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▼2026/08/02:六秒後形を失くすそれの為 振られる拳 誰が為と問う

主語が大きくなってしまうけれど、この世で生きている人間は何かに怒る事で己を保つ人が結構多いんだなと感じる今日この頃。私含めね。世界では色々な問題が起こっては解決されたり改善されたり逆に悪くなったりする。問題視される場面とか対象とかは色々なんだと思うけど、自分には何の関係もない事(関係させた方が良い事は除く)で異常に怒っている人を見る度身につまされるというか、私もああいう風に怒っている事があるなぁと感じては羞恥心に近い何かが刺激される事があるんだ。怒った方が良い事はたくさんあるし、自分事として考えた方が良い問題だっていっぱいあるんだろうけど、『怒る』まではいかなくても良いのになと思う事が最近増えてきたんだよね。

『怒る』と『抗議する』は似ているけれどきっと違って、『意見を言う』と『中傷する』も似ているようで決定的に違う。行動内容が似ていても意味合いが全くもって逆な事も多いと思う。『怒る』は感情の発露で、『抗議する』はそれも踏まえて現状をより良くしたいからする行動の事だと私は思っていて、『意見を言う』とも似ているし割りとニアリーイコールだと思う。『中傷する』は文字通り加害の行動だけど、『怒り』と言う感情が無いとこれは成立させ辛いんじゃないかと感じている。
『怒り』ってさ、ちょっとしたきっかけで抱いたものなら、それを抱いた瞬間から6秒くらい経ったら消えちゃう事の方が多いんだって。感情の中でも寿命が短いのか、他の感情もそうなのかは分からないけど。確かに、怒りを抱いた瞬間から無言で6秒数えたら冷静に近くなるかもしれない。それでも消えなかったらただの怒りじゃないのかもね。
最初の話に戻るけど、世の中には色々な問題があり過ぎるわけじゃない。でもそれに『怒って』文句を言って誰かを傷つけるような行動をとってしまうまでには幾らかの時間が流れている筈なんだよ。その間に冷静になれないのは『怒りの元』を反芻しているからかもしれないし、自分で増幅させるような行動をとっているのかもしれない。私は気があまり長くないから直ぐにムカついて腹を立ててしまうんだけど、それを表に出す事はそんなに無いんだ。自分の中で消化するようにしてる。主に6秒数えてから『でもこれで私が不利益を被るのか?』って考えて大体は『違う』から治まっちゃう。ただ、あまりにも自分に余裕が無いとか虫の居所が悪いとかだとインターネットやSNSに書き込んだりしちゃうんだけど。
この『自分に余裕が無い』『虫の居所が悪い』人が、思いの外この世界には多いんだと思う。『性質』じゃなくて『状態』だからだろうね。そして誰かや何かを批判したら自分もすっきりするし、世の中の為になる行動が出来ているように思えるから気持ちいいんだと思う。気持ちいいというか、快い、みたいな。
赤ちゃんってさ、『快』『不快』の二つから成長していくにしたがって段々と色々な感情が増えていくらしいね。人間の根源的な感情がこの二つなんだとして、誰かや何かを批判したり意見を言ったりで快感を得てしまった事で無意味に、例えばそれが何も生み出さず誰かを傷つけたりすっきりする為だけの物になってしまうんだとしたら、それを繰り返してしまうのは、或る種の退行にも思えてくる。
勿論批判し合って意見を戦わせて折衝したり現状を改善していくことも沢山あるんだと思うよ。人間ってそう言う性質の生き物でもあるんだし。ただ、自分が気持ち良くなりたいからって言う本当の理由に気付かずに言葉を振り翳したり怒りに身を任せてしまうのはどうかと思うんだ。
この考えに至ってしまって以来、私は私を含めた誰かが起こっている様子を妙に俯瞰してしまう事が増えた。自分に起こる事ならこれは『メタ認知』って言うらしいね。前から書いている通り、私はいつも私じゃない所から私を見ているからこの感覚が育ちやすかったんだと思う。何だろう、常にそうだっていう訳ではないんだけど、目線が冷めてるんだと思う。簡単に怒るのに冷めるのも早い。だからすぐに治められてしまう。
色々な問題に対して常に煮えたぎっている人はこんなにも早く冷めたりはしないんだろうか。それとも、直ぐに別の問題に対して怒ったり、怒りやすいポイントが絞られていて、刺激されると直ぐに燃え上がってしまうのかもしれない。
少し話がそれたけど、怒りと言う感情に任せて何かを批判して気持ちよくなってしまう性質を持った生き物が、その上で意見を戦わせて現実を良くする為に性質を利用するのか、誰かを傷つけて追い詰めてしまうくらい利用されてしまうのかに大別されるような感じがずっとある。そして両者は場面とか立ち位置で簡単に入れ替わるんだと思う。

今握っている拳の中の『言葉』や『意見』を、本当にぶつけても良い対象なのか。ぶつけられた相手は傷ついてしまわないか、ぶつけて何か改善されるのか。
その判断の為にも6秒間数える事にしてる。数えて冷まして、考える余裕を作ってる。その上でぶつけるべき時にはぶつけるし、ぶつけるって言う形じゃない方が良い時の方が多いから、良い感じの手渡し方を考えたりする。
どうせなら柔らかく渡して受け取って貰った方が嬉しいから。相手の受け取り方次第で私は悪者にもなれるし、その逆にもなれてしまう。受け取り方の問題な事だってあるけど、まずは手渡し方から考えた方が良いんじゃないかなって思うんだ。

ラッピングする余裕が無くても、持ち帰りやすいレジ袋くらいの優しさは持っていたいなって思うから、6秒間の沈黙を選ぶ。
まあ、これは相手がこっちに敬意があるって分かってる時だけの余裕なんだけどね。

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