妄語

「わかりました、ご協力ありがとうございました」

スーツを着た刑事が頭を下げている。あの一件の裏どりに私の話が必要だったそうだ。何しろ彼は被害届も出されておらず、監視カメラなどの証拠も残っていないのだから彼の話以外で傷害を立証できそうなのは、被害者である私の話だけということになる。

「この後どうなるんですか?」
「お聞きしたいことはこれで全てですので、もうお時間取ることはないと思います」
「あ、いえ、そうじゃなくて……あの人は」
「ああ……事実確認も取れましたし正式に逮捕されると思いますよ」
「……」

彼が何故事件を起こしたのかはわかっていない。元々憎まれていたのかもしれないし、私が瀧衣理になったことでここまでこじれてしまったのかもしれない。もし後者だとするならば、私は彼の人生を壊すきっかけになったのだ。私にはどうしようないことではあるのだが、気付いていなかっただけで今までもこういうことがあったのかもしれないと思うと気が重くなった。

「衣理ちゃん!」

私のことをちゃん付けで呼ぶ人は少ない。しかも場所は警察署だ、顔を見なくとも誰かはすぐにわかった。

「由美さんお久しぶりです」
「そうだっけ?また飲まない、美和子と三人で」
「いいですよ。今日は予定あるのでまた誘ってください」
「今日じゃないわよ。美和子は知らないけど私達は今から駆り出されるところだし」

そう言って唇を尖らせた彼女は、私の隣を歩きながら車の鍵を指でくるくると回していた。交通課に所属している彼女はよくミニパトで巡回をしているらしいから夜には夏祭りが始まる今日もその一環かと思いきや、彼女の表情や物言いからはどうも通常業務とは違うように感じられる。
「すみません、急な呼び出しで由美さんちょっと機嫌悪くて」婦警特有の帽子から飛び出すように二つ結びをしている女性が私に耳打ちをして頭を下げた。

「警察の皆さんは大変ですね、お祭りの交通規制ですか?」
「いえ、お祭りではないんですけど隣の管轄から警戒要請がきて」
「こら。内部情報をペラペラ話すんじゃないわよ」
「あっ……!」

由美が右手で二つ結びの女性の頭を軽く小突き、女性が由美と私を交互に見た後恥ずかしそうに顔を地面へ向けていた。初々しいその仕草からして、新人なのだろう。私も余計なことは聞かなかった方が良かったのかもしれない。

「まったく……衣理ちゃんは?お祭り行くの?よかったら送るわよ」
「いいですよ、お仕事中なのに」
「でも夏祭りで交通規制中だからパトカーじゃないと帰り歩きになるわよ?」
「あ、そっか……」

ちらりと腕時計に目をやると安室と約束した時間まであと少しの所だった。歩いていては絶対に間に合わない。

「お願いしてもいいですか?この後屋台手伝うことになってて……ポアロってわかります?」
「もちろん。あそこのお手伝いするの?」
「ええ。ちょっと人手不足らしいので」
「ふうん。最近人気なんでしょ?新しい店員がイケメンだって前に聞いたことあるし」

名前こそ出ないものの、由美の想像している人物は安室透で間違いないだろう。欠点など一つもなく、外見も内面も何もかも完璧に見えているあの人。結局のところ、私は彼がどんな人物なのか理解できてはいない。
人並外れた推理力や洞察力だけでなく、時たま見せる一般人とは思えぬ威圧感は、それも安室透の一面なのだと受け入れるには少しばかり無理があるような気もする。

「まあ……そうですね、かっこいいですよ」

しかし、好きになったら負け。とはよく言うもので、安室に多少──というよりも大いに──謎めいている部分があっても、それはそれで彼の個性なのかもと納得しかけている。前まではあんなに彼を警戒していたというのに、私も現金なものだ。何だか自分に対して恥ずかしさを覚えて唇をキュッと引き締めた。
「失礼します」とミニパトの後部座席に腰掛けてシートベルトを閉めた。犯罪行為をしたわけでもないのだが、パトカーに乗るのは流石に若干の緊張を伴う。案外普通の車と内装は変わらないんだなと目線を走らせていると、座席の間から私を見ている由美と目があった。

「?」
「衣理ちゃんでもそういうこと言うんだって思って」
「そういうこと?」
「だってほら、前の合コンの時それなりに面子集めて行ったけど誰にも興味なさそうだったから」
「それは……」
「ポアロの店員に気があるとか?」

由美が楽しそうに口元を上げているが、私の気持ちがバレているわけではないだろう。きっと彼女の性格からいって、ただ私のことをからかっているだけのはず。言い当てられたことで胃の辺りに嫌な感覚が生じたけれど、数秒でそれは霧散した。

「そんなんじゃないです。あそこで仕事してたら女の子達があの人目当てに通ってるのよく見ますし」

信号待ちの車窓からは年頃の女の子達が浴衣に着飾って歩く姿が見えた。手には青いポスターがある。私の見間違いでなければあれはポアロの宣伝ポスターだ。大層な人気ですね、と心の中だけで呟いて彼女達から目を逸らし、小さく息を吐いた。

「それだけ?」
「それだけ」
「なーんだ。最近こういう話ないから楽しめると思ったのに」
「期待に添えずすみません」
「もうすぐポアロ付近に到着します!」

もう既に道には屋台がずらりと並んでいて、確かにパトカーでなければ入ることはできなかっただろう。夏祭りがどんなものか見たことはあっても、実際に体験したことはない。色とりどりの屋台を見て子供のようにはしゃぎはしないものの、少しばかり気分が浮き立ってしまうのは仕方のないことだ。

「着きました、こちらで大丈夫ですか?」

新人らしい女性の丁寧な運転で車はゆっくりと道路脇に停車する。流石は婦警さんだと感心しながら礼を述べると先程の恥ずかしそうな表情からは一変して、嬉しそうに笑ってくれた。

「お祭りの手伝い頑張ってね」
「由美さん達もお仕事頑張ってください。早めに終わったら食べに来てくださいね」

ミニパトが他の車に紛れて見えなくなってから一息ついてポアロの扉を開けると、カウンターで難しそうな顔をしている安室と目があって、途端に彼の表情が和らいだ。何か見てはいけないものを見たような気がして、どうしたんですかの一言も言えなかった。

「──ごめんなさい遅くなって。準備しますね」
「ゆっくりで大丈夫ですよ、大体終わらせましたから」

確かにもう屋台はできていたし、私にできることはあまり残っていないらしい。時間に遅れたわけではないのだから安室が早く来て準備を進めてくれていたのだろう。
ヘアゴムで髪を束ね、エプロンをつけ、手を洗う。その間特に何も言ってこない安室を盗み見るとやはりどことなく表情は険しい。

「……」
「安室さん、外行きますか?」
「そうですね。そろそろ周りも始めるでしょうし」

その険しい表情もたった一瞬で姿を隠してしまう。何かあったんだろうな、とは思うものの私が踏み入っていいものなのかがわからない。彼には身の上話をしてしまったことで既に変な女だと思われているのだろうが、嫌われてはないと思う。だから変に距離感を詰めて嫌悪感を抱かれたくはないのだが、どうしたものか。

「さて──」

鉄板を温め、見本を二つほど作って値札もつけた。あとは注文に応じて作っていくだけだ、となったところで携帯の着信音が鳴った。私のではないとすると、安室のものだろう。

「どうぞ、気にしないでください」
「……すみません」

何故だか安室は気まずそうに私に軽く頭を下げてポアロへと入っていった。聞かれたくない内容ということは、何かプライベートに関することなのか。
私は彼のことをほとんど何も知らない。でも彼のことをよく知っている人はきっとたくさんいて、電話をかけてきた人もその内の一人なのだろう。

「……いいなあ……」

自分にこんな感情が存在するだなんて思ってもみなかった。誰かのことを好きになるばかりか、その人に近しい人を羨ましく、妬ましく思う気持ちがあるだなんて。




top