▼2025/02/23:異国情緒を纏った爪先、金接ぎの欠片は誰も傷付けない
最近、ネットの彼方此方で『風呂キャンセル界隈』『風呂キャン』と言うワードを見かける。要は何らかの理由によりお風呂に入る事を躊躇う人や、入るのが面倒だからドライシャンプーやボディシートなどで誤魔化す人や、そもそも入らない人や入れない人を指す言葉らしい。初め、『キャンセル』と言うのだから元々は入る気はあったのだろうと思ったら、入る気も無い人も居るらしい。そうなると幅広い人々を指す言葉だと感じた。私はどちらかと言えば『風呂はのっぴきならない事情以外ではキャンセルしたくない界隈』の人間だ。昨日たまたま風呂キャン界隈に関する動画を視聴する機会があったのだが、冬で汗をかかないから入らないのは序の口、真夏だろうと汗っかきであろうと入りたくないときは入らない人もそれなりの人数存在するらしいと知って少々衝撃だった。そして、私には到底真似できないとも思った。基本的に、と言うか、私は毎日お風呂に入るのが楽しみなタイプだ。髪の毛が長く乾かすのは確かに時間が掛かるが、新作のトリートメントのサンプルを貰えばうきうきしながら使うし、シャンプーも髪質に合うものを探して試すのが好きなので、お風呂=癒しを与えてくれる楽しみな時間である。
ボディソープは家族で共用なので普通にビオレの弱酸性ではあるが、シャンプーとトリートメントはお財布と相談しつつより良い物を探し続けている。現在はボタニストのモイストタイプだ。最近だと頭皮クレンズにも興味が湧いていて、何故かと言うとこの前ジルスチュアートビューティでお買い物をした際『頭皮のクレンジングと髪の毛の洗浄、及び保湿総てを一度で出来るクレンザー』のサンプルを貰ったからだ。一度使用して直ぐその爽快感と乾かした後の指通り、そして乾かす時間が短くなることに驚いた。来月現品を買うと思う。何せパケも可愛いし、ジルはデパコスの中でも比較的に安価である。ちなみに使用感は非常にスースーする(メントールっぽい感じ)のでそこは個々人の好みによるかもしれない。
話がわき道にそれてしまったが、私自身は風呂キャン界隈とは少し離れた場所に居るようだ。しかし、この『風呂キャン』と言うワードが示す人々の幅がやや広過ぎるように感じる。自分の意思で入らない人も居れば、何らかの理由で入れない人も含むらしいのだ。何らかの理由とは、例えば仕事が忙しく、週末には寝倒して入浴するエネルギーも無いとか、疾患の影響で体力が奪われ入る気力も湧かないとか。まあ要はメンタル疾患界隈である。私もそこに属して久しいわけだが、うつ病や抑うつ症状の影響で入浴も出来ない、と言うのは珍しい状態ではないと思う。それに名称がついたと言うか、一部の人が宣言をした感じなのだろうか。でも、それにアイデンティティを覚えるのは些か病みの影響を感じる。何らかの理由でお風呂に入らない、入れない事を宣言する風潮には、如何にも馴染めない。此処みたいな匿名の(まあ簡単に特定できる時もあるけど)ブログとかで書くのは自由だ。でも公の場(学校とか職場とかテレビ番組のインタビューとか)で言うのは如何なものだろう。別に宣言する必要は無くて、ただ、自分の体臭とかで他者に迷惑をかけないよう何らかの措置をとっておけばいいだけの話なのではないか、と思う。
以前此処にも書いているが、私は過去の事故で嗅覚を失っている。故に自分の体臭は分からない分非常に気にしている。毎日入浴して身体を洗い、デオドラントグッズは頻繁にしようする。香水に関しては量と吹き付ける回数、行く場所によっては着けない場合もあるしTPOを考えるのは当然だ。自分が認識できない要素でマイナス評価を受けるのが怖い。
と言うのは私の個人的な事情だが、何と言うか、入りたくても入れない人とそもそも入る気が無い人を一緒くたにするのは如何なものか、と言うのが正直な見解だ。
此処からはメンタル疾患患者故の意見を表明しようと思う。不快に思う方は流して欲しい。
私は17歳の頃から統合失調症と生きてきた。現在も薬物治療やカウンセリングを受けている。そして、統合失調症やうつ病などに代表されるメンタル疾患の患者さんの一部は時にお風呂に入れなくなるらしい。一部と付けたのは私の周囲には『お風呂大好きだし入らないとか無理!』な患者さんと『お風呂とかは居る気力も湧かない』と言う患者さんが同時に存在するからである。まあその中間で『入れる時もあれば入れない時もある。臨機応変』な人も居るだろう。これは普通(要は健常者)の人も同じだろうが、比率は変わってくると思う。
メンタル疾患と言うのは、何も精神面にだけ影響があるわけでない。身体的症状だって山の様に出る。身体が動かなくて一日中布団から虚空を見つめるだけの人も居ると聞くし、何とか入れてもその後体力を消耗し過ぎて何も出来なくなる人も居ると聞く。お風呂に入ると言うのは、幾つもの行程に分かれる行動だ。
まずは上がってから着る洋服と下着の替えを用意する。続いて洋服を脱いで洗濯籠へ入れ、ヘアゴムなどを外し、髪の毛をブラッシングする。湯舟に入る前に掛け湯をする人も居るだろう。そしてやっと湯船に入り、お湯に浸かる。温まった頃合いで湯船から出て髪の毛と顔と身体を適切に洗浄する。髪の毛が長ければ、シャンプーの後には多くの人がトリートメントやコンディショナーを施すだろう。それらの洗浄剤や保湿剤をシャワーで綺麗に流して、人によってはもう一度お湯に浸かって、更にシャワーでざっと身体を流して浴室から出る。此処まででも大変なのに、お風呂上がりには身体の保湿をした方が良い時も多いし、着替えののちに髪の毛を乾かすと言う最も労力を要するミッションも発生する。
…書いていて思ったが、私はこんなにも面倒な行為を喜んで行っていて、毎日やらないと気がすまないのは何だか凄いなぁ。
まあ、そんな面倒且つ幾つもの行程に分かれた行動が必須になったのはそう昔の話でも無いらしい。お風呂好きと言われる日本人だって、毎日入浴するようになったのは個々人の自宅に入浴設備が完備されるようになってからだ。きっと。私の母親だって自宅にお風呂が無かった頃は、冬場は銭湯へ向かう脚が重くなることがあったと言うし。
そんな訳で、何らかの理由でお風呂に入れない、入らない人は昔から沢山いたのだ。その意見が可視化されたのが最近だと言う事なのだろう。私が毎日入浴しスキンケアを行うのは見た目を整える事と精神面が安定する事がイコールで繋がっているタイプなのが関係している。私は現在、休日はロリータファッションで過ごす事が多い。中学生の頃からゴスパンクとかゴスロリの人間で、就職前に一度やめた後で出戻ったらロリータになっていた、出戻りーた(出戻り+ロリータの造語)である。ゴスも、ロリータも、見た目を非常に気にするし、出来れば薔薇とか紅茶とか果物の香りを纏っていたいタイプだ。コスメだって見た目の愛らしい物とか優美なものが好き。お気に入りのお洋服を着るならお化粧だって気合いを入れるし、ヘアアレンジだってアクセサリーを使って凝ったものにする人が多い。自分と言う人間を『理想のお人形さん』に仕立てるために色々なものを犠牲にしている人だって多い。それくらい納得のいく自分を構築するのが好きなのだ。
と、言うのを前提に。私はメンタル疾患と診断される遥か昔にゴスやロリータの世界に耽溺していた。故に、発症後も可愛いお洋服に見合う自分を保てるよう努力する道を無意識に選んだのだ。どんなに症状がきつくても、発熱していない限りは(閉鎖病棟に入院していた時は無理だったが)入浴するしスキンケアも欠かさない。次の日が休みで予定も無いとかで髪の毛を洗うのをサボる事はあっても、二日以上は正直無理だ。そんな状態で自分にロリータの照合を当て嵌められない。そして、精神医学の面でも、自分の見た目にある程度手を掛けられる患者さんは回復の見込みがあるし実際回復が早いらしいのだ。以前精神科病院に勤めていた人も似たようなことを本に書いていた。
で、結論。私は自分がロリータで本当に良かったと思う。自分に可愛いお洋服をに合わせる為なら多少きつい事でも努力する気力がわく。それを続けて自分を好きになれた。こんなにも頑張る自分を愛さないでどうするのだ、と今は思っている。なので、昨日もお風呂に入って全身を洗い、スキンケアを施し着心地の良いパジャマを着て、髪の毛を乾かす前にはヘアミルクを馴染ませ、乾いたらヘアオイルも塗り、それが終わったらネイルオイルとハンドクリームでハンドケアを施す。今はあまり面倒とも思わない。だって、自分を慈しむ時間だから。
結局のところ、自分の事が大好きなんだよね。可愛い子には手を掛けたいタイプなんだろう。多分これからも私は自分のお手入れを楽しみながら頑張るんだと思う。でも、それが出来ない人も居るし、其処を責めるのもおかしい。自分は自分で他人は他人。その辺り、線引きはした方が良いんじゃないかな、と思う近頃。