▼2025/05/07:それは愛情だろう、でも望んだ形だろうか?
少し前、支部で某ジャンルの二次創作小説に出逢った。とても読みごたえがあり、話の内容もモチーフも登場人物(オリジナルキャラクターがキーパーソンになっていた)もとても良くて引き込まれる作品だと感じている。私は作品を読む際、時々キャラクターに感情移入し過ぎてエネルギーを消耗する事がある。しかしそれも込みで楽しんでいるし、消耗するくらいの作品を読み終えた時のカタルシスみたいなものが大好きだ。文字数が多めの作品を好む傾向があり、五万文字十万文字となれば内心小躍りする。故に、私自身が書く際も長めの(出来れば二万文字くらい)作品を書く事が多い。で、今回何でこの事を書いたのかと言うと、少し前此処に書いたインナーチャイルドの話をしたかった。私は過去に幾つかのトラウマを抱えている、と書くと割りと良くある話だと思う。誰しも皆傷ついた経験があるだろう。多かれ少なかれ、その傷の深さとか痛みはそれぞれであるとしても。ただ、その傷が致命傷に近くて医療が必要なくらい病んでしまうと他者の介入とかトラウマの原因を探る事が重要になってくる。
私は嘗て実父の所為でいじめに遭い(敢えてここでは言い切る)、心に傷を抱え、母親と担任教諭に救って貰った。でも、もしかしたらそれだけがトラウマじゃないのかもしれない。
人は誰しも完璧じゃない。歪な部分が確実にあるし、逆に言えばそれがその人らしさであり個性だ。完璧過ぎる人は不気味に感じられる事もあるように思う。でもその『完璧な人』との幻想を当て嵌めやすいのが親と言う存在だと最近感じている。
私は両親に、とても愛情を注いで育てられた。それは母と実父と義父だ。周囲には他にも大人が多くて祖父母や叔父叔母にもとても良くしてもらった記憶がある。でも、大人になった今『良くしてもらった』のと同時に『あれは問題だったんじゃないか』と感じる事象も増えた。私が扱いにくい子供だったと言うのはある。一人っ子で、長男の娘であり、長女の娘でもある故の期待めいた何かもあったのだろうか。周囲の大人達は私を或る面では大人として扱い、或る面では子供として扱った。期待して落胆した事もあっただろうか。父方の祖父はとても気難しい人で、思いの外巧くやっている私を疎んだ親戚が居た事も知っている。彼は認知症を患い最期を老人ホームで迎えたそうだが、私の事を最期まで覚えていたらしい。しかし彼と長男である実父の仲は良くなかった。祖母が所謂『長男教』の人だったかららしい。祖母は実父を可愛がるあまり夫である祖父と次男である叔父をやや放置気味だったそうだ。それ故に祖父は叔父を主に可愛がったらしい。まあ役割分担な気がする。しかし長男だった実父の娘である私を、祖父は猫可愛がりしていた。叔父にも娘が三人いるし、私が一番最後に生まれたのに何故か私だけ特別扱いだった。お年玉の額も一桁違ったらしい。実の所、叔父には二人の奥さんがいる。不倫をして、一人目の奥さんを追い出して今の奥さんと結婚した。時代故なのか、子供の親権は叔父にある。略奪婚と言う奴だ。これを理由に実父と伯父の中は最悪で、祖父と叔父の仲も拗れたらしい。
対して実父は母一筋の人だった。此処だけは評価してもいい。そんな長男が歳を取ってからの一人娘が私だった故に、手放しに可愛がっていたらしいのだ。実父は祖父の元によく私を連れて遊びに行っていた。私は父方の祖父が怖い人だとの認識もあったが、実は優しい所もあるのだと知っていた。何せ、祖母が独断で買い始めた猫達の面倒は祖父が見ていたし。小学生の時、父方の祖父の家に一人で遊びに行った事もある。飛行機に乗って初めての一人旅。あの頃は緩い時代だったのか、『お子様一人旅』みたいなものもあった。祖父は私の訪問を喜んで珍しく車を出しお祭りや食事に連れ出してくれた。そんな祖父を一人にしておくのも罪悪感があって、頻繁に電話を掛けたり訪問したりしていた。両親が離婚するまでそんな感じで、一方の叔父は滅多に孫たちを祖父に会わせず、祖母のお葬式にも一人で出席した。祖父はその後認知症を患い施設に入る事になり、私は度々飛行機の距離を会いに言っていたのだ。これは私にとってと言うより、実父の親孝行の手段だったのだろう。事実、施設の人は良い息子さんとお嫁さんですねと言っていたし、私が訪ねると「お祖父ちゃん、薊ちゃんのことばかり話すのよ」と言った事もある。
母方はどうかと言うと、母方の祖父は私が赤ん坊の頃に亡くなった。仕事中の事故で、祖母はその時まだ四十代だった。きっとすごく悲しかっただろうし、辛かったろうと思う。でもそんなのおくびにも出さず孫たちを可愛がる優しくて愛情深い祖母だ。お茶目でチャーミングでお洒落が好きで、義父よりも若い彼氏が出来た事もあるくらい魅力的な人。母は、そんな祖母と似ている面もあれば似ていない面もある。祖母はお酒とたばこが好きで若い頃から男友達が多い。勿論女友達も多いし兎に角知り合いと友人が多い。母は男友達と遊ぶとか、お酒とかたばこは嫌いな人だ。誰かとお付き合いする時には直ぐ一筋になる一途な人で、故に実父と結ばれたのかもしれないと思う。
離婚して直ぐも初めは「今までの人生で一度も男友達と遊んだことないから、暫くは色んな人と遊んでみたい」と言っていたが、一ヶ月もすると義父の存在を私に紹介し「結婚を考えている」と話した。割りと驚いたが本人は真剣だ。所謂『遊びで付き合う』とかが出来ない真面目な人なんだと思う。真面目で正義感が強く、気も強い。強くないと生きて来られない人だったと思う。ただ、その強さは時に独善的だ。自分の事を絶対に正しいと思っている。そりゃあ正しい事も多かった。でも、強くて正しい事が適切で間違っていないかと言うと、そうではないと感じることが増えた。
私は小さい頃から母に心配をかけ通しだったと思っている。でも、それって或る種当たり前と言うか、子供を作った以上は子供を守るのも心配するも必要な事だ。特に健康面とかメンタル面、子供の発達に関わる部分。私はいじめられっ子だったこともあり、いつも守ってくれる母が大好きだった。母がしてくれた事は普通よりも手厚くて、先進的で、愛情深かった。手作りの料理や洋服、習い事教室に通わせてくれ勉強を過剰に強いることも無い。やりたい事は大体やらせてもらったし、色々な所へ連れて行ってくれたし、褒めてもくれた。高校生の頃とか大変だったと思うのに、突然テーマパークに連れて行ってくれたり。自殺未遂をして入院しても見捨てなかったし、普通高校を卒業できなくてもなんて事無いと言ってくれた。専門学校入学前に自分が体調を崩しても私を優先しようとしてくれた。義父との関係も良好なのは、彼女が愛した人だからと言う保証があったからかもしれない。
これだけ愛されてきたのは確かなのに、私は今母との関係に悩んでいる。母は元々私が着飾ったりメイクに凝るのを温かく見守ってくれる人だ。ロリータだろうがゴスパンクだろうが港区女子みたいだろうが、他人に迷惑をかけていないなら何でもいいと思うタイプである。しかし、この歳になって私の容姿を時々貶すようになった。『今此処でそれを言うんだ?』と思う発言が増えた。皆様覚えているだろうか、去年の十月くらいに私が本気で消えたいと此処に書いた事。あれの原因は母だ。体型の事をチクチク言い続け、体調を心配するのと一緒に毒を吐くように『肥ったね』『その歳でそんな格好するの?』と。それも年月を経て私の歳に相応しい格好をしてほしいのだろうと流してきたし、実際問題体重は重かった。投薬の影響で太りやすく糖質の代謝に異常をきたし易かったのを心配しているのは知っていた。でも、本当に理解していたのだろうか、と今は疑問に思う。
人は誰でも独立した思考を持っていて、他者の事を理解し切る事は出来ない。自分の事を全部把握できるのは自分だけだ。それすらも難しいのに他人の事なんてわかり切るなんて出来ない。でも出来ると思ってしまうからこんなすれ違いが起こるんだろう。けれども、それが他人の心に致命傷を与えてしまうならそれは加害と言うものであり、愛情の衣を纏った毒だ。
去年のあの時、母は私の家を訪ねてきた際『元気ないね、どうしたの?』と訊いてきたことがある。私はこの時一番絶望したし、『母親と言えども娘を完全に理解できないのだ』と実感した。母親も完璧じゃないのだと自分の中の誤解があまり良くない形で解けてしまった。
誤解。或る種『自己暗示』とか『魔法』だったかもしれない。
私が物語を作るようになった理由は、安心して楽しめる世界が欲しかったからだ。読んでいて面白い物に出逢って、どうせなら自分の考えた世界を描いてみようと思ったから。そして、もっと言うならこれでもかと理想を投影したかった。完璧な世界を作りたかった。でも完璧なんて無いんだって、あの時やっと分かった。誰だって綻びとか歪な部分があって、全く何も欠けて居ない人なんて居ない。
昔から、不幸な人が救われる話が好きだ。そして成長してからはその人を不幸にした人がその人を失いかけるか失って改心し、それでももう遅い、と言う作品も好きになった。これってもしかして、私がすぐ死のうと思ってしまう理由の一つなんじゃないか。
私が死にたいと思い、行動する事で、世界を変えたかった。私を少なからず知っている加害者達に本気で後悔し悩んで苦しんでほしくて、刃を自分に向け続けてきた。自分の命を人質に世界を変えようとしていた。勘違いにも程があるけど、それで確実に悲しむ存在が居るなら、この死に意味はある。私は私を認めてくれない人に無理やりにでも傷を残したかったのかもしれない。貴方の所為で私は苦しみ自ら命を絶ったのだと訴え、彼等彼女等の心に治らない致命傷を与えたかった。本気で後悔されれば初めて私は救われると思ったから。
でも、自分を救えるのって、多分自分だけなんだと今は思う。内側の子供の傷を受け取れるのは私だけ。手伝いをしてくれる人は沢山いるけど、最後まで一緒なのは私だけだ。この事に気付いて、傷つきもしたけれど、それが大人になると言う事だと実感した。
母に本音を言えないなんてよくある話だ。恵まれている方だと知っても居る。けれども本来、辛さとか苦しみって較べるものじゃないんだよ。だって単位も決まっていない。だから、私は私が苦しんでいる事を認めることにした。母の事を絶対的な味方であり常に自分を正確に理解してくれる人だと思わないようにし始めた。私だってきっと母を傷つけている。
完璧じゃない世界で、完璧じゃない人と、それでも理解し合おうと努め上手く距離を保って生きていく。それがこれからの課題だと思ってこの記事を書いた。勿論これは私なりの結論だから理解出来なくてもしたくなくても問題はない。
望まなくとも時は進むし移ろうし、考えも感情も形や色を変えてゆく。良くも悪くも変化する。それに対応できない時きっと傷つくんだろうけど、生きていて良かったと今は思う。
もしもまた傷ついた時の為に、全てが完璧じゃない事を思い出す縁になればと思い、これを書き記した。