21:30 - 四男 前編
カラ松がライブハウスにもどると、ステージも終盤になったトト子のライブは最高の盛り上がりを見せていた。
観客の顔には"あと少しでマグロがもらえる"と書いてあるが、それはこの際置いておく。
カラ松は後ろからさっと視線を流して、純粋にライブを楽しんでいるボサボサ頭を見つけると人波を縫って近づいた。
「一松、代わろう」
「あ? もう戻ったの」
「ああ、なまえちゃんが待ってるぞ」
「ん…」
一松は特に会話を続ける様子もなく、たんたんとTシャツを脱ぐとそれをカラ松に押し付けて歩き出す。
上半身裸で出ていってしまった背中をぽかんと見送ったあと、弟の奇行にはたと気づいたカラ松は慌てて閉じかけているドアに手をついて外へ顔を出した。
「おい、一松!?」
「んあ?」
声が聞こえたのはすぐ真横で、通路の先へ向けていた視線をそちらへ向けると扉のすぐ横に置いてあったらしい私服に頭を突っ込んだまま止まっている一松がいる。
「…あぁ、なんだ。裸で出て行ったのかと思った…」
「そんなことするわけ無いじゃん」
「そ、そうだよな…」
「真冬だよ。馬鹿じゃねーの」
真冬じゃなかったらするのか。
口から出そうになった言葉を飲み込んで着替えを見守っていると、またも胸にどんと何かが押し付けられた。
「持ったままだった」
「お、おう」
「じゃ、いってくる」
サイリウムも預かり、今度こそライブハウスを出て行く弟を見送る。
ちょうどいいかとその場で着替え、一松のTシャツに袖を通してカラ松はトト子のライブへと戻っていった。
最後の花火が広場の上に散ってゆき、舞う火の粉に合わせてイルミネーションがゆっくりと消えてゆく。
静寂が一時だけ辺りを支配した瞬間、肩にぽんと手を置かれなまえは振り向いた。
最後のイルミネーションの切り替えが行われ、端から明かりが点って行くのに合わせて肩をたたいた人物の姿があらわになる。
待っていた最後の人物の登場になまえは驚くこともなく顔を綻ばせた。
「こんばんは、一松さん」
「ども…」
「暗いのによくわかりましたね」
「夜目利くから」
「ふふ、猫みたい」
周囲の雑踏に紛れそうなくらいのボリュームでしゃべる一松の声をなまえは集中して拾い上げる。
彼がローテンションなのはいつものことだ。
「さっきまで花火が上がってたんです」
「ここ来る途中に見えてたよ。…つかクソ松が五番目がいいって駄々こねてた理由がわかってクソムカつく」
大抵のことは兄弟に譲る次男がここばかりは譲らず、何かあるとは思っていたが、このイベントの存在を教えた功労者として兄弟たちは彼の希望を優先させたことを一松から明かされ、なまえはなるほどと合点がいった。
確かに最初から一貫してあの花火が一番良く見える場所へ誘導されたことを思い出す。
微笑んだなまえの笑顔の中に兄の存在を感じ取り、彼女の笑顔とは逆に一松の表情が陰った。
「…それ、あいつに貰ったの」
一松の視線が、なまえの手の中にある花束へと向けられる。
彼の指す"あいつ"とは一人しか居ない。
大切そうになまえの胸の前で咲いている真紅の薔薇を睨む一松の眉間にしわが寄った。
「はい、カラ松さんにもらいました」
「あいつもどうかと思うけど、それを受け取れるアンタもすごいよね…」
「ケッ」と悪態をつきながら不機嫌さを露わにする一松に、なまえは一瞬きょとんとしたものの、すぐに自分の行動を省みて彼に対して失礼だったと気づいた。
花束を見えるように持っていたのは失敗だったかもしれない。
今自分とデートをしているのは一松だ。
前のデート相手の話題をだすのはマナー違反だったとなまえはすぐさま彼へ謝った。
「あの、一松さん。ごめんなさ…」
「花束もらって、一緒に花火見て、イルミネーション見て? トレンディドラマかっつの」
カラ松は唯一このイベントに来たがっていた。
そりゃあ念入りに今日の日をシミュレーションをしていたのだろう。
大抵の相手なら痛い発言と行動を鼻で笑われて何一つ達成できないまま終わるのが通例のはずが、なまえの持つ花束が彼女が彼のやりたかったことを全て受け入れたことを表していて、一松の口から毒が止まらない。
はっと一松が気づいた時には、自分に対してどう反応すればいいのか困っているなまえの姿があり、彼は遅いと解りながらも口を噤んだ。
デートとして最悪のスタートを切ってしまったことを後悔しているのがまるわかりの一松に、なまえは意を決してポケットからスマートフォンを出しながら近づく。
「一松さん、みてみて」
アルバムのアプリケーションを呼び出しながら一松に見えるように画面を向けると、気まずそうな一松も遠慮がちにそれを覗く。
今日の日付のフォルダをタップすればこれまでのイルミネーションの写真が表示された。
「かわいいネコがいっぱい動いてるイルミネーションがあったから、一松さんに見せようと思って撮ったんです」
「ネコ…」
その言葉に反応して身を乗り出してきた一松に、なまえは安堵のため息をこっそりと零す。
スライドするごとに表情を変えるネコのイルミネーションが表示され、それに合わせて気を張っていた一松の雰囲気が緩んでいくのを感じた。
なんとかデートらしい方向へ持って行こうと、なまえは写真に解説を添える。
「あ、このネコは音楽に合わせて口パクして歌ってたんです」
「なんで動画で撮ってないのそれ」
「あ、そっか…」
「馬鹿じゃん」
ヒヒッと一松が薄く笑う。
彼の機嫌が良くなってきたことが嬉しく、なまえは更に液晶をスライドさせる。
「このネコは光の色で模様がどんどん変わって面白かったんです」
「ブレまくってんじゃん。アンタ写真撮るの下手すぎ」
こき下ろしながらも一松は画面の中のネコに夢中で、いつの間にかなまえと肩を寄せあってスマートフォンを覗き込んでいる。
やがて自分でスライド操作をはじめて写真を堪能しだした横顔はとろけるようにニヤけていて、本当に猫が好きなんだとなまえはイルミネーションを撮っておいたことを誇らしく思う。
出だしこそ悪かったものの、ようやくデートらしくなってきた。
「ん」
写真を行ったり来たりスライドさせていた一松の手が止まった。
一松の短い反応になまえも液晶に視線を落とすと、
「あ…」
「…トド松と写真撮ったんだ」
液晶に映っていたのは数時間前にトド松と撮って送ってもらったあの写真だ。
ハートが散りばめられ可愛らしく加工された、いかにもカップルらしい写真を見つめて二人の時間が止まる。
先程反省したばかりだというのに、どうしてトド松の言うとおりトド松フォルダに入れておかなかったのかとなまえの背中に冷たいものが走った。
まずトド松フォルダを作るところからなのだが。
「えと、はい…」
「ふーん…」
さりげなくなまえがスライドしてイルミネーションの写真に戻すが、一松の指は逆にスライドさせてまたトド松との写真を呼び出す。
「……」
「……」
じっとその写真を見つめ続ける一松の沈黙が居心地悪く、謝ってしまおうとなまえは口を開いた。
「あの…」
「俺とも写真撮ってよ」
謝罪の前に被せられた一松の言葉に、言いかけたごめんなさいが喉の奥へ引っ込んだ。
その微妙な間を困惑だと勘違いした一松はかぶりを振って息を吐く。
「嫌ですか。そうですか。そうですよね、こんなクズと写真なんて」
「えええ、ちがいますちがいます」
これ以上失敗はすまいとなまえは即座にカメラアプリを起動させた。
「撮りましょう!」
インカメラに切り替えて、斜め上にカメラを構える。
のそ、と鈍重な動きで一松が擦り寄ってきてフレームインすると、なまえはシャッターを切った。
出来上がった写真を確認すると、
「…ブレすぎ」
間髪入れずにダメ出しをされた。
「ちゃんと撮ってよ」
「も…もう一度チャンスを下さい」
同じ動作をもう一度行って再び写真を撮る。
「俺がカメラに入ってないんだけど」
「あれぇ…」
「カメラのセンスなさすぎかお前」
そもそもカメラがズレ過ぎてフォーカスさえ合っていない写真を前に、なまえは首を傾げる。
そういえば自撮り自体を今までしたことがなかったかもしれない。
「自撮りってむずかしいんですね…」
「それ以前の問題だと思うよ」
一松の厳しい言葉がちくちくとささるたびに、なまえは肩をすくめる。
「もうじゃあ一松さんが撮ってください―」
とうとうなまえは自分のスマートフォンと一松へと押し付けた。
「えー…」
嫌々受け取った一松は、人差指と親指でそれをつまんでくるくると弄ぶが、やがてなまえがしたように斜め上に腕を伸ばしてカメラを構えた。
そのレンズに映るようになまえも控えめに一松へと寄る。
「はい、ぴーす」
「ピース!」
一松のゆるい指示に従って急いで顔の前でピースを作ると電子音がその瞬間を切り取った。
すぐに表示される写真を2人で覗き込んで同時に黙りこむ。
無言のまま一松は撮ったばかりの写真をゴミ箱に放り込んだ。
「…一松さんだってブレてる」
「うるさい」
トド松の自撮りスキルの高さをまざまざと実感していると急に手首を掴まれて、歩き出した一松になまえは引っ張られた。
「わっ、わ? 一松さん?」
「違うとこで撮る」
写真を撮るのはまだ諦めていないらしい。
もつれそうになる足を何とか動かしてついていけば、一松はきょろきょろと広場を見回して空いているベンチを見つけるとそこへ一直線に向かった。
深めに腰掛けて両足を広げて投げ出すと、ポンポンと足の間を叩く。
「ん?」
「ここ、座って」
繰り返すが叩いているのは足の間だ。
「え、え? ど、どうやって」
「いいから普通に座って」
自棄になっているのか目が据わっている一松に逆らう勇気など持てず、言われるがままになまえは一松に背を向けて彼の足の間へと腰を下ろした。
「し、失礼します…」
背を丸めて縮こまるように収まるとぐいっと肩を掴まれて後ろに引かれ「ひゃあ」と間抜けな声が出た。
背中が一松の胸にぶつかり、これは一体何をされているのだろうかと考える。
「もっともたれていいよ」
「これ以上は無理です!」
もたれたせいでずるっと身体が下にずれベンチから落ちそうになるのを足を突っ張ってこらえる。
「一松さん、落ちそう…落ちそう!」
「ちょっとだけ我慢して」
焦るなまえを気にもせず、一松は我が物顔でなまえのスマートフォンを操作してカメラアプリを起動し直すと、両腕をなまえの肩越しに伸ばした。
今度は両手で持った状態でそれを構える。
「これならブレないでしょ。三秒タイマーね」
タイマーもセットしたらしい。
少なくとも自分よりはカメラの扱いに慣れているなぁとなまえは頭の隅っこで考える。
思考の大部分を占めているのはもちろん"この体勢辛い!"だ。
一松の人差し指がシャッターをタップする。
三秒後の瞬間に備えてなまえが出来る限りの笑顔を作ると何度目かの電子音が鳴り、ほう…と肩と顔の力を抜いた。
ようやくこの姿勢から開放される。
しかし表示された写真を見て一松は不満気だ。
「なんか笑顔引きつってんだけど」
「だって足と腹筋つりそうなんです!」
こればっかりは言わせていただきたいと、一松の文句にかぶせるように声を荒げると、面倒くさそうなため息が頭の上で聞こえた。
次の瞬間、一松の両腕がなまえの腕の下を通って彼女のお腹の前で組まれる。
「え、 ひゃっ!」
そのままぐいっと上に引っ張りあげられ、とりあえずベンチから落ちそうな状態からは脱却できた。
「持っててあげるから、写真撮って」
「え、え、え…」
「早く」
混乱のまま言われるがままにスマートフォンを受け取り、先ほどの一松と同じように両手でスマートフォンを構えると、インカメラに客観的に見た自分たちが映し出される。
その姿はどう見ても周囲の目を気にしないバカップルそのもので、なまえは思い出したように恥ずかしさが湧き上がってきた。
「はやくー」
「は、ハイッ」
一松がしゃべる度に耳に吐息がかかり、なまえは震える手でシャッターをタップした。
こんなのを何度も繰り返していたら心臓が持たない。
これ一回限りで終わらせなければと、頑張って笑顔をキープする。
たったの三秒がおそろしいほど長く感じたあとに電子音がようやく鳴り響き、なまえはドキドキと写真を確認した。
ダメ出しされませんように、されませんように。
画面に映し出されたなまえは、真っ赤な顔で心情そのままに必死で笑っている。
自分で見てもぎこちなく、これはリテイクかと覚悟を決めたが、一松は意外な判断を下した。
身を乗り出した一松の頭の重みがなまえの肩にのしかかり、
「…イイ顔すんじゃん」
耳の側で熱を持った低い声が告げる。
その声色に反射的に身体が震えた。
指先の力が抜けて落ちかけたスマートフォンを一松の片手が拾い上げてよく見えるように掲げると、くつくつと空気を吐きながら笑う一松の振動が背中越しに伝わる。
一松の吐息を受ける耳が熱い。
「いちまつさん、趣味…わるい」
僅かな反抗心を露出させると背後からキヒッと喜びを滲ませた声が聞こえ、抱きしめる腕の力が強まった。
「褒め言葉ですか?」
なぜ彼が喜んでいるのか理解できないなまえは、とりあえず早く開放して欲しいと願いながら、両手で赤い顔を抑えた。
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