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▼2025/12/22:充電式の私、電源は貴方じゃない

最近、英語の動画を見る事が増えた。
正確には、英語と日本語両方の字幕が付いている、英語で話している動画。去年の12月初めにデュオリンゴをインストールして英語の勉強をスタートしたけど、いつの間にか大体の英会話で何を話しているかが理解できるようになった。自分で話せるかはまた別みたいなんだけど、英語で話される内容をそのまま聞いて理解して、脳の調子が良ければ日本語に訳せるようになった。直訳だけじゃなくて翻訳も出来る。
日本語の歌を英語に訳して歌っているものを聴く事も多いんだけど、ああ云うのって直訳ではないから多少の表現のブレみたいなのがあるんだよね。で、日本の人が日本の曲を英訳する時にもそれは現れる。その時に『この抽象的な歌詞を此処までシンプルに訳せるんだ』と驚いたり『この訳、言葉選びがかっこ良すぎる』と感動することもある。でもそれって、自分がある程度英語が出来ないと出来ない感動なんじゃないかってこの前言われた。少し前にデュオリンゴのレベルがまた一つ上がって、ネイティブじゃない英語話者としては充分に業務で使えるレベルの英語力だと評価された。本気を出せば英検準一級以上も狙えるらしい。リーディングとリスニングに偏った成績だから、実際に喋るとなると文法は滅茶苦茶になる事も多いけど。
で、耳を英語に慣らすのと勉強の為に英語の動画や曲を聴いてるという話。デュオリンゴのレベルが上がるよりも少し前から、周囲から聞こえる日本語を無意識に英語に訳す癖もついた。そして日本語で言うべき普通の場面で英語が出てきそうになるようにもなった。『それは違います』と言うべきなのに『That's wrong』と言い掛けたり(表現としては強めの言い方らしいので、目上には良くないかも)声をかけられて『どうしました?』と返すべきなのに『What's up? 』になる。英語かぶれだよね完全に。何処?も何故?も誰の?も英単語で脳内に浮かぶ。此処まで来たらいっそ苦手な発音も頑張って英会話に本腰を入れるべきな気もする。発音は未だにカタカナなんだよね。
とは言え紙の上(若しくは画面上の)成績だから実践でどこまで使えるのかは未知数。ただ、英語の語彙が増えていく過程も面白いし元々は英語圏の作品が訳されるのを待てなかっただけだから、文章が理解出来さえすればそれで良かったりもする。

そんでさ、英語圏の人々の発信を見る事も増えた結果、日本の教育はまあまあ良く出来てるなって感じる事が増えた。義務教育をしっかり受けてれば然程困る事は無いでしょ。高校以上の知識もあった方が有利なのは確かだけど、少なくとも日常生活で買い物とか家事をする分には中学までの知識で充分生きていける気がしてるんだよね。役所とかの手続き関係は置いといても、その知識を理解するための前提知識は中学卒業までには或る程度身に着ける素地が出来上がってるのが日本と言う国な気がしてる。
識字率ってあるじゃん。日本は確か100%だった筈だけど、先進国のなかだとトップらしいね。アメリカでも人口の内幾らかの人は英語を話せても読めないし書けないし、自分の名前のスペルも怪しかったりするらしい。ってことは日本で中学を卒業して高校に合格できた人って(偏差値は一旦置いとく)一部のアメリカ人よりも英語ができるって事だよ。そんで、私の英語のレベルは日本の高校三年生の人達の中でも上位数%しかいないレベルの高さまで行っちゃったらしい。
オタク関係で長年お付き合いのある外国人のファンの女性が居るんだけど、彼女は初め翻訳機を使って私と話してた。でも途中から自分で英語を日本語に訳してメッセージをくれるようになって、今では流暢に操ってる。だから彼女に『日本語勉強するの大変だったでしょ。頑張ったね』と言ったら『読みたい作品が訳される前の文章で読みたい』んだって。心底尊敬した。やっぱり語学を勉強する時には『楽しみたいコンテンツを思う存分味わう為』っていうモチベーションが効くんだね。
好きこそものの上手なれってよく言うけど、好きになりかけの物をより好きになりたい時にも人は努力出来るらしい。そしてその勉強の素地は義務教育の中にあるんだろうなってよく思うんだ。大人になると勉強する時間も取れなかったりするし、学生の方は将来の自分の趣味や娯楽の為に勉強してみたらどうだろう。
大人になると勉強したくなるって、この結果かもしれない。

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