▼2026/08/24:尖る 二次元と三次元の間 刺さる けれど 縫う事も出来る
繊細だね、と評される事がたまにあると同時に、結構大雑把な人間だという自覚もある。手先は器用だ。細かい作業が好きだし、ミニチュア作品も好ましい。味覚も比較的に鋭いし、嫌な肌触りの物に触れなければいけない時は戸惑う。でも痛覚は鈍い方だし、時折酷く他者の思いに鈍感な振る舞いもする。聴覚が過敏な方だからか、雑踏が苦手だ。ウォークマンが無いと外出が辛い。お風呂の蛇口がきっちり閉められておらずポタポタと落ちる水滴の音が特に苦手な雑音の一つで、見知らぬ子供の声もあまり得意ではない。泣く事でコミュニケーションを図る赤ちゃんの泣き声よりも、意味を中途半端に知ってしまったらしい年頃の子供の話し声が如何にも好きになれない。
結構前から『繊細さん』と言う言葉を見聞きするようになった。『HSP』とも称される、繊細過ぎる人、の事らしい。私はどうもこれに当て嵌まるのではないかと調べてみて、その中でも『HSS』と言う、『刺激も好きだけれど、同時に繊細過ぎて疲れやすい』タイプなのではないかと仮定した事もあった。
仮定≠ニ書いた事で気付いたかもしれないけれど、私は多分所謂『繊細さん』ではないな、と感じることが最近多い。大雑把な性格なのもそうなんだけど、繊細過ぎる人って『考えて、考え込み過ぎてまだ何も起こっていない現実を恐れてしまう』傾向があるように思えていて、私はそれに当て嵌まらなくなったからだ。
今の私は考え過ぎそうになった時、敢えて声に出して考えを整理したり文字にしてから俯瞰したりするようにしている。すると案外問題視しなくても良かったかもしれないと思い直せたり、気にしない状態で居られるようになってきた。
考えても考えなくても、これから起きる事象は何も変わらない。起きても居ない未来の怖い事を恐れ過ぎて何も出来なくなってしまうのは、まあまあ病的だしぶっちゃけ勿体無いように感じる。
個人的な意見を述べさせてもらってるのだから、批判されるのは承知で言わせてほしい。私は自らを『繊細さん』と称する人が少し苦手だ。扱いが難しい人なのかと思って身構えてしまう。加えて、繊細であることを免罪符に他者の気持ちを無視している傾向があるように感じられるのだ。
無視、と言うより『見えないし、予想できない』の方が近いだろうか。
「私は繊細さんだから、人と争うのは嫌いです」
「繊細さんなので、優しく教えてください」
「その言い方、繊細さんにはきつく聞こえます」
自分を『繊細』と言う割りに、それを聞かされた相手の事を軽んじてはいないだろうかと考えてしまう。
勿論、言い方の問題でもある。
「個人的に、誰かと競争するのはあまり得意ではないんです」
「穏やかな口調でご指摘いただけると、すっと入って来るので嬉しいです」
「至らない点が多くて申し訳ないんですが、少し、心に来ました」
みたいな言い回しだとどうだろう、最後のは大分苦戦して捻り出しているんだけども。これらの台詞はあくまでも想像上と言うか、こんな風に言えば多少なりとも聞き入れられるのではないかなと言う希望的観測を含んだ表現だ。
傷付くようなことを言われたり、傷つける目的で言葉を向けられたのなら怒りは表明しても良い。でも、揚げ足取りのように誰かの言葉を重箱の隅を待ち針で突くみたいに指摘できるくらいなら多分、その人の心は『繊細』と言うより大分『図太い』と私なら思う。
そして、自らを『繊細さん』と称する人にはこのような傾向が強いように思えてならないのだ。少し前でいう所のただ思い遣りが足らずに目上を憤らせたりケアレスミスが多くて周囲を振り回したりするような人が自らを「私、天然なんですぅ」みたいに言う感じ。それでいて自分にとって都合の良い人には笑顔で対応し巧い事立ち回っているのならばそれは寧ろ『養殖だろ? 瀬戸内海で美味しい餌貰ってぷりぷりに肥ってるんだろ?』って言いたくなるような感覚に近い。
繊細と評されるし、無邪気で子供っぽいとも言われる。でも自分自身では己の事を割と鈍感なタイプだなと感じる。特定の物が酷く苦手で、とっつきにくいとも言われてしまう。なのに見知らぬ人からは良く声をかけられる(主に道を訊かれるか、洋服やネイルを褒められる)私は、本当に自分は繊細なのか時々疑問に思う。枕が変わると眠れず、寝具が肌に合わなくても眠れない。冷蔵庫の機械音や虫の鳴き声が聞こえていても睡眠が乱れる。手先が乾燥していると気になって仕方ないし、ささくれが出来ようものなら爪切りで切り取らないと気が済まない。これらの特徴は恐らく『鋭敏』なんだろうなと感じる。
自らも創作をしている友人が何人かいて、彼女等から小説の感想をいただくのだけど、私は『感性が鋭い』し『想像している事に厚みがある』のだそうだ。小説の中でも描写が細やかで情景が想像しやすく、作品世界へ入り込めると。
これ等の感想をいただくには或る程度の繊細さが必要だと考えている。登場人物になり切って『今この瞬間、彼/彼女は何を思うどう行動するか』を考えないと私は書けない。妄想≠ニ言っているけれど、つまりは想像力を働かせるという事だ。繊細さがあれば相手の立場に立ってどのように思い考えるかを推し量れる事の方が多いと思う。想定していない事だって起こるし想像は100%は当たらない。でもだからこそ想像する。最良の道を選び取りたいから、と。そのエネルギー消費量が繊細な人には大きすぎるのではないか。だから誰かが言った何気ない一言をずうっと気にして落ち込み病み≠ノ近い状態に陥りやすいのではないか。そして、自らを繊細さんと評する人はそこまで考え込み落ち込む事は少ないのではないか。そう自称する事で自らが被る誤解の可能性へ、気付けないのではないか。
なんてつらつらと書いてみたけれど、これはあくまでも私個人の考えに過ぎない。ただ、『繊細過ぎるのであればそれを緩和する方法を模索しつつ、嘆くよりもその繊細さを活かせる場所へ行った方が良いんじゃないかな』と感じる記事を読んだだけだ。
そもそも繊細な事も図太い事も、程度問題であって何を基準にするかによるところが大きいと思う。この分野ではものすごく繊細だけど、別の部分では鈍感、みたいに。繰り返しになるけれど、繊細さを活かすも潰すも自分次第だ。であれば私は繊細で鋭い感性を利用して、言葉と言葉を糸で繋ぐように面白い作品を書いていきたいと思う。
与えられた特徴と特性と個性、まるごと有効活用したいじゃない。