memo

▼2024/04/27:巧く笑えなくても、ちゃんと泣けたらそれで良い。

今日も今日とて文を書く。書くと言うか正確には打つだけど。春本番と言える時期は年々短くなっているような気がするが、近くの公園では桜が満開だ。北の大地も漸く上着が不要な季節がやって来て、身軽に出かけられるのがとても嬉しい。昨日、予約していたロリィタのワンピースを受け取ってきた。サックスブルーでスイーツやぬいぐるみの柄が可愛らしい。休職して一ヶ月が過ぎて、時々死にたくなるものの、死にたくない理由も沢山あるので如何にかやれている。
今死んだら勿体ないと素直に思えるのはありがたい事だ。自分でも気持ちの切り替えは早い方だと感じている。少し落ち込んでも浮上するのに時間は掛からない。今だと五月と八月に観たい映画が公開されるのでそれが楽しみの一つだ。来てみたいお洋服も、やってみたいメイクも、食べてみたいスイーツもあるから生きていけると言うか、生きていく理由を毎日見つけて先の予定を見通せば如何にか死なずにいられる。
ふとした時死にたくなるのはもうどうしようもないんだと思う。これは生きていくうえで身についてしまった癖だ。死ぬと言う選択肢を持っておけば『いざとなったら死ねばいい』と思って生きられる。卑怯なやり方かもしれないし、本当に強い人はこんな手段を持たなくともきちんと生きられるんだろうけど。でも弱者には弱者なりの処世術がある。弱さ故に産まれる考えや気付きだ。物心をついた頃からずっとずっと死にたかった。これを書き始める少し前にも死にたい気持ちが浮上した。これはきっと生きていく上でずっと抱えていく特性なんだと思う。
特性と言えば、この前かかりつけの精神科病院で心理検査を受けた。予てから自分には発達障害の気があると感じていたのをはっきりさせるべく、何回かに分けて検査を行なって貰った。自分の知能指数も知れると言う。以前YouTubeで『境界知能』と言う言葉を知った。知的障害者とされるのはIQ70に満たない人達だそうで、平均は85〜120。その境界とされる70〜84までの人達を指す言葉だと言う。医療ではあくまでも一般の人達と同じ分類にあり、でも生きていく上で困難を感じやすい傾向にあるそうだ。
自分も境界知能なのではと感じた事があったのも、心理検査を受けようと思った理由の一つだ。結論から申し上げる。私のIQは103。平均的な一般人だった。ただ、発達障害の気はやはりある。幾つかのカテゴリに分かれた能力の数値は、大まかなものなら平均的なものの、細かく見ていくと凸凹が大きい。出来る事と出来ない事の差が激しく、生きづらいと言うのは間違った感想じゃなかった。ただ、IQの面でも発達障害の診断面でも明らかな『黒』ではない。『限りなくグレーゾーン』なのがまた証明されてしまった。
これからも私はちょっとだけ生き辛いし、普通とは若干ずれているし、ちょっと変わった人で在り続けるんだろう。それを個性と呼べるかは環境次第で変わると思う。ただ、今回分かった事で意外な事もあった。
私は、自己肯定感がかなり高いらしい。加えて、とても前向き。これには小さい頃から自分の家庭で存在や人格を否定されずに育てられたことが関係しているような気がする。母曰く、私が幼い頃から私を『子供』ではなく『一人の人間』として扱い接してきたらしい。やりたいことがすべて出来たかと言えば違うけれど、色々な事をさせて貰った。親≠ニして見れば、母も、義父も、亡くなった実父も立派な人と言える。子供を愛し、導き、見守る事が出来る人達だ。大人になって初めて分かった事だけれど。実父に対しては正直もうどうでも良いと思う事も増え、今更考えたところで疑問点に答えは出ない。でも、あの人が絵を描く楽しさを教えてくれたから今の私なのだろうとおもうので、一応は感謝しておく。
とまれ、自分の事は可愛いしメイクも料理も巧いしお裁縫もDIYも出来るので大好きだ。文章を書く力も年々上がっているし。お砂糖で出来たお人形になれる日も近いかもしれない。だって、上記のワンピース姿を見た知り合いに『お人形さんみたい』って言って貰えたし。自分で自分の事を好きで居るから、こんなにも辛い現実から逃がしてあげたいのかもしれないなとふと思った。でもね、生きてないとお洋服は着られないんだよ、その方が可哀想じゃない? と泣きじゃくる自分の肩に手を置く。笑えなくても良いんだ。泣けるって事は、生きてく気力はまだ残ってる。戦う力もきっとある。一頻り泣いて、気が済んだら顔を洗おう。メイクを直してフリルを翻し立ち向かうんだ。だって、自分が嫌いだと思う存在に殺されるなんて嫌でしょう?



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