▼2025/09/08:心的外傷、掛け替えをなくしたい
どうして、誰も他の誰かの感情を完全に理解できないようになってるんだろうと、時折考える。大好きで尊敬している人曰く『人と人とは完全に理解し合えない。だからこそ理解しようと努力し合う必要がある』らしい。この意見には概ね同意なんだけど、此方が理解しようと努力するのに、向こうはしてくれないで要求ばかりしてくるなら割に合わないし、理解しようとしても齟齬が生じるのは何と言うか、人間と言う生き物のバグの一つだと思う。思考や理性を与えられてしまったから副産物みたいについてきたのかな。
人と言う生き物が思考や精神や感情、理性や自制心を持っているのは、もっと言うなら『意識と言うもの』があるのは、生物として効率よく繁栄する為に生まれた特徴の一つらしい。お腹が起きてすいたら食べる。疲れたら眠る、身体の汚れが不快で、健康な方が効率よく生きられるからお風呂に入る。栄養のあるご飯を食べたいと望む、栄養のあるものを美味しいと感じる、例えば生存に繋がる糖分や塩分を適度に含むもの。怪我をしたら治療しないと最悪死ぬから手当てするとか、そもそも怪我を負う可能性のある環境には近づかないとか、病気にならないように身体を保温する為、服を開発して着るとか。意識と言うものが無いとこの身体を巧く使えない、と何処かの段階で気付いて、意識を巧く活用する為に思考や感情が生まれたんだとしたら、人間は不幸になる可能性よりも生存本能を優先して取った生き物なんだなぁと感じるんだよね。実に動物的。
私は今この精神や心に不調や難を抱えて生きているけど、人間が種として成立した頃はこんな悩みはあったんだろうか。物質的に豊かになってしまえばこっちのものの筈だったのに、生きる事自体に悩む日が来るなんて設計図の時点で間違えてた気がする。でも仮に人間じゃないけど人間とよく似た別の種が繁栄した未来があったとしても、同じ様に悩む日がきっと来るんだろうな。
もしも初めから思考なんてものが無かったら。まったくの絵空事なのに、そんな考えが過る事がある。
『貴方が死にたいと願った今日は、生きたくても生きられなかった人が迎えられなかった未来』
みたいなことを見聞きする事は結構ある。リセールできたらいいのにね。それか少しだけ譲るとか。誰も誰かの命や痛みを肩代わりできない、つまりは感じることは不可能。なのに理解しようとしては行き違うんだ。
どうして私は貴方を理解したいんだろう。貴方が理解を示してくれたから、だけじゃない気がする一方で、それが一番の理由だって事も分かってる。
致命傷を負ってもう大分経つけど、あの傷を与えた多くの人達は『そんな心算じゃなかった』んだと思う。ただ『他とは少しばかり変わり者の私』が面白かったんだろうと思う。根拠はね、入院して意識が回復してから手渡された携帯電話に百通近くのメールが入ってたこと。『傷ついてるって気付けなくてごめん』とか『生きててくれて良かった』とか『抱えていた物が大き過ぎたんだね』とか、傷を与えた側がそれを言うのかなって言葉が多かった。当時は『自分が生きてて良かったと思ってくれた人がこんなに居てくれたんだ』とか思ったんだけど、本当に心配してくれていたのなら、あの言葉達を心に仕舞っておいて欲しかった。
前に外国の動画でお母さんが子供達に『いじめをしてはいけない理由』を実演みたいにして教えてたんだけど、一枚の紙を用意して子供達に『この紙に悪口を言ってみて』と指示して、悪口をかけられるたびに紙をくしゃくしゃと丸めていくの。『ごめんねって言ってみて』って言われた子供達は素直に謝るんだけど、お母さんが広げた紙は折り皺が元には戻らない。子供達に『紙は元に戻った?』って訊いて子供達は首を横に振る。お母さんは『これが人を苛めてはいけない理由よ』って教える、みたいな動画。
こんな風に分かり易く教えてくれる大人達ってきっとそんなに多くないし、多分私も思いつけないと思う。このお母さんはきっととても思慮深くて愛情のある優しい女性なんだと思うけど、皆が皆他人の傷や痛みに敏感かって言ったらそんな事は無い。他人の傷や痛みに敏感って事は、自分のそれだって自覚しやすいと思う。それを言葉にすると『優しくて他人の心を思いやれる人』なんだろうね。そう言う人ってさ、簡単に傷つけられてこのたとえ話の紙みたいにくしゃくしゃにされる事が殆どだと思う。
優しいのと弱いのは違うよ。けど、似てはいるんだよね。弱さを知らないと優しくなる事って難しいし、傷つけられた事があるから他人の痛みを想像しやすい。傷つけられて一回壊れちゃった人が必ずしも優しいとは限らないけど。
いじめとか悪口とか、柔らかい言葉過ぎると思う。普通に暴行傷害、誹謗中傷で良いよね。まあ日本語ってそんなものだと思ってるけど。
前に此処に書いたオリジナル小説の話、覚えてる人も居るかな。精神科病院を舞台に、色んな人の病みを描写して彼等彼女等を救う事で自分も救おうと思って考えた話。短編から中編で何話か書き連ねて、それぞれの話は少しづつリンクさせる。いつ書けるかは分からないんだけど、いつかは絶対に書きたい。
心が弱いって言われて続けてても、変わり者だと評され続けたからこそ、書けるものってあると思うんだよ。
前に、不幸になる事で復讐を果たそうとする人が結構いるって話を聞いた事がある。自分がこんなにも不幸なのは蔑ろにしてきたお前たちの所為だって示すんだって。昔の私みたいだなって思った。今の復讐の手段は『私が幸せになる事』だと思ってて、結構出来てるなって思うんだけど、ふとした瞬間に当時を思い出しては不幸へ続きそうな道を選びそうになる。
「お前達の罪の証はどうしようもなく不幸になったこの私だ」って宣言してやりたい気持ちがいつまで経っても消えない。多分消えないんだと思う。
でもそれ以上に私を大切にしてくれる人を悲しませたくない気持ちがあるし、何だかんだ生きて幸せな毎日だからその選択肢を取らないだけ。
私を傷つけてきた奴等、大なり小なり思う事はあっただろうね。だから贖罪と言わんばかりの言葉を送って来たんでしょう。或る種、復讐は果たせたのかもしれない。自分の言動で自ら消える事を選んだ子供が一人いた事を思い出す瞬間があったなら、そしてそれで心が少しでも暗くなるのなら、私が飛んだのは無駄じゃなかった。でも、意味もないって知ってる。もっといい方法があったとも思う。もう分からなくなったけど。それに、心が痛まないタイプの人間には効かないだろうしね。
昔から幾つか座右の銘と言うか自戒の言葉みたいなものがあるんだけど『他人の不幸を笑う人間は、自分の幸せを喜んでもらえない』し、『過去と他人は変えられないけど、自分と未来は変えられる』し、『誰かを傷つけた人間は、誰かに傷付けられる義務を負う』と思ってる。だからきっとこれからの私にできるのは『なるべく他者も自分も大切に扱って、傷つけたらすぐに謝罪して、行動を見直して未来を良くする努力をする』事なんだと思う。その努力の一つが小説を書く事なんだけど。
誰かの言葉に傷付けられる事もあれば、勇気を貰ったり癒される事だってあると思う。だからなるべくなら良い言葉を使おうと思う。『綺麗』だとか『美しい』よりも、『良いな』と思う言葉遣い。
いつか言葉を綴った結果が出せる時が来ますようにって、祈りながらこれを書いてる。