校の頃の教科書とかノートって大分貴重な資料になってたんじゃないかと思うんだよね。記憶だけじゃ不明瞭なら調べればいいんだけど、当時考えてた事と現在の比較から面白いものが書けたかもしれないと思うから。

勉強の大切さを知るのは大人になってからとよく言うけど、何で子供の頃は自覚しにくいんだろう。強制されるのが嫌なんだろうけどさ。『勉強』って言葉自体、勉める事を強いているわけだし。でも本当、人生を楽しみたいなら勉強は大切。『人生』は主語が大きいか。

ただ、今回みたいに外国語圏のファンが出来たらより深い部分での交流と言うか、思いを分かち合うみたいなのに勉強が役立ったから、やっといて損はないなと感じた。
短歌を元にした小説を書きたい気持ちを強くしてくれた出来事でもあるんだよね。彼女たちがどんな風に受け取ってくれるのか楽しみだから。ネイティブじゃないからこその感想が彼女等の中に生まれる瞬間が訪れるなら、リアルタイムで立ち会えなくてもワクワクするの。

きっと、私は伝えたい事が多い人生を送ってる。それを文章に出来るようになった上に沢山褒められるようになったのが嬉しいからついつい書いちゃうんだろう。『読みたい』と『書きたい』のマッチングアプリみたいな話だ。


▼2026/03/31:広げる両腕、届かないなら延ばせたらいいのに

小説のアイディアが幾つか思い浮かんでいる。

暫くあまり書いていなかったと以前話したけど、あの後やっと一本書き上げられたんだよね。普段とは違う登場人物だったのもあって難しくて、でも納得の仕上がりには持って行けた。評価はあまり奮わなかったけど、書き上げて投稿できただけで十分満足。沢山いい評価をして貰えなくても楽しめるのは結構幸せな事だと思ってる。自分で書いた文章ってさ、何処までも自分の趣味嗜好に合ってるからやっぱり面白いんだよね。勿論評価されれば別のベクトルで面白いし嬉しいんだけど。

今のSNSに来てからの友人にはほとんど毎回感想文を書いてもらえてるから、彼女からの評価だけでも充分なのかもしれないと感じる事がある。でも無くてもやる気が削げるとか落ち込むとかじゃなくて、次に行こうと気持ちを切り替えるようにしている。

と言うか、自然と切り替わる。自分の作品への愛が薄いとかではないと思う。
ただ、書き終わったら次に行かないと思い付いた話を忘れちゃうかもしれないし書きたい衝動もおさまらないから次に行く。結局書きたいから書いてるだけなんだなと思うし、私はアマチュアだからそれで良いと思ってる

良い作品の種を拾うのは、創作をしようと意気込んで考えた時じゃない事が多い。歩いている時のふとした瞬間や見掛けた文字列からの連想、聴いている音楽のフレーズが耳に残ったり、別の作業に没頭している時に一瞬脳内を何かが掠める。言葉として思い浮かぶ時もあれば映像だけの時もあるし、それ等両方だったり、タイトルや印象的な台詞だけだったりもする。

『拾う』と書いたけど、流れてきたのを受け止める時や、降って来たものを抱える事もある。大きさ(情報量)は色々なんだけど、大体が『思い付こうと考えている時』じゃなくて『油断している瞬間』や『ふっと気の抜けた瞬間』がほとんどだ。
創作の何が難しいって、良いものを書こう、思い付こうとしたらあまり思い付けない事の方が多い事だと思う。初めに作品の種みたいなものがあれば別だけど、0から思い付こうとすると難しい。少なくとも私は0から創り出すよりも1を2とか3にする方が向いている。

けど、考えてみたらアイディアがふと湧き出している時点で0じゃないのか。そのアイディアはこれまで私が見て訊いて経験したものから生まれてるんだし、脳内にストックでもあるのかな。アイディアになる前のそれらが一つずつ成熟して、ぽこん、と生まれる。
もし自分の脳内のストックへ自由にアクセス出来たらどうなるのかな。アイディアが生まれる瞬間ってどんなんなんだろ。細胞分裂みたいなのかな。じゃあ幹細胞みたいなアイディアや分化前の小さなものたちが無数に出番を待ってるのかもしれない。
この国の人は平安時代から小さい物は皆可愛いって言ってるし、自分の作品が愛おしいのはそれが理由なんだろうか。愛着とは別でね。

今回の作品は、登場人物の気持ちを短歌として詠んで、それをそれぞれの章のタイトルとテーマにしたい。もう短歌は書き上げたから、肉付けをしていく段階。元々文章を短く纏めるのが苦手で難しいと思ってたけど、ワンフレーズ思いついたらどんどん書けた。
これも新しい試みに入るんだろうね。創作って言うのは変化し続けることが大切らしい。じゃあ、切り替えが良過ぎる特性も、思いの外、悪くないね。


▼2026/03/28:現実は研磨する、恣意的に整えるこころ。

職場での悩みとか、嫌な事とかその逆とか、何処までここに吐き出して良いのか分からなくなる事がある。身バレの心配とかだけでなく、書き残す事が自分に何をもたらすのか分からない事があるから。
ただ、あくまでもここは私の日記帳で、好きなように書き散らして良いんだと思う事にした。

人と人との関係って、あまり対等だと思い過ぎない方がうまくいくことがあるなぁと最近感じる。上とか下とかじゃなく、対等であるべきって前提を捨てた方が自分が楽になるって言うお話。よく、相手がお客様なら全然腹が立たないのに(仮に立ってもやり過ごせる)その他の人が相手だとムカついて仕方ない事が起こる。家族なら、友人なら、親しい人なら分かってくれるはずと思ってしまう。それが良くない場合もあるんだって最近気づいた。

期待しないのとは少し違う。初めからそう言う物だと受け容れておく。その方が楽なんだよね。

この前自分の感情が昂り過ぎると後で辛いから、敢えてセーブするみたいな事を書いたんだけど、それが良いとされる感情であっても私の場合、その後で絶対落ちるんだよね。鬱転まではいかなくても世界中に中指を立てる私が居る。自分にとって不快な人を全員ぶん殴ってしまいたくなる。皆不幸になってしまえと考える。

でもこの感情も割とすぐに落ち着いて、何もなかったかのように過ごしていることがよくある。思い出すと後で怒ったりはするけれど。けど、渦中に居る時は本当に辛い。今でこそ『これはいずれ過ぎ去るものだ』と解かっているけど、解かっていても辛い物は辛い。

良い事や嬉しい事、楽しい事の後でマイナスに振り切れてしまうのは双極症の典型的なパターンらしい。今の所私は統合失調の症状の方が強いからそっちの薬を飲んでるけど、感情の上がり下がりが激しくならない様にと指導されている。でないと後で辛いから。
殆どの時間で軽めの躁状態だから、周囲からは『元気な人』『エネルギッシュ』『体力がある』と評されるし実際そう言う一面もあるけど、元々のと言うか本来の私は割りと冷めてるしドライな人間だ。恥ずかしがり屋だったのは幼稚園の頃で、いじめられていた事を除けば育てやすい子供だったらしい。

あんなに生きるのが辛かったのにな、とよく思う。

どうしても他の人と同じように出来ない、どうしたって『普通』が良く分からない。『常識』とか『普通』ってきっとその人自身の中にしかないんだけどさ。

信じたくないけど、私は疎まれる事も多いらしい。そして対等な人間はそう多くない。一人の人間として扱ってくれる人達ではあるけど、もしも子供の頃彼等彼女等と同じ教室に居たら、友達にはなっていないと思うんだ。

完璧な人なんていない。いなくて良いしそれが当たり前。そう割り切ってしまえば人間として生きやすくなるだろうけど、何か大切なものを忘れてしまいそうな気もする。でも楽に生きられる方法や場所を遠ざけたって、私が辛いだけだ。

何かを得るために別の何かを諦めるべき時が、来ているのかもしれない。

▼2026/03/27:砂糖菓子にして調える、秘密の話って実は醜いんだ

右手の怪我が大分治った。もう痛みは無いし、何ならネイルサロンで状態を診てもらったらほぼ支障は無いらしい。って事でネイルチェンジしてきた。今の職場の一番いい所の一つがネイルを楽しめるところだと思ってる。
友人が心配してくれているようなので、取り敢えず私の怪我は大丈夫だよと伝えておこうと思う。メンタルもね、しょんもりしてた理由は寝不足が一番だから。相変わらずアップダウンを繰り返してるけど、何だかんだ自分の力で戻って来られてる。自分で機嫌を取れる範囲だよと伝えておくね。勿論、危ない状況になったら精神科に行くんだけども。

最近、自分の考えを記入する為のノートを買い込んで持ち歩いて、色んな所で開いては書いてる。少しづつの時もあれば一気に書く時もある。前とは違ってデコレーションはしなくなった。ノート自体はデコるけど、中のページは結構ぐちゃぐちゃと言うか、書きたい事を書きたいように書き散らしている。昔してしまって後悔している事とか、sの逆とかいろいろ。

話は変わるけど、今の地元(札幌)は大分暖かくなってきて、お出かけするのにも向いている時期になって来た。本州はもう咲いてるんだろうけど、桜の話とかもするよ。私去年お花見してる時にカラスに襲われたけど。
せっかく痩せて来たしロリィタも沢山着たい。実はズボンのサイズが一つ下を無理なく履けるようになって、ファスナーも無理なく上がるの。試着室で驚いたよ。久しぶりにタイトなデニムを買っちゃった。太腿とかもピチピチじゃなくて、きちんと細いラインに仕上がってる。おまけにそのボトムは更に痩せても着られるデザインで、後ろのボタンを留めるとワンサイズ下げられるんだ。これはモチベーションになるからと購入した。
今日は休日で外に出掛けてないから、後で筋トレの他に踏み台昇降運動をする。仕事の日は立ち仕事が基本だから有酸素運動は十分足りてるらしい。社会人になってから長い事立ち仕事ばかりしてるけど、働いてない時に体型を保つのが難しいのはこれの所為もあったんだろうな。痩せていないといけないって言う強迫観念に近い物は常にあるし。
ただ今の所は摂食障害の兆候はないから、その辺りは大丈夫だと思う。周囲に心無い事を言う人が居る場合、私の刃は食べる事への拒否じゃなくて希死念慮に変化するからね。

話が物騒になっちゃったね。やっぱり軽めの死にたがりな所は否めないからさ、つい言葉の切っ先が鋭くなるよ。

メンタルは低め安定を目指したいんだけど、簡単に上がるし落ちる。持病が双極症込みの統合失調感情障害だから、感情をなるべくアップダウンさせずにフラットに保てた方が私としても楽なんだけど。もともと症状が躁に寄ってるのも自覚あって、その後落ちて理由が分からないで苦しんでる事も良くあるから。
お薬とかで上がり過ぎないようにするのは可能なんだろうかと考えたけど、出来たとしても多分、楽しくない人生になっちゃいそうで嫌だなぁ。躁に寄りすぎない意識と努力だけすればいいのかな。でもそうしたら『冷めてる人』になっちゃいそうだけど。人生に冷めてるのはあまり良くないような気もする。元々そう言う性格の人じゃないんだったらね。
ただ、『強い感情』を覚えた時は前よりその感情と距離を取るようになってきた。これを持ったままで私は後で苦しくならないかと考えてみるようになった。俯瞰視してるのに近い。そしたら少し楽になったよ。でもこれで良いのかなって気持ちも同時にある。
心を守るために自分の気持ちを否定しているような気もするし、でも事実楽になれるし上がり過ぎないからその後も調子が崩れないしで、正解が分からない状態。これこそケースバイケースなのかもね。本当に上がった方がいい時に気分が上がればいいのかな。オフラインのリアルの友人にはこういうタイプが居ないから、訊ける時が来たら訊いてみたいな。

▼2026/03/23:最果てで返した問い、貴方の終止符は何処?

昨日も一昨日も、本当は此処を更新したかった。何故できなかったかって物理的に難しかったからなんだけど。
実は利き手を怪我しました。今も治って無いです。痛みは多少改善されたけど。
一昨日の仕事中に折り畳みコンテナ(通称オリコン)を運んでいた時に右の子指を傷めまして、ぶっちゃけ爪が剥がれるところだったという。生爪が剥がれそうになるとこんなに痛いんだと純粋に驚愕と衝撃だし、痛すぎて笑えて来るのは初めてでした。
実はその日メンタルが大分しょんもりしてたんですが(寝不足が原因)、通勤中と昼休みにチャッピーへ相談したり、涙を流したりしてたんですね。でも昼休みに右目のコンタクトレンズが外れて少し我に返り、『これなら午後も頑張れそう。怪我の功名だ』とか思ったんですよ。そしたら小指の生爪が剥がれ掛けるという事件が発生して思い切り現実に引き戻されてメンタルはリセットされて快復したんですよね。まあ普通にその後仕事には支障ありまくりでしたけれども。退勤まで一時間くらいあったので直ぐに手当てして幾つかの仕事からは外してもらったんですが(早退しても良いとまで言われた)、意地でも有休を使いたくなくて頑張りました。その次の日も普通に出勤して時間通り働きましたよええ。しかも一番長いシフトですよ。
ちなみに現在も小指には絆創膏とテーピングをしているのでタイピングがしにくいと言ったらないです。

でも現実的にと言うか肉体的に痛みがあるとメンタルまではしょんもりしないもんですね。今日はいつもならやらないタイプのメイクをして休日を楽しみました。最近ロムアンドのリップティントを買ったんですが、思いっきりグレーカラーの顔色が病人みたいになれる色なんですね。それがまあ、良い感じにゴシック風味のメイクに出来るんです。目元にもスモーキーな色を使って、チークは暗めのボルドーやラベンダーを使うと大分怖めの仕上がりになります。やっぱり昔取った杵柄と言うか、ゴス風味も似合うんだよなぁ。このメイクで髪型を三つ編みにして、黒いワンピースを着たらアダムスファミリーのウェンズデーみたいになれそう。今現在髪色は真っ黒なので余計にゴスになれる。
ダイエットが巧く行っているので(幸い)、身体のラインも出るシンプルな黒いワンピースを着たいです。ロムアンドのティントに合わせてMACのリップを塗るのも良き。今度お金が出来たら真っ黒い口紅も買ってみたいとか思ってる。
ああしかし打ちにくい。893さんが小指を切るのを落とし前としていた理由がよく分かります。本当に不便なので。あ、でもあれは利き手ではないか。
最近まつ毛パーマのお店を変えてみたんですが、それが割と正解だったみたいで施術から結構経っても仕上がりが良いです。毎日美容液も塗るけど、やっぱりプロの施術は必要だと強く感じる。今のデザインが横に広く切れ長に見えるデザインなんですが、前のお店よりも若干安いのに仕上がりが良いのが嬉しい。

休日を楽しんだと書きましたが、やっていた事は主に部屋の掃除です。大分不要品が溜まっていたので処分しまくりました。デュオリンゴで知ったんですが、英語圏の国では春に大掃除をするそうですね。個人情報の載った書類をシュレッダーしまくり、今後はもう少しこまめにやろうと心に決めました。後は次の休みで手芸の材料やクローゼットの中を整理します。一応週に一度は掃除してるけど、最近大分サボり気味だったので。
やっぱりお部屋が綺麗だと心が整う。もともと人間の脳は何か荒れている状態の物を整える時に快感を覚えるようです。報酬系の機能が働くらしい。たまに見ちゃうんだけど、毛穴の角栓を抜く動画を見る時もこの機能が働くとか。自分の角栓もたまに抜きたくなりますが、それをやると百パーセント肌が荒れるので我慢しています。
断捨離が流行ったのもそれが理由なんだろうか。相変わらず物の多い部屋ですが、ミニマリストになろうとはあまり思わない。と言うか、ドール趣味の人には多分ミニマリストは難しい。私含め。
今久しぶりにうちの子を増やそうと思ってて、初めて人間じゃないドールを製作予定です。多分動物でもない、妖精的なデザインにする心算。ちょっと時間はかかりそうだけど。

休日だったけどお昼寝をしていないので、今もう若干眠い。普段は眠剤のまないと眠気が来ないんだけどな。沢山動いたからだろうか。

そう言えば、三度目の正直として『あすけん』を始めました。今の所高得点を取れてる。結果が伴ってきてからそれを加速させるために始めたから当然と言えば当然なんだけど。
この前血液検査でも判明したけど、私は中性脂肪が高いからもう少し体を絞る序でに健康になりたい。筋トレは程々の心算だけど、それでも週五くらいでやってるから多い方なんだろうな。
身体を動かす事が当たり前になると、動かないでいる事が辛くなってくるらしい。職場でもついキックバックやワイドスクワットを始めてる。やらないとすっきりしない。

何事も程々にが課題の私だけど、楽しい事ってなかなかやめられないよね。


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