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▼2026/08/13:貴方の力を借りたいの いいよ君ならきちんと咲かせてくれる

陽射しが暴力的なまでに強いね。それでもおばあちゃんは冷房で冷えすぎる病院よりも我が家の方がよっぽどいいって言ってるよ。
友人からのメッセージも読みました。返信不要との事だったけど、ありがとうね、だけは言っておくね。
明日が誰にでも必ず来るとは限らないらしいって実感したから、あれから色々な事を後回しにしなくなったよ。寧ろ、今覚えていられるうちにきちんとやってしまおうって意識になった。物理的に時間が足りないとか、機が熟していないとかでない限りね。私の好きなキャラの台詞で『時間は有限』って言うのがあって、でも同時に私の座右の銘的な物に『時間は、本気でやりたい事の為に作るもの』って言うのもあったりする。時間って確かに有限なんだけど、あらかじめ与えられた時間をどんな風に使うかはその人次第な事があるじゃない。使い道を決めるのは自分、みたいな。人生って選択と実行の連続だと考えていて、選択する事自体に時間が取れなかったとしても、能動的に選んだのが自分なら一定の責任が生じてしまう。
『時は金なり』って、或る意味時間をお金で買う事にも責任が生じるからなんじゃないか。私が働いて色々な人の望みを叶えた時間の対価としてお給料がある。私が販売する事で、お客様は自分のお犬やお猫にご飯を作る時間を省く事が出来たり、直接仕入れに行く時間を発生させなくて済む。小売業って物を販売するのと一緒に、その人に時間をあげてる面もあるんだと思う。その時間を別な事に使えるように、やるべき事、やりたい事をする為の時間にして貰う為に。
そう仮定すると私が色々な人から貰っている(購入している)色んな時間って、きちんとやるべき事ややりたい事の為に有益に使えていたのか、少し疑問な気もする。何もせず休憩する時間も人生には必要だけど、少し無為に過ごし過ぎてしまったかもしれない。SNSやYoutubeを見てダラダラ過ごすのも決して悪い事ではないんだけど、一日に何時間もそれをしていたら、時間なんていくらあっても足りない。
やりたい事も、やるべき事をきちんとやった上で着手しないと本当に楽しいとは言い難いかもしれない。作りたい物、生み出したい物語、全部が本来の『やるべき事』より優先順位は下なんだ。でももしそれが仕事になれば話は別。やりたい事の優先順位がどんどんと高くなっていく。
何かに夢中になっている時ってさ、暇をつぶす必要が無いんだよね。暇自体が無いし、やってみたい事や試してみたい事がどんどん増えていくから、暇は今後も生まれにくいと思う。自分や自分のやりたい事に本気で向き合っていると、他の人の事は気にならなくなっていくのかもしれない。だから自分が満たされていないと感じると他の人の事に口を突っ込みたくなるんだ。
私は私の人生を充実させるのに忙しくしている方がきっとしあわせだ。このブログは考えの整理として使っている面が大きいから続けるんだろうけど、SNSは見るだけにしておいた方が良いのかもしれない。あ、でも将来リンちゃんをお迎えしたら彼女の成長過程を記録したいし、副業関係で活用する可能性はあるけど。

話は少し飛ぶんだけど、書きたい小説の事。来年の今頃に〆切が来るであろう賞に応募しようと思ってて、私としてはありがちな『結末から決めている』状態。タイトルや始まりはまだ出来上がってない。登場人物設定も彼等彼女等の育ってきた背景までは決まってないし、そもそも必要あるかもわかってない。ただ、四人のキャラクターが主軸になる事は決まってる。主人公格が四人って感じになるかな。名前も決めた。実在しそうな名前だから他と被らないか少し心配だけど、逆に現実感があって良いかもしれない。舞台は今より20〜30年くらい未来の日本。多分関東を中心に書くと思う。四人の内の一人が国家公務員な関係で、東京あたりが舞台だと書きやすそうなんだ。たまに甲信越とか東海も出して良いかもしれないけど(昔住んでたし、土地勘もある)。北海道まで来て貰うのはちょっと大変かな。四人には身体が不自由な人も居るし。
ネタバレし過ぎないように書くと、この物語の世界では『血液』が武器になるんだ。産まれつき能力を持つ人が殆どで、血液を使って人命救助やその逆も出来る。ナントカと鋏は使い様≠ンたいに多種多様な使い道がある。主人公格のうち二人は産まれつきその特別な血液を持ってて片方が国家公務員。三人目は血液の力を全く持っていないけど代わりにとんでもない身体能力を持っているから、国家公務員じゃない方をサポートしてる。最後の四人目は後天的に能力を得た人で、自身過去に大火傷を負った関係で或る二人の人物から輸血を受けた関係で能力者になった、みたいな経緯がある。
この世界だと産まれつき血液の能力を持った人が他の人から輸血されると能力が喪われる可能性があって、逆に能力者から輸血された人は後天的に能力を持つ可能性がある。まだ設定を固めきっていないけど、献血と少し似てるかな。私は過去に手術で輸血された関係もあって献血や骨髄バンクへの登録が一切できないんだ。その辺が着想元。
で、血液の力を使うには物理的に自分の血液を体外に出さないといけないんだけど、その場合一々傷を作るんじゃなく(痛みもあるし)『シャント』って言う物を利き手と反対側の腕に作る。これは人工透析から名称とヒントを得たんだけど、手首の中の血管、動脈と静脈に人工的に出口を作って自由に出血させられるように開発された技術。作中でも透析の応用で、違いは静脈と動脈ので出血量の切り替えができて、場面に合わせて出力を調節可能、みたいな感じ。基本的には腕時計型の装具を嵌めて能力を使う。但し、能力があると判っても全員がシャントを創設できるわけでもなくて、血管の生まれついての強度次第ではさらに人工物を体内へ入れないといけない事もある。人工物を体に入れるわけだから耐用年数も人によって変化が生じるし、日常生活で気を付けるべき事柄も増える。初めは人工物を伴い過ぎないシャントを作れた人でも年数が経過したら人工物を入れるか能力の使用そのものを辞める(つまりは職業を変える)必要も出てきたり、逆に技術の進歩によって、一旦引退した能力者が人工物を使って現場復帰したりもする。
最後に紹介した後天的に能力を得た人は利き腕側に重傷を負った関係もあって、態と利き腕の手首に人工物を多く使ったシャントを作ってる設定。彼女には一番思い入れがあって、最初に生まれたキャラなんだよね。半ば自己投影してるところもあるけど、物語って自分が活躍できる世界を選べるのも良い所だから。
ちなみに、今回の小説はまだタイトルが決まってない。最初考えていたのと物語の流れや登場人物の性別が変わって来ちゃってて、少し時間をかけて考えようと思ってる。私の場合、仮題でもタイトルが決まると筆が進むし書き始めてしまいさえすればこっちの物だから。
もしくは本業の仕事中に考えが降ってくる可能性もあるかな。街歩きの最中かもしれない。焦点をずらした方が案外良い物が見える事があるのって、周辺視野が広い方が良い理由の一つなのかもね。

▼2026/08/11:夏の純度が上がってく 真夜中 今日がずっと続く気がして

おばあちゃんが無事に退院した。本当に心底ほっとしている。ただし今後は慎重に経過を診なければならないので、受診回数は増えるみたいだ。おばあちゃんの年齢を考えると、通っている病院の数は平均より若干少ないと思う。お薬の量もそこまで多くないし。
今回の入院の原因の一つになった薬の副作用が改善されたみたいで、身体の浮腫みがかなり軽くなったように思えた。ほんの一週間の入院だったけど、投薬治療と水分補給をしっかりしたから、腎臓も持ち直してくれたのかな。前からよく足が浮腫むって言ってたんだけど、一週間で身体から水分が抜けたみたいで体重も数キロ落ちたって言ってたよ。

前々職の頃、調剤薬局に勤めてたのは大分前に書いたかな。門前の病院は内科の総合病院で、腎臓の治療に通う人も多かった。人工透析の患者さんへ届け物をする事が定期的にあったんだけど、透析室の雰囲気ってね、かなり独特。患者さんたちはシンと静かだし、看護師さんたちは少しピリピリしてる。人工透析って慢性的に腎臓の機能が落ちてしまった人からすると、命を繋ぐ生命線みたいなものだからだと雰囲気込みで感じてた。手術室とかじゃないんだけど、『命の現場』に立っている感じがする。だからなるべく滞りなく業務をこなしていた。
で、腎臓って体の中の老廃物や余分な水分を体外に排出するのに欠かせない臓器だから、其処が悪い状態なのは致命的だって意識があっておばあちゃんの病状を過剰に心配していた面は否めない。一度透析が必要な状態になると、臓器を元に戻すのはかなり難しいし、出来るとしたらほとんど臓器移植だと思う。
だからやっぱり、私もおばあちゃんも健康でいられるように過ごした方が良いんだろうねって今日も話したよ。どんなにお金があっても、治療できない状況ってあり得るから。健康はお金で買いにくいものの一つだと思ってる。そして、今のこの幸せがいつまでも続くように努力した方が、未来への見方が明るい物になると思うんだよね。あくまでも持論なんだけど。
数十年後、ピンピンコロリとまではいかなくて良いけど、眠るように穏やかにいけるように気合いを入れ直した一日だった。


▼2026/08/10:境界が曖昧なんだ 窯の蓋 現世触れるあの子は何処

休日だったので、街へ出かけて来年の手帳を購入してきた。ロルバーンなんだけど、少し前から流行してるよね。例に漏れずというか、私も何冊も持ってる。書く事は様々で、最近だと『ハビットトラック』をするのにも使ってる。ロルバーンのページは方眼紙だから、それに手書きでマス目を書いて目標を決めて、毎日の習慣を記録している。私の場合は夜食を摂らなかった朝に一マス塗って、仕事以外で運動を30分やった日の夜にも一マス塗ることにしている。運動は結構埋まるんだけど、夜食に関してはなかなか埋まっていかない。つまりは食べてしまっているという事だ。一時的に一人暮らししていると誰の目もないからつい、色々つくって食べちゃうんだよね。良くないね。
この分を帳消しするかのように運動を頑張っているわけだけど、ほぼ毎日夜食を摂っている割に体重が現状維持か少し減少していて、肌も荒れていない辺り恵まれた体質なのかもしれない。
ただ、強制的に一人暮らしをしたから色々と予定は狂った。主に出費の面だけど、私が家計に入れている食費って大したことない額なんだね。おばあちゃんに甘え過ぎていたと反省してる(母や義父からの援助も大いにあるけど)。戻って来てくれたらもう少しくらいは家の事に貢献したい。お風呂洗いだって食器洗いだってやるし、洗濯は自分のくらいは総て洗いこなせるようになりたい。お昼のお弁当や休日のお昼ご飯以外もちゃんと作ろう。
今回の入院で大分メンタルが荒れてしまって生活も多少荒れたから、ゆっくり元のペースに戻していく。

実はね、明日おばあちゃんが退院するんだ。昨日の時点でも或る程度わかっていた事ではあって。今日の血液検査の結果が良かったみたいで、本当に良かった。

でも今回の教訓として、いつでも一人で生きていけるスキルをもっと身に着けるべきだと痛感した。私はもう良い年の大人なんだ。多少の言葉に動揺しないでいつも通りを目指して、その精度を上げる。なるべく家の事が出来るようになってからじゃないと一人暮らしは厳しいしね。
発達障害まではいかない非定型発達の人間だけど、立派に生きていければなぁと思う。いや、立派じゃなくても良いか。幸せに暮らしたい。大きな幸せが一つだけよりも、小さなものがいっぱいの方が嬉しいんだよね。
お盆休みで街が人混みが凄かった。皆普通に見えるけど、何かしらは抱えてる。

結局さ、生きてるだけで私達はみんな偉いんだよ



▼2026/08/08:拍手お返事。

シロさんへ
こんばんは。メッセージありがとうございます。今日一日仕事をお休みさせてもらって大分回復出来ました。どうやら色々と考え込んでいたみたいで、暫く睡眠が取れていなかったんですよね。でも今日はお昼くらいまでぐっすり眠れて、寝ている間に脳を休められたからか、視界に現実感が戻って来ています。今日は猫カフェに行ったりお菓子っぽい物を作って摂取したり、兎に角無理はしないで過ごしました。でもやっぱり完璧主義が否めないみたいですね。初めの頃に力が入り過ぎていたが故に軽躁状態だったのから鬱転したんだと思います。
元々宜しくない方向での衝撃があると受け止めるまでにタイムラグが発生するんですが、今回もそうだったんだろうなぁ。
でも、夜遅くまでチャッピーと話した結果、これからどう生きて暮らしていくかもなんとなく掴めてきました。実はずっと書いてみたいと思って来た小説に着手する心算で居ます。昨日ふと感じた事をチャッピーに話してみたらそう言う感じになって。
脳内でずっと温めてきた世界で、テーマになるのは『誰かにとっての英雄は別の誰かにとっての悪人。誰かを救うと別の誰かは絶望に追い込まれる。それでも貴方は何かを救えますか?』みたいな感じです。以前何処かで見聞きしたんですが、『人間は、きちんと頑張って生きていると必ず、誰かにとっての悪役になる』と言う言葉がずっと心の中にあって。正義の反対は悪じゃなくて別の正義だし、誰かを退け私達を救ってくれた人はその誰かにとっては敵になる。登場人物は皆自分が悪役であることを受け容れていて、それでも自分と守りたい物の為に罪ごと背負う覚悟を決めている、みたいな。
こういう事を考えられるようになったという事は多分、かなり回復できたんだと思います。
でも、いつかどんなに来てほしくないと思ったとしてもその日はやって来るんでしょうね。受容するまでは結構時間がかかるって今回の事でもよく分かったので、身近で大切な人にこそ感謝の言葉を述べて、後悔を少なくしていくのが良いのかもしれない。今回の入院は、それに気付かせてくれた気がしています。
そして、一人暮らしするなら完璧に自炊オンリーにしない方が良さそうでした。手の込んだおかずとかは時々スーパーの安売り時間を狙って購入しても良いし、簡単に調理できる加工品を使ったって言い。結構みんなそんなものなのかなと思いながら、いつの間にか地に足が降りていました。もう大丈夫そうです。
最後になっちゃったけど、本当にありがとうございました。今日も良く眠れそうです。


▼2026/08/08:俄雨の音 フェルメールより彩度は低い 見切り品の薄荷煮出す午後

友人からメッセージを貰ったので、後でしっかりと返信を書こうと思う。

おばあちゃんの体調はどうやら回復傾向にあるらしいと母から伝え聞いた。臓器や血液の数値上の話なので本人の様子は変わらずらしい。それでも昨日、心がどうしても苦しくなってしまって仕事を早退してしまった。心が回復し切らず、今日もお休みを頂いている。
以前の、ほんの少し前の私なら『私が消えればどうにかなる』みたいな破滅願望にも似た感情を抱いていただろうが、今は『私が消えたってどうにもならない』という思いで塗り替えられている。不思議な事に、自分を傷つけたいとかの前におばあちゃんの体調が回復してくれればそれで良いのだと祈る気持ちしかない。祈る以外の術が殆ど無いからだけど。
今できる事と言えば自分の生活を自分で或る程度は何とか回して、そこそこ健康的に生きていく事と仕事に行く事しかない。家の中は幸い荒れていない。少なくとも私の心よりは。
苦手な家事(洗濯)はネットに入れて洗える洋服だけ着て過ごし、こまめにやるようにしている。仕事の制服は毎日洗った方が清潔だし、その他も同じだ。
料理は痛みにくい物を中心に作り置いて、職場でのお昼ご飯は冷凍弁当を作り、その他は冷蔵庫に残っていた野菜類をなるべく使い切ろうと思って献立を決めている。今日は余ったレタスとミニトマトにウインナーを組み合わせてお味噌汁にする。同じく余っていたズッキーニは一昨日揚げびたしにして食べたら結構おいしかった。
モヤシと韮が安かったので(両者ともに100円未満)たまたま家にあったきくらげとカニカマと卵と共に中華風に炒めたら三回分くらいの量になった。今日の昼は幅広の春雨を煮て、豆乳を使った明太子ソースで和えて食べている。
掃除は毎日とは行かないけど掃除機をかけ、お風呂は毎日きっちり洗わないと水垢が凄い事になるのでしっかりと行い、序でに洗面所を掃除して明日捨てるごみを纏める。
毎日飲むゴボウ茶は夕方くらいに沸かして夜まで冷ましてから冷蔵庫に入れている。お米はもち麦を混ぜて四日分くらい一度に炊き、一食分ずつにして冷凍。冷凍庫は本当にすごい。

この前『一人暮らしの予行練習』と書いたが、私に出来るのはこのくらいのレベルのようだ。このほかにもやっている事はあるんだけど、それは一度横に置いておく。

体重の為にも甘い物を控えなければならないと思ってお菓子を買わないようにしたのだが、今日遂に挫折した。と言うか、甘い物と言う簡単に手に入るご褒美すら放棄すると心が乾いてしまうらしい。素直に美味しいと感じる甘い物は少しの量だけ必要で、食べ過ぎなければ良いのだ。今日はたまたま見切り品のスペアミント(一袋32円くらい)を見つけて、ふとこう考えた。

『これでチョコレートミントドリンクを作ってみようか』

買い物籠にそれらの袋と明治の板タイプのホワイトチョコ、小さなサイズの牛乳を確保し、トッピングとしてチョコレートでコーティングされたマシュマロもいっしょに購入。つい先ほど牛乳でミントを煮出すところから作ってみて、風味は其処までだけど心が回復する美味しさだった。甘い物は子供だけでなく、嘗て子供だった人の心も掴むのだとあらためて思い知る結果だ。これを飲んだので夕食は炭水化物を控えようと思う。総てを無理に絶つのではなく、少しずつ意識して調整すれば良い。
無理は何事にも良くないものだ。だから今日は仕事を休み、家でゆっくりと眠った。久しぶりに昼過ぎまで眠ったけれど、妙な夢を見たような気もする。でもさっぱりと忘れてしまったし、心が軽くなった感覚が有る。疲れていたりお腹が空いていると、人間は碌な事を考えない。加えて昨日は随分と暑くて、眠れていない事や太陽の眩しさにすっかりやられてしまった。しかしそれが良かったのかもしれない。昨日はチャッピーに『いつか書きたい小説』の話をした。細かな設定と言うより私がこれまでにずっと考えてきた事や思っている事、本当はどう生きたいのかと言う希望みたいなものの輪郭を探ってなぞるような話だったけど、この話を書き切る事が出来たら、私は心の底から満足なんだろうなと感じる物語な気がする。

たまたま書く事が得意で、道具も身近にあって、時間もそれなりにある。これは偶然かもしれないけど、偶然を偶然のままにしない事がきっと創作と言う嗜みの取り掛かりだと思ってる。何の為に書くのかと問われたら、私がこの世界に生まれた理由を作る為、と答えるかもしれない。多分ね、生まれた事に初めから定められた意味ってないんだけど、理由を決めたり作ったり見つけたりして生きていけば納得のいく人生になるんじゃないかと思うんだ。
生きる事に意味を見出せなくてもいいし、無くてもそこそこ幸せに生きていければそれでいい。ただそれに飽き足らず様々な考え事をして、時には考え込んでしまう私はそれを文字にすると云う手段があるから、書いてみようと思う。まずは終止符を置いて、逆算して書き始めよう。取り敢えず、Wordのバージョンが古くなっちゃってるからGoogleドキュメント辺りで。

▼2026/08/06:調え設え誂える 食う寝るところに住むところ

今、期間限定で一人暮らしをしている。正確には『予行練習』と言えるかもしれない。
昨日、おばあちゃんが入院した。まずは何があったのか説明させてほしい。
一昨日おばあちゃんは私の母と一緒に持病の為の受診をしていたのだけど、血液検査である数値が宜しくない経過を辿っていたと分かった。臓器の問題なのだが、本人に自覚症状はあまりなく普段通りに生活していた。何なら同い年のお年寄りよりは大分元気に振る舞っているし、食欲も睡眠もほぼ問題ない。孫の私と同じような食事内容だし、何ならよく菓子パンやインスタント麺類を食べている。
原因の一つは医薬品の副作用。勿論加齢もあるが、それにしても宜しくない数値を叩き出していたらしい。主治医が言うには『同じ症状の方を経過観察と言って自宅へ帰したら、そのまま亡くなってしまった』との事だった。
大分怖い。普通に生きていてあまり耳にしない類の言葉だと思う。
状況は程々にシリアスらしく、受診後そのままの流れで入院となった。勿論荷物を纏める猶予はあったが。
そして昨日の朝入院の手続きを済ませ、私は期間限定で一人暮らしをするに至っている。
この話を聞いた日(つまりは一昨日)は眠剤を飲んでもなかなか眠れなかった。聞かされた言葉達が結構ショックだったというか、身近に『他人の死』を感じたのは久しぶり過ぎて。
大昔、母が体調を崩し危なかった頃とは色々な事柄が違う。まず私は社会人だし、家の事は大体できる。収入もあるから資金援助が無くとも一定期間は生活できる。
今日は元々休日で、ネイルサロンの予約を入れていたのでそれまでに大体の家事を済ませた。起床し顔を洗いゴミを出し、朝食をとって身支度の後に洗濯と掃除、買い出し、昼食を含めた炊事(明日から三連勤なので作り置きを幾つかした)。ネイルサロンの後は少し街歩きをして、帰ってきたら夕食を作り食べ、お風呂を洗って食器も洗い、いつも飲むゴボウ茶を沸かして冷ましている。あとは入浴してスキンケアをして眠剤を飲めば大体きちんと出来るだろう。
ここ最近ずっとやってしまっていた夜食は強制的に出来ない状態にした。お菓子は購入せず、パンや直ぐに食べられるインスタント食品などは自宅に置いていない。一応の情けとしてカットスイカだけ買って来た。いよいよもってきつくなったらこれを食べる。蜂蜜カモミールティーや豆乳ココアでも良いかもしれない。
案外、やれてしまっている。でも流石に昨日はメンタルが不安定だった。チャッピーに相談して泣いてしまうくらいには。
私は普段からお風呂が大好きで食べる事も寝る事も大好きなのだけれど、昨日はそれらが如何にも巧く出来なかった。食欲があるのかないのか分からない状態で、お風呂の準備が出来てもなぜか入れない。睡魔もなかなか来ない。自覚は無かったのだけど、思いの外、おばあちゃんに依存しているのかもしれない。
家事や買い物は其処まで苦じゃない。正直なところは。でもいつも帰ってきたら笑って話すおばあちゃんが居ない事が、結構堪えている。

今日は何があったのか、施術して貰ったネイルのデザインのポイント、街で見掛けた可愛いもの達、これから発売するコスメの話、今後書きたいもの、作りたい物の事。

これら総てを私はおばあちゃんに話して報告するのが楽しみだった。あまりよくある例ではないと思うけど、私は今度書きたいと思った小説の内容は大体おばあちゃんに話してディティールを詰めている。笑って聞いてくれる事に救われているのだと、今更思い知った。
おばあちゃんはギリギリ戦前生まれの人だ。日本人の平均寿命は年々伸びているけど、それでも最近たまに「あと何年生きられるかねぇ」みたいなことを漏らす事がある。認知機能はしっかりしている。日常生活にも支障はない。歩行だけはゆっくりだけど、骨密度や今回の入院の切っ掛けになった臓器以外は其処まで悪くしていない。ちなみにおばあちゃんの母方の叔母様はまだご存命だ(来年で100歳)。おばあちゃんは7人兄弟の下の方で、一番上の兄貴(つまりは大伯父。90歳)もご存命で矍鑠としている。あっちの血を引いていれば長生きできるんじゃないの、なんてよく言っている。
それでも、おばあちゃんと同じ症状の人で亡くなった方もいる。だから放置せず入院して治療するのだ。現在は飲み薬の他に点滴を受けているらしい。電話で軽く話したが、おばあちゃんの体調を考えて短時間にした。

明日、いや、1時間後、私は自宅で何をしているだろう。急に隕石が落ちて来たりアパートに車が突っ込んできたりするかもしれない。闇バイトの人間が窓をたたき割って侵入してくるかもしれない。

急に話が飛躍したけど、今生きている人が明日も生きているのかって、保証してくれる存在なんて無いって事が言いたかった。
実生活は割りと巧く出来てる。苦手な家事もやり方を調べられる魔法の板(スマートフォン)があるし、料理や掃除は元々趣味みたいなものだ。それでも私は一般的な人達よりはメンタルが弱いんだと思う。今日は何処か地に足がついていなかった。見ているすべてに現実味が無い。いつものメタ認知でなく、実感値としての話。
明日、私はどうなるだろう。如何にかできてしまうくらいに実力はある心算だけど、でも。
さっきチャッピーに昨日話を聞いてもらったお礼を言って、今日やった事を軽く話した。その時は『案外どうにかなりそう』と言えたし、今も思ってる。それでも心がざわざわしている。

いつまでも続く日常は、当たり前のそれらは、簡単になくなってしまう可能性を隠し持っている。だからこそ、今を精一杯に頑張るしかないのかもしれない。後悔しない人生って多分存在しないし、それならせめて、自分にとって納得のいく後悔を選べたらいいなって思った。


▼2026/08/02:六秒後形を失くすそれの為 振られる拳 誰が為と問う

主語が大きくなってしまうけれど、この世で生きている人間は何かに怒る事で己を保つ人が結構多いんだなと感じる今日この頃。私含めね。世界では色々な問題が起こっては解決されたり改善されたり逆に悪くなったりする。問題視される場面とか対象とかは色々なんだと思うけど、自分には何の関係もない事(関係させた方が良い事は除く)で異常に怒っている人を見る度身につまされるというか、私もああいう風に怒っている事があるなぁと感じては羞恥心に近い何かが刺激される事があるんだ。怒った方が良い事はたくさんあるし、自分事として考えた方が良い問題だっていっぱいあるんだろうけど、『怒る』まではいかなくても良いのになと思う事が最近増えてきたんだよね。

『怒る』と『抗議する』は似ているけれどきっと違って、『意見を言う』と『中傷する』も似ているようで決定的に違う。行動内容が似ていても意味合いが全くもって逆な事も多いと思う。『怒る』は感情の発露で、『抗議する』はそれも踏まえて現状をより良くしたいからする行動の事だと私は思っていて、『意見を言う』とも似ているし割りとニアリーイコールだと思う。『中傷する』は文字通り加害の行動だけど、『怒り』と言う感情が無いとこれは成立させ辛いんじゃないかと感じている。
『怒り』ってさ、ちょっとしたきっかけで抱いたものなら、それを抱いた瞬間から6秒くらい経ったら消えちゃう事の方が多いんだって。感情の中でも寿命が短いのか、他の感情もそうなのかは分からないけど。確かに、怒りを抱いた瞬間から無言で6秒数えたら冷静に近くなるかもしれない。それでも消えなかったらただの怒りじゃないのかもね。
最初の話に戻るけど、世の中には色々な問題があり過ぎるわけじゃない。でもそれに『怒って』文句を言って誰かを傷つけるような行動をとってしまうまでには幾らかの時間が流れている筈なんだよ。その間に冷静になれないのは『怒りの元』を反芻しているからかもしれないし、自分で増幅させるような行動をとっているのかもしれない。私は気があまり長くないから直ぐにムカついて腹を立ててしまうんだけど、それを表に出す事はそんなに無いんだ。自分の中で消化するようにしてる。主に6秒数えてから『でもこれで私が不利益を被るのか?』って考えて大体は『違う』から治まっちゃう。ただ、あまりにも自分に余裕が無いとか虫の居所が悪いとかだとインターネットやSNSに書き込んだりしちゃうんだけど。
この『自分に余裕が無い』『虫の居所が悪い』人が、思いの外この世界には多いんだと思う。『性質』じゃなくて『状態』だからだろうね。そして誰かや何かを批判したら自分もすっきりするし、世の中の為になる行動が出来ているように思えるから気持ちいいんだと思う。気持ちいいというか、快い、みたいな。
赤ちゃんってさ、『快』『不快』の二つから成長していくにしたがって段々と色々な感情が増えていくらしいね。人間の根源的な感情がこの二つなんだとして、誰かや何かを批判したり意見を言ったりで快感を得てしまった事で無意味に、例えばそれが何も生み出さず誰かを傷つけたりすっきりする為だけの物になってしまうんだとしたら、それを繰り返してしまうのは、或る種の退行にも思えてくる。
勿論批判し合って意見を戦わせて折衝したり現状を改善していくことも沢山あるんだと思うよ。人間ってそう言う性質の生き物でもあるんだし。ただ、自分が気持ち良くなりたいからって言う本当の理由に気付かずに言葉を振り翳したり怒りに身を任せてしまうのはどうかと思うんだ。
この考えに至ってしまって以来、私は私を含めた誰かが起こっている様子を妙に俯瞰してしまう事が増えた。自分に起こる事ならこれは『メタ認知』って言うらしいね。前から書いている通り、私はいつも私じゃない所から私を見ているからこの感覚が育ちやすかったんだと思う。何だろう、常にそうだっていう訳ではないんだけど、目線が冷めてるんだと思う。簡単に怒るのに冷めるのも早い。だからすぐに治められてしまう。
色々な問題に対して常に煮えたぎっている人はこんなにも早く冷めたりはしないんだろうか。それとも、直ぐに別の問題に対して怒ったり、怒りやすいポイントが絞られていて、刺激されると直ぐに燃え上がってしまうのかもしれない。
少し話がそれたけど、怒りと言う感情に任せて何かを批判して気持ちよくなってしまう性質を持った生き物が、その上で意見を戦わせて現実を良くする為に性質を利用するのか、誰かを傷つけて追い詰めてしまうくらい利用されてしまうのかに大別されるような感じがずっとある。そして両者は場面とか立ち位置で簡単に入れ替わるんだと思う。

今握っている拳の中の『言葉』や『意見』を、本当にぶつけても良い対象なのか。ぶつけられた相手は傷ついてしまわないか、ぶつけて何か改善されるのか。
その判断の為にも6秒間数える事にしてる。数えて冷まして、考える余裕を作ってる。その上でぶつけるべき時にはぶつけるし、ぶつけるって言う形じゃない方が良い時の方が多いから、良い感じの手渡し方を考えたりする。
どうせなら柔らかく渡して受け取って貰った方が嬉しいから。相手の受け取り方次第で私は悪者にもなれるし、その逆にもなれてしまう。受け取り方の問題な事だってあるけど、まずは手渡し方から考えた方が良いんじゃないかなって思うんだ。

ラッピングする余裕が無くても、持ち帰りやすいレジ袋くらいの優しさは持っていたいなって思うから、6秒間の沈黙を選ぶ。
まあ、これは相手がこっちに敬意があるって分かってる時だけの余裕なんだけどね。

▼2026/07/29:心配な事がある。

熊本が震源地の地震、恐ろしい事がまた起こってしまったなと思う。この国に生きていると世界の多くの人達よりも多く、地震と言う自然現象且つ災害を経験することになるからと心づもりをしている筈だった。ただ、毎回地震の報道を見聞きする度改めて恐ろしくなる。
この夏、北海道や東北の一部地域以外は『猛暑』『酷暑』と呼んで差し支えないと感じていて、去年は私が心配される側だったから余計にそう感じるのかもしれない。暑さや湿度でも生き物は亡くなってしまうから。実の所、オタク繋がりの友人や知り合いの何人かは九州に住んでいる。画面の向こうに居る彼等彼女等は今どうしているのか、怪我をしたり食事に困ったりはしていないだろうか、眠る場所や休める場所はあるのか。仕事で繋がりのある人たちも沢山居る。どうか無事であってほしい。
普段消えたいだのなんだの言っている私だけど、他の人達には幸せであってほしいよ。せめて迅速に救助されたり救命されていれば良いと願うばかり。

▼2026/07/28:補おう 足りないからと努めても 生まれながらに埋まらない溝

最近、たまに考える事。
私は以前知能指数を測るテストや発達障害の可能性があるか明らかにするテストを受けたんだ。結果は前に書いたね。知能指数は平均のど真ん中で、発達特性は有っても障害とは呼べないグレーゾーン。その後で障害者職業センターって言う施設で適性検査みたいなのも受けた。こっちの結果では、出来る事と出来ない事の差は確かに激しい。でも、知能指数が低そうとは言われないし、凸凹が激しい人なんだねって言う結果。
多分このブログを読んでくれている貴方なら分かると思うんだけど、私は自分の考えを言語化する能力には長け過ぎている。その代わりというべきか、数学に関する業務は苦手な傾向がある。表計算ソフトとかは大の苦手だし、学校では二次方程式の当たりからほとんど授業内容について行けてなかった。
一応、高校には入れた。現国よりも古文や英語の方が得意で、もっと言うなら歴史とか化学とか生物の方が前者立ちより得意で、でも物理と数学と地理は苦手。だから『文系』『理系』に分けづらいタイプだったような気がしている。
色々あって初めの高校は卒業できずに別の所を卒業して、今は社会人になって十年目。何だかんだ普通に生きている(若しくはそう言うふりをしている)と思う。
社会人になった頃くらいから『地頭が良いね』と言われる事が増えた。初めて耳にしたのは薬局に勤めていた頃で、薬剤師さんに言われたと記憶している。多分彼女は褒めるニュアンスで使ったんだろうと思う。その頃私は医薬品登録販売者の資格勉強をしていて、思いの外呑み込みが早かったから。通信教育のテキストも使って勉強して一年目で合格した結果に鑑みると、その言葉は適していたんだと思う。これが8年くらい前の事なんだけど、その頃から彼方此方で『地頭が良い』に類する表現を見聞きするようになったように思う。
辞書を引くと『地頭』には歴史的用語の(役職の事らしい)『じとう』と生まれ持った思考力やモノを見て推測する能力の『じあたま』の二通りがあって、よく聞くのは後者だよね。
前に『地頭が良い』は誉め言葉じゃないって言う意見も目にした事はある。その用例だと『貴方は学校の成績は良くないけど、励ます意味でこう言うね』みたいな言葉だって意見だった。まあこれは一応例外で良いのかな。誉め言葉として使う言葉が逆の意味を持つ事っていくらでもあるし、通常謂われる『地頭』って言うのは『生まれ持った脳の力』みたいなニュアンスで良いと思う。
私は今趣味で英語を勉強していてわりと捗っているけど、この事を知り合いや友人達が知った時『貴方は地頭が良いから』って口を揃えて言われた。生まれ持った脳の力がそうさせるっていうのは、まあまあラッキーなんだろうなとは思う。ただ、知能指数は日本人の平均値(110)よりはやや下なんだよね。ほんの少しではあるんだけど。世界規模で見ちゃったら案外上の方なのかもしれない。平均って一人だけ高すぎても上がっちゃうもんだし、識字率がこれだけ高い国で何を言っているのかって話でもあるから。
私が知能テストや発達検査を受けたのは、自分の生きにくさが知能由来なんじゃないかって言う疑いを持ったからだ。結果的に非定型発達、つまりはグレーゾーンだって分かって『本当に診断がつかないんだ』と納得出来て良かったけど。
知能指数だけなら私は健常者なんだよね。しかも所々では突出してる。
この前お店にお買い物に来てくれた人が多分知的障害を持っているように感じられる人で、でも普通に働いて動物を育てる事も出来ている。理性を持って自律した行動をとれる。このレベルの人なら、社会生活を営むのは大変かもしれないけど、受け入れてくれる人達は沢山居るんだと思う。
問題なのは、受け入れられにくいタイプの障害を持つ人達なんだろうなって言うのが最近たまに考えてる事。
自分をきちんと理解できず、指導や支援に素直に応じられず、要所要所で助けを求められず、自分で努力すべき場面で頑張れない人。言ってしまえば『扱い辛い』人。でも本当なら、こういう人の方を優先して助けないといけない。それでも本人がそれを拒否するとか、周囲が阻害する。そのまま過ごす中、法に触れてしまうこともある。でもそれが何故駄目なのかを理解できないから正しく指導されず罰されることも無く、野放し状態になるからますます孤立する。
日本以外の国にも沢山居るんだろうけど、こう云う人を前にした時私はすごく怖くなるんだ。自分もこうなる可能性はあった事と、もしこの人の気に障ってしまったら何が返ってくるんだろうって。
もう十年前になるのかな、重い障害を持つ人達が沢山殺された事件があった。犯人がやった事は勿論許しちゃいけないんだけど、考えには賛同できてしまう部分があった。障害を持っている事を理由に健常者と同じように裁かれないんだったら、その人を人間扱いしていないのと同じだって、ずっと思ってたから。
私はたまたまメンタルの病みが自分に矛先を向けるタイプだったから、自分以外を物理的に傷つけようとした事は無いよ。ただ、もし、幻覚や妄想のままに誰かを傷つけていたらどうなっていたのかと怖くなってしまう。
正常な思考を保つのって意外と大変で、少し疲労がたまっていたり睡眠時間が短かったりすると簡単に認知が歪んでしまうと感じる。病気の特性である連合弛緩で考えと物事の結びつきが緩いから、簡単に考えが飛躍してとんでもない被害妄想に陥ったりもする。最終的に全部やめてしまおうかと考える事もある。『疲れてるだけだな』って分かるから考えるだけだけどね。錯覚に近いものだってわかってる。いくつかあるの条件のひとつが外されると途端に不安になるのも特性だから、そう言う時は毎回自分に『これで世界は終わったりしない』って言い聞かせてる。

問題は、これが出来ない人も多いし、上で語ったような人たちは大体が難しいんだろうなって事。自分について深い所まで考えて知る事とか理解することって結構難しいし、当たり前に出来る事ではないんだなってよく思う。逆に言うと、これが出来るから私は『地頭が良い』って言葉をかけられるのかもしれない。
自分の中に深く潜って『私は本当は何を考え、欲しがっているのか、やりたがっているのか』って考える癖があるのはそれも理由の一つなんだと思う。だから言葉を操る事に長け過ぎているのも、悪くはなかったのかもしれない。時々痛い所に触れてビックリしちゃうだけで。
明日の私は何を考えるのか今の私には分からないんだけど、多分未来を良くしようと努力することには変わりないんだと思う。本当は、生きるのって面白いからね。

▼2026/07/25:氷かく 蜜を掛けても消えない苦み 青色してた夏の真ん中

今回のタイトルは結構意味を推測しやすいと思う。最近暑すぎて基本髪の毛を纏めていて、後ろで一つに括ってクリップで留めてると一見前髪のある呪術○戦の夏○傑みたいな髪型なんだ。同じ黒髪で長さもあの人くらいだから、いっそもっと筋肉付けてムキムキになって戦えるようになりたい。主にカスハラと。

前々から思ってた事がある。私は『何もせずに待つ』時間や期間が苦手だ。仕事だとやる事を見つけられるし何かしらする事があるからまだ良いんだけど、プライベートで、特に新生活(つまりは一人暮らし)について待ちの期間に入ったんだよね。引っ越そうと思ってるのは十一月の末頃。そうなると動き始めるのは早くて九月になる。で、今はまだ七月なんだ。私はどうも作業に取り掛かるのが速い方らしくて、時間は有限だからなるべく効率よく動きたい故につい急いでしまう。焦りやすい性質だしね。アレルギー検査も終わったし、もう動きたくて仕方ないんだ。
でもこの段階で不動産屋に行くみたいな行動をとってしまうと余計な出費が発生したりするらしい。内見したい部屋は幾つかあるんだけど、何処を押さえるにしろ現段階で動いちゃうと初期費用に前家賃がプラスされたりするんだって。考えてみれば其処に「今すぐ住みたいです」って人が居たらその人に貸した方が良いわけだし、何のお金も徴収しないで部屋を押さえてくれる方が不思議な話なんだ。
となると、今はどんな物件があるのか軽ーく見ておくくらいでちょうどいい。あとは家電と家具について調べるとかくらいで、でもそれをやり過ぎると私の場合妄想力が豊か過ぎて『理想の新生活』について過剰に夢見過ぎるから、具体的に動きたい欲が強くなってしまう。
昔から、考える前に動いちゃうところはあった。今は前ほどじゃないけど考え過ぎると過度に理想化しちゃうところも否めない。理想通りに行くなんて夢の中と空想の中だけなんだけどね。創作活動だって思い通りにはいかない事の方が多いよ。
多分、長年夢見て本当にやってみたい事の一つだからこそこんなに必死になっちゃうんだと思う。であればその気持ちを無理矢理に抑えるんじゃなくて、少しそらして別の方向で発散する方が現実的だ。一人暮らしに関わる事であれば家具家電の値段と相場、送料や購入方法について調べるとか、家事や炊事、節約とかの暮らしの知恵について調べるのでも良いと思う。
紙に書き出して具体的に計算してみるとか、ネットでどういう順番に何を買うべきなのかを調べて検討してみても良い。現実問題直ぐ使うものとそうでもないものとあるだろうし。ただ、これらはやり過ぎると『早く内見に行きたい!』となるからやりすぎは禁物。
思考を全く違う方向に向けるなら、創作活動が一番効率が良いし費用対効果も悪くない。今書いてる小説、あと一話で完結なんだけど所謂大団円な終わり方はさせない心算なんだ。読んだ人の心に何処か引っ掛かるものを残してみたいと思ってる。ハッピーエンド寄りのビターエンド、もしくはトゥルーエンドに近い感じ。で、その後はシリーズ通しての解説文も書く予定。今回はタイトルが自作の短歌だから、どういう経緯で詠む事にしたのかとかシリーズ全体のタイトルの意味についても語りたい。そして、この前書き上げたイラストもその一部なんだけど、登場人物のイメージイラストも合わせて四人分描く心算で居る。下絵はもう仕上げたし。
この前私は『逆算して創作する』だって分かったから、仕上げたい時期だけまず決めてしまってもいいかもしれない。それで九月までの予定を埋めてしまおう。仮置きでも良いから隙間を埋めちゃわないと余計な事を考えて疲れてしまう。……何か、昔読んだ小説みたいな言葉だ。京極夏彦の魍魎の匣で『隙間を埋めないといけない』みたいな表現ってあったよね。最後に読んだのは高校生の頃だし、内容は覚えてるから読み返さないけど、あの頃も似たような思考だったのか、それとも今よりのんびり構えてたのかは正直覚えてない。あの後一回私の全部が終わる所で、戻って来ての今だから焦ってるのかもしれない。

人生ってさ、いつまでもは続かないじゃない。でも案外続く事も多いから、もう少しちゃんと味わってみようかなと思うよ。早食いは肥るもとだしね。


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