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▼2025/12/19:三角錐の輝きを纏う、氷上のバレエシューズ

昨日の記事、自分で読み返すと『一読するだけだと病んでいないように思えて、しっかり病んでいるな』と思った。そしてそう思えるのはどうやら、そこから抜け出し掛けているかららしい。相変わらず気分の上がり下がりが激しい性分だが、現在の気分が良いのならば別に構わないか。

最近視聴し始めた動画チャンネルでは、お薬の情報を発信している。私が現在処方されているお薬も紹介される事がある。精神科のお薬と言うのは食欲増進や代謝異常などを引き起こすものが多くあるが、例に漏れず私も一時体重が増えた。今もギリギリ標準体型と言った感じで、ただへこむべきところよりも出ているべきところが出ている事や、洋服の上からだと分かり辛い場所にお肉がついているので悟られ辛い。
鬱転や天候諸々による体調不良でここ最近、夜中に食べたい欲と闘う事が増えた。折角今年一年かけて減らした体重が少し戻ってしまったのだが、今年ももう終わるし鬱転から完全に抜け出せていない以上は今年いっぱいは緩めの制限で行く方が良さそうだ。何より、『食べてもいい』と思うと逆に『じゃあ今は食べなくていいや』と思う事が増えた。私と言う生き物はあまのじゃくである。

可愛い洋服を可愛く着る為に痩せていたいし、健康の為にも痩せていたい。痩せと言うよりは標準の中のやや下くらいを目指すべきか。高校生の頃はBMIが17くらいだった時期があって、あの頃は何故あんなに痩せていられたのか疑問に感じる。代謝の問題かとも思うが、恐らくは初めての精神科閉鎖病棟への入院で食生活や運動などをほぼすべて管理された中、毎日たくさん歩いて(何故かは分からないが、廊下を歩くのが入院患者の娯楽の一つだった)強制的に早寝早起きだったからだろう。ちなみにおやつは食べても良いとされていた。
となると規則正しく起きて決まった時間にバランスの良い(この病院は規則には厳しいが兎に角ご飯が美味しい)食事をとって或る程度運動して決まった時間に布団に入り眠る、と言うのが基本の痩せ方なのは間違いない。いや、分かってはいる。適度な運動と食事と睡眠が一番効果的だって事は。でもそれが出来ないのが俗世界と言うやつなのだ。
鬱転していると兎に角何をするにも億劫だし疲れやすくなる。しかし隙間時間にストレッチをしたり筋トレをする事くらいは出来たので実行中だ。出来ない事を悔み責めるよりも、出来る事を淡々と行う方が気分も幾分かマシだ。友人も頑張っている踏み台昇降は結構休んでしまっているが、代わりに(自分にとって負荷がかかりすぎない)プランクやスクワットなどをしている。ツイストプランクを1分半やるだけでも結構疲れるし、スクワットは色々なタイプがあって飽きにくい。椅子に座ったままできる筋トレは腹筋周りに効くものも意外と多い。

例えば今日5分筋トレが出来たとして、全くやらないよりは遥かに良いのだ。それが続いていくともなれば尚更。

ふと思ったんだけど、私は今の仕事に就いて半年以上たって、初めの頃よりも運動に割ける時間と体力が増えたように感じる。初めの頃は毎日筋肉痛だったのに、今は帰って来てから夕飯を食べて趣味としての運動が出来る日が増えた。疲れ果てて布団へ直行することも無い。
そうなると、結構頑張れている日々なんじゃないか。自分を卑下する必要なんて無かったかもしれない。気付いたら出来る事も増えて、ああ、こうやって慣れていくんだろうか。

仕事に全力投球しない事が今の職場に就く時の目標だったんだけど、時折力が入り過ぎる事があっても、余裕でこなせる日も無いわけじゃない。力を抜いて楽しめている瞬間だってある。無理に頑張る事を頑張ろうとしなくても良いのだ。出来なかった事が或る日突然、いつの間にかスッと出来るようになる瞬間があるみたいに、今はタメているだけだって思った。
目の前の、出来る事を淡々とこなす。なるべくなら笑顔が良いけど満面の笑みじゃなく微笑みくらいで充分。失礼な言葉を使わず、相手を否定しなければ充分。それで良いんじゃないか。

多分私は『甘やかす』よりも『許す』が良いんだと思う。100%でやらない自分を鼓舞するんじゃなくて、それで十分だって認めて許す。それで良いんだよ。私はよくやってる。

自分にかけてあげるべき事は、もう自分の中に満ち始めていた。良いじゃない。良い感じの自分だよ。極端な事なんてしなくていい。ただ、私が私であるだけで良いんだ。

もしもまた自分を追い詰めそうになったら、今できている事を書き出してみてもいいかもしれない。読み返したら今の気持ちを思い出せる。道しるべとして書き置いておこう。
さて、ちょっとだけ可愛い物を見てから寝ようかな。

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