▼2025/05/20:選られる知識、切り捨ててはいけない
今日で就労移行支援事業所を退所してきた。退所と言うか、卒業と言うべきか。来週から三度の就労が始まる。準備は万端とまではいかなくとも必要な物は揃った。後は細々した文房具とか職場で必要になりそうな物品を購入すれば終了である。仕事の為に有ると便利な知識の勉強もぼちぼちやっている。商品に関する知識とか使い方とか選び方とか人気な物とかワードとか。今度の仕事も販売なのは前にも書いたけど、扱うものは以前と全く違う。ほとんど被りもしない。詳細を省くのは身バレ防止だ。ただどういう訳か、入社の日付は前職を辞めた日と全く同じである。偶然なのかな。不思議だけど今の会社にはその日を指定されたんですよ。多分締め日の関係。
実の所以前と同じ心持では全くない。内定を頂いてからふわふわした心地で暮らしているもので。緊張感とかもう少し持った方が良いのかなと思ってしまうくらいふわっとしている。決意表明とか、前の私ならしたんだろうな。或る程度は。まあ、緊張していないのは悪い事じゃないんだろうけど。初めから全力を出さないと決めるとこんなに楽になるなんてね。
手段と目的が混ざってしまう時って、結構な頻度であると思うんだけど、例えば生きる為に仕事をするのに、いつの間にか仕事が生きる目的みたいになってしまうというアレ。理由なら良いと思うんですよ。『この仕事なら頑張れる』と思うから応募する人の方が多いと思うから。いや、『これなら出来そう』の方が多いのか。これをやりたいって明確に思えない人の方が多いんだと、少し前から分かって実感してきた。私はやりたい事が明確にあり過ぎて、選択に迷う事はあっても『やりたい事探し』をする事はほとんど無かったから。どちらかと言うと『やれる事探し』をしてきたよね。やりたい事の為に。つまりは趣味とか夢なんだけど。
障害者職業センターって言う施設が各都道府県には一個ずつ以上ある筈なんだけど、其処では所謂適性検査みたいなものを受けられる。結構古いタイプの検査みたいだけど、色々な試験を複数行なって、その人は何に適性が強いかを調べるんですよ。平均値と比較したり、飛びぬけている部分があればそれと本人の志向を複合して向いている職業を探る感じ。んで、私の場合、『言語の理解』とか『情報処理』『空間認知の能力』が平均から飛びぬけていました。言語理解と情報処理は特に高レベルだった。まあ、何となく予想できる結果です。ちなみに一番低いのは『道具を巧みに使って作業を行う』『手先を使って細かい作業を行う』でした。平均の半分も行ってなかったので私よりも支援者の人のが驚いてた。ご存じの通りお裁縫とかミニチュア作るのとか好きなんで、手先が器用な方だろうと自認していたんです。苦手意識の強い計算よりもかなり低くて、計算とか数字を扱う能力が80くらいなら、手先の器用さはその半分くらいかな。40〜50くらい? だったと思う。まあこの結果は当てには出来るけど経験とか慣れを含まないので正確ではないのかも。ちなみに言語理解の点数は平均を100とすると150を超えました。
そんでね、私一番向いているのは販売職じゃないんですよ。書類作成(納品書とか請求書)とか書類の間違い探し(校正みたいなのかな)、タイピングとかが良く出来てたので事務員が一番向いている仕事らしい。一般事務って奴ですね。薬局時代に『貴女は事務仕事の適性はあるけど、接客の適性は無いよ』と仰った上長の言葉は決して間違いではなかったと言う事になってしまった。記憶力とか言語を操るとか間違いを発見して訂正とかが得意な自覚はあるんだけど、此処までとは思わなかったよ。
でも結果として『大体なんでも平均程度には出来てしまう』のは明らかだったらしい。手先じゃない方は器用らしくて、作業が難しくても慣れるまでの時間が短いからと言われました。人間関係も今ではそこそこ上手くやれるようになりましたからね。こうなるまでが大変だったんだけども。
そうなると大切なのは環境面だよね、そして対人のスキル面だよねと訓練を続けて晴れて卒業と言う訳ですが、ここ数ヶ月で確実に、心の中の色々なものが姿形や色を目まぐるしく変えていきました。何か、ぼんやりとしていた景色にピントが合った感じ。やりたい事と出来る事が重なったんですね。目的もはっきりした。一番向いている訳ではない接客販売職をする決意が固まりました。出来る範囲でやりたい事をやるのって或る意味当然の選択なんでしょうけど、目的は仕事を楽しむ事じゃなくて、楽しみの為に仕事をする事。楽しみって言うのはまあ趣味とか夢なんですが。生活と喜びの糧を自分の力で稼いで、遣り甲斐はあまり求めない事にしました。モチベーションは保っておきますけどね。
前の仕事が憧ればかりで始めてしまったから、憧れ以上の苦しさを味わう事に繋がった気がします。好きな事を仕事にしちゃうとそれが嫌いになっちゃう的なアレ。本気で嫌いになる前に離れて良かったと思ってます。だからこそ趣味は趣味として楽しもうと思ってます。それでお金がもらえたら勿論嬉しいんだけど。でも本業にはしたくないな。家に籠っているのが難しい性分だし、人と関わる事が大好きだから、接客業に適性がありまくるタイプじゃないのに『お店』と言う場に戻る事にしたんです。
この前新しい職場から制服のサイズとシフトについて確認する連絡がありました。来週の今頃にはその制服を着て店頭に立ってるのか。実感が湧くのが遅い。まだ湧いてない。ただ、支援者さんには『そのくらいで良いよ』と言われています。スタートダッシュだけ力を入れ過ぎると間違いなく転んじゃうから。緊張感が無いのも『良い意味』でと言う奴らしい。
完璧じゃなくていい。完璧にし続けるのは逆効果。世界は誰かの働いた結果で作られるけど、それが全力なら息が詰まりますからね。程々で良い。弦楽器の弦は張り過ぎても緩み過ぎても良い音が出ないんです。何か仏教にこんな教えあったよね。確か琴の名手だった人への教えだ。
我武者羅に頑張り過ぎて潰れてしまった経験があると、全力を出すのが怖くなります。ただ、時には出す必要もあるんだろうな。その為に余力を残しておきましょうとふわふわしてるのかも。
さて、話は変わって。
友人が心情を綴った文章を読みました。彼女の思いはきっと『辛い』だけじゃないな。『もどかしさ』とか『どうして分かってくれないんだという理不尽に戸惑う気持ち』とか、この先どうなるのかと言う不安も、色んなものが混じってると思う。個々人によって状態や持っている能力とか時間も違うから、家族であっても全く同じ状況とはいかないんですよね。せめて近しい人には理解してほしいけど、説明する気力も無かったり時間も無かったりする。人間は生きている以上誰かと迷惑をかけ合って生きていくんだろうけど(つまりは支え合うって事ね)、特定の誰かだけが重かったり軽かったりが続いてしまうと心はささくれ立ってしまう。一度は同じ方向を見ていた筈なのに。おなじ目的の為に動いていた筈なのに、と思ったけど、本当は違うのかもって思っちゃう事があるし、全く同じものってないんですよ。きっと。世界って終わるまでは続いちゃうから、一個を解決しても次が現れるんだよね。一難去ってまた一難、とか本当に嫌になっちゃうけど多分人生ってそんな感じなんだと思う。波とかバイオリズムがそれぞれ違うから感じ方は違うんだろうけど。
私自身介護された事がある人間なんですけど、あの頃お世話してくれた人たちには感謝しかないよって言っておく。してくれた人たちは『仕事』だったから献身的だったのもあると思う。公的なサービスはなるべく受けた方が良いけど、諸々の事情で難しい事もある。介護する側の人間に圧し掛かる責任とか負担って小さくないですよね。だいたいは結構大きい。抱え切れる時はまだ良いんだけど、介護する側のキャパシティって本人でも上手く把握出来ない事があるんですよ。気付いた時にはもう限界とか自分の方が倒れちゃうとか。
こうやって言葉にしているだけの私が言うのも烏滸がましいんだけど、貴女は、貴女達は十分頑張り続けているよ。でも休むと大切な人が困っちゃうんだよね。せめて頑張れる内は頑張りたいんだよね。だから協力者が必要だし、欲しくなって当たり前。
綺麗事言ってる自覚はあります。エールとか応援ってその側面を持ちがちだよね。それを分かった上で私は彼女を応援します。思いを綴ってくれてありがとう。知らせてくれてありがとう。助けてもらったし、そうでなかったとしても助けたいよ。助けたいって思いでキーボードを叩いています。
救われるべき人ほど救いたい形をしていないって少し前に見たんだけど、彼女に関しては当て嵌まらないなぁ。救いたい、救われてほしいと素直に思うし、支援に繋がれればなぁって思う。繋がったからって必ず好転するとは限らないのは知ってる。でも動きは発生するよね。期待し過ぎると傷つく時も多いから難しい、でもそれをしなくなったら別のベクトルで辛くなると思うの。じゃあどうすれば良いとか、良い案も浮かばないんだけどね。
ただ、救いたいと思う貴女では居続けてくれると思うから、どうにか踏みとどまっていてほしい。何年かして2025年の今を振り返った時、進んで来た足跡は絶対残ってる。数なんて気にしなくて良いよ。後退してたっていい。それは貴女が確かに生きてきた証以外の何者でもない。誰だって自分なりに生きて頑張り続けてるものだから、優劣なんて無い。人生って儘ならないけど、泣いちゃうくらい嫌な状況もあれば同じ量の涙を流す嬉しい時もあると思うの。自分に言い聞かせてる言葉なんだけどね。そうでもないとやってられないし。
今夜はゆっくり眠れることを祈るよ。それか、好きな事を一瞬でも良いから心の底から楽しみたい気持ちが報われるとか。読書でもお絵描きでも編み物でもなんでもいい。ゲームもするんだったよね。手帳も書くって言ってたよね。食べすぎる時は温かい飲み物が良いと思うよ。そっちはもう暑いかもしれないけど、お湯に蜂蜜を溶いてゆっくり飲むのも良いかもしれない。クーラーをつけてるなら喉の乾燥防止にもなるし。なるべくなら身体には優しくしてあげてね。
溜め込み過ぎそうになったらまた書いてくれれば、私は読んで何かしら書くと思う。所要時間は読めないから返信が遅くなるかもしれないのだけ許してね。
この世界にたった独りだと思っちゃった私に「本当は独りじゃなかった」と思わせてくれた貴女に明るい朝が来ることを祈ります。