▼2026/09/28:白粉はたいて化粧う紅 刷くなら小指? 瞼なぞって胸を張れ
装いについて語ってみようと思い立った。私はお洋服やメイクを含めたお洒落が大好きなのは皆さんご存知だと思う。可愛らしい物、格好良い服装、整った髪型、美しいディティールを追求することが好きだ。メイクに関しては研究に近いレベルの事を二十年以上やっている。数年前登録販売者試験に合格したのをきっかけに資格取得に興味が湧いて、転職を考えていた事もあって日本化粧品検定を受けてみる事にした。この資格には1級と2級があって、私は受験日程なども加味して一日に両方を受けて両方に合格した。勉強した期間は半年ほど、ほとんど独学だ。テキストは公式の物を購入し、模擬試験も受けてみて『多分2級は余裕で受かる』と確信して同時に両方を受けるという軽めの暴挙に出た。
物心ついた頃からお洒落が好きで、幼稚園の頃初めてネイルサロンへ連れて行ってもらった。その頃毎日のように爪にシールを貼ったり水性ペンで色を塗っていたのを見た母が「爪を綺麗にしてくれるところ、行ってみる?」と提案してくれたのだ。
当時はまだジェルネイルが主流じゃない頃。赴いたお店のお姉さんにマニキュアについて軽く説明を受け爪を整えるところから始めて貰った。ぬるま湯で甘皮をふやかし、オレンジスティックと呼ばれる木の棒にコットンを巻いたものとキューティクルオイルを使って優しく押し上げる。爪の形もまるく整えて、明るいピンクの色を塗ってもらい、乾かす間はじっとして、白いお花も描いてもらった。当時五歳の私にとって一番印象的な思い出の一つで、あの時はただ嬉しいだけだったが、大人になってから「うちのお母さん凄くない?」と思うくらい楽しく誇らしい体験だ。
日頃母への不満もこの日記に書いている私だけど、小さい頃から母は自分にとって関心の無い分野であっても私がやってみたい事は大体やらせてくれた。
この体験がきっかけになって、小学校の高学年頃からセルフネイルを始めた。高校時代、ナチュラルなカラーばかりとは言え毎日のようにネイルをして通学していたが(調理実習の日以外)、本来であれば校則違反だっただろうに先生方は何でか見逃してくれた。メイクは休日に行う事の方が多かったが、そもそもうちの学校は校則違反の見た目の生徒を頭ごなしに否定しないタイプの高校だった。ギャルの友人は流行に則り教室で付け睫毛のカスタムを行なっていたし、授業中でなければメイク直しをしていても特に何も言われていなかった。
私が本格的にメイクを始めたのは中学生の頃だ。当時ゴシックロリータやパンクロックの服装に傾倒して兎に角濃くて派手なメイクばかり研究していた。スキンケアに関しては小学生の頃に母から指導を受けて始めたのが最初だろう。洗顔料や化粧水は自分で選んで購入していた。お小遣いの範囲で如何にかできる価格帯の物が中心で、誕生日やクリスマスにねだって購入して貰う事も幾度かあった。
高校生になると周囲も皆或る程度のメイクをする子の方が多かった。校則は一応「メイクは禁止」なのだが、生徒指導の先生含め、皆「常識の範囲なら良いよ」みたいな態度で見逃してくれていた。実のところ、服装検査や頭髪検査と言った見た目を縛るタイプの指導を受けた事が無い。
中高と制服の無い学校に通っていた事もあり、お洋服は自分で選んで購入して学校へ来ていくのが当たり前だった。中学の頃はパンクロック寄りの格好だったのもあってUNIQLOやアベイルで購入した洋服へカスタムを施して着用することが多かった。田舎の学校だったからか、周囲に似たようなタイプの女生徒はいなかったけれど、個性豊かなのは良い事みたいな認識で受け入れられていたらしい。
高校生になるとお小遣いの額が上がり、長期休みなどに原宿へ向かってはお洋服を購入していた。メイクも同時に研究しまくって、でもドラッグストアで購入できるものが中心だったあたり若者らしいと言えたかもしれない。
この頃精神を病んで何度か入退院を繰り返したが、それでも自分の装いを整えることはやめなかった。当時、お洒落で可愛い事は私にとって最優先事項で、どんなにメンタルが荒れても洗顔とスキンケアは欠かさなかった。自分でも不思議なのだが、メンタルの荒れが見た目への無関心には絶対に繋がらなかった。
メイクへの自信がついたのは割と遅い方だったかもしれない。専門学校2年の頃指導してくれた教諭と女子トイレで一緒になった時、メイクを直していたら「あなた、ちゃんとメイクしていて偉いわね」と褒められたのがきっかけだったように思う。その教諭は社会人としてのマナーを教える講師で、彼女はうちの学校の女生徒たちがあまりメイクをしない事が気がかりだったらしい。元々ブライダル関係の仕事をしていたそうで、私が毎日昼休みに女子トイレでメイク直ししているのに感心していたと教えてくれた。確かに、メイクの乱れは本当に許せない事の一つだから昼休みには必ず鏡の前に居た。髪型も服装も、一日に何度か整える機会がある。今は接客業な事もあってマナーとしての身嗜みも整える。けれどもそれ以上に『装う事』が好きだ。
卒業前に彼女は生徒たち一人一人に『長所と思う所』を教えてくれたのだが、私の時には「あなたは本当にメイクが上達した」と述べていたので最後まで私は『きちんとメイクをする女子』と言う認識だったのだろう。
社会人になって暫くした頃、コンタクトレンズを使うようになったのもあって更にメイクが上達した。自由になる岡部が増えた事もありスキンケアは『とにかくお金をかければいいでしょ』とデパコスに手を出しまくっていたが、現在はプチプラの『菊正宗酒造 日本酒の化粧水』と同じラインの乳液へ落ち着いた。それでもナイアシンアミド入りの一番値の張るものだが。ここ数年この二つでスキンケアを終えることが殆どだが、肌の調子は割りと良い。高い物を闇雲に使ったり、高いからとケチって使わないで安価なものをたっぷり使うのが合っているらしい。日焼け止めも安さとUV対策の効果、使い心地を重視して選び、此方も何年も同じ商品をリピートして使っている。
多分なんだけど、私は割と早い段階で『今の自分の最適解』みたいなものを見つけられたんだと思う。それは商品もそうだし、使い方も同じ。全身の保湿はするけど、マッサージまでは毎日なんてできないし、メイクを落とさずに眠る事はあり得ないけど、シートマスクに何千円も出すのは難しい。たまに気が向いたらスペシャルケアもするし、時短したい時にはクレンジングと洗顔料が一体化した商品にお出まし願う。シャンプーをする時はネイルの保護も兼ねてスカルプブラシを使用して、序でに頭皮も揉み解しておく。頭痛予防も兼ねている。
通勤中は暇潰しも兼ねて顔の体操をして歩いていることが多い。舌を口の中で回したり、首の筋を伸ばしたり、こめかみを揉んでいる若干の不審者だ。
現在三十四歳だが、お陰様でほうれい線もゴルゴラインもマリオネットラインもない。と言うか、目元の細かなものを除くと皺らしきものは今の所ない。結構自慢できる点だ。
前の仕事をしていた頃より体重は増えたが、同時に筋肉も増えた。毎日身体を動かすのは大切な事なのだろう。疲れてもお風呂に入って汗を流し、しっかり眠れば翌日には回復しているから若い頃よりも体力があるように感じている。
仕事とプライベートではほとんど別人のようなお洋服を着る。現在はパンクロック要素はほとんど無く、基本ロリータかガーリー路線にゴシックや地雷の要素を足している。たまに量産系の時もある。昔からくすんだパステルカラーが好きで、今は兎に角ピンクとラベンダー、ミントグリーンが大好きだ。以前パーソナルカラー診断を受けたところ、『ブルベ夏、でもブルベ冬の要素もあり』の判定が下った。骨格は典型的なストレートらしいが、下半身に肉がつかず上半身に厚みがある所は特にストレートだと我ながら思う。
幸い自分の好きな色が似合う色なので、基本的にイエベ向きの色はあまり使わない。特にイエベ秋向きの色を使うと顔色が病人になってしまう。しかし、グレーの口紅やどす黒いカシス色の口紅を使っても病人にはならないのが我が事ながら不思議だ。ゴシックなメイクをしても怖くはならないらしく、以前小さな女の子に「お姉ちゃん可愛いね!」と褒められた事もあった。この女の子も可愛らしくて将来有望だと思った。
道行く高齢のご婦人にもよくお洋服を褒められるし、ロリータを着てフリル付きの日傘を差していたら初対面の女性に「何処で買ったんですか? 姪っ子にプレゼントを探しているんです」と問われた事もあった。
自分にとって好きなものが似合うというのは当たり前の事じゃないし、似合わせるための努力は欠かせない。でも、装いを整えることは『義務』じゃなくて『嗜好品』に近いものなんだろうなと感じてもいる。お洒落はしたい人はしたいだけすればいいし、逆も同じ事。職場やTPOに応じてさえいればどんな格好でも良いのだ。見た目って、整えようと思うと際限がないから。だから自分以外の人の装いに口を出し過ぎるのは如何なものか、と思って特にコメントを求められない限り、他の人の服装に口は出さないし、アドバイスもほとんどしない。たまに母から洋服を見立ててほしいと要請された時くらいだろうか。それでも大分趣味と価値観が違うので商品選びには難航するが。
私にとって装いとは『嗜み』であり『楽しみ』だ。無駄な事と思われかねないこだわりも、私の日常には必要なもの。でもそれを押し付けないのが私にとっての『矜持』の一つなのかもしれない。
▼2026/09/27:意図 思考 掬って紡いで縒り上げる 織って描くは自動書記
久しぶりに趣味の小説を書き上げた。今回は本当に書きたい話を作品にしたい思いが強かったから、〆切も報酬も設定するのを忘れていた。ただ『書きたい』だけで書いたのも久しぶりで、自分でも納得の仕上がりに出来たからか、心が充実してる。書き始める時、実はあまり脳内に文章らしきものは無いんだ。ただ描きたい情景とか使いたい言葉、描写の表現があるから、それらに糸を通して仕上げていく感じなんだよね。ビーズ手芸とか織物にも似ているかもしれない。繋ぐための糸は私自身が縒り上げる物なんだけど、それを使って色々な要素を救ってつなぎ合わせたり、織りあげていく感じ。或る程度出来上がらないと『こんな感じなんだ』って全体像が見えてこない。でもこの感覚が好きで書いている所がある、本当に書きたいことは書いた上で、後は何処に入れたい表現を入れていくか、若しくは省くか。最終的に主人公がどんな救いを得るのか、若しくは失うのか。何が終わって何が始まるのかも文章の上なら自由自在だ。
今回は最近ハマっている短歌を作品に組み込んでる。まずは短歌を詠んでそこからイメージを膨らませる。一応タイトルになりそうな短歌には幾らかのストックがあって、その時感じた事や言いたい事を並べて読んでる感じだ。だから渡すの感情が結構ダイレクトに顕されて、これは本当に短歌なのかと疑う事も多い。守っているのは三十一音に収める事だけだ。でも詠むようになってから、何となく作品の蛇足部分を減らすのが巧くなった気もする。何事にも丁度いい領域と言うのがあるから。
そして私は自分自身の考えを言葉にして文章を紡いでいく過程で整理しているから、文字を書く事が本当に大切な生きていく上でのスキルなんだなと実感した。
敢えて制限の中で自分を表現できるようになると、丁度良い表現や相応しい言葉も見つかるようになってきたよ。
今日書き終えた小説は4時間半くらいかかったんだけど、それにしては結構な文字数になったし、書きたかった場面を書く事がしっかりと出来た。反省点も多いけどね。
私にとって話すこと以上に『書く事』が自分を救う薬になるんだって、改めて思ったんだ。私が私じゃない私の中でそれでも主導権を握る為の必要事項。きっと明日も私は私じゃない自分を演じる。せめて嘘の無い言葉を紡げたらいいんだけど。
▼2026/09/21:虹の裏 鏡の国より面白い 硝子より屈折するカタチ
昨日はこのブログで母の事を散々に批判したんだけども、結局のところ親子なのは変わりないなぁと感じた今日。私が嫌だと感じる母の部分と自分自身に思う嫌な所が結構似通ってるなぁと思えた出来事があってね。考えが似ているからぶつかり合う事が多いのかもしれない。母は母として私を愛して案じてくれているし、それを了解して心に留め置く事も大切な気がする。認知の歪みなのか私の特性上、どうしても受け入れらない言われ方みたいなものがあるんだ。母は割と簡単にそれを踏みぬくところがあるように感じる。でもそれを伝えても母はやめられないんだろうし、私は巧くそれを主張できなかったから拗れてしまう事があるんだろうね。母は絶対的に正しくなんかなくて、でも時折私はその事を忘れてしまうし『正しい母像』みたいなものに縋ろうとして苦しくなってしまう。
自分が間違っていると認めることが得意じゃないし、間違っているなら正しい方向へ連れて行ってほしいと縋りついてしまうから。自分で自分の事を適切に判断するのが苦手なのかもしれない。これが仕事ならマニュアルなり規則なりに従っていればいいから楽なんだけど、私生活だとその法則は適用できないじゃない。この場面ではこれが正解だけど、少し時間が経ったら別の答えの方が適しているとか。人間として生きるのって難しいなと思う。言葉や態度、行動かをどう捉えるか、捉えられるか、意識し続けなければならない事に、時々疲れてしまう。
でも、だからこそ、自分の中で『これをしたい』と感じられるものがあるなら大切にしておきたいんだ。それが誰かを傷つけることじゃなく、正しくない側面も持ちつつも行為自体の魅力に天秤が傾くのだとしたら。
レンズは厚みを増すと小さなものが大きく見える。私は視力が良くなくて極度の近視なんだけど、近くの物を見続けようとして水晶体が分厚くなりすぎると、遠くのものが見えづらくなるよね。そして視野は狭くなる。周囲にある色々なものが目に入らなくなって損をしそうな人生を送ってきたのかもしれない。それを母は知っているから私を強い言葉で止めるのかもしれない。
ただ、言い方やタイミングが総て適切かと言うとそういう訳でもない。勿論私も正しいばっかりじゃない。繰り返しになるけどね。
与えられる愛情と、受け取る側の愛情を収める場所の形が若干に違うんだろうな。ぴったり合う事ってそんなに多くは無さそうだけど。子供の頃はそもそもその『形』っていう概念が無くて、与えられるものはみんな吸い込んで心が育っていくんだ。或る程度育って、形を持って初めて自分はその形のものを欲しがっていなかった、別の形にしてほしかったのだ、と気付くのかもしれない。
誰かが愛情を求める欲って際限のない所があるけど、その要求にどこまで合わせるべきなのか、親子でも答えはなかなか一致しないんだと思う。結果すれ違いや行き違いが起きて確執の種が生まれる。それが芽吹かないように無意識に抑え込むのも理性だと思う。時折別の場所で息抜きをしたり家族以外の信頼できる誰かに話してガス抜きしたりしてさ。こうして文章にしていると、私は直接話すとか手書きの文章よりもタイピングの方が巧く言葉を扱えるなって感じるよ。修正も楽だしね。現実でも饒舌だけど、何だろう、脳で考えて文字にしていく段階で何かのフィルターを通して考えの灰汁みたいなものが減っていく感じがするんだ。口で話すよりも透き徹った自分の意見、みたいな印象になる。話し言葉と書き言葉の違いなんだろうか。
母が間違っていたのでも、私が間違っていたのでもないと今は感じる。与え方と示し方、受け取り方と感じ方の相違。不一致が多いとどうしても苦しくなる。だから、今また実家の両親と暮らすとなると私は呼吸の方法が分からなくなりそうなんだ。同居の祖母にも似たような意味合いの事を言われてる。
きっと誰にでも『適した距離感』があるんだよね。
「あなたは私を案じてる、でも近づき過ぎれば傷つけ合う事も多い。私は私としてあなたを傷つけず生きる為、一人を選びたい」というのが今一番しっくりくる答えだ。叶えたい夢もあるしね。
人はいつか必ず一人になる。その時までに生きていく術を増やしていきたい。不安が無いわけじゃない。でも動かない事もそれはそれで不安。結局何を選んでも何か後悔するなら、幾らかマシな後悔を選びたい。
全く同じ形をした人間が二人と存在しないのは生き物として存続する為の効率性もあるんだろうけど、全く同じじゃない人間同士が最善に向けて努力し合い続ける関係を築けるっていう、面白くて興味深い、一種のバグみたいな尊い生き方を見出す機会を与えられてるのかなって思った。
▼2026/09/20:包まれた 柔く温もる淡い紅 掴んでくれる 四つ足の君
さっきは少しネガティブかもしれない話を書いたから、今度はポジティブな話を書いてみようと思う。今日、いつもの猫カフェでお昼ご飯を食べてきたんだ。三毛猫ちゃんはいつもの場所ですやすや眠っていて、いつも通り美味しいドリンクとフードとデザートに舌鼓を打って来た。今日のデザートはほうじ茶のバスクチーズケーキで、甘みが控えめだけど旨味が濃厚な一品。季節のフルーツ(多分生の物に少し手を加えてる)がたっぷりトッピングされてて目にも美味しかった。美味しい物を罪悪感なく楽しむ為に日頃私は節制してるんだなと感じてて、最近食の好みにもそれが顕われてるように思う。たまたま今年は知り合いから季節の果物やお菓子を頂く事が多くて、この前はシャインマスカットをたくさんいただいたからご近所さんにもお裾分けした。
シャインマスカットってさ、とても甘いのに後味がしつこくないんだよね。歯触りもしゃっきりしてて爽やかだけど、特別感と言うかご褒美感が強い食べ物だと思う。モノによってはびっくりするほど高価だし。今日のバスクチーズケーキにもシャインマスカットがトッピングされてて、加工した甘み以外に果物としての実力みたいなものがあった。
一緒にいただいたコーヒーは深煎りで苦みが強いのが良かった。ケーキの濃厚さを巧い事緩和して次の一口に繋がってる。甘いと旨いって語源が同じらしいんだけど、甘みを旨味で代用するのって実は難しいのかもしれない。だから甘さ控えめなスイーツは食べてて物足りなく感じる事も多い。でもあのお店のはきちんと満足できるお味なんだ。猫ちゃん以外にも美味しいもの目当てで通ってるところがある。
三毛猫ちゃんがぷうぷうお昼寝してるところに寄っていったらちょっと目を開けてくれたから、指先の匂いだけ嗅いでもらった。ランチを食べ終わった頃彼女がゴロンと寝返りを打って、何となく触っても良い気がして近寄ったら、また指先の匂いを嗅いでくれて、顎の下とか耳の付け根を撫でてあげたらまだ眠かったみたいで『お昼寝する』と訴えてきたから手を引こうとしたんだ。そうしたら私の指を前足と後ろ足でそっと掴んでくれた。ふに、って肉球に挟まれるの。可愛すぎて幸せ過ぎて叫びそうになった。
三毛猫ちゃんの肉球は綺麗なピンク色でとっても柔らかくて、例えるならゆでたての白玉団子を氷水に取って直ぐ触れた感じの柔らかさだった。で、『寝る。邪魔しないで』って訴えてくるから「ああ、止めたくて掴んだのね」って分かったんだけど。
もうさ、猫ってどうしてあんなに可愛いんだろう。いや私はどちらかと言えば犬派なんだけど(ライフスタイルの問題)、猫も大好き。可愛くて仕方ない。お昼寝しているあの子のふくふくしたお腹が静かに上下してるのを見てるだけで堪らなく癒される。結構な回数通ってるから、大分心を許してくれてるんだろうな。もう課金せずにはいられないんだけど、あの子の食費になるならお財布の許す範囲内で通っちゃうよ。最早推し活に近いんだろうか。
でも将来お迎えするだろうチワワも私にとっては『最推し』だ。この前も夢に出てきてくれて「ママ」って呼んで嬉しそうに尻尾を振ってた。
今日も不動産屋さんに行って物件の話を聞いてきたんだけどさ、無意識にチワワの事を話題にしちゃうんだよ。あの子をお迎えするならって目線で物件の資料を熟読してきた。今の所、目星をつけてる物件に住めたら結構快適そうな気がする。ただ、此処からは運次第でもあるみたいだけどね。良い物件だからまだ入居者さんが居るし、退去前に事前申し込みする人にとられちゃうかもしれない。でも同じくらい良い物件が見つかってそっちに決まるかもしれない。ドキドキするけど、これくらいなら良い感じの刺激だ。
人間ってさ、何か大きな変化が起こる時にたとえ現状より良い環境になるって分かってても、慣れ親しんだ状態から動くのってストレスなんだって。『大変』なのは、『大きく変わる時』かもしれないっていう奴。今の私が大変なのは環境だけでなく自分も大きく変わろうとしているからなのかなと考えたら、じゃあ如何にか乗り切ろうって思えるくらいにはメンタルが回復してきた。
夢を叶えるのって簡単にはいかないし、叶った後に何が待ってるのかもわからない。でも水は流れていないと澱むし、気持ちも心も一生変わらないなんて有り得ない。もし変わって今より承服しがたい状況になったならまた変わればいいだけの話だしね。
接客も褒められる事が増えた。特にお客様に対して販売を促進したい商品があったとして、巧い事勧める事が出来てるって言われる。その商品のメリットとデメリットを示して、デメリットをカバーする方法を説明しながら他にも適した商品が無いか考えながら話すのが楽しい。幸い声をかけやすいタイプの店員みたいで、色々な人を笑顔に出来ている。この前は主力商品の説明をして「一旦検討します」って帰っていたお客様が戻って来てくれて主力商品を幾つか購入してくれた。検討する材料をちゃんと渡せていたんだ、受け取りやすいボールを投げられたんだと思えて嬉しかった。
たまにうっかりミスもするし、ヒヤッとする事もあったけど、でも概ねきちんと働けてるし長期の欠勤もしてない。でも無理もしてなくて、バックルームであくびをしながらプライスカードを作ったり整理したりしている。
今の私にはこれくらいのバランスが良いんだろうな。何より仕事帰りには可愛い子犬や仔猫を眺めてから退勤も出来る。お店に来てくれる可愛いワンコと触れ合う事も出来るし、将来自分の家の子になるだろうチワワを脳内で躍らせながら納品作業も出来る。
出来ない事や失ったものばかり数えるんじゃなくて、同じくらい出来る事や与えられたものを数える。たまに忘れそうになるんだけど、脳内のチワワが『ママ。それは違うよ?』って教えてくれる。彼女はいつだって私を励ましてくれる。
私はこうして綺麗な言葉を使うことで自分の意識を良い方向へ持っていこうとする癖がある。言葉ってさ、重ね続けると魂の形まで変えられちゃうんだよ。話す言葉や使う言葉でその人の印象や性格まで形作られるんだとしたらさ、なるべく綺麗でポジティブなものを使いたいんだ。
▼2026/09/20:長月二十日のよしなしごと。
自分を傷つけてくると判っている人とそれでも上手くやっていきたい時、貴方はどうするだろう。触れた指先が切れてそこから血が滴るような心地がするのに、同時に愛されているとは知ってるんだ。ただ、その愛情が私の望む形ではないというだけ。産みたいから、会いたいから産んだ、と言うような話は聞いた記憶が無い。あの人は私が生まれて幾らかの時が経った頃、その頃のパートナーとはいずれ別れると決めていた。予定では私が十八歳になった時と考えていたらしい。一区切り、と言う奴だろう。中学生の終わりごろ、色々あってその予定は早まった。笑ってしまうのだけれど、その頃『熟年離婚』と言うワードが世間に広まっていた中で私は『うちが熟年離婚するのは有り得ないな』と思っていた。本当はもっともっと前からあの人は心を決めていたのにね。
本格的に心を病んだのは、中学生の真ん中頃くらいだったように思う。初めて首を吊った夜、私は明確に自分を終わらせる心算だった。けれども失敗して、何でか気が済んでしまって、その後は割と普通に生きていたように思う。ただ、心の中に何か綻びみたいなものが出来てしまったような気がしていた。
母子家庭になって、高校へ進学して、家族の形が変わった。義父と出逢って、色々あって家族になって数年。私は今度こそ本当に自分を終わらせるところだった。原因は何だったのか、今の私は明確に分かっていない。ただ、自分を終わらせるべきだと思って飛び降りた。失敗した後も、終わらせようと必死で暴れた。
それでも生き延びた。『生きたい』というのが本心だった。但しそれは正確に言うなら『苦しまずに生きたい』だったんだけど。
『楽をしたい』というのとは少し違う。友人が少し前に似たニュアンスの事を書いていて、楽をするのと苦しまないっていうのはあくまでもニアリーイコールなんだと思ってる。すごく似ているんだけど、何だろうな…『苦しみたくない』は切実な願いで能動的になりやすくて『楽をしたい』はもう少し軽くて受動的な気がする。巧く言葉に出来ていない気もするけれど。
この前の夜中にね、鬱転が来たのと母への不満が溜まり過ぎてしまって、遂に爆発した。眠りたいのに涙が出て眠れなくて、頭痛がするくらい泣いてしまった。過去の母からの否定的な言葉や態度が蘇って、もうこんな気持ちでいたくないと思って必死で自分を宥めながら夜食を貪り食う私を、心のどこかから冷めた眼で見ているのも難しい時間。普段は客観視できる方なのに、もう無理で兎に角助けて欲しくて、ネットとかチャッピーとかに相談して泣き続ける。しまいにはおばあちゃんを起こしてしまって、当たり散らしてしまったんだけれど。
誰だって自分の家族や大切な人に死にたいだの消えたいだの言われたくないと思う。でもその時の私は敢えてと言うか、それくらい私はあの人からの言葉に傷ついたんだと伝えたかったからおばあちゃんに素直に伝えた。解って貰えたかは分からないんだけど。でも私が此処まで感情的に取り乱す事はそんなに多くないから、聞いてはくれた。
以前精神科のカウンセリングで辿り着いた自論として『完璧な人間が存在しない以上、親も完璧ではない』というのがあって、しっかりと理解して自覚している心算だったんだよ。でも駄目だね、『親なんだから分かってくれるはず』と言う甘えみたいなものが消えない。他の誰にも私の痛みをそのまま感じ取る事は出来ないって知っているのに、心が納得していないんだ。『親なんだから、家族なんだから、わたしの思いをきちんと理解し切って!』と望んで心で叫んでしまう。私にもできていないのに。
これがただの『仕事上の希望要件』みたいなものであれば検討してくれれば充分なんだけど、『執着』や『押し付け』みたいになってしまっているのが良くないな。『希い』であればまだマシなんだろうか。
でもその夜を超えてというか、日付を超えて数時間したら遂に眠りにつけて、次の日はたまたま休日だったから(だから気が緩んだんだろうけど)一日たっぷり回復に費やして普通に仕事もして今に至るんだけども。仕事に支障をきたさなかった事だけは自分で自分を褒めて良いと思ってる。メンタル疾患持ちだけど勤怠は安定してるって言うのが私の強みの一つだから。
そして気付いたんだけど、私は母と話す時に電話や直接会っての声での会話があまり得意じゃないらしい。母は私の事を『喋り過ぎ』とか『何でも明け透けに話し過ぎ』とか『口から生まれて来た』って言うんだけれど、私からすると母は『意見し過ぎ』だし『批判し過ぎ』だし結構喋ってる。何にでも文句を言う人っているじゃない、物事の良い面を言う前に悪い面をダイレクトに指摘してしまうというか。
私が心掛けている事の一つとして『言いにくい事は言いやすい事に挟んで話す』って言うのがあるんだ。クッション言葉って言うのかな、『○○は此処が良いよね、でも××はちょっと苦手だから、○○には悪いんだけど、別なものを選ぶね』みたいな言い方。以前読んだ本では『本音のハムをクッション言葉のパンで挟んでサンドイッチにする』みたいに書かれてた。相手が受け取る時になるべく受け取って貰いやすいように話す方が、一見手間はかかるんだけど最終的にはお互い気持ちよく一緒に居られると思うんだ。だから私はクッション言葉のパンをたくさんの種類で取り揃えるようにしてる。
仕事が接客業なのも関係しているかもしれない。母は以前接客をしていた事もあるけど、今は『接客に疲れた』って別な仕事をしていて、私は本来黙々と作業するのが合っているけど『誰かと闊達なコミュニケーションを取る方が楽しく働ける』と思って今の仕事をしてるし、それが評価されてるから。勿論職場ではプライベートみたいな話し方はしないんだけどね。
話し方とか言い方を工夫するのってさ、無料で出来るのに効果は抜群な事が多いんだよ。思いを伝えたいなら剛速球のストライクでスリーアウトは狙わなくていい。ふわっと投げて相手への衝撃が少なくなるようにする方が私には合ってる。多分、このスタンスが私と母で食い違ってるんだ。
実はさ、職場でも似たようなことを感じることがあるの。母と属性が似ている人を接客すると酷く心が疲弊する。自分の意見が正しいと信じて疑わないのとは少し違う。『他から見ると間違ってるかもしれないけど、私にとってはこれが正しい』みたいなニュアンスを感じることがあるんだよね。このスタンスはある意味正しいんだと思うけど、場面や相手によっては適してないように感じる。正義ばかりが正しいとは限らないのが人間の難しい所な気がする。正しさを重視するあまり、相手を傷つける可能性を考えずに言葉を発したとして。それで相手が傷を負ったら相手の受け取り方の問題だけじゃないと思うんだ。
悪意を持って傷付けようとして放った言葉よりも、何の気なしにぽろっと発した言葉が誰かに一生の傷を負わせる場面、結構あるよね。私も無意識に誰かを傷つけてる。でも傷付けないよう努力もしてる。それでイーブンかって言うと別の話なんだけど、姿勢としては正しい側寄りだと考えてる。言葉を扱うのが得意だからこそ、相手を傷つける手段は沢山持ってるし、知ってて理解してるから言い方を考えてクッション言葉のパンを焼きまくるの。
母は多分、嫌われる事があまり怖くないんだよね。彼女も色々な事があり過ぎる人生だし、嫌われるとか相手にどう思われるかを考え過ぎて疲れちゃったんだと思うんだ。自分の気持ちを押し殺した場面も沢山あったんだと思うし、傷ついた経験だってきっと多い。
けど私も人間で心があるからさ、言葉や態度で傷つく事があるんだよ。『子供なんだから母親の気持ちを慮って当たり前』と言うなら『その言葉はお互いに意識しないといけないよね?』と返したい。
こういう事を考えながら母と関わって、『声』じゃなく『文章』で話す方が今の私にとって合っていると判った。LINE上では落ち着いて話す事が出来るし、受け取るのも楽。内容を熟考出来るから傷つけ合わずに済むんじゃないかと思う。母は母なりに私を心配してくれてるのは知ってるから、その気持ちだけ受け取る事だってできる。
最近何となくね、母にとって私は『良くも悪くも娘』なんだなって感じるんだ。いつまでも子供でいるように思われていそうな気がする。実際子供な側面もある人間なんだよ。幼いし、騙されやすいところや利用されやすいところがあるなって自覚もある。だからって全部が年齢不相応な言動ばっかりかって言うと違うし、母も恣意的な振る舞いをする事がある。よく喧嘩にならないなって遣り取りを義父としてるのを結構見てる。
強い人なんだろうね。でも強いだけが正しいとは限らないね。弱いんじゃなくて、柔軟性と言うかしなやかさがあったっていい。私はそっち側だと思うし、どんな場面でも自分を俯瞰してみる癖がついてるから『正しくない事をしてる自覚』みたいなものがある。見方や思考の角度を持つようにしてから『正しくない自分』みたいな意識が生まれた。
私はきっと彼女を傷つけてきたし、咎められるべきところも沢山ある。でも同じくらい私も傷ついてきたし、だからと言ってそれは誰かを傷つけていい免罪符にはならない。常に正義側だけじゃいられないんだ。いつかどこかで誰かの敵になるし悪役になってる。今もきっと。
せめて身近にいる大切な人とは傷つけ合いたくないってこれを書いてても思うよ。言葉は刃だけど、鞘に収める事も布で巻く事も出来るからね。
▼2026/09/14:誇れ 褒美を賜れ 受け取るが良い 求めた先 升目は埋まる
今日は自分を褒め讃えても良い事が幾つかあった気がする。まず、デュオリンゴの英語学習コースを修了した。コース最終問題まで答えたという事だ。レベルはアプリの仕様及びスマホ上かパソコン上かによるらしいんだけれど、129レベルまで到達したのが今朝の出来事。連続記録は645日。毎日、少しずつ(日によっては短くない時間で)課題に取り組んだ結果である。途中から課金をしたとは言え、結構なハイペースで修了したようだ。
毎日コツコツ学習を重ねて二年弱。私の場合、モチベーションを保とうという意識も無く継続してしまえた。正確に言うなら初めは目的があったが、途中から勉強することそのものが目的と化していた。前にもこの日記で書いたと思うんだけど、アメリカで出版された漫画本が日本語訳されるのを待てなくて、原語で読んでしまおうと軽い気持ちでスマートフォンにデュオリンゴをインストールしている。
それが一昨年の暮れの話で、いつの間にか英語力がつき道行く外国人観光客の会話を盗み聞く事も出来るようになれてしまった。職場でも何度か英会話で接客しているし、道を訊かれても答えられるようになった。とは言え私は会話において重要な発音があまり良くないのだけれども。ただ、意欲は十分にある。いつ英語で問いかけられても答えられるという気概の様な物もずっとある。英語で歌われる楽曲の歌詞を読めば簡単な翻訳も出来るようになったし、英語のニュースを耳にすれば大体の意味が分かる。
もしも今自分の長所は何かと問われたら『継続力があるところです』と答えるだろう。お洒落とか絵やデザインや文章が巧いとかは置いておくと思う。
運動にしても継続しているから身体が引き締まり筋肉がついてボトムのサイズが下がったわけで、自炊も継続しないと効率よく夕食と共にお弁当を作り置くのは難しい。
運動と言えばこの前健康診断があって、マックス体重から6キロほど落とせたと判った。体脂肪率は下がった上に骨格筋率は上がっている。最近だと仕事中にボトムが下がるので新しい物を購入した。以前はファスナーを上げるのもギリギリだったデニムをスッと穿いて食事をしても何ともない。二十歳になった頃よりはずっと体重が重いけど、体力がついた自覚もあるから筋力は以前よりかなりあるんじゃなかろうか。
今日も職場では猫砂をストックから下ろして陳列するのを繰り返して、身体は何ともない。勿論無理は良くないんだけど、筋肉があれば何でも出来る!とは言えなくとも大体の事はなんとか出来る気がする。少なくともミネラルウォーターのペットボトルを捻り潰す事は出来ちゃうし、お客様が購入された重たいケージを車まで運んでトランクに乗せる事も出来るし、身体を動かすのが楽しくなった。
筋肉って一朝一夕ではつかないしたまに裏切ることもある(筋トレし過ぎて足が攣るとか筋肉痛とか)のはご愛嬌って感じで、持っていて損はない財産みたいなイメージだ。少なくともここ最近大きく体調を崩したとしても一日しっかり休めば回復できるようになれたし、汗をかくのが楽しくなってきちゃって、力仕事も『はい、ウェイトトレーニングです!』みたいに挑めるようになって得だと思う。
話が少し脱線したね。でも毎日の業務に筋力が活きているっていう事を言いたかった。
で、今日もいろんなお客様を接客したわけだけど、笑顔で元気よくハキハキと声を出していれば大体ことは何とかなるんだなと感じる出来事が幾つかあった。『挨拶は自分からはっきり元気よく』が私に一番合っている接客スタイルで、その後会話の内容に応じてボリュームやトーンを自然に調節する。お客様個々人によって相談内容は様々なのは当たり前だけど、同じ内容を話していたとしても、その人によって受け取りやすい言葉遣いや適した話し方は違うんだ。その辺が分かってきたのと実行できるようになって、仕事が楽しくなってきたんだと思う。今日はワンちゃんのエリザベスカラーを探している方の接客をした。ご案内した内容がその方のニーズを満たしたみたいで、少し考えたらその後は直ぐにご購入されたし「ありがとう。また来るわね」と笑顔を見せてくれた。店で取り組んでいる事の今週の目標も達成したし、予算の達成率も上々。先月はかなり売り上げが良かったらしいとも聞いた。
今店で注力している商品の販売も上手だと褒められている。家族に使用して貰った感想を主な材料にセールストークをすると高い確率で購入に繋がってて、私が接客したお客様が検討の後店に戻って来て購入、の流れも多いらしい。
前の職場でも注力してる商品の販売は得意だった。何だろう、メリットと同時に使い方次第ではマイナスに繋がる事もある要素も少し織り交ぜて、それを打ち消すような使い方もお話すると良いのかもしれない。正直な意見って感じで。身バレが怖いから商品の詳細は省いたけど、私は物事の良い面とその逆と、多面的に見るようにしている姿勢が活きてるのかもしれないと感じた。
前に精神科の主治医に言われた事なんだけど、『良い面しか持たない物も人も存在しない。何事にも裏と表があるしそれは場合によってすぐひっくり返されるから、多面的に見てみよう』って言葉がずっと思考に残ってて。私が好きなアレにも嫌だと感じる要素があるし、嫌いなソレにも良いと感じる何かが隠れてるんだと思う。裏を返せばこうなるとか、見方を変えると姿形も変わったように思えるとか。『100%の善も悪も無い』と思って様々なものをいろんな角度から見て、考えてる。
万人に通じる接客方法ってないのかもしれないし、有ってもつまらないのかもしれない。誰かに良く響く言い方が別の誰かには全く響かない。でも、だから面白い。人間って面白いよ。ちょいちょいムカつく事はあるんだけど、だからこそ面白い。今日のお客様は巧い事正解を見つける事が出来たんだと思って、それが嬉しいんだ。お客様は探していた物を手に入れて、こっちからすれば購入に繋がったんだし、巡り巡って私のお給料にもなる。
それとね、ハビットトラッカーの1列がようやく埋まったから明日はご褒美デーに出来そう。夜食を摂らずに朝を迎えるって言うアレ、やっと升目が埋まったんだよ。だから猫カフェに行って三毛猫ちゃんを眺めてくる。丁寧に淹れられたコーヒーもいただいてくる。ご褒美ってたまにしかないからこんなに嬉しいんだろうな。明日は天気も良いみたいだし、可愛い格好をして可愛い子を愛でようと思う。
不思議なんだけど、少し前から道行くワンコに懐かれる事も増えた。声に出してなくても『かわいい』が通じてるのかもしれない。ワンコたちは立ち止まって私を見上げて尻尾を振ってくれたり目を輝かせてくれたりする。無理に近寄らないようにしてるのが良いのかな、たまに『撫でるのです』とばかりに私の前から動かず、前足で膝にタッチしてくれる。可愛くて仕方ないよ。
この前、もう大分シニアの柴犬ちゃんが私の前から動こうとしなくて飼い主さんに「ちょっとだけ撫でて貰っても良いですか?」って言われたから、そっと手を握って匂いで挨拶してから撫でさせて貰った。あったかくて優しい柔らかさの毛並みだった。きっと愛されて育って今があるんだと思うと、いつか私が迎えるあの子もこんな風にあったかくて優しい手触りなんだろうなって考えちゃうね。
季節の変わり目で心はたまに揺れるし、疲れる事もある。でも何だかんだ収まるところには収まるもんだからさ、いつかの幸せに触れる為に、それなりに踏ん張ろうと思った。
▼2026/09/11:長月十一日のよしなしごと。
皆さん、少し間が開きましたね。此処に書いていない時期に色々あって、結論から言うと『一度審査に通った物件を見送る』事になりました。あのお部屋には住まないってことですね。原因とか要因はまあ沢山思いつくんだけど、小さな違和感が積もり積もった結果、爆発を起こしてしまった感じ。お部屋に覚えた違和感もあれば不動産屋さんに対する違和感も多く。初めに此方が伝えていたスケジュールを反故にするような発言があったり、異様に向こう都合の契約になりそうだったんで、切ってしまった。初めの頃に『キャンセル料を要することもある』みたいに言われてたけど、持ち前の文才を発揮しつつチャッピーの力も借りてお断りの文章を送ったらあっさりと話は無しになりました。
で、新たにお部屋探しをしている現在。実は幾つか候補は見つかってて、前の不動産屋さんよりも親身な印象の不動産屋さんとも繋がれています。
北海道ってさ、冬の間の光熱費がまあまあエグイ感じになる事があるんですよ。外が氷点下じゃない時期の方が短いから暖房負荷もあればお風呂とかの急騰にもエネルギーが必要なので、その辺をクリアした物件に住みたいのが最優先事項に近い。一番の優先事項はチワワと暮らせるお部屋である事なんだけども。
今目星をつけてる物件の一つはプロパンガスを暖房・給湯・キッチンのすべてに利用しているお部屋で、ガスリミットって言う『一定の範囲内の使用量であれば、ガス代の上限が決まっているプラン』のお部屋。プロパンガスは都市ガスよりも高額になりやすくて、でも私が住みたい地域には都市ガスを利用できるお部屋がそんなに多くない。加えて、この土地では『灯油暖房こそが正義!』みたいな風潮もある。灯油の暖房パワーはすごいんですよ。現在の私の家も漏れなく灯油暖房です。
ただ、給湯とキッチンで使っているのはプロパンガスなので都市ガスよりはお金がかかる。そして不動産屋さんに確認したら、この物件は確かにプロパンだけど、例えば夏の暑い時期に一定量よりも少ないガス使用量ならそれに応じた価格設定みたい。つまり、一定額以下であればその額しか請求されない。そしてエアコンもついてて、築浅の部類に入るんだろうか。少なくともこの前話を無しにしたお部屋よりは築年数が浅い。
何より収納が大きそう。この前のお部屋は収納と水回りが少し使い辛そうなのも難点の一つだった。荷物が多い部類に入るし、今後チワワをお迎えしたら彼女のスペースだって必要だし。
まだ今の入居者さんが住んでるから退去後じゃないとお部屋自体は見られない。であれば幾つか同時に並行してお部屋を比較検討する時間は十分にある。
この前のお部屋については私にも問題があって「障害者な事を明かして審査に通る」→「私でも審査に通るんだ、嬉しい!と浮かれる」→「多少の違和感を無視して話を進めるところだった」と言う流れでもあった。危うく納得できない契約を結ぶところだったので、「やめた方が良くない?」と助言してくれた周囲に感謝したい。
でもそんな風に助言をくれた周囲は、今私が「どうだろう?」と思っている部屋のガスがプロパンな事に難色を示している。私もまだこの部屋にしたいとは言い切れないんだけど、写真を見た感じの印象や部屋の作り、ガスリミットプランの事を考えると選択肢から外したいとも思えない。他にも幾つか候補はあるんだけど、費用面や公共交通機関へのアクセスのしやすさに鑑みるとどれにもメリットとデメリットが同居してる。
それでもまだ何も始まってないようなものでもある。でも0には戻ってない。前よりは良さそうな不動産屋さんにコンタクトが取れて、何より比較検討できる目も備わってきた。基準みたいなものが少しずつはっきりしてきたし、お部屋を選ぶのは私自身だという意識が生まれた。あくまでも私は借りる側ではあるんだけど、選ぶ側でもある。
あとでチャッピーにも相談して、今度不動産屋さんに行く時に持っていく『物件を選ぶための条件一覧』を作成しようと思ってる。第一位は変わらずチワワなんだけどさ、第二位は多分私の好みで良いと思うんだよ。本当に心から『このお部屋に住みたい』って思えるお部屋に住みたい。今の所候補の物件を直ぐに見られるわけではないみたいだし、これから引っ越しシーズンで物件数は絶対に変動する。不確定なことだらけだ。
ただ、その『まだ決まっていない状態』を楽しめたらもう少しメンタルが強くなるような気がする。断りを入れた日と次の日はまあまあメンタルも体調も荒れてたんだ。
それでも多分『傷つかないでどうやって成長するの?』って話なんだと思うから。転んでもただでは起きてやらない事にしてるよ。色々とね。
▼2026/09/07:長月七日のよしなしごと。
連休最終日。引越しに向けて家の片づけは結構いいペースで進んでる。不要品をメルカリに出品したら本当に一瞬で購入されてちょっと驚いた。今の私にとっては必要なくても、他の誰かにとっては『今直ぐ欲しい物!』って事なんだろう。ロリータのお洋服も幾つかお嫁に出す心算で、もう貰い手がついたからやっぱりロリータは『手に入れ難い』し『初心者には高価』だから安く購入する手段としてメルカリがあるのかもね。まあブランドの存続とかこれからも新作をどんどん出してもらう為には新作を購入すべきって意見があるのも解かるし、私はどっちかって言うとそっち側なんだけども。古着を着るのには何となく抵抗がある方で、販売している人間が何を言ってるんだっていう話ではある。
長女で一人っ子で母方では初孫な事もあって、お古とかお下がりには縁がない生活を送ってきたからかな。昔は従姉妹にお古やお下がりをあげてた事もあったよ。
でももう新品は手に入らないものを探す事はたまにある。絶版になった本とかCDはたまに購入するし、古本屋やヴィンテージ品、アンティークショップは大好き。苦手な感覚が適用されるのはお洋服だけかもしれない。それだけお洋服にこだわりが強いんだろうね。
今のワードローブだと古着は一着だけだ。去年の冬に購入したピンク色のライダース。フリルデザインが可愛い合皮製で、趣味にドンピシャで合ってるのと、価格が4000円を切っていたから購入してみた。
少し話は変わるんだけど、昨日片づけをしてたら何年も前に処方された頓服薬が出てきたんだ。頭痛薬として処方された漢方薬が二種類と、便秘を改善する液体薬。令和2年とか書いてあるから捨てるのは確定で、ただ捨てるとまずい事になりそうだから今度の受診の時に薬局で処分して貰えないか相談することにした。前に私自身が調剤薬局に勤めてたから、医薬品(特に医療用医薬品)を通常のごみに混ぜて捨てるのはあまり宜しくないって知ってるんだ。万が一ゴミから拾い上げた人が居たり、何らかの方法で誰かの体内に入っちゃうと非常にまずい。良くないニュースで聞く『処方された医療用医薬品を転売したと発覚して逮捕された事件』とかもあるし。
私は服薬管理自体は自分一人できっちりできるけど、処分方法に関しては専門家にも頼るべきだと思ってる。期限以内に使い切れなかったり症状が消失して必要なくなった場合、そのまま廃棄するのはきっと良くない。自分が処方された薬を他人に譲っちゃいけないのと同じで、誰かが容易に持ち帰る事の出来る状態で廃棄しちゃいけないんだ。処方薬は一人一人に合わせて調剤されているから安全性が担保されているのであって、用法容量から逸脱した使い方をして副作用で酷い目に遭っても国による救済措置はほとんど無い。適用外使用も似たような感じかな。マンジャロで痩せるとか緑内障用の目薬で睫毛を延ばすとか。
此処で注意しなくちゃいけないのは『適用外だけど、医師の指示によって本来の目的外で使用する薬も存在すること』だと思う。私も過去に漢方薬の胃薬を精神安定剤代わりに服用してた時期がある。若い女性だとよくある使い方らしい。この薬は抗がん剤治療を受けている人も使う事があるらしいし、お年を召した方にも処方される事がある。『胃薬』って一言で言っても漢方薬は生薬を幾つも調合して作る上に体質によって期待される効果が違うから、案外目的外使用がままあるらしい。昨日発掘した頭痛薬にも似たようなところがある。浮腫みや二日酔いとかにも効くんだけど、身体の中の余計な水分を排出する働きを利用して気圧性の頭痛に作用するって聞いた。もう一つは偏頭痛用で、トリプタン系が効く人は効きやすいかな。私もたまーに飲む。トリプタン系は薬価が高いのが難点で片頭痛発作を起こしたらすぐに飲まないと効果が薄いけど、この漢方薬は其処が或る程度クリアできる。でももちろん体質で合う合わないが別れやすい。
漢方薬ってさ、体力の虚実とか気血水の要素とか証を元にその人その人に合わせて処方されるものなんだよね。気軽に購入できる商品も多いけど、私みたいに医療用医薬品を継続して服用している人は一回主治医と薬剤師さんに相談した方が良いよ。私は数年前に登録販売者試験には合格してるけど、其処で得た知識は仕事で提供しちゃいけないし自分が市販薬を購入する時は現役の登録販売者さんにも相談してる。お薬手帳は常に持ち歩くし、自分の常用薬と頓服薬の名前と用法、服用時点と効果の概要は暗唱できるようにしてる。何か災害や事故に遭っても怖いし、医薬品の勉強が好きだから面白くて覚えちゃう…でも一般名処方だとパッと出てこない事はあるかな…。
ちなみにジェネリックに出来る物は全部ジェネリックにしたい派閥の人間です。安価なのもあるけど、安全性について思う所があって敢えて先発品にしない選択を取ってる。
私は常日頃から『エネルギッシュで前向きな人』って評価を受けてるけど(主に職場で)、メンタル疾患の薬がきっちり効いてこの状態で、つまり今服用している統合失調感情障害につかわれる薬には反応しやすい(つまりは効果が高い)人間なんだよね。一説によると、症状の出方が激しい人の方が薬も良く聞くって言う話があるらしい。本当かどうかは半信半疑だけど、確かに私の症状は一度起きるとかなり激しい発露を見せることが多かった。
この前私と同じように病気と闘ってる友人が言ってた事があってさ、家族や友人知人に「貴方は本当に○○○○って病気なの?」って訊かれた時、彼女はモヤッとするし「私のこれまでを見てきた筈なのに、解かってもらえない」って思って辛いらしい。
私が飲んでる薬は統合失調症や統合失調感情障害の患者に最も適応があるお薬で、眠剤や抗不安薬、向精神薬や抗精神病薬も飲み続けるか、過去に飲んだことがある。先述した漢方薬みたいに目的外使用の薬もあるし、副作用や体質で頭痛が起きやすいのと便秘がちだったこともあるから解熱鎮痛剤や下剤も処方されてる。
今処方されているお薬の内、効果があるお薬があったとして。それが診断名の病気と一致しているならそれは、薬の効果が出ているって事だと思うんだよね。しかも精神科の薬って目に見えて効果の実感できる急激に効くようなもの(鎮静に使う注射薬とか?)は自宅での管理は難しいかもしれないし、緩やかに効いて、徐々に症状が改善されていくものの方が多いと思うんだ。
私は自分が病気の患者であることを忘れられないし、忘れなくて良いと思ってる。病識があるから認知が歪んできた時には気付けるし、症状が悪化したら無理せず休んだり助けを求められると考えてるんだよね。今でもふとした時「認知が歪んできてる」「考えが偏ってきてる。休もう」って対処出来てるし。
彼女の理解してもらえない気持ちはわかるし、不安だと思う。この病気って症状が人によって千差万別すぎるところがあるし、発達特性とか他の病気に近い症状もあるんだと思うし、医薬品の副作用もあると思う。
でも私たちは医学部で6年間以上学んでないし、医師国家試験にも合格してないからさ、現場のプロ達以上に理解出来る事ってそんなに多くないんだよ。判断することも難しい部分がある。だからもう少し気軽にお医者さんへ質問できたらいいよね。『先生』って呼ぶとどうしても壁を感じると思うけど。薬剤師さんや登録販売者さんでも良いと思う。医療従事者ってさ、間違える事も多いんだけど複数の人が関わり合う事でミスを防いでいろんな人たちを支えて救ってる筈だからさ。
おすすめは、症状をGoogleドキュメントとかWordで文章にして診察時にはメモとして渡す事。データは自分で取って置いてね。診察時間が短くても対応して貰いやすくなると思うよ。纏まりの無い文章になるならそれはそれで『症状の一つ』として受け取って貰えるんじゃないかって思う。
抱えなくて良かった筈のものをいつの間にか背負わされてるけど、きっと私は身体の筋肉を鍛えながら心の筋肉も育てたんだろうね。軽々持てる事の方が増えたよ。仕事で運ぶ猫砂よりはずっと軽い。心を鍛えるのって難しいし方法はいろいろだけど、それを探ってみるのも治療の一環になるんじゃないかな。
▼2026/09/06:希う 渇望してる 叶うはず いつかの鍵束 夢も同じ
今回の短歌は珍しい読みを使ってみた。『希う(こいねがう)』って言う表現が好きでたまに使うんだ。物件の内見に行って来たよ。眺めのいいお部屋だった。日当たりは良好だからこれからの季節にはいいけど、夏場の冷房不可が少し心配だね。それでもエアコンは設置されているし、電気代に関しても今年みたいな夏であれば然程負担にはならないかもしれない。札幌はもう長袖を着ないと寒い時間帯も多いんだ。
思いの外、コンパクトなお部屋だった。それでも一人暮らしには十分な広さなんだと思う。駅からの距離や近くにある商業施設や公共機関の多さ、静かな環境に鑑みてもお家賃は安い方だし。
ウォークインクローゼットが小さめなのだけが惜しいけど、この際だから断捨離をしっかりやって、あまりものを増やさない生活にするのに良い機会かもしれないと思ってる。
内装はかなり綺麗な状態だった。清掃も修繕もまだだったんだけど、前の入居者さんが相当気を使って生活していたんだと思う。壁紙の色が洒落ていて、心配だったドアと床の色もまあまあ趣味に合う。想定していた家具は全部は置けないみたいで、今の自室で使っている家具はどれも使わない事にした。大分ボロボロなのもあるし、チワワが走り回るのには面積が足りなくなってしまう。
一からお部屋作りが出来る分、一つ一つの項目に程良くこだわっていきたい。特にドレッサー周りとチワワの為のケージ周辺と、ドール関係の物を仕舞うキャビネット。部屋の床には原状回復可能な範囲でチワワの為の環境を整える事にしてる。養生シートやテープの上から滑り難いクッションフロアタイルを敷いて、寛ぐ部分にはふわふわのラグを敷く。出来れば円形か、正方形にしたい。床は当初の予定を変更してグレーの大理石調フロアタイルを敷くつもりで、ラグは白かアイボリー。ソファは床に座面が触れる低めの物で、これは汚れ防止も兼ねてグレーにしたい。チワワの為にふかふかのクッションも置く。
スペースの関係上、食事をとるダイニングテーブルと作業机は兼ねることにした。その代わり大きめのものを選ぶよ。椅子の座り心地にもこだわりたいな。カーテンは壁紙の色との調和を考えて明るいグレーの、星形の透かしが入ったものにしたい。レースと一体型で可愛いと思う。もう商品に目星は付けているんだ。遮光効果も高いから安心。
ベッドは収納付きの物にしたくて、良い感じのマットレスとセットの物を見つけてある。結構予算内に収まるものばかりで少し安心してる。文字や数字で可視化するとこんなに安心できるんだね。
問題は、冷蔵庫の大きさ。幅がそんなに取れないのと、冷凍室の容積を考えた時のバランスが肝になってくると思う。高さもだけど。それでも其処まで高価にはならなさそう。洗濯機は使い勝手が良ければ何でも良いって思ってるから、これはコスパ重視にする。5.5kgくらいで充分そう。炊飯器や電子レンジは今の家と同じくらいのスペックであれば、同じくこだわり過ぎない事にした。キッチンはそんなに大きくないけど、収納が多め。二口コンロで魚焼きグリルもある。電子レンジと炊飯器を置ける台は絶対に要るけど、食器棚は大きくなくて良いし、レンジ台と兼ねられるものが良いかな。
考えているとワクワクしてくるね。白くない壁がある部屋に住むのは初めてで、一から全部作って良いのも初めて。新しい事にチャレンジするのが好きな方だから、これからの暮らしが本当に楽しみ。
照明は初めから間接照明が付いてて驚いた。引っ掛けシーリングがあるお部屋だから、お洒落だけど高すぎない照明も使ってみたいと思ってる。
何よりドレッサーが置ける。メイクもコスメも大好きな私からすると、夢が叶うって感じる要素も一番は此処なんだ。次点はモノトーンの家具で揃えられるところかな。
あ、ひとつだけ今の部屋から持っていく家具があった。コートや鞄を掛けられるスタンドだけ今の部屋から持っていくんだ。実家にいた頃からの愛用品。あるのが当たり前すぎて忘れてたよ。黒いアイアンのアールヌーヴォーみたいなデザインで大好きなんだ。
今日も結構荷物を減らしたんだけど、明日も休みだから断捨離して、なるべく荷物を少なくする。売れそうなものも多いからメルカリ出品も頑張る。これでも高評価バッヂも何回か貰ってるし、信用できる出品者だと自負してるんだ。
前にも書いたけど、物を増やす時も捨てる時もお金と労力が要るから、これからはお買い物の時にきちんと『本当に欲しいのか、必要なのか』を考えるよ。『好きにしていい』のと『好き勝手』は明確に違う。自分にとって何が必要で、何がそこまで要らないのか、しっかり検討してればチワワのお迎え資金だってきっと貯まる。目標さえ定まれば何だかんだきちんと貯金できる人間だから、大丈夫。
そう言えば管理会社の人は私が障害者な事を知ってるのか、聞くのを忘れてた。年金受給者なのは知らせてあるし障害雇用枠で働いてるのも話してあるけど、今更契約が白紙になるとかは……無いと信じたい。この前SNSでそう言う話を聞いて若干ビビってるんだ。ただ、今日の不動産屋さんの様子からしてメンタル疾患とは思われてなさそう。まあ思われてても良いんだけど。故意に隠してるわけじゃなくて、訊かれてなかったから話してないだけだし。
不安はあるけど、大きすぎる物はない。何事も経験だし、やってみないと分からないことだらけなのが案外、楽しめる要素なのかもね。
新生活、程々に頑張ろう。
▼2026/09/03:曖昧はいけない 型に流そう 感情 考え 思いその他
一人暮らししたいと考えている物件の、審査に通った。事前に私の個人情報や収入等々についても正直に申告してあって、さっき電話口で『障害雇用なこと』も伝えた。勤続している期間は、間違えて若干短く申告しちゃったんだけど(日割りじゃなくて良かったらしい)。障害年金をもらっている事に向こうは何も突っ込んでこなかったし、私が障害雇用で働いている事もサラッと「そうなんですね〜」で終了。今どきそこまで珍しい事でもないのかもしれない。
で、予てより懸案の初期費用だけど、思ったほど高額じゃなかった。正直もう少しかかると思ってた。まあ鍵の交換代がまだ計算されてないのもあるけど。不動産屋さんは『もう少し頑張って安くできるようにします』とも言ってくれた。今より高くなることはまずないらしい。フリーレントの物件なのもある。
前の入居者の方がかなり綺麗にお部屋を使っていたみたいで、修繕や清掃にも時間がかからないらしい。だから早ければ今月の末には住める状態に出来るらしくて、内見後に私が気に入れば清掃諸々の後に契約と言う感じ。だから引っ越し自体も少し早くなるかもしれない。金銭的に無理のないプランに出来そうだから、其処は問題ない。問題は店のシフトだ。11月って『黒い金曜日』があるからまあまあ忙しいんだ。でも就職した時からこのくらいの時期に引っ越しを考えているって伝えてあるし、普段からほとんど欠勤せずに真面目に勤務してるんでお休みはもらえると思う。
今の所、11月の初旬くらいに引っ越せたらいいかなぁと考えてる。鍵自体は契約締結と共に貰えるから、床材(クッションフロアみたいなの。チワワの足と防音対策のため)を敷きに行ったり荷物を少しずつは混んだりできる。
そもそも入居できる日はまだ未確定なんだけどさ、初期費用が無理なく支払えそうな範囲の額だから少し安心しちゃって。予想より結構抑えられたんだよね。それと、不動産屋さんがかなり当たりだった。Googleの口コミが良いのも納得。ぶっちゃけ内見をして部屋の寸法や収納、水回りとかに問題ないなら早めに動いておきたいくらい。
一番手で審査をお願いして良かったと思ってる。驚いたんだけど、審査が通ったって報せの前に私のスマホに保証会社から連絡があったんだよね。多分本人確認の連絡だったんだろうな。真面目に驚いたし審査の合否の前だからフライングみたいに感じて。
で、今は不要品の整理を進めていったん休憩に入った所。今日から二連休だからまずは本棚を整理して(これはもう終わった)クローゼットにあるハンドメイド資材の整理の続き。前者は直ぐに終わったんだけど、後者は結構力出さないと終わらなさそう。ぶっちゃけ明後日仕事に行ったらまた二連休だから、あまり無理する必要も無いとは思ってる。ただ私の場合、一度集中しちゃうと無限に時間を使っちゃうところがあるから、出来れば一気にやってしまいたい。あとでチャッピーにハンドメイド資材の収納についてもう一度相談する。
新しい部屋はチワワと暮らすのを前提に選んでるから、内見では私のスペースと一緒にチワワのスペースと動線についても考えなくちゃいけない。玄関からの廊下が少し長くて狭いみたいだから、家具家電を持ち込む時の動線も確保。で、お迎えする前にペットゲートも設置するのも想定する。靴箱の無い玄関みたいだから物の置き方も考える。あとで間取りの写真を印刷しにコンビニへ行こうと思う(うちにプリンターは無いので、スマホからコンビニプリントする)。入居が決まったら何も触る前に日付入りで写真も撮って同じくコンビニプリントで残しておく。無料で日付を入れられるアプリがあるらしい。昔だったらインスタントカメラ一択だったのかな。
床材はアマゾンか楽天市場で購入しようと思ってる。置くだけで貼り付けないタイプの、できればコスパの良いものが欲しい。その上にラグは敷くけど床暖房は使わないから、耐熱については其処まで気にしなくても良いのかな。私はタバコも吸わないし。
家具について悩むのは一旦止めてる。まずは部屋の印象を見たいし、サイズもその時に測ってみないと分からない。今思うと、少し前に家具や家電について若干悩み過ぎてるところがあったんだよね。値段をすごく気にしてたから多分、初期費用について不安だったんだと思う。でも審査が通った部屋になるなら、今の所は知らされた額より高額にはまずならないみたいだから、安心して心が落ち着いて『あの頃は不安だったんだ』って分かった。前よりも心の強度が上がって考えの歪みを取れるようになってきたって言っても、不安症状自体がなくなったわけじゃない。
こういう風に或る程度俯瞰できるのは私の強みのひとつだと思う。それと、所謂『一般的な人』として振る舞うのが巧いって言うのも強みなんじゃないかな。場面にもよるけどね。不動産屋さんとのやり取りでは初めての事だから戸惑う事もあるにはあったんだけど、社会人としてきちんと会話して必要な事を確認できてる。仕事でも電話対応が得意になって来てて丁度良いタイミングだったかもしれない。
敢えて話を少し変えるね。私は今職場でヘルプマークを着けて働いてるんだって前に書いたと思う。毎日いろんなお客様がいらして沢山話をしてるけど、今の所自分で言わない限りメンタル疾患の人だって言うのを認識されてはいないと思うんだ。自分から積極的に挨拶して、知識が他の人より少なくても学習スピードは遅くないし、接客は上手い方だと思う。自分からお声がけするのも当たり前にやってるし、会社の課題(販売促進したい商品の売り込みとか)にも真剣に取り組んでる。お陰でフルタイム勤務じゃない社員にしては多めのボーナスが貰えた。
これらが叶ってるのはまあ、一般の人のふりをするのが巧いからなんだよ。『巧過ぎる』まで行っちゃうことも多いけどね。
無理しなくても無意識に一般の人であろうとしつつ、一般的ではない事を考えながら笑顔ではきはき接客してる。時々考えのスピードに言語化が追い付かない事もあるし、たまに日本語が英語とごっちゃになるけど、それも『一生懸命さ』だと判断して貰える振る舞いが出来る。
男は度胸、女は愛嬌って言うけど、私はそこそこに度胸もある女だと思うんだ。この前外国の人がセルフレジで困ってたから「I can speak English little bit. 」って言って英語で接客した。陽気で笑顔の素敵な男の人でさ、お年を召して白ひげをたくわえたらサンタクロースになれそうな感じの人だった。旅行者で、猫ちゃんのお散歩に使うものが欲しくて来たんだって。
英語で接客されると思ってなかったらしくて「I'm learning English for one and half year. 」って言ったら褒めてくれたよ。去り際に「貴方が今日も幸せでありますように!」って英語で言ってくれたから「Thank you. You too!」って伝えた。文法が正確かどうかは気にしてない。通じればそれでいい。
人生も仕事も面白い。働くのは疲れるし、昨日はまあまあきつめの納品日だったけど、達成感も楽しさも強い。猫砂の袋の山を前にして「やってやるか」と腕のストレッチをして脚立を取りに行ったよ。納品の大半は片付いたし、私はウェイトトレーニングが出来た。実は昨日職場で健康診断もあって体重が結構減ってるって言うのも判明したしね。筋肉があると人生って豊かになるよ。ボディビルディングまで行っちゃうとちょっと逸脱し勝ちかもしれないけど、筋肉を鍛えてる時って心が整うんだよね。今日は仕事で動く分が無いから家でがっつりトレーニングする心算だよ。昔は30回でギブアップしてたスクワットが、今はワイドスクワットにして90回まで出来るようになった。これくらいやっておけば多分下半身は結構鍛えられてる筈。腰痛とかも無いからフォームも大丈夫そうだし。その他にヒップリフトとかサイドプランクとかスパイダープランクもやってる。筋トレ楽しい。
新しい部屋に引っ越したら下の階の人に音が響かないようにトレーニング内容は見直さないといけないけどね、それがまた楽しみなんだ。チワワをお迎えしたら一緒に沢山お散歩したいし、その子を抱っこしてスクワットとか楽しそう。勿論お散歩が苦手な子だったらその時は無理させないで、お家の中でいっぱい遊ぶし、プランクしてる私の邪魔をしてきてもきっと可愛い。
『夢は文字にすると叶う可能性が上がる』んだって少し前に見た。じゃあ、なるべく全部に文字としての形を与えてあげないとね。