▼2025/09/01:心が二つあるのかもしれない
ひとつ前の記事、私にしては強い言葉を使い過ぎたと反省している。後悔はしてないけど。最近始めたSNSでさ、お子さんの進路について投稿している方の言い方と言うか、言葉の選び方がおかしくないかなと思って書こうと思った記事だった。その方はお子さんが中学受験をしてこのまま行けばエスカレーター式に進学できて将来も安泰なのに、友人関係で悩んで外部受験をして別の高校に進みたいって言われたみたいなんだよね。『あと三年我慢してくれれば』『つらいのはわかるけど』って言ってたのが如何にも引っ掛かって、何故って、お子さんは震えながら大泣きしたらしいんだよね。中学三年生のこの時期に急に言わないでほしいって気持ちは生じちゃうのはしょうがないと思う、けど、その年頃の子、それも男の子が親の前で大泣きするなんて相当だと感じるのに(少なくとも外野の私にしたら)、親御さんは『後三年我慢すれば』って言っちゃったんだとしたら、お子さんが絶望の末に良くない思い切り過ぎた選択をしちゃうんじゃないかって心配になったから書いてしまった。個人的な意見を言わせてもらうと、その『後三年我慢すれば』って言うフレーズ自体が不味いと思うんだよね。大人になると一年が早く感じるし、年々早くなっている自覚が有る。何だかんだ今年も九月が始まったし。でもさ、それでも三年って結構長いんだよ。よく言うよね『どんなに辛い職場でも、三年は頑張ってみるべき』って話。これを信じて頑張り過ぎた結果壊れちゃった人や、その人達を助けられなくて悲しむ人をたくさん見てきた。
自分の人生の責任を取れるのは自分だけだし、子供が不自由なのは自由過ぎるが故の責任から守るためだと思ってる。辛さも苦しさも何も肩代わりできないのに『我慢しろ』って言うのはおかしいと感じてる。たかが三年、されど三年。学校以外の世界をあまり知らないかもしれないその子が世界に絶望し切っちゃう前に、もっと言うなら『親と学校だけが総てで、全部が駄目になった』と思う前に、親に守ってもらえなかったんだと感じる前にもう一回よく考えてみて欲しかったの。届くわけもないんだけど。
思えば私の心が壊れた原因は確実に子供時代にあって、其処に実父への恨みつらみや同級生たちへの色んな感情が綯い交ぜになった結果でもあるんだけど、本当に絶望してたのかは今ではもうよく覚えてない。何せ錯乱の末譫妄だし。でも強く『自分は消えなくちゃならない』って思ったのは覚えてる。でも、今はそうしなくて良かったと心の底から思ってる。大体の問題ってね、一時的な物でしかないらしいんだよね。勿論長年の悩みとかもあるんだろうけど、自分の全部を擲ってうしなう必要はないと思う。生きてさえいれば何かしら変化がある。良くも悪くもだけど、それらの可能性全てをうしなうかもしれない子供が居たら、私は間違いなく止めるし、話を聴いて如何にか励まそうとするんだと思う。嘗ての私もそうだったから。
身近な大人が護ってくれないなら、一度信じるのをやめてみても良い。誰の事も信じられなくなったなら、一度心を閉ざしてでも生きていて欲しいと思う。自分の事が信じられなくて良いから、何を裏切っても良いから、生きていてくれればそれでいい。生きてないと何も起こらないし、感じられなくなるんだよ。疲れちゃっただろうし、親にすら味方になって貰えてないと感じるなら親に期待なんてしなくていい。ただ、君は本来守られるべき存在だって事は心の中に留めて置いてほしい。
家族って選ぶ事がほぼほぼ不可能だから難しいと感じる事が結構ある。あるとすればステップファミリーくらいなのかな。うちがそうだけど。義父と一緒に暮らして『家族になろう』と決められたのは『選べた』の内に入るんだろうし。とまれ、日本のどこかに住む中学生のその子が心配過ぎたんだよね。だからつい長々と書いてしまいました。ごめんね。