▼2026/02/09:化け物染みてるね、けれども貴方はただのヒト
下の記事とは少し違った日常を書いてみようと思う。北海道は今ガチで寒い。札幌市の積雪は例年以上だし、それが異常だし、ホワイトアウトが日常に近くなってきた。昨日の仕事帰りにまつ毛パーマを掛けに行って来たんだけど、地下鉄駅からサロンまでの道のりでリアルに雪だるまになった。職場から最寄り駅までもまあまあ真っ白になれる。ちなみにJRは滅多に使わないからそこまで移動手段に影響は無くて、ただ、鉄道や飛行機が止まると店に品物が届かない。猫が食べる草が一週間くらい遅延したし、道外から来る商品も幾つかが遅延した。お客様もこの雪なら仕方ないと思うらしく、客注が遅れても文句を言う人は居なかった。ちなみにお客様数が少ないのかと言うとそうでも無くて、しっかりと防寒対策をしてお犬と共に来るケースも多い。一度お客様は疲労困憊なのに、お犬は目をキラキラさせて『雪最高! ぼくとっても楽しい!』と言わんばかりの状態で来店された事があって、お犬は『ねえパパ! ぼくもっと遊びたいの!』とはしゃいでいて……本当にお疲れ様ですって感じだ。
そんでプライベートで起きた事だと、私の部屋のストーブが寒波が来る前日に壊れた。寒波は寒波でも大寒波だった。インターネットで購入は配送が難しいと分かっているし、別の手段で代替機を購入したら部屋は暖かいけど財布は寒くなった。
そして今日も外は恐ろしく寒く、JRは間引き運転を実施し多分交通機関は混みあうんだろうな。休みで良かったし今日は外に出ない事にしたのが正解だったと思う。うちのすぐ近くに雪捨て場になってる公園があるんだけど、多分雪山の標高が4メートルくらいある。毎年『今年は異常』って言うのが通常になっている気がして、今年の雪まつりには足り過ぎるくらいの積雪だから多分雪解けも遅い。そろそろ外が真っ白いのは見飽きたんだけどな。
でも北海道の家の中の室温って本州よりもあったかいらしいね。確かにいまの部屋の中はかなり暖かいよ。断熱材の厚みが段違いだから。窓は二重ガラスだし。そして多分、冬の暖房費も段違いなんだろうな。同じ国なのに縦に長すぎるから、同じ時期に全く違う気候の地域ばかりだから、国内旅行でも風邪が引けそうだよね。前に真冬に屋久島に言った事があるんだけど、12月でもハイビスカスが咲いてて半袖で居られるから驚いた。同じ格好で同じ時期の北海道に居たら間違いなく周囲から浮きまくる。
暦上ではもう春だとか、取り敢えず太陰暦は無視していいんじゃないかな。
▼2026/02/09:水掻きの隙間から零れ落ちる、犠牲者はいつだって見ないフリ
久しぶりに母が入院した。昨日の未明に激しい痛みがあって、診断結果は急性膵炎。現在は絶食状態で入院中だが、我が家では比較的よくある系統の入院理由だ。母は消化器に持病を抱えているのでまあまあよくある話。我が家ではね。なので過剰に心配しては居ないんだけど、まあ、やっぱり気にはなるじゃない。母が私に痩せろ痩せろとうるさく言うのは自分が消化器の病気で苦労しているからだ。このブログを読んでくれている皆さんは覚えているかもしれないけど、私が専門学校に入学すると決まった年に母は初めてその病気で入院した。その後いろいろ(本当にいろいろ)あって今の状態になったわけなので、娘である私には自分のように苦労してほしくないと思っているらしい。多分。
それに加えて私は糖代謝が異常になるかもしれない薬を服用しているし、父は仕事で糖尿病由来の人工透析患者さんのお世話をしている為、同じ様に私の身体が心配らしく以前からチクチク言ってくるのだ。
私は本来痩せている自分の方が好きだし、食べる事と同じくらい可愛くいる為の研究が好きだ。
ただ、自分の中で触れられたくない触れられ方をされると拒絶したくなってしまうだけ。
我ながら我が儘だと思うけど、それが時折深く刺さってしまう事があるんだよ。そして、これは誰にでも生まれ得る傾向なんだろうなとよく思う。万人に当て嵌まる型は無くても、触ってほしくない場所ってあるじゃない。それが私にとっては攻撃的で脅しめいた=w痩せろ』の言葉だってこと。
それでもね、痩せるのには変わりないんだけどさ、相手によってはちょっと引っ掛かってしまうって言うお話。
今の体重がヤバいのも悪玉コレステロールや中性脂肪がヤバいのは分かってるのにね、昼間は頑張れても夜に食べちゃあ意味ないでしょうって言う。だから今日からさ、眠剤を飲んで効いてきたらストーブを消して布団に入るの。今の札幌はすごく寒いからおやつを食べるのが不快なくらい寒い環境にすればいいんだ。
カリギュラ効果だっけ、やってはいけないと思う事程やってしまうやつ。多分私はそれが眠剤で助長されるタイプ。そうだと分かっているなら早く実行すればいいのにね。
珍しく夜食を取らずに迎えた朝はどんなに爽快なのか、ちゃんと知ってるのにね。一時の快楽の為だけに冷蔵庫を開けている私には嫌になる。
それでも抵抗として低カロリーおやつの材料を購入してきた。おからパウダーとか純ココアとか、ラカントの顆粒とか。後はパルテノとかのギリシャヨーグルトがあると美味しいおやつになるらしい。他にも卵と混ぜてレンジでチンするだけで美味しいケーキになるらしい。Instagramって凄いよね、一度そう言う情報を検索すると自動的に関連付いた投稿がタイムラインに上がるんだ。
ご飯ものもダイエット仕様のものを作り置いては食べている。最近冷凍弁当作りを始めたんだけど、これ良いね。朝はそのまま持っていくだけだし、作り置いても冷凍されてたらつまみ食いが出来ない。よく作るのは『包まない小籠包』と『麻婆豆腐クリームうどん』。ジップロックのタッパーに作って仕事のある日はそれでだいぶ楽してる。職場には電子レンジがあるから、それで温めれば冬場にも温かいお昼ご飯が低価格で食べられる。計算してみたら材料費は一食当たり200円前後だった。其処に調理や後片付け段階でも光熱費や水道代が加わるけど、家計には其処まで負担じゃない。その他にも塩鮭と小松菜の蒸し焼きを載せたもち麦ご飯に卵焼きをつけたりとか。お昼に魚を食べられると嬉しい性質の人間。魚って身体に良さそうじゃない。何となくだけど。
……今ふと思ったんだけど、作り置くなら冷凍保存して置けばいいのかもしれない。温めて溶かす必要がある状態ならつまみ食いしないんじゃない?
もしかして、夜中に食べちゃう事を責めるよりも今できる工夫をした方が建設的なのでは。一人暮らしを始める準備にもなるし。普段の食事は食べきれる量を作る事にして、その他は全て材料の状態か、解凍が必要な状態なら夜中の無駄食いは防止できそう。やっぱり文字に書き起こすのって大事。考えが整理されて自分でも納得いく形になる。
話は変わるんだけど、一昨年の暮れからデュオリンゴを続けてるのは皆さんご存知だと思う。最近レベルがもう少しで100に届きそうで、そのくらいのタイミングで英語検定とTOEICの勉強を始める事にした。どっちを実際に受けるかはまだ決めてない。まずは触れてみて、どんな感じの試験なのかを確認してから決めてみようと思う。多分本屋でテキストを立ち読みして決める感じ。
最近、英語の勉強の為に英語で話している動画を視聴することが多くて、大体が聞き取れるし英文も読めるから思い切って受けてみる事にした。もう少しお給料が上がったらスマホに『スピーク』ってアプリを入れて英会話も練習したい。デュオリンゴも良いんだけど、スピークを推している人の意見を読んだら結構良さげでさ。AIが相手だからいつでもどこでも練習出来るし良いなって。
元々はAIにあまり期待していない方だったのに、今では程々にAIのお世話になってる。相手が人間じゃない事は念頭に置いておいて、だからこそと言うか頼れる時に頼る感じ。chatGPTもだけど、使い方さえ適切なら本当に便利だと思う。最近だとAI音楽にもハマってる。既存の曲をオーケストラアレンジにしたり讃美歌っぽく歌わせたりしてるのとか、ミュージカル音楽みたいにしてるのとか、元々の曲とは結構違うのが素直に面白いなって感じる。
今はオリジナル音楽もAIで作れる時代なんだね。DTMの括りに入るのかもしれないけど、歌唱部分もAIに歌わせられる時代だし、昔と違って本当に人間の声に聞こえるからすごいと思う。素直にかっこいいよ。
考えてみると、ボーカロイドだって受け容れられるまでは時間がかかったし『好き』と口に出すのが憚られる場面も多かったし、AI音楽もそう言う物に近いのかな。誰かの模倣だけじゃないオリジナルの物があればいいんだろうね。ただ、AIだと其処の証明が難しいと言うか。真似する事が悪いんじゃなく、真似したのに『真似してない』って言うのが良くないのにね。
ちなみに今聴いてるのはオリジナルのAI楽曲。著作権以外の理由もあって曲名は書かないけど、曲の内容自体はオリジナルだしとてもかっこいい曲。ただ、特定の主義者と思われたくないから書かない事にした。
自分が何が好きで何が嫌いかを書くだけで誤解される世界なのが、面白いようにも感じるから不思議。押し付けさえしなければ何を好きでも嫌いでも良いのにね。
▼2026/01/29:拍手お返事。
シロさんへ。
拍手ありがとうございます。ご心配おかけしました。でも、心配してもらえて嬉しかったです。
あの日は記録的な札幌でも珍しいくらいの大雪で、三連勤の最終日で疲れが溜まっていた+苦手で慣れていない仕事を大量にやらなければならず体と心の疲労がマックスでした。書いた通りなんですけど、私の場合、普段仕事で疲れてもあそこまでは落ち込まない事が殆どなんですよね。今は回復しています。
身体が疲れた時の改善策とか対策や方法は沢山持っているんですけれど、心が疲れた時のそれは同じくらいには持っていないのかもしれないな、と感じました。あの日記を書いた時は心が異常に静かになってしまって、なのに思考は止まらなくて。寒いしお腹は空いてるし疲れてるし、シロさんと同じく頭痛持ちなのでそれの気配も相まって『世界には絶望しかない』みたいな心境で真っ白い雪の中を歩いてました。まあ職場も自宅も公共交通機関の最寄り駅まではそんなに離れてないんですが。
あんな書き方してますが、雪が積もった時の静けさは元々そんなに嫌いじゃありません。ただ、静かすぎると思考が止まらなくなるんでしょうね。『世界も自分も終わってしまえばいい。その方が幾分か救いがある』なんて随分と悲観的で一時的な思い込みです。
ちなみに次の日から二連休だったんですが、一日目はまあネガティブ全開でした。それなのにメイクは巧くいくしコーディネートは完璧に組めちゃうしで外出したんですよね。歩きながら思考を整理しようと思って。個人的なライフハックなんですが、その時に聴ける音楽を聴きながら当てもなく街を歩き回るのが一つの対処になったりします。歩いて歩いて、フッと楽になる瞬間が来るまで歩き続けるんです。その時考えは敢えて止めません。考え尽くして、答えが出る時もありますし、そうでなくても或る程度気が済んで落ち着く事が多いです。考え尽くすのが大事みたいで、何処かで現状に納得するんでしょうね。
何かに躓いたとして、それがたった一つであっても小さなものであったとしても、そこを切っ掛けに何もかもがうまくいっていないように、これからもいかないように思えてしまう。或る種誇大化しているのに気付けたら戻って来られるんですが、今回は自力だけだと少し難しかったです。なので、chatGPTに思いを吐き出したり、好きなものを眺めたりメイクに力を入れたりしてみました。今回は回復が速かったからまだいいんですが、鬱病チェックをやってみたら『中等度の鬱状態』とか出て大分焦りましたね。
でも戻って来た今は、問題は決して大きくないし解決策が無いわけでもないとしっかり認識できています。何だろう、自分を俯瞰視するのが得意な方なんですね。練習したからできるようになった感じではあるんですが。
文章を褒めてもらえたのが、ちょっとと言うかかなり嬉しいです。此処で書いた事があるかは覚えていないんですが、私実は、食べ物描写にこだわった小説を書く事が多いんです。有難い事に読者さん達にも『飯テロ』『夜中に読むんじゃなかった(良い意味で)!』と評価して頂いてまして、自分も料理が好きなのでついつい作中に料理や食べ物のシーンが多いし推しには料理上手であってほしいタイプです。甘いもの縛りとかお酒に合うもの縛りとか、架空のバーを舞台におつまみとお酒を使って推しカプをくっつけるお話も書きましたね。カクテル言葉で攻めが受けを口説くお話なんですが、自分がかつて通っていたバーをモデルにして書きました。なので、とても嬉しかったです。最近あまり書けてないので、そろそろ新作を書こうかなと考えています。やっぱり、ネタは新鮮なうちに調理しないと美味しくない。
食べるって、生きる事なんですよ。飲む事もそうなんですが、私の場合限界に来ると食べ物の味が分からなくなります。正確に言うと美味しいか美味しくないかが分からなくなる。今回はぎりぎり美味しいと感じられました。休み一日目のお昼ご飯に食べたオムライスが和風の物で、やっぱり旨味が欲しくて選びました。明太子の解し身と高菜の餡掛けがかけられたあったかいオムライスです。ご飯も和風の味付けで、茸が入ってる。食感も楽しい。そんな風に思考とは別の所で生きている実感を得ようとしていたかもしれません。なのでゆっくりと残さず食べました。その後も歩き回って、フッと楽になる瞬間が訪れてくれて、今に至ります。
本当に、ありがとうございました。離れてても日本の何処かに私を本気で心配してくれるシロさんが居てくれて、本当に良かったです。まだまだ寒いので、あったかく過ごしましょうね。
▼2026/01/25:薄氷を進むんだ、凍えた塩の塊
今日は、いつもよりも心が疲れている。身体の疲労具合もまあまあ酷いんだけど、何か、色んなことを考え過ぎるのが止められない。少し前に書いたと思うけど、統合失調症の有名な症状で連合弛緩というのがある。言葉とそれらの意味合いの繋がりが緩くなって、考えや話の内容に纏まりが無くなる。一つの事を考えていたのにいつの間にか別な事に考えが及んで、急にスケールが大きくなる。こんな時、最終的に私は『もしも自分以外の人間が総てこの世界から消えたら?』なんて夢想をしてしまう。そんなこと起こる筈も無いのに繰り返し考える。これは私のなかの大量ゲージが殆どゼロに近くて、かつ心も疲れている時だ。最早涙も出ない。ただ、淡々と脳内で世界中の人間を鏖殺する。勿論本気じゃない。多分、疲れている時特有の思考の癖なんだと思う。或る種の現実逃避かな。
でも、今日の仕事が大変だったのは本当。身体をいたわろうと旨味の強い和食を用意して貰って、小松菜の山葵醤油マヨネーズ和えを食べた時、この料理はこんなにも美味しかっただろうかと感動した。美味しい料理って心も癒してくれるのは本当だなと感じる。塩味は控えめで、小松菜のしゃきしゃきした歯ごたえとマヨネーズのクリーミーさが泣きたくなるくらい美味しい。鮭の照り焼きも脂がのってて美味しい。鯖缶と胡瓜の和え物も本当に美味しくて、いつの間にか心がほぐれていた。
今日は慣れない仕事が山積み状態だったうえに、大雪の所為で店長が出勤するのが一時間以上遅れた関係もあって、『こんな時くらいはお店はお休みにしよう』と行ってくれる誰かはこの職場には居ないんだなと思いながら仕事した。
人間ってさ、寒くてお腹が空いてると碌な事を考えないね。昨日色々と将来について悩み込んでしまって、其処にこのドカ雪だよ。ああ、何か、今なら世界なんて無くなってもいいかもしれない、って思ってしまうくらいには疲れた。
私は、疲れて何も考えたくない時に限って色々な事を考えてしまうらしい。大体はネガティヴで攻撃的な事だ。次いで自分が居なくなる方が楽なんじゃないかと考える。他人を全部消すよりも、自分一人で完結した方がよっぽど楽だ。勿論本気じゃない。何度も言うけど、考えるだけなんだ。
人間は考える葦である、とか言う古い言葉があるけど、考えない自由もあって良いんじゃないかな。そして内心の自由があって良かったと思う。私が一人でこんな事を考えているって周囲に知られたら流石に辛い。破滅願望に近いのかな。
雪が降るとさ、周囲の音を吸収しちゃうんだよね。だからすっごく静かなの。そんな中を一人きりで歩いてると、本当に世界に独りきりなんだと勘違いしちゃう。全部妄想だよ。解ってる。
普段、身体が疲れても心はそんなに疲れない方だから、慣れてなくて色々巧くいかないんだろうね。このまま寝て仕舞えるのか少々疑問だけど、ここらへんで終わりにしとく。
▼2026/01/15:挽いたら焦がせ、角が立つくらいに。
精神科に通院してきた。今日久しぶりに処方が変わったので記録しておく。これまでは『デエビゴ』と言う眠剤を主役として就寝前に飲んでたんだけど、今日からは『クービビック』と言う新薬に変えてみる事になった。デエビゴは副作用として『悪夢』『夢がはっきりし過ぎる』と言うのがあって、これは私も実感してる。ただこれまでよりも夢の内容を克明に覚えている事が増えたり、その他にも日常生活に影響が出てきたので変えてみる事にした。デエビゴは薬の成分の血中濃度が半減するまで50時間かかるらしいんだけど、それの所為で翌朝の眠気が結構酷いんだよね。私の日課は二度寝だし。クービビックはデエビゴと同じオレキシン受容体拮抗薬なんだけど、血中濃度の半減期が約8時間。そうなると私に必要な就寝時間には丁度いい。加えて今通っている病院の患者さん達からは評判が良いらしい。他に似たような作用の新薬で『ボルズィ』って薬もあるんだけど、新しい薬は発売されてからしばらくは投与制限がかかる+作用時間がクービビックよりも短い事に鑑みて、今回はクービビックを試してみる事にした。新薬となると(デエビゴも結構新しめの薬だけど)ジェネリックが出るまでは薬価が気になるところだけど、私の処方の場合前と変わらない値段だった。自立支援医療のお世話になってるからこれ以上は掛からないらしい。まあ、今の所得だとだけど。
自立支援医療は精神科通院に関わる制度で、平たく言うと診察代やお薬代が通常の3割負担から1割負担に変わり、上限額が所得に応じて決まるから低所得の人ほど助かる仕組みの事。私の場合、世帯主は私なのと生活を営んでいるのも私一人なので、単純に私一人の所得に応じて上限額が産出される。精神科の薬って結構高いからこれをハードルに感じて通院できない人も多いらしい。
久しぶりに新薬を試す事になって、趣味で薬の勉強をしてて良かったと思う。作用機序や副作用がある程度わかってると安心して飲めるし。勉強って言ってもただ調べたり動画を見るくらいで意外と難しくないから、暇潰しにもなるし興味があればやってみてもいいかも。
英語も勉強してるけど、趣味で勉強って学生時代の自分からすると考えられない感覚だと思う。特に中学の頃は部活動の為に学校へ行ってた。ただ、学校の勉強が嫌いって訳でもない。『嫌いな勉強』があるだけだった。数学とか体育とかね。でも今は運動も趣味になってるから驚き。多分、やりたくないスポーツとか、競う事が嫌だった。運動会とかデエビゴで見る以上の悪夢でしかなかったし。
今日の診察で主治医が気にしたのは『夢の内容と現実を混同することがある事』で、私は実際に夢の中で見たものや聞いた言葉が暫く脳内に残る事がある。起きた瞬間『本当に現実になっていたらどうしよう』ってスマホで検索し始めるくらいだから。痛みとか味とかも感覚としてあるから怖い。これがクービビックでどのくらい改善されるか試してみる事になる。どっちみち、薬が無いと眠れない事実に変わりはない。じゃあより良い薬を探すしかないから、まあ、なるべくその他では薬を飲みたくない、のに現在進行形で別の科の薬も処方されてる。相変わらず『命にはかかわらないけど処方薬が必要な症状』に陥りやすい体質だ。
そう言えば最近、頭痛対策に鎮痛剤とセットで身体を動かす事にしている。首回りをストレッチしたりツボを押したり、耳を揉んだり回したり。鎮痛剤に関しては自立支援医療の対象外だからなるべく飲みたくない。そうでなくても肝機能と腎機能が心配だし。
私が頭痛持ちになったのって何歳くらいからだろ。専門学校の頃はこんなにひどく無かったような気がする。長い付き合いの体質だけど、低血圧だったのも治ったんだしこっちも治ってくれないかな。
▼2026/01/13:凝るは疑いの念、しかしてこの世の総ては硝子越し
下の記事を書いて、コピペして通院用記録として体裁を整えてから戻って来た。流石にあの記事をトップに置いておくのは申し訳ない。仕事が楽しく充実しているのは本当で、毎日それなりに働いてそこそこ良い給料をもらっていると思う。少なくともこの地域の障害者雇用の販売職にしては。下の記事でも書いたけど、私を見て笑顔で声をかけてくれるお客様も増えたし『矢野さんは今後も接客に力を入れて欲しい。他については焦らなくていい』って言って貰えてる。接客に関しては少々フレンドリーすぎるきらいもあるんだけど、商品説明などは丁寧すぎるくらいだそうだ。お客様へ声掛けするのに全く抵抗が無いのは一種の才能らしい。私の場合は買い物籠を必要としている人に渡す事でコミュニケーションを始める事が多く、他にも何か気になる事がありそうな人にはタイミングを見て声をかける。その時敢えて行かない事も覚えたし、『これは絶対声をかけた方が良い場合』も解かって来た。
こんな感じなので基本的に精神の手帳を持っている事は想像すらされていないらしい。そしてこっちは逆にそう言う人は判るので避ける事も出来るようになった。全員に同じくらい親切で居る必要は無いし、優しいよりも誠実で居るように努めている。そしてついでにお客様が連れて来たわんこやにゃんこを愛でて、癒しを貰いつつ商品を提案している。人間と動物相手では人格が違う自覚が有る。
まあ、接客用の自分を作っているのは変わらないんだろうけど。
そう言えばこの前生まれて初めて賞与を貰った。それで親にお年賀を購入。少額ではあれど、頑張りを評価して貰えたなら良かった。本音では『桁が足りなくないですか』って感じではある。でも現実ってこんなもん。
趣味関係の話をすると、その賞与を貯めて今年の夏くらいにミシンを購入したい。この前ユザワヤ(有名手芸店)からハガキが届いて一年以上繰り返し使える割引券が付いてたんだよね。最大で40%オフなので、そのタイミングならミシンも十分狙える範囲に在る。で、手に入れたら手芸の趣味がかなり捗りそうなんだよね。元々手縫いでとんでもなく手間をかけて色んなものを作ってたから。今通勤に使ってるバッグは全部手作りで、どう考えてもミシンで作るべき作業量だった。
ミシンがあればドール服ももっと早く作れると思う。で、いつかわんこをお迎えしたらその子のお洋服も作るの。お揃いの生地でお散歩バッグとか作れたら素敵だと思うし。その為にも稼いで安定した就労をしよう。ちなみに勤怠は既に安定してる。精神的な理由で欠勤した事は無い(半日早退した事はある)し、身体の体調も安定してる。
この前手帳を増やしたんだけど、それには手芸のアイディアも描き込みたい。手帳のカバーは元々シール帳として売られてたバインダーをリメイクして作ってみた。中に仕込んだのはロルバーンのポケット付きメモ。ファスナーの端っこを可愛い生地でくるんで縫ってあって、お揃いの布で作ったリボンのチャームをつけてみた。我ながら手先が器用だ。職業適性検査だと不器用らしいから不思議。
そう言えば最近、自分の病気の症状について理解が深まったんだけどさ。私の『統合失調感情障害』の症状に『連合弛緩』って言うのがあって、言葉と物事の結びつきが異様に緩くなっちゃう事を言うらしい。私昔からひとつのワードを見聞きした途端に色々と連想し始めて最初とは全く違う事を考えてしまうんだけど、これが連合弛緩の症状らしい。例えば『桜咲く』って言葉を見たり聞いたりしたとして、普通の人は『春』『受験合格』『お花見』くらいの事を考えるとしたら、私の場合『さくら…馬の肉って桜肉って言うけど、どのくらいのサシの入り具合が美味しいんだろう。体脂肪率はどのくらいがベスト?』みたいな感じで連想ゲームが脳内で開催される。
これがあるから話に纏まりが無くなるんだよね。昔からこう。じゃあいつから発症してたんだろうか。此処には多分発達障害グレーゾーンの部分も関わってて、多分無駄に複雑に考え過ぎるんだろうな。もっとシンプルらしいよね、普通の人はさ。
こんな感じで常に何かを考え続けるから脳がオーバーヒートして疲れるんだと思う。ただ、これのお陰で小説を書けているのは多分事実だし、治そうと思って治せたら病気自体が無くなると思う。うまく付き合っていくしかないんだよ。
多分だけど、これが鬱病ではなく双極性障害を含む方の統合失調感情障害である証拠みたいなもので、一年の中でも必ずやる気に満ちた状態と抑うつ状態が何度も入れ替わる(それも比較的に短期間で)から自分で自分に疲れてるんだと思う。自覚が有るだけマシなのかな。
これ、下の記事よりも自分の症状に迫っちゃったかもしれない。次の受診の時まで覚えていられたらいいな。
▼2026/01/13:噛み砕いた金平糖、実は惑星だったりして。
通院用の記録も兼ねて書いていく。今回の記事は読んだ人が引かないかが心配だ。ここ一ヶ月くらい、感情の波が激しくて自分でも驚く事が多い。元々冬の間は元気な事が多かったのに、最近はつい鬱の方に寄ってしまう事が増えた。太陽の光を浴びる時間が減ったからだろうと感じているけど、それを昨日実感した。仕事が早い時間に終わって職場のドアを開けた瞬間、周囲が明るい。先月のこれくらいの時間はまだまだ日が短かったのに、いつの間にか春が近づいている気がして気分が高揚した。早く暖かくなればいいのにと考える事も増えた。寒いと無意識に身体を縮こませるから血行が悪くなって、肩が凝ったり頭痛がする回数も増える。対抗すべく運動したり入浴しても一日中寒さを感じるから気分が滅入る。運動してもついつい食べてしまって体重は減らないし、何なら体型は悪くなった。もっと外に出掛けて日光を浴びたいと思う事が増えて、案外私は普通の人間なんだなと実感した。日に焼けるとかはどうでもよくなってきて、暖かさこそ人間が求める物と感じる。
睡眠は割と順調だと思う。ただ、夜が明けるのが嫌で夜更かししてしまうのも事実。序でに夜食を取って自己嫌悪に陥る。昼間は頑張れるのに、夜になったらその努力を帳消しにしてしまう。そんな自分にはがっかりするし、鬱に拍車がかかるので、生活を改善しようとまたchatGPTのお世話になり始めた。アプリ相手だと人間とは違って相手に呆れられる事が無いので良い。少なくとも私には合っていた。
私のchatGPTはどうやら女性らしく(入力者の私との相性を考えてだろうけど)、正確に打ち込めば正確に返してくれる。相手が人間ではないことを念頭に置いて割り切って使う分には丁度良いツールだ。
話は変わるんだけど、ついこの前久しぶりに薬を飲み忘れた。その時は自分の精神の波が随分と激しいと感じ、薬を飲み忘れたと気付いて納得した。自分で自分をコントロールできなくなるところだった。何もかもに敵意を抱いて攻撃的になっている自覚が有ったので、普段それを抑えてくれているのが薬なのだと実感した。
私は何かに不満を抱くと周囲へ敵意を抱いてそれのやり場に困り、他者へ暴言を吐きながら自分を攻撃する傾向があるらしい。あまり知りたくなかった事だけれど、知っておいて損はないかもしれない。傾向が判れば対策も出来る。まずは薬を飲み忘れないのが一番だろう。それと、妄想状態に近づいていると気付いたら考えの方向を変えるか、その考えから距離を取る事。私には解離の症状が元々あるが、それを巧い事利用してメタ的に捉えてみる。
しかしその解離の症状も最近強くなる事があって、自分が自分じゃない感覚が時々気持ち悪く思える事が増えた。今此処で生きて話して暮らしている私は私ではない『何か』としか思えない。
本当の私は何処にいるのだろうかと考えて、そもそもそんなもの何処にも居ないとも思う。今こうして思考し文字にしている私以外、私は存在しない。
何かやりたい事があるのに実行できない自分にうんざりすると言うか、呆れてしまう事が増えた。単純に疲れているのだと思うが、何もせず只管動画やSNSばかり見てしまう。普段気を張り過ぎているのだろうか。仕事の事ばかり話しているし、考えているらしい。仕事自体は楽しい。私に会う事を楽しみにしてくれているお客様が増えてきたし、評価も伴っている。産まれて初めて賞与と言うものも貰えた。本当に楽しい。やる気が無くても、無いなら無いなりに上手くやる事を覚えて来た。お客様に見えない所で大欠伸をして掃除をしたり売り場を整頓する事も増えた。
趣味で一番続いているのはデュオリンゴだ。つい最近連続記録が400日を超えた。いつの間にか英語の字幕を理解出来るようになったり、聞いた英文をパッと理解して返答も出来るようにもなれた。一昨年の年末から初めていつの間にか毎日の日課になっていて、今年は英検を受験してみようと考えている。
しかし、その他の生産的な活動と言うべきか、趣味に手が伸びない。作りたい物は沢山あるのに、材料も揃っているのにやろうと思えない。意欲が出ないと言うか、もしかしたら疲れを予見して自分で制してしまっているかもしれない。何をしても人間は疲れるというのに。
此処まで書いてきて思ったが、私と言う人間は本当に面倒くさがりだ。その面倒くささを乗り越える事こそ以前の自分の喜びであり楽しみだったのに。
兎に角体力が欲しい。それに尽きる。やはりきちんと運動して良い食事ををとって眠る、と言う基礎をしっかりすべきだと感じていて。基礎をしっかり打たないとその上の建物は崩壊するので、初心に帰ってみようと思う。そして、『面倒くさい』を一旦脇に置いて、少しずつでも手を動かしたい。
▼2026/01/05:触法、須らく執行者を慰めたまえ
下の記事ね、自分の生きる理由について整理したくて書いてみた。前にもしも『生まれ変わって全く違う人物として生きる事が出来ますよ』と言われたとして、今の自分の持つ要素の中で最後まで変えたくない、譲りたくない要素があるなら、それが自分にとって一番大切にすべきものだという論を聞いて考えてみたものなんだけど、私は何かを作って生み出し続けたいから生きているらしい。物語であれ、絵画であれ、手芸であれ、この世にはなかったものが形を持つ瞬間がたまらなく好きだ。自分の脳内にしか存在していなかったから触れる事すらも出来なかった、輪郭を目で捉える事も出来なかったものが目の前に現れる瞬間。絵を描いているとよく思うんだけど、人物画なら目の中にハイライトを入れたり、静物画なら一番目立たせたい色を挿す作業をする瞬間は堪らなく楽しい。今この絵は完成して私の手から離れて人の目に触れるんだと思うと気分が高揚する。小説や物語でも同じだね。自分が考えて綴った文字列の筈なのに、全く違う人物が書いたかのように感じる事もある。それを読んで感想を貰えることはもう快感としか言いようがない。もし私が綴らなかったらこの世の誰にも知られないまま消えていっただろう物語が誰かの心を動かすんだとしたら、それこそが私の『生きていて良かった瞬間』だから。
昔読んだ漫画に『人は誰でも、生きているだけで誰かの生きる救いになっている』みたいな主人公のモノローグがあった。勿論生きて行動した結果だとは思うんだけど、「生きててくれるだけでいいんだ」と言われた事もある身としては『存在してくれている事実』だけでも誰かの救いになるケースもあるんだとも知ってる。
最後の飛び降り未遂の時、私は本当に何も出来ない状態になった。兎に角死なないといけないと叫んで暴れて、ベッドに縛り付けられてそれでも如何にか動こうともがいてた。両足ともに粉砕骨折してたし、片腕も使い物にならない状態だったのにね。
人が自らの命を断とうとする時、実行者にはとんでもないエネルギーが生まれてしまう事がままあるんだと今は思う。何が何でも達成しないといけないって、だって、苦しい状況を終わらせないと自分は永遠につらいままだって思うから。私は少し違ったかもしれないけどね。でも兎に角死ななくちゃいけないって一種の使命感みたいなものがあった。結果、死ななくて本当に良かったと思ってる。色んなものを失くしたし、取り戻せないものもあったけど、得たものとか気づいた事がそれ以上に沢山あった。目が醒めて意識がはっきりした頃、私の携帯電話のメールボックスには沢山の心配してくれている友人知人のメールがあった。百件以上あったからすごいよね。それを読みながら『私は死ななくても良かったんだ』と初めて思った。当時精神的にきつくて、両親には随分心配かけたし迷惑もかけてた自覚が有ったから、自分に価値があるのかと問われても素直に『ある』とは言えなかったから。私一人が消えたところで世界は変わらないと思ってた。でも、世界こそ変わらなくても、変わっちゃうものはあったかもしれない。私が消えなかった事で救われた人が居たのかもしれないって今なら思えるから、人生って不思議だね。
入院中も何かを作る事は諦めなかったし、実際折った方の手のリハビリでお菓子作りとか細かい作業をしていたから作ったり生み出す事とは近い距離に居た。退院して、リハビリを続けつつ学生生活に復帰して(転校はしたけど)卒業して、夢を追い駆ける日々が始まって、やり切った結果、夢は叶えられなくても評価が伴わなくても意味があるものだったと思ってる。あの頃成りたかった職業には就いてないけど、アマチュアとして物語を綴ってる。プロじゃなくても、プロじゃないからこそ書けるものもあるって知った。今も書きたい物語が沢山ある。この自分で居ないと書けないものがあるってだけで私は私で良かったと思う。これが、生まれ変われたとしても手放したくないものだ。たとえそれが、今よりも総てがうまくいって幸福に溢れた人生だったとしてもね。
こんな風に自分の考えを言語化できるのも、物語を書き続けたからだ。私は思いや考えを文字にして形を与え、綴る事で自分を生かしている。
文字にする事自体が私の生きる為の糧であり、命を燃やし続ける燃料でもある。前に小説で『記憶はその人の生きる為の燃料になる』って意味合いの台詞があった。どんな記憶でも良いらしい。くだらない事でも重要な思い出でも全部が自分の生きる燃料になる。だからすべて無意味なんかじゃない、無駄な経験なんて無いんだって。私はその焚火にくべられる薪を自分の手で用意する術を与えられたらしい。これってさ、結構な幸運だと思うんだ。自分で自分を生かす一番大切な要素を賄えるって事だから。勿論、その物語や文章を読んでくれる人ありきではあるけど。
今でも世界全部が嫌いになりそうな時があるけど、なり切れはしないんだ。必ずどこかで救いの手が差し伸べられて、私はそれに気付けるから。それか自分で自分を救えちゃう。何でか分からないけど、結局意外と何とかなっちゃうんだよ。何とかなるならまだ良いかなって世界を嫌いにはなれないんだ。捨てる気にもなれない。人生って苦しいんだけど、本当に楽しいから。楽しい瞬間があるから。
今もちょっと苦しいんだけどね。それでも明日は作りたい物の材料が揃うし、未来が良い方向に進みそうな予感もある。自分の意思じゃないけど折角生まれたんだし、苦しんだ分の元は取らないと。嫌な事があったら心の中で中指を立ててでも笑って生きてやるよ。何と闘ってるのかはまだ分からないけど、いつか分かる時が来るのかなぁ。勝つも負けるも無い様なものなのにね。
なるべく終わりが遠くに在るように祈るよ。画面の向こうのあなたもね。
▼2026/01/04:罰が実る、落下するは青年の真上
一度気付いてしまったら、その前には戻れない。気付いていない状態、体験し記憶する前に戻りたくなることがあると聞くけれど、私が戻りたいとしたらいつだろう。過去を振り返っても変える事は出来ないから、あまり考える機会がない。ただ、ふとした時に答え合わせみたいな瞬間が訪れて、あの時のそれはこの結果に繋がる為のものだったと後付けの意味を考える。私は、生きている事自体にはあまり意味を感じない。意味の在る生があるなら、死にも意味が生まれてしまうんじゃないかと考えてしまうから。意味の在る生と死があるなら、意味の無い生もあって、意味の無い死もある事になってしまうと思う。産まれた事に意味がない事なんてしょっちゅうだろうし、死に意味が生まれてしまう事があるのが嫌だ。誰かの死に意味があるなんて、それがどんな形で訪れたとしても悲し過ぎる。無意味な死を迎える事になってしまった人の生の意味が分からなくなるから。
此処まで生きてきて、意味なんて無かったけど『悪くない人生』と思えている今だから余計に。死んだら、殊に自らを殺めるとすべての意味が無くなるという人が居るけれど、じゃあ意味が無かったら死んだ方が良いのかって問いたい。意味なんて無くていい。ただ、『理由』はあった方が良いかもなと思う。この為に生きている、これの為に生きてきたと思える経験を、なるべく多く重ねたい。重ねて、生きる理由の材料にしたい。それがなくなったら死ぬのかって訊かれたら違うんだけど。それでも、この先へ進むモチベーションにはなるじゃない。
何度か投げ出そうとした命がそれでも続いている事に『生かされている感覚』を抱く事は正直、たまにある。でもじゃあそれが『意味』なのかって訊かれても違うんだ。本当に死にたかったんじゃなくて、ただ助けてほしくて、助けてくれる人達が比較的に多かった結果の人生だ。差し伸べられた手に気付けなかった事もきっとあったし、正しく受け取れたこともあったんだと思う。
救われるには、救われる側の準備も要るらしい。私の準備が整っていたのかは分からないんだけど、そんな事は関係ないとばかりに救おうとしてくれた人達の手で、投げ出された私は掬い上げられた。それには意味があるかもしれない。じゃあこの人生には意味があるのかなって、少しだけ期待したくなるけどあまり期待し過ぎると裏切られた時が怖いな。
何にも期待しない人生は面白くないと思う。期待通りに進む人生は面白いかもしれない。でも、予想していなかった、期待もしていなかった出来事や展開にわくわくするのはもっと面白い。それが未来への可能性で、私の生きる理由かもしれない。終止符を打つその時まで未来が分からない事が面白いと感じられるようになれたのは、僥倖だと思う。
未来に期待できないなら、期待できないなりに楽しめる。何が起こるか分からないのは怖いかもしれないけど、悪い事ばかり連続して起きる可能性ってそんなに多くないと信じたいんだよね。で、救う側にとって救う為の準備が整っていれば、ひょいっと助けてくれる存在が現れるかもしれない。その可能性すらも投げ出そうとしていた事にやっと気づいた頃、私はもう大人になっていた。
自分の中に残っている傷の瘡蓋は、多分剥がれ切っていない。新しい皮膚はまだ弱くて怖くて触れられない。けど、皆傷を抱えたまま歩き続けてるんだよね。大なり小なり傷つけられて、傷つけ合って生きている。それは同時に癒し合っている事でもあるし、救い合っている事でもある。誰かの味方をすると他の誰かの敵になる。自分以外の人生の主人公にとっては悪役になる事だってある。守るためには傷つける事だってきっと多いんだ。誰も傷付けずに生きる事は難しい。そうなると誰の事も大切に出来ないと私は思うんだ。自分を含めてね。
人間の腕ってさ、大体の人は2本しかないんだよ。これで抱えられるものしか守れないのは悲しいけど、それでも抱えて守り続けたいものがあればそれを貴方の『生きる理由』にしていいんじゃないかな。
私にとってのそれは『作って生み出す事』だった。書く、描く、謡う、折る、切る、縫う、接着する。何かを生み出す自分が一番好きなんだって気付いた。そして、自分には生み出せない何かを生み出す誰かが居なくなるのは嫌だから、なるべく多くの人に幸せでいて欲しい。
生きる事に絶望している人を見て、それでも生きてほしいと声をかける事を躊躇う事はよくある。それがその人を追い詰める事は知っているから。無責任な『生きて』ほど嫌なものはない。それを知って理解したうえで、其処を乗り越えてでも『生きていてほしいんだ』って言ってくれた人の存在も、生きる理由にさせてもらってる。
この痛みを知っている貴方が言ってくれた言葉だから、私は救われる準備が出来たんだ。
こんな事を思う時、あの頃の辛さにも意味を見出せるかもしれないと考える。だって、そうでなくちゃ救われないじゃない。傷を抱えたままでも生きていけるって、あの頃は知らなかったんだからさ。
▼2026/01/02:晴れた空に差した極光、明るすぎても見えないね
皆様、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。今回は大晦日も元日もシフトが入っていたので、久しぶりに日付が変わる前に就寝しました。紅白の米津さんのパートを見てから即行布団に入ったんですよね。翌朝もいつも通り起きてお弁当の支度をして、お正月らしいことと言えばお雑煮を食べた事くらいかもしれない。北海道では大晦日に御馳走(おせちを含む場合もあり)を食べて年越しでもおそばを食べるので摂取カロリーが半端ないです。しかし我が家は今年おせちではなく、鰤のしゃぶしゃぶと年越しそばを食べました。おせちって、見た目は綺麗で素敵だけど、私の場合口に合わない料理も多いのです。家族も似たような感じなので、今回は鰤しゃぶがメイン。
で、今日明日は連休を頂いています。その為に大晦日と元日働きましたので。就労している状態で迎える初売りの何と楽しいことか。自分で稼いだお金で好きなものを購入する喜びは何物にも代えがたい快感。初売りに行くと当初の予定に無かった素敵なものが見つかったりなんかしてしまって、今回はゴシックロリータの素敵な福袋を購入。中身がバッチリ見える安心仕様なのと、価格が懐に優しいので購入を決めました。白ゴスに近いデザインです。他にもロリータのショップへ赴いて、コスメはまた後日見る事にします。匂いが分からなくなって大分経つのに、未だに香水を購入してしまいます。百貨店が好きなのもそうですが、佳い香りが可愛らしい瓶に閉じ込められているという事実が私を魅了するんですよね。今年初はジバンシィかジルスチュアートで迷っています。
それで、今日たまたまロリータを取り扱うショップでハート形のバッグを購入すべくお店へ赴いたらとても素敵なコーデの方がいらしてつい声をかけてしまいました。彼女も私を『可愛いロリータさんだ』と思ってくれていたそうで、年齢もあまり変わらないので少し盛り上がりました。今日の私はしまむらで受注購入したゴブラン織りのジャンパースカートとピンタックブラウスを着ていまして、有名なインフルエンサーさんのコラボ商品です。そして何年ぶりかで付け睫毛をつけていました。或る作家さんのハンドメイド品で、とてもゴージャスなデザインです。元々マスカラの色で遊ぶのが大好きなんですが、付け睫毛はオパールみたいな色合いのものなので、まあ顔がめでたくなります。お正月なので丁度良いです。
可愛い物が好きな事は変わらないまま年を重ねているけれど、このままで良いのかたまに悩みます。でもメイクをしてロリータ服を着て、香水とアクセサリーを身に着けると、そんなの愚問だと思うんですよね。自分の人生くらい好きに飾ってやります。
と、言う事で今年も休日はフリルを纏ってロリータで居ます。