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▼2026/07/28:補おう 足りないからと努めても 生まれながらに埋まらない溝

最近、たまに考える事。
私は以前知能指数を測るテストや発達障害の可能性があるか明らかにするテストを受けたんだ。結果は前に書いたね。知能指数は平均のど真ん中で、発達特性は有っても障害とは呼べないグレーゾーン。その後で障害者職業センターって言う施設で適性検査みたいなのも受けた。こっちの結果では、出来る事と出来ない事の差は確かに激しい。でも、知能指数が低そうとは言われないし、凸凹が激しい人なんだねって言う結果。
多分このブログを読んでくれている貴方なら分かると思うんだけど、私は自分の考えを言語化する能力には長け過ぎている。その代わりというべきか、数学に関する業務は苦手な傾向がある。表計算ソフトとかは大の苦手だし、学校では二次方程式の当たりからほとんど授業内容について行けてなかった。
一応、高校には入れた。現国よりも古文や英語の方が得意で、もっと言うなら歴史とか化学とか生物の方が前者立ちより得意で、でも物理と数学と地理は苦手。だから『文系』『理系』に分けづらいタイプだったような気がしている。
色々あって初めの高校は卒業できずに別の所を卒業して、今は社会人になって十年目。何だかんだ普通に生きている(若しくはそう言うふりをしている)と思う。
社会人になった頃くらいから『地頭が良いね』と言われる事が増えた。初めて耳にしたのは薬局に勤めていた頃で、薬剤師さんに言われたと記憶している。多分彼女は褒めるニュアンスで使ったんだろうと思う。その頃私は医薬品登録販売者の資格勉強をしていて、思いの外呑み込みが早かったから。通信教育のテキストも使って勉強して一年目で合格した結果に鑑みると、その言葉は適していたんだと思う。これが8年くらい前の事なんだけど、その頃から彼方此方で『地頭が良い』に類する表現を見聞きするようになったように思う。
辞書を引くと『地頭』には歴史的用語の(役職の事らしい)『じとう』と生まれ持った思考力やモノを見て推測する能力の『じあたま』の二通りがあって、よく聞くのは後者だよね。
前に『地頭が良い』は誉め言葉じゃないって言う意見も目にした事はある。その用例だと『貴方は学校の成績は良くないけど、励ます意味でこう言うね』みたいな言葉だって意見だった。まあこれは一応例外で良いのかな。誉め言葉として使う言葉が逆の意味を持つ事っていくらでもあるし、通常謂われる『地頭』って言うのは『生まれ持った脳の力』みたいなニュアンスで良いと思う。
私は今趣味で英語を勉強していてわりと捗っているけど、この事を知り合いや友人達が知った時『貴方は地頭が良いから』って口を揃えて言われた。生まれ持った脳の力がそうさせるっていうのは、まあまあラッキーなんだろうなとは思う。ただ、知能指数は日本人の平均値(110)よりはやや下なんだよね。ほんの少しではあるんだけど。世界規模で見ちゃったら案外上の方なのかもしれない。平均って一人だけ高すぎても上がっちゃうもんだし、識字率がこれだけ高い国で何を言っているのかって話でもあるから。
私が知能テストや発達検査を受けたのは、自分の生きにくさが知能由来なんじゃないかって言う疑いを持ったからだ。結果的に非定型発達、つまりはグレーゾーンだって分かって『本当に診断がつかないんだ』と納得出来て良かったけど。
知能指数だけなら私は健常者なんだよね。しかも所々では突出してる。
この前お店にお買い物に来てくれた人が多分知的障害を持っているように感じられる人で、でも普通に働いて動物を育てる事も出来ている。理性を持って自律した行動をとれる。このレベルの人なら、社会生活を営むのは大変かもしれないけど、受け入れてくれる人達は沢山居るんだと思う。
問題なのは、受け入れられにくいタイプの障害を持つ人達なんだろうなって言うのが最近たまに考えてる事。
自分をきちんと理解できず、指導や支援に素直に応じられず、要所要所で助けを求められず、自分で努力すべき場面で頑張れない人。言ってしまえば『扱い辛い』人。でも本当なら、こういう人の方を優先して助けないといけない。それでも本人がそれを拒否するとか、周囲が阻害する。そのまま過ごす中、法に触れてしまうこともある。でもそれが何故駄目なのかを理解できないから正しく指導されず罰されることも無く、野放し状態になるからますます孤立する。
日本以外の国にも沢山居るんだろうけど、こう云う人を前にした時私はすごく怖くなるんだ。自分もこうなる可能性はあった事と、もしこの人の気に障ってしまったら何が返ってくるんだろうって。
もう十年前になるのかな、重い障害を持つ人達が沢山殺された事件があった。犯人がやった事は勿論許しちゃいけないんだけど、考えには賛同できてしまう部分があった。障害を持っている事を理由に健常者と同じように裁かれないんだったら、その人を人間扱いしていないのと同じだって、ずっと思ってたから。
私はたまたまメンタルの病みが自分に矛先を向けるタイプだったから、自分以外を物理的に傷つけようとした事は無いよ。ただ、もし、幻覚や妄想のままに誰かを傷つけていたらどうなっていたのかと怖くなってしまう。
正常な思考を保つのって意外と大変で、少し疲労がたまっていたり睡眠時間が短かったりすると簡単に認知が歪んでしまうと感じる。病気の特性である連合弛緩で考えと物事の結びつきが緩いから、簡単に考えが飛躍してとんでもない被害妄想に陥ったりもする。最終的に全部やめてしまおうかと考える事もある。『疲れてるだけだな』って分かるから考えるだけだけどね。錯覚に近いものだってわかってる。いくつかあるの条件のひとつが外されると途端に不安になるのも特性だから、そう言う時は毎回自分に『これで世界は終わったりしない』って言い聞かせてる。

問題は、これが出来ない人も多いし、上で語ったような人たちは大体が難しいんだろうなって事。自分について深い所まで考えて知る事とか理解することって結構難しいし、当たり前に出来る事ではないんだなってよく思う。逆に言うと、これが出来るから私は『地頭が良い』って言葉をかけられるのかもしれない。
自分の中に深く潜って『私は本当は何を考え、欲しがっているのか、やりたがっているのか』って考える癖があるのはそれも理由の一つなんだと思う。だから言葉を操る事に長け過ぎているのも、悪くはなかったのかもしれない。時々痛い所に触れてビックリしちゃうだけで。
明日の私は何を考えるのか今の私には分からないんだけど、多分未来を良くしようと努力することには変わりないんだと思う。本当は、生きるのって面白いからね。

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