memo

▼2025/08/01:難しい星の元、それでも流れゆく小川

去年から続けてきたカウンセリングが今日で一区切りとなった。元々10回を目途に受けていた治療だったが、今日がその10回目。ここ一年で私は自分と向き合い、折り合いをつける方法を身につけられたと言われた。
自分の生き方や感性の尖り具合に苦しんで来た人生だったが、今はいい意味でこだわりを弱める事が出来たように自分でも感じている。こだわりを捨てるのではなく、弱めたり緩急をつける術を学んだと言う事なんだけど、何だろう、非常に自分に適した環境に身を置く事が出来たのも大きいけど、一番は自分の内側に居る子供の傷を受け取る事が出来たからだと思う。前にも書いたけど、インナーチャイルドって奴だね。彼女が居てくれたからこそ、私は自分の傷を見ないフリが出来た。そして、そろそろその傷を自分に返してもらうタイミングだったと言う事。子供は居なくなったと言うより、私の中に溶けて行った。やっと苦しみから解放してあげられたし、私は私で自分の傷を癒す機会を漸く持てた。傷は思っていたより多かったし、それなりに深かったけど、時間をかけて自分と向き合ううち、少しずつ塞がっていった。今は多分瘡蓋が付いてる状態。
まだ時々、周囲が自分を嗤ってるんじゃないかって思う事がある。でも大体は思い違いと言うか、自分以外の人間だったり事象だったりの事を話してる。私の事なんてみんなそんなに気にしていない。自意識過剰な所が否めなかったし、多分成長の過程で皆が通る道の一つだったんだろうなって今は思う。特性持ちの私は脳の完成スピードが遅いから、やっと出来上がってくれたんだね。子供でも居られたって事は周囲に愛されていたんだよとも思う。
昔読んだ本に『本当の大人って言うのは意外と少ない。ただ歳を取っただけの人間は多いけど』って言葉があったんだけど、本当にそうだなって思うと同時に『それが許される世の中も悪く無いんじゃないか』と思う事も増えた。本当の大人ってどんな存在かと訊かれても答えらないし。それなら大人のフリを繰り返していくしかないんじゃないかって。フリが出来ればいつの間にかそれが染みついて大人の振る舞いが身についていくって言う、まあそんな感じで生きている人の方が多いんじゃないかな。明確に分けられるものでもないと思う。だからこそきちんと大人で居る人には尊敬が集まるし、けれども大人で居る事だけが正解って訳でもない。『此処は大人になって譲りましょうよ』と言われたとして、それって『自分が我慢すれば何でもそれで済むのか』って言う問いを生むと思うんだよね。大人って本当に護りたいものとか譲れないものだってある筈なの。全ての場面で大人の振る舞いややり方だけが正しいのかって、多分違うと思う。
それが判断つくのも大人だからかもしれない。大人の対応を求められた時に応えられるのもそうだけど。ただ、此処は譲っちゃいけなかったと後悔する数は減らした方がいい。

今日はお給料の明細が見られる日だったんだけど、この前のお給料よりも結構多く貰えそう。控除の割合が少し下がってた。嬉しい。やっぱり何で働くかってお金の為だしさ、欲しい物とかやりたい事の為に頑張る分評価が伴えばやる気に繋がるでしょ。
今日の診察でも先生に働く時間は『フルタイムまで伸ばしても大丈夫』って太鼓判をもらえました。今直近で身に着けたいのはレジのスキル。前職でも時間がかかった項目だけど、これが出来ないと店が回らない時が増えるんだよね。私を店に一人にするとレジが出来る人が居ないんですよ。お客様が多ければレジを複数開ける事もあるだろうし。まあ支払いの方法とかポイント割引とか覚えるべき事は沢山ある。でもいずれは出来るようになりたいとも伝えてある。出来る事が増えればその分お給料も増えるし。
…そう言えば今年は最低賃金の改定はあるんかね?基本給は最低賃金よりも結構高いけど、世間の流れには沿う会社だから最低賃金上がれば多少は基本給も上がりそう。まあ上がるとすれば十月くらいかな。例年その辺りだし。

この前観た動画で『精神障害とか発達障害を持つ奴等への配慮義務って健常者には負担でしかないし、取り敢えずクビにするか雇わなければいいでしょ』って言うのがあったんだけど、それが全健常者の意見みたいに言うのはどうなのかなって思うのと同時に、『究極に人手不足だから求人出したのに、集まるのは全員障害者だったらどうするんだろう』って考えた。
誰を何処から障害者とするのかって、人によると思う。眼鏡をかけないと文字を読み書きできない人は眼鏡や視力を矯正する器具が無ければ障害者だし、事故で脳に機能障害を負ってしまっても障害者だし、そうでなくても認知症とか難病はいつ何時発症するのかも分からない。まあ前記の言葉を述べた人からすると生まれた時から『障害者』と診断された人の事を言うんだと思うけど、じゃあその人に働いたり人と関わったり、もっと言うなら『生きる権利』すら許していないように感じてもにゃっとした。
底辺とか、最下層の人間とか不可触民とか言われる人達を排除したとして、次にその人達と似たような扱いを受けるのは一つ上の階級に居る人達じゃないかな。達磨落としみたいにさ、カンカンカンって一段一段落とされていくの。そして自分だけでも落とされないように意識し始めたら、それはそれで生き辛いし幸せじゃないと思うんだよね。
何を言いたいかって、自分の幸せの為にも、弱者と呼ばれる人の幸せもある程度保証すべきって事。明日は我が身じゃないけど、自分がいつ何時どうなるかなんて分からないんだから。で、最初の話に戻ると、これをきちんと理解してるって言うのも大人の条件じゃないかなって最近思った。
強かろうと弱かろうと、この世に生まれて来ちゃった以上は生きるしか今のところは術がない。自殺は悪だと言うなら生きる事を否定しないでほしい。強い人や富める人ばかりが生き残るべきで、下は切り捨てるべきと言うなら、いつかその刃はあなた自身を刈り取るよ。だって下から順番に切り捨てられ続けるんだから。
健常者が我慢ばかりするのもおかしい、でも障害者が皆生まれてきちゃいけないって言うなら、完璧な子供を生めるように技術でも開発して極めればいいんじゃないかな。絶対時間ばっかり浪費して貴方の人生が終わっちゃうと思うけど。それよりも折り合いをつけようよ。私は自分で出来ない事をしてもらう代わりに、出来る事は他の人よりも頑張るからさ。そもそも仕事とか社会ってそう言う物でしょ? 自分で出来ない事をお金を払ってやってもらい合う事で社会って回ってる。世界ってそう言う物だと思ってる。

まあ、一意見だけど。でもさ、そうやって自分ばかりが満たされたとしても虚しくないのかなって思う動画だった。迷惑をかけられたのは気の毒だけど、ぶつける対象は選ぼうね。何なら別の形に昇華しようね。あなたも私も他の人に迷惑やお世話をかけないと生きていけないんだからさ。それを仕事にして生きている人も居るし。

持ちつ持たれつって大切だなって、最近よく思う。

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