▼2025/09/26:霜が降りる前に枯れた木の葉、染まる事すらできないで
言葉を綴る趣味を持つよりも前の事を思い出す。小さい頃から本を読む事が好きだ。今も読みたい書籍が絶える事は無くて、来月のお給料で購入したいシリーズがある。『光が死んだ夏』と言う、今アニメも放映されてるホラー要素と青春もの要素が絡み合った漫画作品。主題歌がとても良くて、イラストも好みで購入を決めた。元々SNSで話題になった頃から気にはなっていた。只、主人公が不幸になる未来しか見えなくて手に取れなくて、でも気になり続けて主題歌を聴いてみて(正確にはMVを視聴して)私が彼を不幸と断じるのは早計だし展開が気になり過ぎるので思い切って購入してみようと決めた。主題歌もダウンロード購入して、今も聴いている。MVを視聴した時私はいつの間にか涙を流していて、繰り返し聴いていると胸の奥が引き絞られる感じがした。
人は誰かの死に引っ張られる事がままある。ご遺体や血液は穢れとされたし(後世から見れば医療的な側面が強いんだろうけど)、殉死と言う文化があるかと思えば自死を最大の禁忌とする宗教の教えもある。『死』と云う言葉や文字自体を忌み嫌う人がいるのはおかしい事じゃない。生命にとって最も恐ろしい事を避けるのは自然だ。だから様々な代名詞的な表現として『無言の帰宅』『他界された』『永眠致しました』『お隠れになる』とかの言葉達が生み出されたんだと思うけど、最近、それらの言葉を知らない人が増えているらしい。年齢は様々みたいだけど、決して若者とは呼ばれないであろう人達も居るそうで、彼若しくは彼女に『何故シンプルに「死んだ」と言わないんだ』と逆ギレされたとの記事だったと知って正直驚いた。
当該の記事は『無言の帰宅』が分からないパターンだったらしい。分からない事自体は恥ずかしい事じゃないと思う。ただ、その後の台詞が良くなかったんじゃないかと思った。「そう言う表現があるんですね。勉強になりました」とか「教えてくれてありがとうございます」とかせめて「初めて聞きました」とか言いようは幾らでもあると思う。これらの言葉や近い意見を述べていれば此処まで話題にならなかっただろうし、十年以上読書をしてきた人だとの事なので、どんなジャンルを読む方なのか気になった。
無言の帰宅。思えば最近見聞きしていないかもしれないな。でも今までのどこかで知識として吸収して自分の語彙に追加したのは確かだ。今は何て言うんだろう、事故とか事件でお亡くなりになった方をご自宅へお送りして、皆で迎えたとの報道を耳にする機会がめっきり減った。
慣用句とか諺とか故事成語、比喩表現とか広く一般に知られる表現は時代によって変わるのがまあ、通常なんだと思う。私も年齢を重ねるにつれて趣味の作品中で使う言葉や語群は変わって来た。例えば一時『得心した』、『直截な』、『如何せん』を多用していたし、今は『殊に』、『殊の外』や『閑話休題』を使う機会が多い。それと直喩よりも暗喩を使う方が好みだ。書く側としては、だけれど。漢字の画数は多い方が文章が詰まって見えて好きなので旧字体や異字体を使いたいと感じる。かと言って読めなかったり通じなかったりすれば意味が無いから程良くひらくようにはしている、と書くと何を『ひらく』んだ、と訊かれるんだろうか。漢字でも書ける言葉を筆者が意図してひらがなで書く事を言います。皆さんはきっとご存じでしょう。
先述の閑話休題とか虎視眈々、群雄割拠、渾然一体とかの四字熟語ならどうなんだろう。多分通じないな。エンターテインメントの書籍ではあまり使われない、なんて書いたら気に障るかな。
言葉を知らない事は恥ずかしい事じゃないけど、知らない言葉を知った後の振る舞いで貴方の教養の程度が伝わるんじゃないかな。『沈黙は金、雄弁は銀』って言うし、知性と品性と人間性は言葉選びにも如実に表れる。
まあ、かと言って難し過ぎたり場にそぐわない表現ばかり使うのもよろしくないんだけどね。適度に平易にしておいた方が軋轢は生まれ難い。接客業してても思うよ。この前『釈迦に説法』が通じなくて驚いたんだけど、お母さんが「多分それは通じないのが普通」って言われて更に驚いた。じゃあ何て言ったら通じるんだろう?と訊いたら「馬の耳に念仏じゃない?」って言うからうちのお母さんが活字を読まない人だと思い出した。勿論訂正してる。
他にも高齢の女性(若しくは容姿から年齢を推し量れない女性)を『ご婦人』って呼ぶんだけど、少し丁寧すぎるらしい。難しいなと感じる。
趣味の小説では漢字の使い分けにもついこだわる性質で、『きく』は『聞く』『聴く』『訊く』から選んで使い分けたいし、『効く』と『利く』は似ているようで違うから面白い。『かく』も『書く』『描く』『画く』から最も適してると感じる物を使う。だから『手書きMAD』って書き方に違和感を覚えがち。他にも『とる』は『取る』『摂る』『採る』のどれなのか考えて間違えないようにしたい。漢字の違いって意味も変えてくるからついついこだわりたい凝り性の自分が指示を出してくるんだよね。
だからと言って完璧な文章は書けてないと思ってる。誤字脱字チェックも欠かさないけど漏れがあったりなんて日常茶飯事だ。ただ、知らない事を指摘されて恥ずかしい事だと思うよりも学びの機会と思う方がポジティブで良いと思うんだけどな。知らない事を素直に『知らない』と言える環境じゃなかったかもしれないなんて空想する。
比喩表現も同じようなもので、『道に迷った仔兎みたいだね』なら『怖がっているの?』と妖しく問い掛けてるみたいに思えるし、『やっと刃が此方へ向けられ始めた』なら『ついに敵意を持たれたと気付いた側』の心情に思える。『供された馳走の帯を解く』なら『夜の営みの始まり』かもしれないし。
まあこれは書く側のセンスの問題かな。伝わらなかったら意味が無いのが辛い所だけど、同時に面白いと感じる要素でもある。教養って色んな方向性があると感じてる。例えば映画や文学作品に詳しいだけでなくそれらに付随した歴史的知識とか地理、伝承、寓話とかの覚えがあるとより楽しめるから、人は書籍や文章、映像や音楽に触れるんじゃないかな。勉強するのが面白いのってそれらの入り口に立てるからだと思う。
日本ってさ、義務教育で色んなことを教えてもらえるじゃん。楽譜の読み方もミシンの使い方も、栄養学的知識も宗教学のまくらも美術作品の○○派も木工作品の鑢の掛け方も、中学卒業までに或る程度吸収できる。それをとっかかりにして興味のあるものの学びを深めるのは、良い事だと思ってる。学校の図書館で読める本にはきっと色んな言葉が載ってるし。
さっきね、『自分の知らない言葉や表現を使われると腹がたつ人』の話を読んだ。馬鹿にされてると感じるらしい。『そんな事も知らないのか』って言外に示されてる気分になるのかな。嘲笑する心は無いんだけど、じゃあもっと自分を高める努力をすればいいのにとは思う。知らない事を教えてもらえてラッキーくらいでもいい。きっとこれは私が興味の範囲での勉強が苦にならないタイプだからで、もしこれが生まれつきなら遺伝子に感謝かな。あと環境にも。
自分が知らない事を疎ましさの始点とするよりも『無知の知』を得る方が、だいぶん人間らしいと思うんだけどな。
気付いてると思うけど、この記事はわざと難解な表現を織り交ぜて書いてる。私の日記の読者さん達はどんな風に思うのか気になったのと、長年読書に親しんできたと宣ってたらしい『無言の帰宅』を見た事も聞いたことも無いと相手を全否定した人への意趣返しとして。
……もしかして『宣った』とも知らないとか言わないよね?『意趣返し』は通じる?『無知の知』は?とか煽りたくなるあたり私も修行が足りなそうだけど。
ただ、世代によって通じない言葉があるのは仕方ないと思う。どうしたって触れられるツールや媒体は変わって来るし、場合によっては発禁とかあり得るし。残酷すぎるからという理由で全国の学校の図書室から排除された漫画を読んだ事があるんだけど、『残酷すぎる』って思えるくらいこの国の今は平和なんだろうなって感じるしね。
グリム童話とかは原典の時点では恐ろしいにも程がある倫理観に欠けるものが多いと聞いた事があって、まあ具体的に言うと白雪姫の目覚めた後の顛末とか、シンデレラの継母は一人じゃないとか。『グレーテルのかまど』って番組のタイトルを知った時は驚いた。魔女を突き落としたかまどで何をするんだろう。人魚姫とかもさ、王子様を殺せなくて最期は泡になって消えるとか知らない人も多いらしいし。『赤い靴』のカーレンがどうなるかとか、ハーメルンの笛吹きとか。
童話って優しくない話の方が多い、と思ったけど、当時の社会を反映しているなら致し方ないかも。童話はつまり民の話だから、嘗ての時代の『標準』『基準』『世相』『民意』が絡まない方がおかしいもんね。
で、現代では『残酷すぎて教育に良くないから』改訂されるか削除される事もある。
前項の学校から排除された漫画って言うのは『はだしのゲン』の事なんだけど、私は小学生の時に当時出版されていた分を全部読んだ。まあ確かに残酷っちゃあ残酷だけど、実際に起きた事なんだし勉強も兼ねて読んでおいても良いと思うんだけどなぁ。右翼左翼は抜きにしてね。
大昔の話って言われるけど、『サド裁判』を思い出した。いつだって、書籍の上で描かれる物語よりも現実の方が余程残酷だよ。
文字で人を殺す事は意外と簡単だけど、救う事も割と簡単なのにね。