▼2026/08/27:よしなしごと、本日二回目。
前にも書いた事なんだけど、私にとっては一種のライフハックみたいな事を、認識が強化されたから記録してみる。今の職場に来てからずっと挨拶は自分からはっきりとするようにしてる。相手がお客様でも職場の同じ部署の人でも違う部署の人でも、擦れ違う際には挨拶するのが私にとっての普通なんだよね。特にゴミ出しに行く時は大きくて重たい台車を引いていくから周囲には気を払う。誰かにぶつからないように大きくはっきり挨拶しながら通るようにしてるんだけど、その時擦れ違う他部署の人に「お疲れ様です!」って笑顔で挨拶してたらうちの店の評判が良くなってたらしい。他にもゴミ捨て場の紳士たち(処理をしてくれる男性方)にも笑顔ではきはき挨拶して、序でにゴミの捨て方について質問して素直に聞いたり指示通りにゴミ出しして、間違った出され方をしたゴミをきちんと捨て直したりしてたら、信頼関係が築かれたらしい。私がゴミを出しに行くと手伝ってくれるし、出し方が曖昧か分からないゴミは「良い、良い。やっとく」って言って引き取って捨ててくれる。
ゴミ捨て場の紳士たちのことを怖がったり疎ましがっている職員は多いみたいで、あの方たちは言い方がぶっきらぼうなだけで間違ったことは何一つ言っていないんだけど、誤解されやすいポジションなんだろうな。
私が台車を引いてゴミを出しに行く時、大抵は手伝ってくれる人達なんだけど。教わった事は職場へ持って帰って分別の徹底に活かしてるから、うちから出るゴミで注意される事はほとんど無い。たまに捨てる場所が変わる事があるから事前に聞いた上で捨ててるし。
ぶっちゃけ私はあの店では若年層だし性格もあって他部署の人からは『女の子扱い』が多いから、そう言うタイプがはきはき挨拶して自分達の指示に従ってくれる事は気持ち良いらしい。で、ルールをきっちり守るようにしてると、たまに例外も認めてくれる。動物用のご飯を捨てる時、紳士たちのルールでは本来生ごみ扱いで捨てる時の処理が面倒なんだけど、その処理に必要な『番号』をうちの店は与えられてないから可燃ごみで捨てる事になる。何度か番号の事を言われたけど「うちのお店、番号を貰えてないんです。それとこれ人間用の食品じゃないので、可燃で捨てさせてください!」と笑顔で言ったら押し切れた。普段しっかりルールを守っていないとあの押切は出来なかったかもしれない。
紳士たちの誰かがゴミ集積所に居る時は「奥行っていいですか?今日は何処に置いたらいいですか?」って訊くようにしてて、やりとりはだんだんフレンドリーになって来た。で、その様子を見た他部署の人が目を剥くという。紳士たちが誰もいない時に同じタイミングでゴミを捨てにきた他部署の人に「良かった〜。此処のおじさん達、皆怖いでしょ」って言われた時は「皆さん良くしてくださいますよ?」って答えたら似たような反応が返ってきた。
どうやら巧い事紳士たちの懐に入り込めているらしい。甘い扱いだと思うよ。仕事上ではね。
他にもお店を束ねる事務所の皆さんも、私には甘いらしい。笑顔ではきはき明るく喋る、やる気があって動きが速いとなると、年上に好かれる確率が上がるらしい。だからかうちのお店でも私についてくれているお客様は、大体がアラウンド還暦以上の人達だ。長い事おばあちゃん子をやってる所為もあってか、『孫オーラ』が出てると言われる。
私は平成生まれで一応はゆとり世代なんだけど、性根に若干の昭和があるからなのか小学校時代の癖で体育会系の要素が残ってるからなのか、『あまりゆとりっぽくない』と言われる。
挨拶って基本的に無料で出来るし、した方が良い事の方が多いし、幾らやっても減らないし、費用対効果の高いライフハックだと感じてるんだよね。出来ていない人が多い中なら尚更いい意味で目立てる。で、さっきテレビを見てて思った事が一つ。
私は昔骨折したのを治療した影響で姿勢がかなりいいんだけど、姿勢が良い人って声が大きい人が多いと思うの。腹筋から声を出す、みたいな。姿勢を保つには筋力が居ると思うんだよね。そして私は筋トレが趣味。腹筋と背筋、体幹はかなり鍛えてる方だと思う。そうなると余計に腹の底から声が出る。
前に職場のエスカレーターに巻き込まれた人を助けた事があって、あの時は下りのエスカレーターを小走りで駆け下りて上の人達に向かって「止めまーす!!」って叫んでから緊急停止ボタンを押した。いざって時に大きな声が出るのって強みだと思う。勿論小さな声で話す事も出来るから、電話口の向こうに話す時とか個人情報を扱う時はかなりボリュームを絞ってるよ。それでも聞き取り辛いと言われる事はあんまりない。
筋力が先なのか、声が大きいのが先なのかは分からないけど、其処に『挨拶は自分からはきはきと!』が加わると、やる気をアピール出来て良いなって言う話。
昨日の納品のゴミ出しをした時も、しっかり挨拶してゴミ出ししてたら紳士たちは何処となく嬉しそうだった。お互いハッピーに働けるんだから、良いライフハックだよね。
▼2026/08/27:よしなしごと。
昨日、仕事がかなり忙しくて疲れ果てて帰宅した。納品日でチラシの品が入ってくるのもあって山積みの段ボール箱と折り畳みコンテナを崩していきつつ、レジ業務、昨日に限って妙に多いお問い合わせへの対応。正直『まだ来るか』と言う心境で対応し片付けていった。仕事自体は楽しいし好きだ。量が多過ぎただけで。おまけに人員の薄いシフト、発生する大量のゴミたちを纏め複数回ゴミ出しに行き、合計6時間以上重労働(自分比)。猫砂って素材にもよるけどかなり重いし、それを置くストックは売り場の上の方なんだ。普通の量でも結構きついのに、昨日は大量に上にあげたし、一人のお客様が台車に載せないと運べない量を注文したんでそれも運んだんだ。
納品日には客注の品も入って来るから確保して、必要なら入荷連絡もする。それは通常通りなんだけどここでも量が多い。
そして今うちの職場では有人レジ以外で扱えない商品を売り出しているから、それを購入したい人が居た場合、其方へ人員が取られる。
此処まで来ると戦い。合戦の心境だ。しかも昨日では勝負がつかなかった。私が退勤する時点でもまだ品出しは続いてたし。あまりにも納品量が多いと品出しは翌日に持ち越されるから、多分今頃皆が頑張ってると思う。私は通院の日なのでお休み。昨日は布団に入ってもなかなか眠れなかったんだけど、多分疲れすぎると逆に眠れなくなる現象が起こったんだろうな。何も出来ないけど眠れないって割りと辛い。普段なら一晩しっかり眠れば疲れはほとんどとれるんだけど、今朝はまだ引き摺ってた。立ち仕事は全然苦じゃない。納品も通常の量なら其処まで苦じゃない。そこそこの強度のウェイトトレーニングと思ってやってる。たまたまウェイトが重すぎたのと回数が多過ぎたんだろうね。
だから今日は何もトレーニングしない事に決めた。頭痛と肩凝り防止のストレッチやマッサージはするだろうけど、能動的な運動は一切やらないで回復に専念する。ここ最近で一番疲れたよ。正直おばあちゃんの入院時よりも肉体的には疲れた。
不思議なのが、甘い物の暴飲暴食にはつながらなかった事なんだよね。寧ろ食欲自体もそんなに無かった。ご飯はとても美味しかったんだけど『欲が満たされた』って言うより『栄養が染みわたってる』感じがした。特にお出汁が効いた料理が心に染み入るくらい美味しい。やっぱり日本人だなぁと思う。
ちなみにうちのお出汁は基本顆粒のアゴ出汁を使ってる。特にお味噌汁が美味しくなるのでおすすめ。
これからお昼ごはんの時間だけど、やっとお腹がすくって言う感覚が戻ってきたかもしれない。さっきは旨味が欲しくて梅味の昆布のお菓子をちょっとだけ摘まんだ。あとで別の梅味のお菓子も買いに行く。
……疲れると梅味が欲しくなるのって、やっぱり『クエン酸が欲しい』って身体が求めてるのかな。身体の声を聞くと回復が速くなるから、素直に従おうと思う。
▼2026/08/25:よしなしごと。
今日やらなければならない事は、寝る事以外総て終わった。でも、もう少しだけ起きていたいと思う自分がいる。実は昨日から、一人暮らしするアパートの審査を受けている。この前不動産屋さんに紹介して貰えた物件(ペット飼育可の物件。前と同じくらい条件が良い)が結構良さそうで、好条件故に早く埋まってしまうのが惜しいくらいだったから思い切って審査を申し込んだ。
不動産屋さんにはいつ引っ越したいのかとかどんな部屋を希望しているのかとかはきちんと伝えてある。その上で紹介して貰った物件だ。前の物件はペット飼育不可な時点で未練は無くて、寧ろ生活圏をほとんど変えずに良さそうな部屋に住めるんなら今の物件の方がずっと良さそうに感じている。
部屋の壁紙や幅木の色的に、元々考えていたのよりやや無機質なインテリアの方が似合う気がしている。大理石調の家具を多用する心算なのは変わらないんだけど、グレーと白に寄せたインテリアが映えると思ったから、カーテンに色味は使わない用がいいかもしれない。ドレープカーテンは敢えて白かライトグレーにして、レースカーテンをチャコールグレーとかにしても良いかもしれない。それか敢えて真っ白で揃えるか。その場合はファブリックの質感を変えて印象的な窓辺にしたい。フリルの付いたカーテンでも可愛いと思う。
全体的にすっきりしているのに、きちんとかわいいお部屋にしたい。今の部屋から持っていく家具はパソコンを置いている机だけだから、本当に一から私の好きなもので揃えて良い。お金を出すのは私だし。
多分ね、長年の夢が漸く叶いそうで心がぴょんぴょんしちゃってるんだと思うんだよね。まだ審査途中だから、期待し過ぎはあまり好ましくないのにね。
それでもやっとここまで来られたから嬉し過ぎるんだ。
この前物件を見つけて本当はペットと暮らせないと知った時、正直『マジかよ』と軽めの絶望を味わったけど、それでもマイナスになったわけじゃなくて、0に戻っただけだって思ってた。そうしたら、その後直ぐに1になった。もしかしたら0と思っていた時も0ではなく0.3くらいだったのかもしれない。だって良さそうな不動産屋さんとは知り合えたわけだし、一人暮らしする上で重要な事をまとめて紹介している書籍も購入できて読み終わった所だし。
結局、『なるようになる』んだって、色々な事柄に絶望することがかなり減って来た。
こんな風に思考の切り替えができるようになれたのは、職場でのストレス要因が少し前に無くなったからだとふと気づいた。それについて詳しくは書かないけど、ストレスって過剰だと本当に良くないね。手元には沢山の与えられた幸せが残ってるのにさ、その子達を無視して背を向けるのは大分、勿体無い気がする。
転職はこれで二回目だけど、出来れば最後にして長く働きたいよ。なるべくストレスを減らしながらね。
▼2026/08/24:尖る 二次元と三次元の間 刺さる けれど 縫う事も出来る
繊細だね、と評される事がたまにあると同時に、結構大雑把な人間だという自覚もある。手先は器用だ。細かい作業が好きだし、ミニチュア作品も好ましい。味覚も比較的に鋭いし、嫌な肌触りの物に触れなければいけない時は戸惑う。でも痛覚は鈍い方だし、時折酷く他者の思いに鈍感な振る舞いもする。聴覚が過敏な方だからか、雑踏が苦手だ。ウォークマンが無いと外出が辛い。お風呂の蛇口がきっちり閉められておらずポタポタと落ちる水滴の音が特に苦手な雑音の一つで、見知らぬ子供の声もあまり得意ではない。泣く事でコミュニケーションを図る赤ちゃんの泣き声よりも、意味を中途半端に知ってしまったらしい年頃の子供の話し声が如何にも好きになれない。
結構前から『繊細さん』と言う言葉を見聞きするようになった。『HSP』とも称される、繊細過ぎる人、の事らしい。私はどうもこれに当て嵌まるのではないかと調べてみて、その中でも『HSS』と言う、『刺激も好きだけれど、同時に繊細過ぎて疲れやすい』タイプなのではないかと仮定した事もあった。
仮定≠ニ書いた事で気付いたかもしれないけれど、私は多分所謂『繊細さん』ではないな、と感じることが最近多い。大雑把な性格なのもそうなんだけど、繊細過ぎる人って『考えて、考え込み過ぎてまだ何も起こっていない現実を恐れてしまう』傾向があるように思えていて、私はそれに当て嵌まらなくなったからだ。
今の私は考え過ぎそうになった時、敢えて声に出して考えを整理したり文字にしてから俯瞰したりするようにしている。すると案外問題視しなくても良かったかもしれないと思い直せたり、気にしない状態で居られるようになってきた。
考えても考えなくても、これから起きる事象は何も変わらない。起きても居ない未来の怖い事を恐れ過ぎて何も出来なくなってしまうのは、まあまあ病的だしぶっちゃけ勿体無いように感じる。
個人的な意見を述べさせてもらってるのだから、批判されるのは承知で言わせてほしい。私は自らを『繊細さん』と称する人が少し苦手だ。扱いが難しい人なのかと思って身構えてしまう。加えて、繊細であることを免罪符に他者の気持ちを無視している傾向があるように感じられるのだ。
無視、と言うより『見えないし、予想できない』の方が近いだろうか。
「私は繊細さんだから、人と争うのは嫌いです」
「繊細さんなので、優しく教えてください」
「その言い方、繊細さんにはきつく聞こえます」
自分を『繊細』と言う割りに、それを聞かされた相手の事を軽んじてはいないだろうかと考えてしまう。
勿論、言い方の問題でもある。
「個人的に、誰かと競争するのはあまり得意ではないんです」
「穏やかな口調でご指摘いただけると、すっと入って来るので嬉しいです」
「至らない点が多くて申し訳ないんですが、少し、心に来ました」
みたいな言い回しだとどうだろう、最後のは大分苦戦して捻り出しているんだけども。これらの台詞はあくまでも想像上と言うか、こんな風に言えば多少なりとも聞き入れられるのではないかなと言う希望的観測を含んだ表現だ。
傷付くようなことを言われたり、傷つける目的で言葉を向けられたのなら怒りは表明しても良い。でも、揚げ足取りのように誰かの言葉を重箱の隅を待ち針で突くみたいに指摘できるくらいなら多分、その人の心は『繊細』と言うより大分『図太い』と私なら思う。
そして、自らを『繊細さん』と称する人にはこのような傾向が強いように思えてならないのだ。少し前でいう所のただ思い遣りが足らずに目上を憤らせたりケアレスミスが多くて周囲を振り回したりするような人が自らを「私、天然なんですぅ」みたいに言う感じ。それでいて自分にとって都合の良い人には笑顔で対応し巧い事立ち回っているのならばそれは寧ろ『養殖だろ? 瀬戸内海で美味しい餌貰ってぷりぷりに肥ってるんだろ?』って言いたくなるような感覚に近い。
繊細と評されるし、無邪気で子供っぽいとも言われる。でも自分自身では己の事を割と鈍感なタイプだなと感じる。特定の物が酷く苦手で、とっつきにくいとも言われてしまう。なのに見知らぬ人からは良く声をかけられる(主に道を訊かれるか、洋服やネイルを褒められる)私は、本当に自分は繊細なのか時々疑問に思う。枕が変わると眠れず、寝具が肌に合わなくても眠れない。冷蔵庫の機械音や虫の鳴き声が聞こえていても睡眠が乱れる。手先が乾燥していると気になって仕方ないし、ささくれが出来ようものなら爪切りで切り取らないと気が済まない。これらの特徴は恐らく『鋭敏』なんだろうなと感じる。
自らも創作をしている友人が何人かいて、彼女等から小説の感想をいただくのだけど、私は『感性が鋭い』し『想像している事に厚みがある』のだそうだ。小説の中でも描写が細やかで情景が想像しやすく、作品世界へ入り込めると。
これ等の感想をいただくには或る程度の繊細さが必要だと考えている。登場人物になり切って『今この瞬間、彼/彼女は何を思うどう行動するか』を考えないと私は書けない。妄想≠ニ言っているけれど、つまりは想像力を働かせるという事だ。繊細さがあれば相手の立場に立ってどのように思い考えるかを推し量れる事の方が多いと思う。想定していない事だって起こるし想像は100%は当たらない。でもだからこそ想像する。最良の道を選び取りたいから、と。そのエネルギー消費量が繊細な人には大きすぎるのではないか。だから誰かが言った何気ない一言をずうっと気にして落ち込み病み≠ノ近い状態に陥りやすいのではないか。そして、自らを繊細さんと評する人はそこまで考え込み落ち込む事は少ないのではないか。そう自称する事で自らが被る誤解の可能性へ、気付けないのではないか。
なんてつらつらと書いてみたけれど、これはあくまでも私個人の考えに過ぎない。ただ、『繊細過ぎるのであればそれを緩和する方法を模索しつつ、嘆くよりもその繊細さを活かせる場所へ行った方が良いんじゃないかな』と感じる記事を読んだだけだ。
そもそも繊細な事も図太い事も、程度問題であって何を基準にするかによるところが大きいと思う。この分野ではものすごく繊細だけど、別の部分では鈍感、みたいに。繰り返しになるけれど、繊細さを活かすも潰すも自分次第だ。であれば私は繊細で鋭い感性を利用して、言葉と言葉を糸で繋ぐように面白い作品を書いていきたいと思う。
与えられた特徴と特性と個性、まるごと有効活用したいじゃない。
▼2026/08/23:閉じちゃった でも開きもしたよ サムターンが回る 進んでみようか
昨日は珍しく布団に入って一瞬で寝てしまって、今、かなりの早起きをした状態。しっかり眠って夢も見なかったから頭はさえている。お腹が空いて豆乳だけ飲んだところ。今日のタイトルの短歌はこの前の記事と繋がってるね。ってことは何を書きたいのか、貴方には予想がつくかもしれない。
あの記事を書いた後、不動産屋さんから連絡があって他に条件があう物件をいくつか紹介して貰った。その中に結構良さげなのがあったんだ。総てが完璧に条件に合致するんじゃないんだけど、外したくない条件(チワワと暮らせる)はクリアしている物件で、生活圏もほとんど変わらない。若干駅から遠くなるくらいかな。それもほんの数分だけど。
人に訊いてみたらこの辺りでは結構な好条件の物件らしい。インターネット使用料が無料じゃないのが惜しい所ではある、でも多分其処にこだわり続けるのも得策じゃない。まずは不動産屋さんに話を聞かせて貰おうかって言う段階。もしかしたら今の家のインターネット使用料よりは安く済むかもしれないからね。
今の生活圏を変えずに、チワワと暮らせるお部屋ってそんなに多くは無いらしい。この物件はエアコン付きで灯油暖房もあるからチワワにとっては快適そうだし、生活圏が変わらないと云う事は周囲に公園やワンコが歩きやすい環境は整ってるし、近所で評判が良い動物病院が近くに在るし、何かあった時には夜間救急の動物病院もある(北海道でも数が少ないらしい)。
それに、家族に何かあった時、直ぐに動ける場所だと思った。
この前おばあちゃんが入院した時、『もしも今後おばあちゃんに万が一のことがあったり、両親に何か起きた時力になれる自分でありたい』って強く感じたんだよね。その為にもまずはしっかりメンタルを一定に保って、直ぐに動揺しちゃうのは卒業したいんだ。
昨日、両親に直近の私の休みを伝えて『不動産屋さんに着いてきてほしい』ってお願いした。お母さんの電話にかけたからお父さんには伝言して貰う事も出来たけど、代わって貰ってちゃんと私の口からお願いしたよ。久しぶりに長く話をしたら、お父さんはお父さんなりに私を心配してくれてたし、娘として尊重してくれてるなって感じた。
今のお父さんとは16歳の時に家族になっていて、生まれた時のお父さんよりも長く親子をやっている。あの人よりずっとできた人で、お母さんを安心して任せられる頼れるお父さんだ。そんな彼と暫くあまり会話もしてなかったんだけど、昨日電話で話してみて思った。
本当に、私は恵まれてるんだなって。
人生の初めの方に降りかかった苦労とか辛さは割と多かった方なんだけどさ、中学から高校専門学校と進学して、社会人になって今は結構毎日が幸せなんだ。その幸せをくれたのは両親とおばあちゃんであり、友人達や主治医や就労移行支援のスタッフさん達なんだよね。今の職場の皆もそう。
だからきっと私は人に恵まれてる。この歳になって今、初めてこんなに仕事を含めた人生がとても楽しいから。
で、この物件はすごく人気があって直ぐに動いた方が良いらしい。なるべく早く話をして内覧をして、その前に一度外観も観に行って。夜道の確認とか駅までの徒歩何分かも確認しないといけない。これから忙しくなるなぁって思うけど、ここ最近で一番ワクワクしてる。
それと今の自室の断捨離も少しピッチを上げてやっていかないと。要らないDMとかなかなか処分できなかったんだよね。新しいお部屋は私が一から創り上げていくわけだし、要らないものはなるべく減らして、将来お迎えするチワワが安全に暮らせるお部屋にしたい。
何が必要で、何がそうではないのか。人生って取捨選択の連続だと思う。これまでそれを大きく間違えなかったから今があるんだと仮定すると、物を選ぶ目は案外ある方なのかも。今の職場も初めはどんな感じなのか想像もつかなかったけど、働いている今はとても楽しくて遣り甲斐があるからね。いろんなお客様に選んで貰えて今があるんだしさ。
この前の短歌は意味を違ってなかったなって思ったよ。受け取った鍵束はきちんと機能した(まだ言い切るには早いんだけどね)。思いを言葉にするのって大切だね。
▼2026/08/21:意味はある 伸ばす指先 届かない それでも貰う 次の鍵束
ちょっと心に来てしまう現実に直面してる。昨日の今日で何なんだけどさ。心に来るとは言っても、昨日の時点で或る程度予想はしていた事態なんだ。見つけた物件について不動産屋さんが確かめてくれたんだけど、ネットの条件と少し、でも一番大切な部分が違っててね。
…ペット飼育可、ではなかったらしい。
その他の部分はネットの情報通りだったから悪意のあるタイプのそれではないんだろうし、嘗てはペット飼育可にしていたのかもしれない。それか、同じ棟でペット飼育可と不可の部屋が混在しているとか。
今朝不動産屋さんから連絡があってね。大家さんに確認を取ったら上記の事を言われてしまったとの事。私の信条としては『スーモに掲載するなら詳細を間違えないでほしい』が本音なんだけども。
まあ、こういう事もあるかもしれないって考えていたから其処までショッキングだったかと言えばそうでもない。期待してたのは確かなんだけど、それは私の一方的な捉え方であり、感情でもあるワケだしね。それはそれとして、不動産屋さんにはきちんとお礼を言って『他の物件を紹介させてほしい、メールで送っても良いですか?』と訊かれて『Yes』で答えてある。今頃調べてくれていると思う。不動産屋さんって、ネットには未掲載の物件情報を持っている事もあるらしいし。
そしてよくよく考えると『現在の私の状況』って『物件を見つける前』に戻っただけなんだよね。一度持ち上がって下げられたと言っても、同じグラウンドに立っているんだよ。等高線の上に居るんだ。今も。ってことは落ち込む必要も無ければ次に行けば良いし、何ならもっといい条件の部屋が見つかる可能性もゼロじゃない。見つからない可能性もあるのが悲しい所だけど。
で、少し考えたんだけど、まず私は物件に求める条件を一度Googleドキュメントに書き出して纏めて、優先順位をつけていきながら物件の情報を待っていた方が建設的だと思ったのね。勝手に裏切られたみたいになって何もしないでいるよりも、次のチャンスを掴む為の準備期間にした方が良いと感じたんだ。
今日、一人暮らし準備に関する書籍を吟味して購入してきた。解りやすくて読みやすくて、お値段は比較的安価の本。家具とか家電について調べるのも良いけど、役所関係の申請とかガス開通の立ち合いについてとか、知っておくべき事は多いなって感じたから。
何事にもバランスを取る必要ってあるでしょう。ガチガチに調べものだけして夢を見ているだけでは、時間の使い方が勿体無いなって感じたんだ。
…まあそれでも若干ムカつきはするんだけど。掲載ミス以外に、自分にもムカついてる。こんな小さな事(まあ本当のことを言うなら大きいんだけど)で腹を立てている自分に。
多分誰も悪くないんだよ。一つの条件が行き違ってしまっただけ。それでも腹が立つことに変わりはないって言うのが未熟だなぁと感じて、昨日まで舞い上がっていた自分が恥ずかしいというか。
このブログはあくまでも私の日記帳だし、書き出す事で考えを整理しているんだから何を書いても良いんだとは思う。けど、インターネットに載せる以上は私の『発信』であり『意見表明』になるんだ。自分の中にしかなかった考えに形を与えて誰でも見られるようにした瞬間、それは私だけの物ではなくなる。言葉にする事には責任が伴うから。
その上でこの記事を書こうと思った。私が幾つかの事柄に怒りを覚えて、それでも自分の中で或る程度は消化できたって言う、記録にする為に。
マイナスにはなっていない。1になったのが0に戻っただけ。それでも期待させられた分、失望するのも仕方ない。それで生じた怒りを誰にもぶつけずに、自分の中で治める。案外大人になれてきたのかな。私の精神年齢って幼い方みたいなんだけど(発達特性によるものらしい)。
一般的な人より少し、脳味噌の完成するスピードが遅いらしいんだ。非定型発達で、もしこれ以上困り事が多かったなら発達障害の診断も下りたかもしれなくて、定型発達の人の7割くらいの精神年齢らしい。今の年齢で計算すると心の年齢は20代前半くらいなのかな。幼くて純粋過ぎるところもあるらしくて、たまに危なっかしく思われる事もある。
それでも自分の取り扱い方は結構分かって来たんだよね。多分、思い通りに行くはずだったことが急に叶わなくなってしまって拗ねてるんだよ。これで世界を呪わないほどには大人になれたと思う。私は何も奪われていない。ただ、前と同じ状態に戻った。それだけなんだと言い聞かせておく。
明日には予想外の嬉しい事が起こるかもしれないし、何も起こらないのかもしれない。でも悪化はしない気がする。
未来って、まだ来てないから未来なんだよ。
▼2026/08/20:変化 入口と出口 本当に叶う? 夢見鳥に問うて前へ
周囲の環境と私の状況が徐々に変化しているように感じた今日。何があったのかと言うと、接客含めた色々な仕事がうまくいった。驚くぐらいにスムーズだった。勿論うっかりミスしそうな場面はあった。でも直ぐに気付いてリカバリーできたし、お客様にも満足して頂けたと感じた。あくまでも私の主観だけど。今の仕事を始めて一年経過し、もう少しで札幌には秋がやって来るんだと感じている。以前よりも出来る事が増え、任せてもらえる事も増えた。何か一つうまくいかない壁に出逢った時の打開策も幾つか見つかられていると思う。例えば問屋が連休の時の客注への対応。お客様には連休明けに納期の連絡をすると約束し、商品番号や数量、納期が不確定になりやすい商品か否か、客注ではなく多店舗から取り寄せた方が早く届くのか、入荷時の連絡時刻、留守電への伝言を残す際の言葉遣い、などなど。
電話対応を苦手とする人は少なくないと思う。私も初めての仕事の頃のトラウマもあって、入荷連絡の電話をかけるのが怖い時期があった。電話はリアルタイムで他の人とやり取りできるのに、相手の表情は見られないから怖いと感じることが多かったように思う。でも今は割と得意と言うか、好きになってきた。うちの店の商品は人間用の物ではないから、お客様にとって大切な子達の品が届いた旨をお伝えした際、嫌な言い方をしてくる人はほとんどいない。仮に居たとしても気にならなくなった。『私の対応が良くなかったかもしれない』けど『たまたま相手の虫の居所が良くなかったかもしれない』から。
他の仕事でも『全力でやるだけやったら、後は相手の受け取り方次第な事もある』と割り切れるようになってきている。こちらは最善の努力をしているのだから、後はあちらの問題だと思う。内心の自由は誰にでも認められているものだし。
客注を受けるのにも慣れてきた。前は客注をお願いされた時、失敗や叱責を恐れて酷く動揺してしまいしどろもどろになっていたのに、今は『落ち着いてひとつひとつ確認すれば、大きく間違えることは滅多に無い』と実感できた。自分なりに確認する順番を落とし込めたのもあるし、どうにもできない事(メーカー欠品とか)以外は何とか出来るものだと思うようになった。それでもひとつひとつ指を差して小さく声に出して確認する為、周囲からは必死な人に見えているかもしれない。でも『声に出して』『指差し確認』が私なりの自分を安心させてスムーズに仕事をする術のひとつだと判ってきたから、心は落ち着いてミスなく仕事出来る。お客様によっては『丁寧にありがとう』と言ってくださる時もあって、暫くはこのやり方を続けようと思った。いずれは声に出さなくともできるのかもしれないけど、現時点ではこれが一番効率がいい。
今日もお一人客注を受けたんだけど、その方がうちの店に初めていらした時客注を受けたのが私だったのもあって「またお願いね」と言われたから上記のやり方で受けた。優しいお客様なのもあって、するっと在庫確認をして発注しお控えをお渡しできている。
実はこの前別のお客様の客注を受けた時くらいから、客注で緊張しなくなったんだ。その方は猫ちゃんと暮らしていて、『このご飯が一番お気に入り』と言う商品があるんだけど、大体は取り寄せになる。一度その方がいらした時ご挨拶をして、「たしかあの商品は欠品してる」と思い出して売り場を見たら案の定棚は空だった。お客様とは軽くお話したことがあったから自分から取り寄せるかをお聞きして、数量を確認して多店舗在庫も見てから(0だった)発注を掛けた。その際『今日のご飯も無い』と打ち明けられたのだけど、連休中で問屋もお休みだったからバックヤードから同じフードのサンプルを持って来てお渡ししたらとても喜ばれた。「本当に良いの?」と訊かれて「欠品しているのは此方の所為なので」とお伝えした。ココだけの話、そのお客様以外はリピートして購入していない商品だからサンプルをお渡しするのは問題なかったんだ。
このお客様の対応を境に客注がスムーズにできるようになった。急にだから自分でも驚いたけど。
今日は他にも沢山お問い合わせがあって、全部に最善を尽くせたと感じている。ひとつポイントとして『相手が話す時に遮らない』事を意識して接客したらとてもうまくいった。私はお喋りがすごく好きで、ついつい話し過ぎてしまう所がある。でも接客って『話す』より『聴く』を多くした方がうまくいくって知ってはいたんだ。ただ、これまでは我慢できない事が度々あった。
でも最近は思い切って話し出す前に一呼吸置くようにしている。お客様が話し出すのを待つようにもしている。きっと相手も何を話そうか考える時間が必要だし、余計な事を口走ってトラブルになるよりは、私が『話して伝えたい欲』を押さえる方がずっと楽だ。お客様の出方を見て、プライベートよりワンテンポ遅く、緩急もつけながら話す。するとお客様は安心するのか、色々な要望を教えてくれる。そして最後には感謝してくれる。私も嬉しいし商品が売れる事もあるしで皆ハッピーだ。
今日は何件もこの調子で対応して、全てのお客様に笑顔になって貰えた。愛想笑いの事もあるんだろうけど、あまり疑いたくない。自分の仕事の結果、誰かが笑顔になるのが嬉しいから、それを間近に見るのが好きで接客販売を選んだのかなと思った。
元々事務仕事や単純作業の方に適性があるんだけど、やりたいのは圧倒的に販売だ。自分が『楽に出来る事』か、『本当にやりたい事』か、どっちを選んでも同じくらいしんどいだろうし、同時に楽しいんだと思う。でもその楽しさのレベルと言うか、クォリティみたいなものが、私にとっては『本当にやりたい事をやる』の方が高いんだと思う。
話は変わるんだけど、つい先日、『住んでみたい』と本気で感じる物件を見つけた。私が求める条件のほとんどを充たしている物件で、家賃や敷金礼金が予算内に収まる上に絶対に外したくない条件はすべてクリアしているらしい。物件が空く予定なのも私の引っ越したい時期とかなり近くて、不動産屋さんに問い合わせをしている。今メールでやり取りしてるんだけど、現時点では好印象。
もしも希望する時期にこの物件に引っ越せたら、夢の実現がぐんと近くなる。だからなのか、今日はとてもハッピーだったんだ。『理想の一人暮らし』っていう『本当にやりたい事』が出来るかもしれないって思ったから。
あくまで私個人の話なんだけど、本当にやりたい事や欲しい物に近づけた時、精神の調子は上向くし、ちょっとしたミスも起こしにくくなる。心に余裕が生まれるんだと思う。筋トレもいつも以上に楽しんでできるし。
ただ、前と変わったのは『此処で何かうまくいかなくなったとしても、絶望しなくていい』って思えるようになった事。物事がうまくいかないのは私だけの所為じゃない。巡り合わせとか相性もきっとある。自分にはどうしようも出来ない事で悩み続ける状態は、あまり好きじゃないと考えるようになった。
だってさ、自分の所為じゃない事で自分を責めるのって完全に自家中毒だし。昔よくなってたんだよね。
今日は何となく『今の私は過去の私とは違うな』って感じた。思い返すと最近色々あったけど、仕事は毎日それなりに楽しいし、プライベートも程々に充実させられてる。
34歳になって、今が人生で一番楽しい。学生の頃はこの歳の私なんて想像も出来なかったのに。人生はこれだからやめられないね。
▼2026/08/19:最近のよしなしごと。
下の記事ではちょっとカッコつけたみたいな事を書いてるから、最近の日常について少し書こうと思う。毎年のように『今年は暑いね、猛暑だね』みたいに言ってるけど、今年の札幌は去年より大分涼しい。今私の部屋では冷房器具を起動させていなくて、ついさっきまで首にアイスノンを巻いてたんだけど、窓を開けてパソコンに向かい合ってると少し寒いから取り外した。序でに言うと足先は冷えるからフットウォーマーに突っ込んでる。筋肉が多いのに、末端冷え性なんだよね。
去年は36℃くらいまで気温が上がったんだったかな。今年は上がっても32℃くらいだから、随分と過ごし易い。
最近色々大変だった中でも幾つか嬉しい事があった。うちの店での出来事。あの日はお客様感謝デーと祝日が重なったからお客様が沢山いらしてくれて、ワンちゃん連れの方も多かった。そのワンコたちが本当に可愛くて、私たちスタッフを見るや否や『遊ぼ〜!撫でて〜!』と尻尾をちぎれんばかりに振って突進してくる子もいる。うちの店はお客様(飼い主様)の許可が取れればワンコたちと触れ合う事もお仕事になる。アレルギーや年齢の問題もクリア出来たらおやつも挙げて良い(店で販売している商品を試食してもらう。販促の一種)。どの子も本当に可愛くて、柴犬、シーズー、チワワ、トイプードル、ポメックスやチワプーとかのミックス犬やボストンテリア、スピッツ、ポメラニアン、ピットブル、ブルドッグ、ペキニーズ、ビションフリーゼも来てくれる事がある。
彼等彼女等と触れ合う事も仕事の一部なのが本当に嬉しい。今の仕事についてから私はこの世にいる全てのワンコにゃんこが可愛くて仕方なくて、一見強そうで怖い顔つきをしている子も案外お目目が優しそうに見えたり、飼い主さんと穏やかに楽しくお買い物をしているのを見ると、どんなワンコも本当に可愛いと感じる。お店に連れて来られる子達はみんなお利口さんで、飼い主さんも楽しそうにいらしてくださるのもあって、その光景を目にするだけでも心がぽかぽかするんだ。
常連さんのワンコならうちの店が入った商業施設の駐車場に入る時点ではしゃいじゃうと聞くと、もう本当に嬉しい。尻尾を振り振りしながらニコニコ笑顔なワンコも、ちょっと緊張して人見知り&犬見知りのワンコも可愛い。たまにイベントデーで普段目にしない大きさの子が来ることもあるんだけど、大体はパパさんかママさんに抱っこされて登場で、抱っこされている時の表情が本当に幸せそうなんだよね。この仕事を始めるまではピットブルのお目目があんなに優しいなんて知らなかったし、ブルドッグが抱っこされると小さな子供みたいに甘えん坊になるのも見た事無かった。
忙しくて体は疲れてても、わんこやにゃんこと触れ合えたら心はフル充電されてしまう。お店を卒業した子達(生体販売のテナントさんからご家族にお迎えされた子達)が遊びに来てくれる事も多くて、一匹のチワワは私を認識するや否や『久しぶり〜!!』って尻尾をブンブンさせて突っ込んできてくれる。お店に居た頃からケージの前を通るたびに『遊ぼう!撫でて!』って寄って来てくれる子だったんだけど、覚えててくれてるのかなと思うと本当に嬉しい。
こういう日常を送ってると、そりゃあワンコをお迎えしたくなっても仕方ないよね、と自分でも思う。仕事についた当初は『多分飼わないなぁ。責任が持てないもん』みたいに思ってたんだけど、上記のチワワ以外にも毎日可愛い子達と触れ合ってたら考えが変わったし、責任を持てないと感じるなら、『持てる』と思えるまで考えて調べて飼育するのに必要な知識やスキルを身に着けようと思った。
何より夢に出てきちゃったからね。このブログで度々書いてる『リンちゃん』はある日突然夢に出てきちゃったんだけど、或る日の夢で後ろから可愛い女の子の声で『ママ!』って呼ばれて振り返ったらあの子がいたの。振り返る時私は『なぁに?リンちゃん』って言いながら笑顔だったのを覚えてる。小さな可愛い黒いチワワが私を『ママ』って呼んでくれたからこんなに前向きに頑張れるんだろうな。
その後もちょくちょくリンちゃんは夢に出てきていて、お喋りする事もあれば私の隣で遊んでたり、ふと気づくと隣に居たりする。夢の中での感覚が鋭い方なんだけど、あの子がお昼寝している私の首にお鼻を押し付けている感触が伝わって来た事もあった。リアルでの友人に話したら「いつか準備が出来たら『此処にお迎えに来て!』って言うんじゃない」って言われた。多分私の準備も整ったら本当にそうなるんだと思う。
まあ、ならなくても準備が整ったら探し始めるんだけどね。
実は昨日、一人暮らしをするのにとても良さそうな物件がを見つけて、不動産屋さんに問い合わせをした。家賃は相場よりやや低くて、ペット飼育可だしエアコンもついてるし、インターネット使用料も無料。おまけにウォークインクローゼットまでついてる。近くにはワンコとのお散歩に良さそうな環境も整ってるし、動物病院も徒歩圏内。今とは少しだけ生活圏が変わるけど、それでも便利な場所みたいだし、内見出来そうなら楽しみだな。
それとね、久しぶりに夜食を食べずに朝を迎えられたの。ハビットトラックにも記録できて本当に嬉しい。ダイエットだけでなく健康面でも気になるところだったし、近々健康診断も受けるからこのまま頑張りたい。暑いけど運動もゆるく続けてるから、案外今年の末には目標体重になれたりするかも。ゆるくやってても、続けてさえいれば結果はついて来ると思ってる。
甘いお菓子も時々は食べるし、パンだって大好きだし、パスタも美味しい。でも、今後もずっと元気に暮らせた方がもっと美味しく楽しめると思うんだ。罪悪感はなるべく減らして、摂取カロリーも消費カロリーもメリハリをつけたい。
ちなみに今日は納品日。先週の台風で荷物が大幅に遅れたのがようやく回復したから大量だったけど、納品をこなせばそれだけ運動になるから、結構楽しみなんだよね。重い品を運ぶならウェイトトレーニングみたいだし、店内を歩き回ったりゴミ出しをするなら有酸素運動にもなる。ついでに汗をよくかくからか、肌が綺麗だと言われる事も多い。で、しっかり働いた後ならご飯も美味しいしお風呂も気持ち良い。しっかり眠れるのもあって翌日に疲れも引き摺らない。
最近の睡眠時間は8時間前後なんだけど、これくらいが丁度良いみたいだ。眠剤が無いと眠れないのは変わって無いけど、私に処方されてる眠剤は元々ある眠気を強くする作用の物で、程良く疲れている方が効果も高いらしい。
書いてて思ったけど、私は身体を動かすのが本当に好きなんだと思う。学生時代の体育は大嫌いだったんだけど、仕事で身体を動かすのは気持ち良く感じる。自分がやりたい動きの方が多いからかもしれない。チーム競技と違って私一人の小さなミスが勝敗を分けたりもしないし。球技が特に苦手だったんだけど、個人プレーのテニスとかは得意だったから。
それに、筋トレしてると心が整うんだよ。脳内や心のなかのもやもやが晴れていく感じがする。強くなってる感じも楽しい。着実に積み重ねるって言うのが割と好きなのかも。デュオリンゴで頑張れてるのもそうかもしれない。今日で618日連続で勉強してる。割りとすごいと思う。
今もし面接を受ける機会があったとして『長所は何ですか?』と訊かれたら『継続力がある事です』って答えられる。持病の治療や体調管理も、趣味の活動も勉強も、何だかんだ長い事続けられてるから。
でももし、この記録が途切れちゃうことがあってもそれはそれで仕方ないとも思えるんだ。その瞬間の私にとっての『最善』がそれだったとして、無理をしないで人生を楽しめる私でいられればそれで。
結局、毎日それなりに楽しく過ごしてるこの頃。
▼2026/08/18:「較べよう」錘を摘まんだ 傾く 守られるべき宝はどれだ
この前も時間の使い方について書いたけれど、その後も色々と考えることがあってこのタイトルの短歌を詠んだ。時間は有限で、でも作る事も出来るし買う事も出来る不思議なものだと感じている。時間を稼ぐって言う言葉がある事自体、時間はお金とニアリーイコールの立ち位置にあるように思っている。以前目にした映画の情報で(確かディストピア物だった)時間を主要な通貨とした未来世界のお話があって、その世界ではお金持ちは沢山の時間を持ち、若い見た目のまま何百年も生きる事が可能な一方、貧しい人達は時間(人生)を正に切り売りして生きていると聞いている。何となく、現代社会の行き着く先の一つを想像させられた。私は現在あまり自分の見た目に老いを感じてはいないけれど、臓器や身体機能では如実に衰え、変化した部分があると思っている。例えば消化器の機能。最近、脂身の多いお肉をたくさん食べられなくなったし、何方かと言えば白身魚のお刺身とかサーモンの漬け丼とかだしの利いたお味噌汁の方が嬉しく感じることが増えた。特に茸とわかめのお味噌汁が好ましい。
甘い物が大好きなのに乳製品を受け付けない事も多いから、同じ甘い物でも果物の方が美味しいと感じる事も多い。この時期だと梨の幸水が美味しいし、今年はさくらんぼの当たり年だったのもあってたくさん食べている。昔は食べ飽きたと感じていた林檎(長野県に住んでいた時嫌って程食べた)も、最近また美味しく感じるようになっている。人生って如何様にも変えられるんだけど、思わぬ方向へ変わる事の方が多い気もする。
話がそれたね。時間の使い方について考えるようになったって言う話をしたかったんだった。
少し前に短期間の一人暮らしをしたけれど、一人で生活する事自体はそれなりに出来るし、自由時間も其処まで削られなかった。洗い物やお風呂掃除、ゴミ出しは元々やってるし、名も無き家事と呼ばれる雑務は仕事でやっている事と通じる事が多かったからかとっつきやすかった。でもやっぱり生活の全部を自分一人で担わないといけないのはそれなりに大変だった。家事の大半は趣味に被るから、楽しかったと言えばそうなんだけど。
『時短』って言う言葉を見聞きする機会がだいぶ前から増えていて、世の中にはそれを叶える様々なサービスがある。料理を時短したいならミールキットや宅配を利用しても良いし、掃除もハウスクリーニングに依頼できる。洗濯はクリーニング屋さんに持っていくって方法もある。それらを包括して家事代行サービスって言う物もあるし、時間をお金で買うって言うのは総てのお仕事に通じるところだって言うのは前に書いた通り。
短期間だけど一人暮らしをしてみて、生活を楽しむって言う事に目標を置いた時、時間を購入する事で心の余裕を保って『人生を楽しむ』余地が生まれると感じたんだ。あれもこれも全部やらないといけない、あと何分しかないって急かされると焦るじゃない。そうなると私の場合、心の視野が狭窄するんだ。
だから、初めから完璧を目指すのは最善の道ではないと考えた。自炊は趣味の範囲に出来るなら良いけど、既製品(お惣菜や冷凍食品)や或る程度献立と使い道の決められたミールキットや材料の宅配を利用してお買物や献立を考える時間を削った方が心の余裕は大きくなる。
掃除も毎日完璧じゃなくていい。それこそ時短アイテムが安価で手に入るし、SNSには時短且つ手間は省かれた掃除のコツもたくさん載っている。
洗濯は洗剤選びに気を配って、洗うタイミングを絞ったらいいのかな。そもそも今後購入するお洋服はお家で選択できるものに限ってみるとか。冬物のコートとかは別としてもね。
全部完璧じゃなくて良いし、完璧を目指すと心のコンディションは完璧とは程遠い物になるし、そもそも完璧な生活って何だろうって哲学みたいなことを考え出してしまう。元々さ、美意識みたいなものは高いらしいんだ。加えて手先はまあまあ器用だからやろうと思えば結構出来ちゃう。出来ちゃうから問題なのかな。出来なかったら代替案を考えるステップもスムーズにいきそうだもんね。
『手』を抜くのと『力』を抜くのって、似て非なるものだから難しい。手抜きは許されない事の方が多いのに(殊に仕事においては)、力を抜くのは良しとされることも多いなと感じる。楽器の弦は丁度良く張った方が良い音が出るし、力み過ぎるとそれこそ目の水晶体は分厚くなって近眼になって、周辺の物は見づらくなる。
接客もそう。力み過ぎるとお客様にもその余裕の無さが伝わっちゃうんだ。力を抜いて楽しんで動く方がお客様との会話も弾むし、お互いに気持ちよくいられる。慇懃無礼って言葉があるけど、ニュアンスが少し近いのかもしれない。お客様は私にとって敵じゃないし、かと言ってはじめから味方でもない。味方につける為にも同じ目線と立ち位置になって、時にはこちらの弱み(商品のデメリットも説明するとか)も見せて、最終的には私達やお店のファンになって貰えたら嬉しいと思って売り場に立ってる。
で、これを実行するには心に余裕が必要なんだ。だから完璧は目指さない事にした。目指すべきはその時に応じた『最善』だと思う。私にとって今出来る最善は何かと問うと『行動』も自然と決まるし、予定は未定みたいなことも無くなる。そうすれば漠然とした未来図が少しずつ輪郭を見せてきて、いつの間にか目指していた理想の将来に近づくのかもしれない。
私の理想の将来は、本業以外にも文章や物づくりでお金を稼いで、自分と数年後にお迎えするリンちゃんを養う事。一旦はそこに終止符を置いてみて、逆算して今日以降の予定を決めて書き出してみたら、明日のこの時間は何をすべきなのか分かるかもしれない。本当はやりたい事もやるべき事も全部やりたいよ。でも時間は有限だからさ、宝物だったとしても手放して一旦横に置いておいた方が良い事もあるんだ。でも捨てるんじゃない。いつかできる時を待ってもらっているって意識は忘れたくない。
1から順番に考えるのも良いんだろうけどさ、私の場合は終わりを決めておいた方が良いみたいなんだ。で、もし余裕があればゴール地点を少しずつ先にずらして目標って言う名前に変えて新たに設けたり。英語だとマイルストーンかな。
限られた人生って言うけど、この世界の大体の物の時間は限られてるし、だから頑張れるし大切に出来るんだと思う。人生が無限じゃない事に、今は感謝してる。いつか絶対に失うんだとしたら、なるべく目一杯大切に過ごしたいよね。『当たり前』ってきっと本当は存在してないんだから。
▼2026/08/13:貴方の力を借りたいの いいよ君ならきちんと咲かせてくれる
陽射しが暴力的なまでに強いね。それでもおばあちゃんは冷房で冷えすぎる病院よりも我が家の方がよっぽどいいって言ってるよ。友人からのメッセージも読みました。返信不要との事だったけど、ありがとうね、だけは言っておくね。
明日が誰にでも必ず来るとは限らないらしいって実感したから、あれから色々な事を後回しにしなくなったよ。寧ろ、今覚えていられるうちにきちんとやってしまおうって意識になった。物理的に時間が足りないとか、機が熟していないとかでない限りね。私の好きなキャラの台詞で『時間は有限』って言うのがあって、でも同時に私の座右の銘的な物に『時間は、本気でやりたい事の為に作るもの』って言うのもあったりする。時間って確かに有限なんだけど、あらかじめ与えられた時間をどんな風に使うかはその人次第な事があるじゃない。使い道を決めるのは自分、みたいな。人生って選択と実行の連続だと考えていて、選択する事自体に時間が取れなかったとしても、能動的に選んだのが自分なら一定の責任が生じてしまう。
『時は金なり』って、或る意味時間をお金で買う事にも責任が生じるからなんじゃないか。私が働いて色々な人の望みを叶えた時間の対価としてお給料がある。私が販売する事で、お客様は自分のお犬やお猫にご飯を作る時間を省く事が出来たり、直接仕入れに行く時間を発生させなくて済む。小売業って物を販売するのと一緒に、その人に時間をあげてる面もあるんだと思う。その時間を別な事に使えるように、やるべき事、やりたい事をする為の時間にして貰う為に。
そう仮定すると私が色々な人から貰っている(購入している)色んな時間って、きちんとやるべき事ややりたい事の為に有益に使えていたのか、少し疑問な気もする。何もせず休憩する時間も人生には必要だけど、少し無為に過ごし過ぎてしまったかもしれない。SNSやYoutubeを見てダラダラ過ごすのも決して悪い事ではないんだけど、一日に何時間もそれをしていたら、時間なんていくらあっても足りない。
やりたい事も、やるべき事をきちんとやった上で着手しないと本当に楽しいとは言い難いかもしれない。作りたい物、生み出したい物語、全部が本来の『やるべき事』より優先順位は下なんだ。でももしそれが仕事になれば話は別。やりたい事の優先順位がどんどんと高くなっていく。
何かに夢中になっている時ってさ、暇をつぶす必要が無いんだよね。暇自体が無いし、やってみたい事や試してみたい事がどんどん増えていくから、暇は今後も生まれにくいと思う。自分や自分のやりたい事に本気で向き合っていると、他の人の事は気にならなくなっていくのかもしれない。だから自分が満たされていないと感じると他の人の事に口を突っ込みたくなるんだ。
私は私の人生を充実させるのに忙しくしている方がきっとしあわせだ。このブログは考えの整理として使っている面が大きいから続けるんだろうけど、SNSは見るだけにしておいた方が良いのかもしれない。あ、でも将来リンちゃんをお迎えしたら彼女の成長過程を記録したいし、副業関係で活用する可能性はあるけど。
話は少し飛ぶんだけど、書きたい小説の事。来年の今頃に〆切が来るであろう賞に応募しようと思ってて、私としてはありがちな『結末から決めている』状態。タイトルや始まりはまだ出来上がってない。登場人物設定も彼等彼女等の育ってきた背景までは決まってないし、そもそも必要あるかもわかってない。ただ、四人のキャラクターが主軸になる事は決まってる。主人公格が四人って感じになるかな。名前も決めた。実在しそうな名前だから他と被らないか少し心配だけど、逆に現実感があって良いかもしれない。舞台は今より20〜30年くらい未来の日本。多分関東を中心に書くと思う。四人の内の一人が国家公務員な関係で、東京あたりが舞台だと書きやすそうなんだ。たまに甲信越とか東海も出して良いかもしれないけど(昔住んでたし、土地勘もある)。北海道まで来て貰うのはちょっと大変かな。四人には身体が不自由な人も居るし。
ネタバレし過ぎないように書くと、この物語の世界では『血液』が武器になるんだ。産まれつき能力を持つ人が殆どで、血液を使って人命救助やその逆も出来る。ナントカと鋏は使い様≠ンたいに多種多様な使い道がある。主人公格のうち二人は産まれつきその特別な血液を持ってて片方が国家公務員。三人目は血液の力を全く持っていないけど代わりにとんでもない身体能力を持っているから、国家公務員じゃない方をサポートしてる。最後の四人目は後天的に能力を得た人で、自身過去に大火傷を負った関係で或る二人の人物から輸血を受けた関係で能力者になった、みたいな経緯がある。
この世界だと産まれつき血液の能力を持った人が他の人から輸血されると能力が喪われる可能性があって、逆に能力者から輸血された人は後天的に能力を持つ可能性がある。まだ設定を固めきっていないけど、献血と少し似てるかな。私は過去に手術で輸血された関係もあって献血や骨髄バンクへの登録が一切できないんだ。その辺が着想元。
で、血液の力を使うには物理的に自分の血液を体外に出さないといけないんだけど、その場合一々傷を作るんじゃなく(痛みもあるし)『シャント』って言う物を利き手と反対側の腕に作る。これは人工透析から名称とヒントを得たんだけど、手首の中の血管、動脈と静脈に人工的に出口を作って自由に出血させられるように開発された技術。作中でも透析の応用で、違いは静脈と動脈ので出血量の切り替えができて、場面に合わせて出力を調節可能、みたいな感じ。基本的には腕時計型の装具を嵌めて能力を使う。但し、能力があると判っても全員がシャントを創設できるわけでもなくて、血管の生まれついての強度次第ではさらに人工物を体内へ入れないといけない事もある。人工物を体に入れるわけだから耐用年数も人によって変化が生じるし、日常生活で気を付けるべき事柄も増える。初めは人工物を伴い過ぎないシャントを作れた人でも年数が経過したら人工物を入れるか能力の使用そのものを辞める(つまりは職業を変える)必要も出てきたり、逆に技術の進歩によって、一旦引退した能力者が人工物を使って現場復帰したりもする。
最後に紹介した後天的に能力を得た人は利き腕側に重傷を負った関係もあって、態と利き腕の手首に人工物を多く使ったシャントを作ってる設定。彼女には一番思い入れがあって、最初に生まれたキャラなんだよね。半ば自己投影してるところもあるけど、物語って自分が活躍できる世界を選べるのも良い所だから。
ちなみに、今回の小説はまだタイトルが決まってない。最初考えていたのと物語の流れや登場人物の性別が変わって来ちゃってて、少し時間をかけて考えようと思ってる。私の場合、仮題でもタイトルが決まると筆が進むし書き始めてしまいさえすればこっちの物だから。
もしくは本業の仕事中に考えが降ってくる可能性もあるかな。街歩きの最中かもしれない。焦点をずらした方が案外良い物が見える事があるのって、周辺視野が広い方が良い理由の一つなのかもね。