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目の前にいる人物そのものがじわりじわりと非日常に見えてきて桐島の中の許容範囲を超えようとしていた。
ドク...ドク...。体の内側から危険を知らせる音が響いている。
見え隠れしていたある種の違和感がはっきりとその姿を見せたようにも思え、気づけば桐島は腑に落ちた違和感と突如出現した非日常を同時に味わっていた。
「.....」
吃驚するばかりで中々反応できない桐島に生徒が優しく笑う。
「桐島先生? 俺はどちらでもいいんですよ? 貴方の『先生』とやらが通う大学にこの事実をリークしても。ただその場合、きっとその『先生』とやらの家庭は壊れ教え子との淫行に教授職は免職されその未来はズダボロになるんでしょうね」
言っている内容とあまりに不釣り合いな甘い表情はやはりちぐはぐで桐島の中で上手く消化できない。
しかし。
脳裏を掠めたあの愛しい人の笑顔が歪むのは嫌だという事はわかる。
そしてふと桐島は俯いていた顔をあげこちらを凝視している笹川と視線を合わせた。
「...なんで、こんな事を...? 」
己の口から出てきた言葉はありきたりで素朴な疑問だった。
正直笹川とはそんなに面識だって無い、それとも知らないうちに自分は恨まれたりしているのだろうか。
静かに、穏やかに遂行される脅迫に何故自分がこんな目にあうのかわからないでいた。
笹川はそんな桐島に甘く優しい笑顔を消す事なく答えてくれる。
「これは偶々起こった『事故』みたいなものですよ」
甘さを含んだ低い声が脳に響く。
「あの日偶々桐島先生とあの先生のことを見つけて、録画したら脅迫材料になって、丁度それなりに溜まっている鬱憤を吐き出す相手が欲しかった俺は桐島先生にその相手になってもらおうって思っただけです」
「何も一生じゃない。精々俺が飽きるまでですよ」
「ほら、簡単でしょう」とニッコリ笑って促す姿はとても脅迫している人間には見えない。
恨むでも、ましてや恋情でもない唯の『事故』のようなものだと。
其処に感情はなく存在するのは『偶々』だと。
『飽きるまで』という事は『飽きれば終わる』という事だと。
通常だったらあり得ない理屈も許容範囲を超えた桐島の中では受容する事が最善と思えた。
「....わかりました」
合わせていた視線を下ろし、チラリと笹川の口元を見れば其処には弧を描く至極愉快そうな笑みが刻まれていた。
『契約完了』だとばかりに笹川は跨っていた椅子から離れ桐島の後ろの開いていたカーテンを閉める。
元々その場所以外のカーテンは閉まっていた為、全てのカーテンが閉められた事になり図書室の中は薄暗くなる。
カーテンを閉じるとまた椅子に戻り先程と同じように跨るとニッコリ笑って初めての命令をした。
「じゃあ、取り敢えず全裸になって」
こともなげに言う笹川の姿はやはり非日常的で、しかし突然全裸と言われてすぐになれるわけでもなくいると。
「...全裸」
声のトーンを一つ下げ、不機嫌が滲むような声色に桐島は意を決してスーツを脱ぎ始めた。
脅されて脱ぐ経験等当たり前だが無い。
桐島の指先は震えながらそれでも上から少しづつ脱ぎ始める。
拙い動作であるが目の前の笹川は何も言わず、観察する様に真剣な目でジッと見ていた。
カッターシャツを脱ぎ、インナーシャツを脱げば上半身は裸の状態だ。
暖房は入れているようではあるものの桐島の白い肌に冬の空気が触れてしまう。
「っ、...」
冬の冷たい空気に一瞬たじろいだ。
下半身を残した状態でチラリと笹川を見たがその瞳は「早く次を脱げ」と言ってそうで桐島は先を続ける。
スラックスを脱ぎ靴下と靴を脱ぎ、ボクサーパンツ一枚となれば、最後の一枚を脱ぐのにやはり戸惑いを覚えた。
動作が止まった桐島に笹川はジッと見るだけ。
ボクサーパンツのウエスト部分を掴むも中々下げれない桐島に笹川は静かに言った。
「....全裸」
またもや声のトーンを一つ下げられ、笹川を焦らせる。
行き着く選択肢が一つしかないことに覚悟を決め、桐島はゆっくりとパンツを下ろすとその身に纏うものは一つもなくなった。
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