memo

▼2025/05/19:毒になる誰かが居るから、薬になる言葉があるんだね

ありがとう、と伝えたい人が居る。
返信不要(と仰った)のメッセージだけど、まずはお礼を言いたい。ありがとうございます。貴方の言葉は私の薬になりました。届いて欲しいと必死で綴った思いを受け取ってくれる人が居る。これが私を文を書く理由です。自分の中にしか存在しなかった思いに文字と言う形を与えて、他の誰かにも認識してもらえる術を持てている事、とても嬉しく思います。
結局母はあまり態度を改めようとはしないし、祖母も似たようなものなんだけど、逃げ道に近い選択肢が視野に入って少し余裕が生まれました。グループホーム以外の部分にも。まず、私は私として生きる事を許されてはいるわけです。そして家族以外の理解者にも恵まれています。施設の人とか病院関係者とか、友人とか。それで苦しみがすべて帳消しかと言うと勿論違うけど、マシではある。居ないよりはずっと生きていきやすい。ネットでしか繋がりの無い友人が、結構な人数で応援してくれています。
小説を書き始めて遂に二十年経つんだけども、よく此処まで書き続けたなと思う。何万文字書いたんだろう。大体は薔薇だけど、中には百合もあるし一般的なのもある。兎に角自分が安心して楽しめる世界を創りたいから綴った文字達を、受け容れ楽しみ耽溺してくれる仲間たちが居てくれて本当に良かった。
前にも書いたかもしれないけど、私は現実に起きた事をベースにしたりヒントにして物語を考える事が多いです。突飛な例だとファストフード店のトイレの注意書きから想起したりとか。で、私は私を救う手段として物語を綴る事も多いです。架空の世界でだけでも素直に、『生きているって素晴らしい!』って言いたいじゃないですか。だから少し前からオリジナルの小説も脳内で組み立て始めました。今の所足場と土台は出来たかな。これから支柱とか立てて行かないと。
此処にもチラッと書いた、精神科医の先生たちが出てくる話です。社会に問題を提起するみたいなフリをして自分が救いたかった人達を間接的にでも救いたいから、その手段として文字に変換していきます。居なくなった人、居なくなりかけた人、居なくなりたくはないけど、辛い人。望んでも無い人を『救う』なんて烏滸がましいんだけど、敢えてこの言葉を選びます。私自身を一番に救いたいからだね。利己主義も良い所だけど、それが行き過ぎて利他主義に見えるタイプらしいですよ。
傷付けられた傷を見ないフリしてそのままにし続けてしまったけど、その間に悪化はしてなかったみたい。放置された状態のまま私を待ってくれていた。これからせめて治療になる事をしていこうと思う。大切な人達がくれるお薬みたいな言葉を、そっと被せて馴染ませていくの。毒になるものはなるべく受け取らず排除して、濾過して、有効成分だけを適量摂取しよう。添加物として私なりの所見を加えて、剤形も一番効きやすくて使いやすいのにする。一時は医薬品のプロになろうとしたんだから、きっとできる筈。薬局勤め経験と資格試験の経験を生かそう。
最近、いや、少し前からかな、『毒親』って見聞きする機会が増えた。この世界には色々な苦しみとか嫌な事があるけど、その中でも解決策が多過ぎて自分に適切なものを探すのが大変な事柄だよね。距離を置くべきか、言い返すべきか、物理的な方法で此方の害意を示すか。法律とか倫理に反していない限りはどんな行為も許されていいと思ってるんだけど、私はなるべく自分の得意な分野で戦おうと決めた。それが小説と言う事です。
頭の中では三組の家族の物語が出来上がりかけている。どの話にも失われそうな大切なものがあって、主人公はそれを守るべく動くけど、正しい事が別の側面からみるとそうじゃない場合もあるよってサンプリングみたいにしていきたい。それに私の傷を治療する薬みたいなものを混ぜ込んで綴りたいの。有効成分を適切な形、適切な量配合して、読み易さを添加剤にする。
救われてほしい人も救いたい人も書きたい。彼等彼女等に自己投影しまくりだけど、でないと私が書く意味も見失ってしまうから、取り敢えずは自分ファーストに書く心算。良い物が評価されるとは限らないけど、評価されたならその評価者にとっては良い物だったってことでしょ。自分なりに精一杯書いて、脳内で活躍するオリジナルのキャラクター達を余すことなく描写する。余分な所はカットしちゃうけど、カットされても私の脳内であの人達は生きている。
基本脳内のキャラクター達は各々勝手に動き始める、所謂『頭の中でキャラが勝手に動いちゃって〜』みたいな書き方をする性質で、多分私に解離の症状が強い所為もあってか、人格が乗り移ったみたいにキーボードを打つ事が多い。だからか基本的には一人称で書いていて、たまに三人称になる感じ。今回は救われるべき本人の目線も、その人たちの毒になる人の目線も含めて書きたい。精神科病院が舞台だから或る程度専門知識も要るかな。毎月通ってるけど。救われるべき人に、フィクションの中でだけでも救われてもらって、序でに私の事も救ってもらう。セルフサービスで薬を製造して処方して調剤するの。創作って作者が好きなように書いていい筈だし。物語に出来るスキルを与えられたことを幸運に思う。後はどんどんと設定を練って、書きたい場面、入れたい描写、知識を組み込んで書き上げる。時間は掛かっても良いし、あっという間に書き上げたって良い。救う側の人間像も結構クリアになって来た。現実にこんな病院存在するのかって疑問に思われても良いかな。だってこれはフィクションだから。個人的に思っている『こんな治療者なら診て欲しい』って人達を主軸に色々な人達の目線で世界を切り取るの。登場する人達、医療従事者の皆さんには名前を考えてあって、皆医薬品の名前を一部に入れている。まんまな人も居るけどまあ其処はご愛敬ってことで。
ああ、何かワクワクしてきた。面白い作品を書いて序でに自分を癒せるって最高じゃない。前のブログサイトの時、『賄い薬』って言葉を使ったと思い出した。先述の通りだね。私は私の為の薬を自己製造するんだ。最後まで自分の傍に居られるのは自分だけ。人生の責任なんて誰も取ってくれない。
執筆にあたってイメージソングは決めておこう。音楽が無いと途端に書けなくなるから。まだ円盤になって無いのが惜しい曲を一番に据えて、他にも心のお薬になる曲を聴きながら、何万文字かかっても良いから書き上げよう。この世界は生きるに値すると思える瞬間を創れたら、取り敢えずはそれで良い。もしそれ以上に至れるなら『この人の新作を読めないのは残念かもしれない』と思われてみたい。誰かに必要とされて、誰かの生き甲斐になってみたい。対症療法以外の何者でもないけど、解熱鎮痛剤くらいのポジションでさ。抗生物質とか抗ウイルス薬はちょっと荷が重いし厳しそうだから。
よく、痛み止めを服用している友達がいる。その人の言葉で私の心の痛みが少し和らいだから、今度は私が彼女の痛みに効く可能性のある文字を綴りたい。救われるべきなのに報われない人の痛みをほんの数時間でも止めたい。
あ、でも『薬みたい』とは言って貰えたね。じゃあ、もっと効く成分と添加剤と剤型にしよう。言葉は簡単に用意できてしまうし、だから信用しづらいし、それでも何よりも有効な時があるから。貴方の為には生きられない。でも生きる理由にはなりたいって我が儘かな?
この画面の向こう、彼女以外の誰かも救いたいって、どん底から這い上がれた今は思ってるよ。そして多分この先も変わらない。どうせなら楽しく生きたいじゃない。この先たった一世紀も生きられない可能性の方が高いんだし。後悔の無い人生なんて存在しないけど、それなら好きなように生きてやりましょう。時々息抜きして、生き抜くの。どっかのコマーシャルの受け売りです。巧い事言うなって思った。

思い通りにならない世界を、だからこそ面白いって思えるうちに、自分を楽にしてあげたいね。

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