▼2026/07/25:氷かく 蜜を掛けても消えない苦み 青色してた夏の真ん中
今回のタイトルは結構意味を推測しやすいと思う。最近暑すぎて基本髪の毛を纏めていて、後ろで一つに括ってクリップで留めてると一見前髪のある呪術○戦の夏○傑みたいな髪型なんだ。同じ黒髪で長さもあの人くらいだから、いっそもっと筋肉付けてムキムキになって戦えるようになりたい。主にカスハラと。前々から思ってた事がある。私は『何もせずに待つ』時間や期間が苦手だ。仕事だとやる事を見つけられるし何かしらする事があるからまだ良いんだけど、プライベートで、特に新生活(つまりは一人暮らし)について待ちの期間に入ったんだよね。引っ越そうと思ってるのは十一月の末頃。そうなると動き始めるのは早くて九月になる。で、今はまだ七月なんだ。私はどうも作業に取り掛かるのが速い方らしくて、時間は有限だからなるべく効率よく動きたい故につい急いでしまう。焦りやすい性質だしね。アレルギー検査も終わったし、もう動きたくて仕方ないんだ。
でもこの段階で不動産屋に行くみたいな行動をとってしまうと余計な出費が発生したりするらしい。内見したい部屋は幾つかあるんだけど、何処を押さえるにしろ現段階で動いちゃうと初期費用に前家賃がプラスされたりするんだって。考えてみれば其処に「今すぐ住みたいです」って人が居たらその人に貸した方が良いわけだし、何のお金も徴収しないで部屋を押さえてくれる方が不思議な話なんだ。
となると、今はどんな物件があるのか軽ーく見ておくくらいでちょうどいい。あとは家電と家具について調べるとかくらいで、でもそれをやり過ぎると私の場合妄想力が豊か過ぎて『理想の新生活』について過剰に夢見過ぎるから、具体的に動きたい欲が強くなってしまう。
昔から、考える前に動いちゃうところはあった。今は前ほどじゃないけど考え過ぎると過度に理想化しちゃうところも否めない。理想通りに行くなんて夢の中と空想の中だけなんだけどね。創作活動だって思い通りにはいかない事の方が多いよ。
多分、長年夢見て本当にやってみたい事の一つだからこそこんなに必死になっちゃうんだと思う。であればその気持ちを無理矢理に抑えるんじゃなくて、少しそらして別の方向で発散する方が現実的だ。一人暮らしに関わる事であれば家具家電の値段と相場、送料や購入方法について調べるとか、家事や炊事、節約とかの暮らしの知恵について調べるのでも良いと思う。
紙に書き出して具体的に計算してみるとか、ネットでどういう順番に何を買うべきなのかを調べて検討してみても良い。現実問題直ぐ使うものとそうでもないものとあるだろうし。ただ、これらはやり過ぎると『早く内見に行きたい!』となるからやりすぎは禁物。
思考を全く違う方向に向けるなら、創作活動が一番効率が良いし費用対効果も悪くない。今書いてる小説、あと一話で完結なんだけど所謂大団円な終わり方はさせない心算なんだ。読んだ人の心に何処か引っ掛かるものを残してみたいと思ってる。ハッピーエンド寄りのビターエンド、もしくはトゥルーエンドに近い感じ。で、その後はシリーズ通しての解説文も書く予定。今回はタイトルが自作の短歌だから、どういう経緯で詠む事にしたのかとかシリーズ全体のタイトルの意味についても語りたい。そして、この前書き上げたイラストもその一部なんだけど、登場人物のイメージイラストも合わせて四人分描く心算で居る。下絵はもう仕上げたし。
この前私は『逆算して創作する』だって分かったから、仕上げたい時期だけまず決めてしまってもいいかもしれない。それで九月までの予定を埋めてしまおう。仮置きでも良いから隙間を埋めちゃわないと余計な事を考えて疲れてしまう。……何か、昔読んだ小説みたいな言葉だ。京極夏彦の魍魎の匣で『隙間を埋めないといけない』みたいな表現ってあったよね。最後に読んだのは高校生の頃だし、内容は覚えてるから読み返さないけど、あの頃も似たような思考だったのか、それとも今よりのんびり構えてたのかは正直覚えてない。あの後一回私の全部が終わる所で、戻って来ての今だから焦ってるのかもしれない。
人生ってさ、いつまでもは続かないじゃない。でも案外続く事も多いから、もう少しちゃんと味わってみようかなと思うよ。早食いは肥るもとだしね。
▼2026/07/21:架空世界の悪役みたいじゃない? 偽の骨 矛盾しない傷跡
今日も今日とて仕事する。来月の棚卸に向けてストック部分の商品を出しまくりカウントし序でにあちこち掃除した。お客様への対応、取引先及び系列店への対応も勿論しっかりと。ちょっとだけ残業もした。何が言いたいかって、いいかげん賞与の明細を寄越せと言うお話です。今月に出るのは分かってる。でも詳細を知りたいのに明細がいつまで経っても来ない。此方としても色々と計画と言うものがございましてね、ええ。一人暮らしも勿論なんだけど、医療費を支払わないといけない検査が幾つかございまして。そろそろ乳がん検診行っとかないと不安なんだよね。ただでさうち癌家系だし、現在進行形で治療中の家族も居りますので仮になるなら早めに見つけておきたいじゃないですか。二年くらい間を空けちゃってるんだよなぁ…後は眼科も行きたい。コンタクトの処方箋が欲しい。
今年に入ってから結構な回数医療にかかってるので、今年度は高額療養費制度を活用できる可能性もありそう。休日に当番病院行ったりしてるし、この前のアレルギー検査だって項目目一杯受けちゃってるから結構高額だったし。ちなみに今年も婦人科は異常なしで検診を終えました。
嘗ての職場での知識のお陰で保険診療について理解はある方だと思うんだけど、点数とか診療報酬改定とかを聞くとびくっとしちゃうのはそろそろやめにしたいね。貴方もう医療従事者じゃないでしょ。今オタクやってるジャンルが若干医療知識あると楽しめるから知識を保ってるだけなんだよね。英語は別のジャンルを見たくて勉強してるけど。
登録販売者の試験からも大分経ってるから、当時と現状とは色々違うんだろうな。そろそろ白血球の種類とか消化酵素の名前とか忘れて来た。それでもYoutubeでお薬系の動画を見るのは好きです。毒物について解説してる動画も面白い。LD50とか懐かしい単語だ。
話しが若干それるんだけど、世の中には分からない事が発生したらまず調べる、と言う行動をなかなかとれない人が意外と多いらしいですね。例えば自分の身近な存在が健康を害される可能性があるとして、その原因物質を含む食品を避けるために商品の原材料を調べる、と言うのを思いつかないみたいな。
いやこの前びっくりしたんですよ。お犬やお猫って玉ねぎを摂取するとヤバい症状が出て最悪の事態とか起こり得るんだけど、コンソメスープをあげようとしてる人が居てさ。思い切り玉ねぎ使ってるし何なら長ネギとか西洋長ネギとか入ってる可能性もあるし塩分だって駄目だろうって。
食欲が無いみたいだから美味しい物を用意してあげようって言うのは分かるんだけど、玉ねぎが駄目なのも常識みたいなもんだけど、コンソメスープの作り方を正確に把握してないのはまだ分からなくもないんだけど、まずは一回その手の中の魔法の板を使って調べてみよう?確か溶血性貧血とか起こしちゃうはずだから。
ググれカス、って今は言わないのか。私は『取り敢えずググるわ』って直ぐに言っちゃうタイプなんだけど。
医療系の知識を或る程度は維持できてるのは、何かしらの調べもので医療系にアクセスする癖がついてるからかもしれない。オタク活動でも結構使う機会あるし。その辺ディティールしっかりしてる方が話が面白くなるからさ。大分前に臓器移植とか指定難病の知識が必要な場面が出てきて、仕事以外では調べものだけしてたときあったんだよね。
一昔前だとネットの知識だけで調べた気になるなって言われても仕方なかったんだろうとは思う。ただ、ググらない人ってそもそも図書館にも行かないだろうし本屋さんはもっと行かないと思うんだ。
辞書を引かないのはまだわかる。ググればいいから。でもググりすらしないって、どうやって知らない事について知るんだろう。
ネットも大分便利になって来たし、色んな情報にアクセスしやすくなり続けてるのに、調べる方法が分からないんじゃなくて『調べるって言う選択肢がそもそもない』って言うのは結構な危機なんじゃないかって思う。うまく言えないけど、『考える事』『推し量る事』『思いつく事』がどんどん減って、いつか無くなってしまう様な気がして。
私が充分に知的能力に優れているとは言わないし言えない。足りない所は結構足りてない。でも、そこを埋める努力は放棄してない。勉強し続けてるのは『楽しい』のと同じくらい、『足りない部分を埋めたい』からだ。
折角考える力を持ってて好奇心もあるんだから、知らない事は調べたいし、新しくつけた知識は有効利用したい。未知の物を知るのはいつだって面白い。既知の事を掘り下げるのも同じくらい面白いけど。
前に『勉強すると、楽しめるエンターテインメントの量が増える』って或る人が言ってたんだよね。楽しめるエンターテインメントってことはつまり、『面白い』と感じるコンテンツが増えるってこと。例えば「そんなに考え込み過ぎると虎になるぞ」みたいな古典文学から来る比喩表現とか、物の数を数えてる時に「今何時だっけ」って技と問いかける『時蕎麦』みたいな落語に準えた言葉遊びとか、アニメのオープニング映像の画面構成がこのコンテンツからのオマージュじゃん、って気づけるとか。
今回私がブログに付けたタイトルの意味はどうとられるんだろうか。昔読んだ小説を若干オマージュしてる。此処では解説しないでおくね。これを読む人に調べてほしいし。
調べられる事が当たり前じゃないのがちょっと怖くなることもあるんだけど、その考え自体が傲慢な気もする。後天的なものかって言われるとそうでもない気もするし。
ただ、中学生の頃物語を書き始めてからずっと、書きたい物の為には調べるって言う癖がついちゃってそのお陰で人生楽しいからさ。一個でも調べてみたら別の物も面白くなるんじゃないのかなってね、色んな人に勧めたくなっちゃうの。大分お節介だね。
▼2026/07/20:まず終止符を置いてみる 輪郭 隔てる鏡面 紺碧と日暮れ
今日は比較的涼しい。お休みなので自分との約束を果たすべく筆を握った。今週末までにイラストを一枚仕上げるというあれなんだけど、完成しました。納得のいく出来だと思う。下絵までは前に書いてあったから迷う事はほとんど無かった。塗りではそれなりに試行錯誤するから線画の段階では迷いは減らしておきたかったのでこの工程を踏んでいる。今回色合いを柔らかくしたくて主線を紫色で描いてみた、けど、アクリルガッシュで厚塗りする関係上線画はほぼほぼ隠れるからあんまり影響が無くて、次は別の画材との相性を試してみたいかな。私がカラーイラストを描く時はアルコールマーカーのコピックやターナーアクリルガッシュ、水彩色鉛筆やカラーインクで塗る事が殆どだ。コピックが一番楽に塗れる代わりに色数を或る程度揃えないと思い通りに描けなくて、高校生までは頑張ってお小遣いから費用を捻出していた。
今もそうなのか分からないけど、私が学生の頃は美術系のコンクールとかに応募して受賞すると、副賞として珍しい画材や図書券や図書カードが貰えたんだよね。それでほしい本や参考書を購入して、その分を画材代に回すとかよくやってた。画材自体が貰えるならそれで描いたり塗ったりしてたし。
本格的に絵を習って描き始めたのは幼稚園の頃で、『ピアノ』とか『バレエ』とかあの頃の小さい女の子のやりたい習い事のほとんどがことごとく却下された中で唯一両親の許可が下りたのが『絵画教室』だった。其処から毎日何かしら描いてる時期がずーっと続いて、大人になった今でも描きたいものが多い人生。
いまでこそ漫画絵を描いてるけど、絵を習いたいと感じたきっかけは油彩画だ。油絵の具で描かれた色んな絵画を見て憧れたのが始まりだったと思う。思い返すと小さい頃から美術館や博物館によく連れて行ってもらってたんだよね。いろんなものを見て、家に帰ったら買って貰った画集を開いたり、真似っこして描いてみたりする。
中学校では当然のように美術部に入った。でもその頃にはすっかり漫画の道の方が魅力的に思えてしまっていて、部活も美術部と言う名の漫画研究部だった。ただ、デッサンや風景画、静物画は美術の選択授業で沢山こなしていたから実力が無かったわけじゃない。うちの中学は毎年二学期を迎えると選択授業で『美術』『家庭科』『音楽』のどれかを選択して本気で取り組む必要があった。全部実技系なのは多分うちの学校が面白い先生に恵まれていたからだと思ってる。だから文科系の部活にも気合いが入ってた。
前にも書いたかもしれないけど、美術部には顧問が複数いた。一人は要支援学級の先生で、残りの二人は英語の先生。片方はたまたま美大を出ていた英語のALTの先生で、彼は日本語と英語を混ぜて美術部にデッサンや色彩の基本を教えてくれる。彼が日本語で伝えたい時に訳してくれるのが日本人の英語の先生。遠近法とか寒色とか暖色とかは当時のALTの先生の日本語の語彙にはなかったらしい。それでも本場の技術を教わるのは結構楽しかった。専門学校に進学してからも役に立ったし。
前述のコピックを使い始めたのも中学生の時。初めて使った時は『なんて使いにくい画材なんだ』と驚いた。アルコールインクの滲み方がこれまでに使ったすべての画材と違い過ぎて、まあはみ出るし手は汚れる。でも使い慣れれば圧倒的に鮮やかな色調で塗れるし、乾くのも早くて便利で面白い。一年くらいしたら使いこなしてたと思う。問題は価格だけど、うちの両親は私がいくら画材にお金をつぎ込んでも怒ったり嫌な顔はしなかった。本気で絵の道に進もうとしてるのを応援してくれたらしい。
中学の美術の先生は何でかサッカー部の顧問で、生徒指導の先生だけどユーモアがあって面白くて、序でにイケメンだったのもあって大人気だった。年齢的にはイケオジと言うべきかもしれないけど。目が光に弱いって言う理由でサングラスを掛けて授業する、スーツが似合って髭も似合う人だった。で、その彼に私は目をつけられて(見込まれたと云うべきか)、授業や写生大会で描いた絵の出来が良い場合は事前通告なしにコンクールへ出品される。他にも何人か同じタイプの生徒達が居た。部活で描いた絵(主に習作)でも勝手に応募されて勝手に受賞して、次の授業で副賞と賞状と共に返される。その頃の学校指定の標準画材がターナーアクリルガッシュで、って事は二十年くらい同じ画材を使い続けている事になる訳か。
三つ子の魂百までというか、雀百まで踊り忘れずというか。
絵画教室は専門学校入学まで続けたんだけど、美術系の専門学校にはバケモノみたいに絵が巧い子も居れば、目的は無いけど何となくクリエイティブな事をしたい子、高卒で働くのは何となく嫌だ、みたいな子、色んなタイプが居た。私は多分どのタイプでもない。バケモノみたいに巧かったわけじゃないけど目的自体ははっきりしてたし、平均から較べると下手な方ではなかったと思う。そしてとにかく量をこなしてた。たまたま交通機関の関係でクラスで一番最初に登校しては授業の課題を進めて、終わったら自主課題に取り組むか友達のアシスタントをして、放課後も居残って描いてた。与えられた課題は全部、期限よりかなり前に完成させて提出してた。お陰で二年間一度も〆切を破らずに済んでる。
何だろうね、『〆切』って言うワードに入れ込んでいるというか、こだわりがあるんだと思う。間に合ってこそ『作家』だという意識が早くからある。コンクールも〆切はあるし、学校以外の活動(主に同人誌)の原稿でも同じだし。
今でも〆切が無い事にやる気を維持したまま取り組むのがあまり得意じゃない。期限があると其処から逆算して取り組めるってことでもある。だからまずは終点を決める。そうすると始点も決まるんだ。おのずと過程も推測できるから、いつまでに何をしたらいいか分かって安心する。逆に言うと、先が見通せない状況は苦手。だから今も、趣味の活動でも〆切を設定してる。勿論仕事のシフトに鑑みて余裕を持たせて決めるけど。
イラストも小説も、年間でトータルしたらどれくらい書いてるのかな。働きながら趣味で創作って、時間とともに体力が無いと難しい。時間は作れるかもしれないけど、体力は作るというより養って身につけるものだし。だから今の方が楽しんで描けてるのかもしれないね。今日もこの後は筋トレタイムだし、筋力があるから座りっぱなしでも疲れにくい。
今日は肩回りと下半身を強化しようかな。体幹トレーニングもやりたい。軸があると何事もぶれずに行けるじゃん。ぶれない方が格好良いからさ、ストレッチの後はまず、プランクだね。
▼2026/07/18:モノを書く 描き記すも筆次第 パレットに出す薄暮の雨粒
この前此処に書いた自分への原稿料を受け取った。ジャンポールエヴァンのマカロン二つ。暑かったから合わせるドリンクはアイスコーヒーにしちゃったけど。自分との約束をきちんと守れるのって、当たり前じゃないよなぁとよく思う。私の場合『夜食を食べない』事なんだけど。それでも今年に入って2キロは減らせた。体脂肪率も少し落ちたし、骨格筋率は35%前後に出来た。出来なかった事を責めて自分を苛み続けるよりも、出来た事は素直に褒めて、出来なかった事は反省して行動を修正した方が良いんだろう。ただ最近、夜食を食べまくってしまうのも摂食障害に分類されると知って(夜食症候群と言うらしい。一日のトータル摂取カロリーの4分の1くらいを夜食で摂取してしまうと言うもの)、それが原因になって鬱状態に陥る可能性もあるって分かって、大分怖い。
今の所と言うか、過去を振り返っても食べられない状態に陥る事は無くて、でも食べ過ぎてしまう傾向は否めない人生を送ってる。兎に角食べる事は楽しいし嬉しい。料理もお菓子作りも好きな方だから余計に。小さい頃から好き嫌いはほとんど無かったし、大人になった今でも割と満遍なく食べている方だと思う。栄養の知識がある方で、一食に摂りたい栄養から食べたい物を考える性質じゃなかったらどうなってたんだろう。
揚げ物は揚げたて以外あまり好きじゃなくて、でもスナック菓子は大好きだし、甘い物も同じく。特に好きなのはチョコレート系のお菓子。ガトーショコラとかチョコチップクッキーとか。マカロンはその中でも別格に近い。ジャンポールエヴァンのマカロンだと『マカロン・アメール』って言う一見すると地味な見た目のチョコレート味が一番好き。今回の原稿料もこれを選んでる。
原稿料って言う形とか、成果物に対する評価としてのおやつなら許してあげて良いと思ってる。ただそれなら、きちんと味わえる環境を整えて時間も考えて食べるべき。ご褒美ってさ、準備が必要なものだと思うんだよ。頻繁には得られないからこそ特別にできる。
そんな風に考えて、夜遅くに食べたい自分を納得させる。本当は分かってるんだ。こんな事したって本当に満たされはしないんだって。
ただ幸運と言うべきなのは、運動習慣がしっかりある事だろうね。今日も筋トレをしてるし、仕事は立ち仕事で週に5日は売り場を歩き回ってる。休日も歩くのが好きだし、走るのは苦手でも、歩くのなら二駅くらいの距離は余裕だ。
歩いている時や仕事で動き回ってる時、不意に思考に隙間が生じて書きたい物や作りたい物を思いつく。この好き間を見つけられるのが好きだから、足を動かすのが好きなのかもしれない。あと単純に交通費の節約になるし。
聴きたい音楽を聴きながら歩いていると、脳内に映像が流れてくる。書きたい話はアニメーションみたいに見えてくるし、描きたいイラストのアイディアが色と描線と文字で見えてくる。作りたい物は良さげな素材やデザインを街で見かけた時に思い浮かぶ。
人間がものを考える器官は脳が主だ。感覚器からの情報を纏めて、整理して記憶の倉庫や引き出しに収めて整理していく。私にとって脳が情報を整理整頓する時間にしやすいのが歩いている時や仕事で足を動かしてる時なのかもしれない。情報を整理して、整頓していく段階で脳内にスペースが生まれるから、その隙間を狙って何かが入り込んでくるか生まれてくるように感じている。
後は面白い動画を見ている時に、ふ、と掴み取ることも多い。うまく言葉に出来ないんだけど『あ、これは面白いな。良い話になりそうだ』って言う確信めいた何かが脳内に生まれて、スッと掴んで傍らのメモ帳に落とし込むんだ。今日もとても面白くなりそうなネタを掴まえた。書きたい話も描きたい絵も今の所は尽きる感じがしないし、手芸に関しても同じ。モノが私の掌の中で形を変えていくのが面白くてしょうがない。
『夜食を食べない』事にこれがどう繋がるのかって言うと、私は総ての創作する時間にはものを食べられない性質だからなんだよ。珈琲しか口に出来ない。口の中にものがある状態だと急に手が動かせなくなる。飴とかガムとかタブレット菓子も駄目だし、その他の食べ物も同じ。だから意図的に食事休憩を入れないと何も食べない状態で居られる。
って事は書いたり作ったりし続ければ痩せる事にもつながったりするんじゃないかなって最近考えた。
三度の食事さえしっかりとってれば何の問題もないし、原稿料の特別感も高まる。
と言う事で、来週の土曜日までに一枚はイラストを塗りまで完成させる。原稿料は保護猫カフェでのランチだ。非常に楽しみだし、これならモチベーションを保ったまま筆を持てる。下絵は出来ているからそれをトレースして、ペンを入れて塗りはアクリルガッシュで厚塗りに仕上げたい。初めて使う画材も登場させたいし、この前投稿した小説のイメージイラストだから、投稿の間隔を空けない方が見てくれる人も増えそうだと思う。
多分、これからもこのブログで『作品制作の〆切』と『原稿料』をセットで投稿して宣言代わりにしていくと思う。自分との契約書だ。署名と捺印は出来ないけど、デジタル時代ってそんな感じだよね。
この契約方法があれば、案外呆気ないくらいに変われるのかもしれない。『甘い誘惑』って色んな所で聞くけど、物理的に甘いのと精神的に甘いのが合わさると手ごわ過ぎるから、原稿料を設定すべきなんだろう。
一人でする創作って、初めての視聴者は私自身だ。私が描きたい世界を書き続ける為に、食べたい物は『アイディアストック』に入れておこうと思う。
▼2026/07/15:夜毎見る それは幻誰かが言った 想い賭けてる私の目覚め
早起きした朝に今日の勉強のノルマをこなす。いつも通りデュオリンゴで英語の勉強をした。現在デュオリンゴのレベルは121で、もう少しでコース修了らしい。今のレベルなら英語で仕事ができるくらいの語学力だと書かれていて、大してスピーキングが巧くなくても確かに職場では外国のお客様に英語で対応ができるくらいにはなって来たなと思う。
『日本語は世界で一番難しい言語』と称される事があるけれど、英語だって十分に難しいと感じるのは私が日本語話者で、英語と日本語の文法や語彙、綴りの特徴なんかの距離が遠いからだろうか。外国の人とインターネットで会話をする事がたまにあるけれど、彼女等曰く、日本語は『か行変格活用』とか古文の要素を日常に盛り込んだりする言葉遊びの要素がややとっつき辛いらしい。未然形とか已然系とか、大昔の授業で習った記憶がある。其処にあらゆる時代の若者が使う流行語やスラングが盛り込まれるとまあまあ意味が分からないらしい。
日本は英語の通じない国と呼ばれる事が多々あるけれど、それはイコールで日本語の特殊性に慣れ切ってしまっている国民性を表しても居るんじゃないのかな。
それでも英語を勉強して580日くらいになる今だと、英語もまあまあ面倒くさい言語だと思う。英語にはアルファベットと数字くらいしか文字が無くて、所謂『表意文字』が存在しない。初めて見た単語だと、前後の文脈が無い場合は漢字みたいに意味を推測するのが難しく感じる『un』『dis』『im』辺りが最初についていると後に続く単語を否定するとか不可能だとかを表すのかなって言うふんわりした予測しか立てられない。日本語だと『無』『非』『不』辺りかな。
表意文字の在る文化に慣れ親しんでいるからこそ、それがあまり使えない語群には怯んでしまうんだと思う。英語のご云って日本語よりも少なくても充分に日常会話ができると聞いた事があって、でもその語彙を増やす行為自体が結構きついんだ。漢字の偏とか旁とかから意味を予測しながら身に着けるというより、意味と綴りを丸暗記して増やして行かなくちゃいけない。この辺りが日本人にとって(少なくとも私には)厄介な部分なんだと思う。暗記強化は得意な方だけど、初めて見る単語を前にすると辞書と文章を反復横跳びしながら解読していく感覚がある。
それでも一年以上毎日英語に触れていたら、日本語の単語を目にした瞬間英語の訳が浮かんでくることは増えた。たまに『この単語、英語なら何て言うか分かるけど日本語だとなんだっけ?』となる場面もあったり英語と日本語ごちゃ混ぜで考え事をしたりする。この感覚が私にとっては新鮮で面白いから、毎日デュオリンゴを開いてはデイリークエストを消化してるんだと思う。最近だと英語圏のニュースを字幕なしでも聞き取れるようになってきた。割りと物騒な事言ってるニュースでも聞き取れて面白い。
書いてて思ったけど、勉強の面白さって或る程度やってみないと分からないし、それが分かるようになるのが大人になる前だったらもう少し学校での勉強にも身が入るのに現実ではそうじゃないから、大人達は子供達に『勉強しなさい』って言うのか。『或る程度』が速めに来ると世界の解像度が上がるスピードも、より速くなる。
勉強できるのが当たり前の世界になったのって割りと最近だから、その辺噛み締めて勉強したい。当面の目標は英語検定の準1級に受かる事かな。
▼2026/07/12:水の色 映り込んだ夜風吹く 陽炎煙って遠くが見えない
北海道も本州と似た梅雨のような天候だ。空気中の水蒸気が多過ぎて汗が蒸発しない為、只管に蒸し暑い。とは言えこれを書いている今は窓を開けて夜風を部屋に通せば扇風機も要らない程度に涼しくなってくれている。所詮は『梅雨の贋作』と呼んだほうがいいかもしれない、仮初のそれだ。昼間こそひどく蒸し暑いが、最高気温は三十度を下回っているのだから本州以南の皆さんからすれば「甘えるな」とのお叱りを受けそうである。何処だったか、四十度近くまで気温が上がっている地域もあると聞いた。今年の札幌は比較的過ごし易い。湿度が例年よりも高いだけで、八月以降はどうなるか分からないが今の所命の危険は感じていない。去年が異常だったのだろう、何と三十年以上生きている人生で初めてクーラーが我が家にやって来るくらいの気温だった。となると今後が少し心配だが、お盆も過ぎた頃には灯油のテレビ広告が流れる北の大地なので、秋のお彼岸の頃には正に『暑さ寒さも彼岸まで』となるのが目に見えている。
夏も本番な訳だけど、ダイエットは今月に入って急に順調になった。今年に入って幾らかの休止期間も挟んでいても2キロ以上落とす事が出来た。体脂肪率は下がり、骨格筋率は上昇傾向。計測する時間帯にもよるが、最近だと私の身体の35%が筋肉らしい。職場で力仕事をするのにも慣れ、職場でも自宅でも筋トレをしている。食生活に蛋白質を足したくて毎日のように豆乳を適量飲んでいる(飲み過ぎると女性ホルモン関係で色々と問題らしい)。本当なら無調整の方が体に良いのだろうが、調整豆乳じゃないとあまりおいしくない。
そして最近気づいた。私の消化器官は乳製品にあまり強くない。生クリームやチーズは大好きなのだが、食べすぎるとお腹の具合が少し悪くなる。バターもあまり多くは食べられなくなった。代わりに豆製品や出汁の利いた和食が大好きになった。最近だと納豆に付属のタレではなくポン酢しょうゆと練りワサビを入れるのがお気に入りで、それをもち麦を混ぜて炊いたご飯に載せて食べる。お味噌汁は以前よりも薄味で茸やわかめをたっぷり入れ、油揚を入れたり豆乳を足してオリーブオイルを少量垂らす事もある。
ダイエットと節約を兼ねて自炊が好きなのはきっと予想通りだろう。職場でのお昼ご飯は基本手作りの冷凍作り置き弁当で、今日はポムドンビビンバ風にした。コチュジャンなどで甘辛く味付けしたノンオイルのツナ缶とフリルレタス、白菜キムチを載せたもち麦ご飯にほうれん草のナムルと温泉卵を添えるのがとても美味しい。お昼のお弁当を自分で作ると何がいいのかって、夜ご飯とはメニューが被らない事である。勿論節約が第一の目的ではあるのだが、自分の食生活を改善できている実感も手に入れられる。学生の頃は家庭科の成績が結構優秀で、これでも生魚を尾頭付きの状態から捌いてなめろうに出来るくらいの腕前だ。ただしほとんどすべてを目分量で作ってしまう為、正確な計量が肝となるお菓子作りやパン作りは不得手である。それでも今はダイエット向けのお菓子なら幾つかレパートリーが作れた。その気があればある程度の事は調べられるインターネットは偉大である。
最近はインスタグラム等で様々なレシピを知る事が出来るので、少しでも作りたいと思ったらとりあえず保存する。料理だけでなく『作りたいと思ったもの』は総て保存するかメモしている。そしてそのまま作るのではなく多少のアレンジを加える。応用が利くようになったのはこれまでの積み重ね故なのだろうが、基本を教えてくれたのはそう言えば誰だったのかとたまに疑問に思う。記憶をたどると母や小学生時代の担任教諭が思い出されるが、彼女等は幼い頃の私の好奇心を刺激する多くのものを与えてくれた。
私はゆとり教育を受けた世代だが、あの頃の小学生は時間に余裕があり、教諭陣も今ほど激務じゃなかったのかもしれない。作りたい物は沢山あったし実際に作ったし、図工や家庭科のテーマや課題も個性豊かだったように感じる。小学校5、6年のころの担任教諭が本当に素晴らしい人で、彼女が教えてくれた様々な事が今に生きている。授業も解かりやすくて且つ面白いし、田舎の公立小学校の割に(この書き方は幾らか失礼か)授業内容も充実していたように思う。寧ろ田舎だから自由度が高かったのかもしれないが。
夏休みの記憶では、暑い日差しが夕暮れと共に遠ざかって空気が藍色を帯びている様子を見ていたものがすぐに思い出される。枕草子でも言われているが、夏の夜は魅力的だ。あの頃とよく似た時間を過ごしていると、最近よく思う。嘗ての地元と今の札幌の気温は大体同じくらいで、違うのは田んぼが周りに無いからカエルの合唱が聞こえない事くらいかもしれない。ひやりと湿った風が吹き抜ける夜は、案外寝苦しさもそれでもでも無くて、夏と言う季節を楽しむには丁度いいくらいなのかもしれない。
なので、あまり暑くなり過ぎない事を令和の日本の天気を司る誰かに願っておこう。何事も程々なのが肝要、だって弦を張り過ぎた琴は良い音を立てないのだから。
▼2026/07/11:希う 逸る気持ちは分かるんだ 幼い彼女 私を見てる
一昨日あたりまでの不調からすっかりと抜け出したらしい。今回は女子の日と低気圧(恐らく)が重なったこともあって、身体的にも精神的にもきつい日々だった。酷い頭痛と肩凝りは鎮痛剤を飲んでも治らないし、仕事に行けない日もあった為精神的にもよろしくない影響の強い休薬期間だったと感じている。それでもたまたま婦人科の通院予約を入れていたおかげで早めの対策を考える事が出来た。チャッピーにも相談したのだが、今度から休薬期間の三日前くらいから肩回りや首のストレッチ、頭皮マッサージに力を入れてみようと思う。私は元々耳を回す(物理的につかんで回す感じ)で頭痛を予防する癖があって、それをすると耳を中心に首から上がぽかぽかとあたたかくなる。それが良い感じに頭痛を遠ざけてくれるのと、顔の皮膚のたるみも予防できて一石二鳥な癖の一つだ。こうなると『癖』と言うより『健康の為の習慣』かもしれない。お風呂で湯船に浸かりながら首辺りをマッサージし、耳をぐるぐると回す。これをするとお風呂上がりの疲れのとれ具合が違う。肩を回す運動も取り入れたい、というか毎日のように職場でやっているので(仕事前の準備運動)より意識して行うというべきか。
頭痛と云うのは血流が悪くても良過ぎても起きるらしい。私の場合運動とお風呂でダイレクトに温めるか、コーヒーを飲むと治りやすい傾向がある。ただカフェインを摂りすぎるのも良くないと色々な場面で見聞きするので、今回休薬期間中は敢えてカフェインを絶った。それが原因なのかは分からないが、頭痛は酷くなるし締め付ける様な吐き気を催すタイプになったので、程々には摂取した方が良いのかもしれない。
コーヒーで頭痛が良くなる人は片頭痛の要素も持っていると以前言われた事があって、私の場合ストレートネック由来と眼精疲労由来の緊張型頭痛と片頭痛の両方が起こる。なってみないと、と言うか『今回はこっちかな?』と推測して対策を打ち、それが当たるか外れるかで判別しているが、今の所正答率は7割くらいだ。
で、二ヶ月に一度婦人科の薬の休薬期間には必ず治まり辛い頭痛に苛まれる。この時ばかりは鎮痛剤をマックス量で飲む日もしばしばだ。
そして休薬期間が終わってまた薬を飲み始めると頭痛の波は一旦遠ざかる。このサイクルが明らかになってきているので今回の受診では『薬を飲む期間を増やして、休薬期間の回数を減らす』と言う試みを行う事になった。前にも書いているが、現在服用しているヤーズフレックスはマックスで120日間は続けて服用して良い事になっている為、行けるところまで行くことにした。今の婦人科にお世話になってもう10年が経つのだけど、主治医は私のカルテを遡りこの提案をしてくれた。
正直、薬には副作用がある事は否めない。血栓ができる可能性もある為、定期的な血液検査も必要だ。今の所血液検査上の懸念は発生していないから良いが、薬同士の飲み合わせや相性によっては服用できない薬も出てくるんだろうか(例えばトラネキサム酸とか)。
そして、この記事を読んでいる貴方はお気づきかもしれないが、私は今現在とてもテンションが高い。
仕事中の言動こそ普通に抑えたが、鬱々とした期間が終わって躁の気が強くなっている。自覚できるうちはまだマシかもしれないし、抑えきる為にこの日記を書いているのだから対策は既に打っているようなもの、しかし今の私がインターネットショッピングのサイトを開いたら大惨事になりそうな気がする。
要は、昨日のアレルギー検査の結果が真っ白だったことが嬉し過ぎるのだ。医療者の視点から『動物を飼う許可』みたいなものを貰えた気がして。今直ぐに一人暮らしを始められるわけじゃないし、まだまだ待つ姿勢を取り続ける必要はあるのだが、前々から知っていた。私はあまり我慢強くない。
ずっと願って望んでいた一人暮らしが、もう今年の暮れには始まっている。
そう思うとつい気が急いてしまうし高揚感が止まらない。仕事中は良いのだ。仕事のことを考えていれば他の事に割くリソースは減るし、適度にやる気を持って仕事をする事で或る程度発散できる。
問題は帰路に就いた後。色々な事を調べまくりたいが一旦はステイ、と自分を抑え筋トレに励んでいる。今はしゃぎ過ぎて軽度ではない躁に入ってしまったら、後で絶対に落ちる。なので『自分は今本調子ではないのだ』と言い聞かせる為にもタイピングをしている。
今の私がやらなくてはいけないのは、思いを吐き出し気分を落ち着け、明日の仕事の為にしっかり眠って休む事。今日は納品日且つお店のイベントデーでかなり忙しかった。まだ自律神経のバランスがおかしくなっているように感じる。
この気分のアップダウンが激し過ぎる特性を飼いならす練習だと思えばいいのかもしれない。誰も傷付けない方法で思いを発散する。迷惑くらいは掛けてしまうと思うけど、あなたがぶつけてくるものは一応受け止める心算で居るから。
大分眠くなってきた。このまま眠れたら丁度良いんだけどな。
▼2026/07/10:落ちてなお、這い上がるは福の神、破顔一笑、私の番だ
昨日自分と交わした約束を守る事が出来た。先程小説を書き終え投稿を済ませた。これで安心してお風呂に入って眠れる。筋トレは昼間に軽く行ったが、今日はどちらかというと有酸素運動の方を多くやっている。と云うのも、今日は二件の病院で診察を受けてきたからだ。片方は婦人科、もう片方はアレルギークリニックである。婦人科については一年に一度の献身と薬の処方を受け、アレルギー科はこの前受けた血液検査、つまりはお犬と暮らすための準備の一環である。結論から言おう。私に動物アレルギーは存在しなかった。つまりお犬と暮らしても問題はない。勝鬨を上げんばかりである。
今回診察してくれた先生曰く『此処まで結果が真っ白なのは珍しい』そうだ。私がペット関連のお店で働き日々お犬やお猫と触れ合っている事を素直に話して症状(鼻汁と目のかゆみ)についても伝えたところ、考えられうるすべての項目について調べてくれたらしい(どうりで医療保険を使っても結構高かったと思った)。セキセイインコや馬、モルモットや動物を暮らすと曝露する恐れのあるものなどほとんどすべてで私はアレルギーを持っていなかった。序でに言うとこれまでの人生でアレルギーと言えそうな症状は別の原因によるものだという。念の為にとかゆみ止めだけは頂いたが、出番が来ない事を祈っている。
今回のブログタイトルはそんな思いを詠んでみた心算だ。元々日常会話に四字熟語を盛り込む傾向があるのだが、ここぞとばかりにガッツポーズを決めた心情に相応しい物となったと思う。
婦人科についても収穫があった。今飲んでいる薬はヤーズフレックスと言って、月経の感覚を120日まで伸ばす事が出来る。今回月経が来る期間(つまりは薬の休薬期間)に体調がよく無さ過ぎたので、これまでの診察結果に鑑みて月経の間隔そのものを引き延ばしてしまおうという試みだ。今年の春に行った血液検査や諸々の所見も踏まえ、一旦は体調悪化の機会を減らす目的である。この薬を飲んでいる間、不正出血等が無ければ120日間隔で消退出血が起こり、年に3回ほどだけ体調悪化の機会が訪れる目算である。そしてその辺りに合わせて休暇を取るよう勧められた。特に酷くなりやすい二日目と三日目に取るつもりでいる。仕事のシフトに穴を開けたくないし、そう言う時は心置きなくゆっくり休みたい。
と云う事で身体の為になる事をたくさん行った日だった。今日はこの後しっかり休んで、明日の納品に備えたいと思う。出来ればこの梅雨のような天候も幾らか改善してくれたら嬉しいのだが、まあすべてがうまくいかなくても人生って面白いから良いよね、と言った心持ちである。
▼2026/07/09:天色を、洗い流すは空を知る、滴るならば愛情が良い
これから、余裕のある時はこのブログのタイトルを自作の短歌にしてみようと思う。詠む気力がある時の話ね。日常生活を営んでいると、ふとした瞬間思考に隙間が生まれる事がわりとよくある。私の場合脳内の考えや妄想が一定レベルでずーっと続きながら仕事をしている時間の方が長いから、その考えへ急に何かが降ってくることがあるんだ。作品のアイディアだったり、勉強した英単語や薬の成分名とかが何でか流れて、それが私の中の触媒に触れた瞬間小さな反応が起こって頭の中で何か答えらしきものが生まれる。例えばこの前の仕事中、『自分が生まれ持った性の在り方を嫌っていると或るキャラ』と『彼を励まし鼓舞する別の性を持った男性キャラ』のイメージがふっと浮かんで、少しの間をおいて『DomSubユニバースとオメガバースを組み合わせた作品』のイメージと構想に繋がった。とても面白そうだから脳内のメモに書き留めつつ仕事をして、昼休みにSNSへ呟いてみる事にする。反応は特になかったけど(私は普段作品の種を拾ったり思い付いたらまずはXへ呟いている。これで良い反応があればすぐに執筆できるようにしている)、何だか今回は反応を貰わなくてもモチベーションを保ったまま何話か書けそうな気がしている。
元々今のジャンルでは長いことオメガバースシリーズを書いているけど、それとは世界観が別だ。DomSubユニバースも同じくで、だからこそ別の切り口から書いてみたいアイディアが幾つかのエピソードになって脳内に在る。タイトルももう決めた。自分自身の性の在り方に悩み、疎んだり厭っている人を慰め励まし心の触れ合いを繰り返す(時に身体の方も)彼等の話をもう少し脳内で練ったら書き始める心算だ。現在進行形でやりたい事や書きたい物や作りたい物が多過ぎて時間配分が中々に難しい。
やりたい事が多いと時折、どれから手を付けて良いのか分からなくなって、疲れに任せて休んでしまう。私は生まれつき物事の優先順位をつけるのが苦手な性質なのだけど、何かをやりたいのにどれもやりたくない、みたいな天邪鬼めいた考えに陥ってしまって結局スマートフォンを開いてはInstagramを眺めてしまうのだ。若しくはYoutubeチャンネルの新作を漁るか。
目の前にやりたい事がビュッフェ会場のように並んでいるのに、現実的に時間もあるのに何にも手を付けないのは究極の贅沢のようでいて時間の無駄だとは分かっている。ただ足踏みしていてもカロリーを消費するだけだ。ならばすぐにノートパソコンのメール機能を開いて書き出せば良いし、イラストならラフ画を書けばいいし縫い物ならさっさと型紙を引けばいいのだ。この矛盾を如何せんと思うも、本気で取り組みたい事だから機を待ってしまっていて、今取り組んでも良い物が作れないかもしれないと取り掛からない。
どうせなら、良い物を作りたい。
「それなら筆を握るかタイピングするかすれば良いんだよ」と脳の右後ろ辺りでもう一人の私が言う。恐らく私がプロになれないのはこの悪癖も理由の一つだ。プロは気が乗らなくても或る程度のクォリティを保ちつつ何かしらの作品を生み出すというか、捻り出すスキルがある。仕事には〆切があるのだから当然だ。対価を貰うには必須の事項である。
と云う事は私も〆切を設ければ良いのかもしれない。そして対価として何かを用意すれば良いのかもしれない。例えば、大好きなマカロンを二つくらい購入して食べるとか。成功報酬制にしないと動けない事がままあるのが私と言う人間だ。
では、明日の夜までに書きかけの小説を一本完成させよう。それを無事投稿出来たらその次の休みに久しぶりに三越のジャンポールエヴァンへ向かい、マカロンを二つ購入する。そして一番取って置きのお皿に載せてドリップ式の珈琲(普段は基本インスタントなので、此処でも特別感を演出する)を以前お気に入りのカフェで購入したカップへ淹れて一緒に味わう。それが今回の原稿料だ。
時間は有限だし同じ日は二度と無いのに、毎日が同じことの繰り返しみたいに思えて何となく過ごすのはやめにしたらもう少し人生が面白くなるかもしれない、とこれを書いていて思った。元から結構面白いし楽しい人生だけど、同じ日が二度とこないなら、味わい尽くすのも一興か。
やりたい事を消化しきれず終わるのだけは嫌だ。やりたい事はやらないと記憶の彼方へ消えていく、というより、色褪せて別の事をやりたくなってしまう。衝動的に行き過ぎるのは考え物だけど、時にはその衝動のお陰で楽し過ぎる事も味わえたりする。例えば同じジャンルで物書きをする人と一緒に有名人に会いに行って(たまたま同じ市内に住んでいる人だった)、会った後は飲み屋でジャンルに語り合い終電間際まで過ごすとか。
この前専門学校時代からの友人に言われたけれど、私は今かなりエネルギッシュかつ前向きに生きているらしい。彼女曰く、それは私がほぼ毎日行う筋トレのお陰らしい。筋力のある人は体力がある、という言説だ。
現在週に5〜6日筋トレをしているが、疲れにくくなったのか仕事の後帰宅してから何かしらの家事や趣味をしつつ(筋トレも趣味の一つだが)筋トレや有酸素運動(主に踏み台昇降)をしても特に問題は起きていない。運動する時間は朝の身支度中や仕事の準備時間(着替えた後の準備時間)、昼休みにも分散させている。加えて立ち仕事で歩き回る。
しっかりご飯を食べて、お風呂では好きな音楽を聴いてしっかりあたたまり、しっかり七時間半は眠るというルーティンさえ守っていれば疲れを翌日には引き摺らない。これが出来るのは筋肉のお陰だと評された。
ちょっとしたストレスなら、筋トレをして嫌な存在を脳内でぼこぼこにするイメージをするといつの間にかすっきりしている。脳筋と思われても仕方ないかもしれない。そう言えば最近深く考え込み悩む時間は減った。悩んでも考え込んでも、頭の中だけで捏ねているだけでは現実は何も変わらない。物の捉え方が変わる事は勿論あるが、何にせよ行動しないと変わらないし変えられないのだ。
だから、今夜文章の構想を練って明日の空き時間を目いっぱい使って一話は書き上げる。ちなみに5話構成の4話目なので、そろそろ起承転結の『承』は終わって『転』に差し掛かるか。結びに使いたい表現を最高に映えさせる展開と言葉選びを考えつつお風呂に入ろう。
出来れば有言実行の人で在りたいのは、自分こそを裏切りたくないからなんだろうね。
▼2026/06/30:清めて彩る、着飾るのも大好き。
今年も半分が終わるね。早すぎる気がするけど、地球の自転は24時間弱で変わりないから不思議。この前三十四歳になったのは書いたかな。誕生日だったのは書いたと思う。遂にミドルサーティになってしまって、でも『しまって』ではなく今日も一日生き抜いたというのを何年も繰り返してきた結果なんだ。
最近、というよりも結構前から実年齢より若く見られる事が増えた。中学生くらいだと逆に老け顔に見られてて、高校を卒業して専門学校時代は年相応って言われていた。でも社会人を何年か経験したら急に若く見られるようになってこれも不思議だ。見た目は若いのに、纏う雰囲気や話し方は大人だからアンバランスな所があるねと評価される事も多い。
それでもつい先日、自分の老いみたいなものを感じる機会があった。私は小さい頃日焼け止めを塗るのがあまり好きじゃなくて、中学生くらいまでは何もケアせずに過ごしてしまったんだよね。高校時代にメイクするようになってからも夏場以外は日焼け止めの存在は忘れていたくらいだった。
専門学校入学くらいから本格的にメイクやスキンケアを始めて、社会人になる頃にはメイクも上達はした。でも蓄積された日焼けによるダメージを最近実感してる。顔の皮膚に小さなシミが沢山あるの。これはかなりのコンプレックスで、正直昔の自分に『将来の為に日焼け対策をしろ!』と怒鳴りに行きたいくらい。それでもメイク技術のお陰で其処まで目立たない状態には出来る。ただ最近気づいたんだ。
年齢を重ねると濃いメイクが似合わなくなることもあるんだって。若い頃みたいな肌に仕上がったと思ってもそれはまやかしでしか無くて、不自然さが幾らか漂うの。
この前休日に試してみた事がある。目元のメイクを限りなく軽くして、ベースメイクも行程を一つ省いてみた。具体的に言うとアイシャドウはハイライトになるものをさっと塗って艶を足すだけ、後はアイラインとマスカラのみ。ベースメイクはいつもならシェーディングをがっつり入れるのを一切入れなかった。ハイライトも控えめにした。メイクが終わった時、普段よりも若返った自分が鏡に映ってる。ロングヘアを下ろしているからだけじゃなく、若返って何処か幼さまで感じる自分が其処に居た。
美容界隈ではよく『抜け感』という言葉を聞く。私はアイメイクこそが一番楽しいメイク工程で、絶対外せないのが毎日変えるアイシャドウなんだ。でもふと思い付きでそれを殆どやめてみたら、印象のきつくない可愛らしい女性の見た目が手に入って驚いてる。
もしかして、メイクの研究はしてきても流行の研究はしてこなかったのかもしれない。或る種のルーティンでメイクをしていた感は否めなくて、いつも通りを『ほんの少し』辞めてみただけ。それだけで印象が此処まで変わるなんて思わなかった。
年齢を重ねても新しい発見があって、より素敵な自分になる一歩が歩みだせた気がして嬉しかった。そして『年齢はただの数字』みたいな印象を持つようになった。勿論年少の人みたいにはなれないんだけど、年齢を言い訳みたいに使いたくないなって思うようになったんだよね。「もうこの歳でそれはない」と思ったとしても、やってみたら案外面白いのかもしれない。
そう考えると、挑戦を続けていると人生ってこんなに面白い瞬間があるんだなって思えて、心が温まったような気がする。この所仕事が凄く忙しくて、メイク時間も時短したいと思ってやってみた面もあるから。
理由や切っ掛けはどうあれ新しい自分を見つけるのって楽しいね。次は何を変えてみようかワクワクしてるよ。最近新しい筋トレも始めたから、身体がどんな風に変わるのかも楽しみ。
もしかしたら数か月後には全然違う私になってるのかも。それも楽しみだなと思ってる。