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▼2025/09/25:替え歌を口遊むくらいにはご機嫌、それは只の文字列だった

精神科の診察に行ってきた。月に一度の定期的な奴で、今の先生に初めて自分の病名について疑問をぶつけてみてる。
結論と言うか、病名はあくまでも治療の指針を立てる為のヒントみたいなものらしい。幾つかの診断基準やその病気で起こる症状を満たしていればこの病気と『仮定して』治療する。薬とか認知行動療法とか心理的な治療とか、沢山ある中から『まずはどれを使ってみるか』を決める為の物。
私は結構長い間自分の病名に疑問を持っていたわけだけど、診察後の今は病名そのものがあまり意味の強くないものと感じてる。私が与えられた『統合失調症』と疑いを持つ『気分障害(恐らく双極性障害)』の間にはグラデーションの部分があって、其処に居る人達が与えられる可能性があるのが『統合失調感情障害』らしい。両方の要素を持っている人と言うべきかな。
『統合失調症』と『双極性障害』は似通った病気でもあるらしい。だから片方の診断を受けている私は、もう片方の病気を彷彿させる症状があってもおかしくない。だけど、どっちとも言えるしどっちかだけとも言い難いから『統合失調感情障害』かもしれない。らしい。ちょっとはっきりしないなと思ったけど、血液検査やMRIで見つけられる病気じゃないから仕方ないのかもと感じて、すっきりはした。目で見てはっきり判別できる数値の異常や病巣もない病気に、正確な名前を付ける事は難易度が高いと感じたから。
躁に寄っている事は先生はあまりよく知らなかったらしくて(この前診察日の関係で今の先生に戻ったから)、どれだけエネルギッシュなのかとか活動的になっちゃうかを説明したけど、説明している時の私はテンションが低くて(仕事で疲れて眠かった)あんまり深刻に捉えられてはいなさそう。夢をはっきり見る事は興味あるみたいだけど。どんな夢を見るのか訊かれて『好きな漫画のキャラが出てきて、こんな展開なら良いなって思う夢が見られる』と答えたら『何て漫画なんですか』って突っ込まれた。ぶっちゃけBLっぽい話題に触れないように持っていくのが大変だった。夢は心理的な物が大きく映し出されるから気になるんだと思う。前にもここに書いた守って貰えなかった自分を救いたいから好むキャラが居る事も話した。
職場での話は『本音と建て前を巧く使う』『自分を守る嘘はついた方が良い』が主なアドバイスで、私含め精神的に幼い傾向がある人や発達特性のある人は、つい本音100%で話をしてしまって嫌われる事も多い。この場面で何を言うのが適切なのかを考えた上で♂Rをつく事も必要だし、その嘘は悪いものじゃない。『ホワイトライ』だったかな、自分と相手を守るための嘘。嘘を吐くのはいけない事だと思って来たけど、これにも『時と場合』が適用される。相手を傷つけない為なら必要な嘘はついて良いし、それは嘘じゃなく『建て前』だと。
昔から『素直』と評価される事が多かったけど、嘘を吐かないんじゃなくて『吐けない』んだよね。『この場では本音を話さない方が良いと判断できる機能』が一般的な人達よりも弱い。だから意図せず他人を傷つけるし、相手を慮って適切な言葉を選べない事があるから『他の人の気持ちを想像する機能』も弱いってこと。自分に置き換える事は出来るんだけど、自分が嫌じゃなかったらやってしまったり言ってしまう。この辺、私の発達特性にも関わってきそう。
嘘をつく事が悪いんじゃなくて、結果誰かを傷つけたり不快にさせたり不利益を被らせることが良くないんだから、何でもそうだけど『使いよう』だし『嘘も方便』なんだろうな。
人には誰でも表裏があって、それは悪い事でも何でもない当たり前の事。本音で誰かを傷つけたり自分の立場を悪くするくらいなら、職場では本音を出さなくてもいいというのが先生の意見。私もおおむね同意。ちょっと罪悪感があるけど多分慣れる。
店長のシフトや休暇については、大きな問題が起きない限りは私からは何も言わない事にした。折角高評価を得ている今を壊すくらいなら、長い目で見て変化を待つ(例えばさらに上層部の人が店長へしかるべき措置を取るとか)方がメリットが多い。今の所私と店長は良好な関係だし、私自身が無理をしなければならない事態には陥っていない。他の人に皺寄せが言ってる。で、元々有能で優しい人が割を食うんだよね。それが私は許せない。
店長に能力が無いとは言わないけど、何だろう、かなり鈍感な気がする。言われないと伝わらないし、分からないし発想も出来ない。それこそ相手の気持ちや感情を想像できていないと言うか。
決めつけは良くないのは大前提として、コミュニケーション能力のレベルと想像力のレベルが合ってない人かもしれない。優しさと思い遣りは違うと言うか、優しくても思い遣りの無い人って意外と多いんだよね。似てるんだけど両者は結構違う。優しさは主体的な物で、思い遣りはそれを使用して発展させた結果出来るようになるものと言うか。
例えば、階段で重い荷物を運んでいる人を手伝う。それは優しさであり思い遣りでもある。けど、その荷物がもしも他の人に触ってほしくない物(例えば医療機器)だったとしたら、無言で持ったり支えるんじゃなくて「お手伝いしても良いですか?」って一声かけて≠げる方がベターとか。うまい例が思い付かなくてごめん。でも、『自分がこうした方が良いと思ったから動く』よりも一度考え問い掛け声掛けをして、『相手はこうされたら嬉しいと言ってくれた、示してくれたから動く』の方がベターなんじゃないかと思うんだよね。
例えば、迷子を見つけたけど『いきなり知らない大人の自分が声をかけるのは怖いと思われるかもしれない』って考えて近くの交番や駅の事務室の人にお願いするとか、自分よりソフトな印象の人に依頼して、自分は警察に報せるとか。相手がどう思うか、考えるフェーズを挟むのが思い遣るって事だと思う。だから適度な想像力は大切。で、うちの店長はそれが他の能力とレベルが合って無いんじゃないかなって考えてる。
まあ大なり小なり皆そう言う物は持ってるんだろうけど。得意な事と苦手な事の凸凹が激しいと診断とかの対象になるけど、そう言う特性って結局はグラデーションだから。そんで、そういう所があるからって店長を嫌な人だと断じるのも良くない。人には色々な面があって、誰でも長所と短所が存在するし場面によっては入れ替わる。強みと弱みは表裏一体。人は白と黒で別けられない、グレーのグラデーションの中に居る存在なんだ。

って、解かってても気になっちゃうのは最早私の性格なんだろうな。正しく在ろうとすれば必ず報われるみたいに考えちゃうところあるし。人生そんなに甘くないのにね。

変わらず私は白黒思考をしちゃうし、0か100で考える癖がある。他の人が本音と建て前を使い分けていると想像し辛いし、つい自分を開示し過ぎてしまう。自覚する前よりは大分楽にはなったけど。気付いてからは治せるようになったし、巧く振る舞えるようにもなった。後は心の中の変な罪悪感を減らしていくのが良いんだと思う。
前からさ、自分が子供っぽいって感じてるの。良くも悪くも純粋と言うか。それと、他者と自分の境界も曖昧になりがち。時々だけどね。それが自覚できる程度には軽度な症状なんだと思うし、自己分析が出来てると思う。だから俯瞰視は出来るようになった。
もしかすると、医療に繋がってない人とか、繋がる必要が無い人は、こんな風に深く考えたりしないのかもと考える事が増えた。考えないからやってしまう事って多い気がしててね。『ちょっと考えたらこうなるって何で分からないの?』って事、ニュースとかでよく聞くんだよ。でもそう感じるのは『たまたま』考える能力を持ててるだけかもしれない。明日は我が身だし、人の振り見て我が振り直せだし。
けど、人として間違った事をしていない人ばかりが割を食うのは如何にかならないのかな。私が出来る事、そしてしたい事は割りを食ってる人を助ける事かもね。


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