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▼2024/04/13:朗報を待つるは文字書きの性

小説を書き始めたのは中学生の頃だ。現在はほとんど二次創作ばかり書いているが、本当の初めは一時創作小説から書き始めたと記憶している。当時の私は所謂設定厨と言うタイプで、書きたい小説の登場人物設定ばかり書いては本文まで書くには至っていなかった。二次でも一次でも設定を練るのが好きだった。故に書きたい設定ばかりが増え、本文を書く前に頭の中で完結させてしまって実際には書かないタイプの良くいるオタクだったのだ。
本文を書けるようになったのは高校生の時で、自分用に購入して貰った携帯電話で手さぐりにホームページを作成して載せた時は達成感でいっぱいになる。反応が貰えればとても嬉しく、まさに飛び上がるかのようだった。しかし、書き上げて少し経ってから読み返すと、まあ、粗が多いし文章が下手だし展開に無理があり過ぎる。これは創作あるあるだと思うのだが、書き上げた瞬間と少し時間を置いて見返した瞬間だと作品の出来の見え方が全然違う。
書き上げた瞬間、小説ならば書き上げて読み直した瞬間は『またとんでもない傑作を生みだせた!』と思えるのだが(一種のハイなのだろう)、三か月後とかに読み返すと『あ゛あ゛〜!!』と叫びたいくらいに下手に思える。これは時間が経過すればするほど酷くなるのは私だけだろうか。
しかし、その下手だと思う作品を書き上げたおかげで少なからず文章力は成長したとも思うので決して無駄ではない。書き上げた直後だけでも『最高!』と思える作品だから、誰かに読んでほしいと投稿できるのだし。現在は自作ホームページではなくSNSに投稿しているが、あるネタを使った小説を書いた頃から自分の筆の力が上がったと感じた。苦手な人も居るかもしれないが、『オメガバース』だ。初めは人に見せられる作品に仕上げる自信がなくノートにアナログで書き記して満足していたのだが、やっぱり勿体ないからとパソコンで書き直して投稿するに至る。そうしたらイイネ!も感想も沢山送られてくるので驚いた。人気のある設定なのは知っていたが、これほどに求めてくれる人が居るなんて! と感動して続きを執筆する。そしてまた投稿すればイイネがひゅんひゅんと飛んでくるのだ。楽しくて仕方なかった。
その後はオメガバース以外にもポメガバースとかダブルパロディとかDomSubバースとか、興味の赴くままに調べては書き散らかし投稿している。現在の界隈に来てから遂に6年が経過し、作品数は大分前に100を超えた。今となっては或る意味大御所なのではないだろうか。自分の作風の売りや、得意なジャンルも分かってきて、本当に書くのが楽しい。
フォロワーの皆さんはどんな作風を好むのか知る術は主に、イイネの数とコメントの数だと思われる。勿論、数だけに囚われる心算はない。ただ、読んで貰えてるなぁと思うとやはり嬉しい。なので私が読み手の時は積極的にイイネとコメントを贈る。これからも書いて欲しいと言うエールだ。
学生の頃から周囲には書き手であり読み手≠フ友人ばかりが居たので、『ある作品のファンが沢山いたとしても、それで二次創作をするに至る人はほんの一握り』と知って結構驚いた。高校では漫画研究部に所属して、専門学校が美術系だった所為か、書き手じゃない友達を探す方が大変な環境に居た故だ。以前某青い鳥のSNSで書き手は貴重と知り、ほとんどの人は書かないし、書こうと思う事も少ないとも知った。就職してからの周囲にも物語やイラストを描こうと思った事がある人は居なかった。なので少々珍獣扱いも受けたし、自分の趣味があまりメジャーではないのだなと知るに至る。自覚が大分遅い。

このブログの前身サイト『斜陽』は高校二年生の時に開設しており、移転ののちに今に至るが、矢野薊と言う名前は、実のところ本名よりも長い付き合いである。今使っている本名は家の事情で成人してから名乗り始めたのだ。故にもう一つの作品執筆に使う名前も本名より長い付き合いだ。中学生の時分、ペンネームを考えたのが始まりである。もう二十年近く使っていると思うと感慨深い。

今の界隈には、6年前に作品が放映された後直ぐに飛び込んだ。最終話まで楽しく鑑賞し、ある夜に寝床で好きな音楽を聴いていたら急にネタが降って来たのが書き始めたきっかけで、それ以来コンスタントに投稿している。専門学校時代講師陣から評価されていたのは『作業の速さ』だった故なのか、スピードだけは誰にも負けないと思う。ネタを見つけた時の瞬発力や、作品に盛り込む情報、文字量の多さも同じく。時事ネタや流行の設定(オメガバ、花吐き病など)を自分なりに解釈して書きまくり、評価されれば嬉しく励みになるし、大親友と言えるフォロワーさんや書き手の皆さんと出逢えた。或るフォロワーさんは私の作品達を『宝の山』と言ってくれた事があって、本当に嬉しかったし、筆を折らずに書いてきて良かったと心の底から思える。
仕事が原因の抑鬱状態で少し前まで書く事が出来なくなっていたが、大分回復して昨日も作品を投稿した。創作が出来る自分で居ないとメンタルの状態がますます悪くなる、と書くと少々不健全かもしれない。でも書きたいものが浮かんだら回復してきたサインなのだ。私にとっては分かりやすい指標である。今書いているシリーズは、元々は読み切りの心算だったのだが、大親友のフォロワーさんに『続きを楽しみにしてる』と言われてしまい、それを読んだ瞬間にストーリーが最後まで見通せたので書く事にした。丁度良い執筆BGMもあるので書くのが本当に楽しい。この趣味があって本当に良かった。自分の脳内に渦巻く妄想を、後からいつでも読み返せる形で残す事が出来るのだから。

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